Fアップルパイ盗難事件 宣戦布告





 殺風景で薄暗い小部屋だった。


 電気が点いていない上に、窓は黒のカーテンで覆われている。



 床に敷かれているのは、金色の刺繍が施された黒の絨毯。

 部屋の真ん中にはガラス製の丸テーブルがぽつんと置かれ、その周りには絨毯と同じデザインの座布団が六つ並べられていた。



 私達は靴を脱いで、恐る恐る中へと入る。



 テーブルの中心には色つきのガラスコップが十数個あり、中にはロウソクが入っている。そこに灯っている炎がそれぞれのコップの色を反射し、唯一の光源として重要な役割を果たしていた。




 まるで、世界から切り離されたような空間。


 唯一、部屋の片隅にある縦横1メートルほどの小さな本棚だけが、虚の中で生きているような気がした。

 私でも知っているような有名なミステリが詰め込まれた本棚の上には、ポット、マグカップ、ノートパソコン等が置かれている。


 押しやられた生活感の残骸を見つけて、私は少しだけ安堵した。




「これがミス研? イメージと全然違うわ。オカ研みたい」

 ミカンちゃんの第一声は、失礼な正論だった。


「これが部室ッスか。本格的ッスね」

 リンゴちゃんの第一声は、意味不明だった。


 私は『ややこしい先輩が出てしませんように』と祈っていた。

 三者三様の反応に対して、




「……ひひ」




 突然、



「ようこそ、『F推理研究会』へ……」


 背後から不気味な声。



 慌てて振り返る。



 病的なほどに白い肌に、ぼさぼさの長い黒髪。お化けのような少女がこちらをじっと見ていた。

 どう見ても『ややこしい先輩』のお出ましだ。


「……ひひ、驚いた?」


 歪んだ笑みで、彼女は私達に問いかける。

 純粋な笑い声ではなく、言葉で「ひひ」と声をあげる独特な笑い方。人工的に剣呑な雰囲気の人物だった。



 私達三人は呆気に取られてしばし固まる。



 最初に沈黙を破ったのはリンゴちゃんだ。


「び、びっくりしたッス!」



 次いでミカンちゃんが口を開く。


「……扉の後ろにいらしたのですね。ガッカリ密室トリックはやめてください」


 恐らく先輩――だと判断して敬語を使っているのだろうが、後半はかなり失礼だった。



「……ひひ、いきなり開けるから、こっちもびっくりだったけどね」


「申し訳ありません」と、なぜか私が謝る。


 当の本人であるリンゴちゃんは「あー、心臓止まるかと思ったッス!」と一人で騒いでいた。




 第一印象は互いに最悪といえた。

 早急な回復を図る為にも、とっとと自己紹介を済ませるべきだ。


 そう決心して口火を切ろうとすると、



「――ザクロさん? お客さんですか?」



 今度は部室の外から、控えめな声が聞こえてきた。


 現れたのは箒を持った少女である。


 童顔で小柄。いかにも優等生という雰囲気を感じさせるが――なぜか髪をピンク色に染めていた。



「……やぁ、スモモ君。部室の掃除をしてくれて助かったよ。新入部員が来た」



 不気味な少女(ザクロ先輩?)が、ピンク髪の少女(スモモ先輩?)にそう言った。



「ほ、本当ですか! わたし、さっそく紅茶を淹れて来ますね!」


「ひひ、その前に自己紹介」


「ああ! そうでした!」



 目の前で慌ただしい会話を繰り広げていた二人は、照れ臭そうに笑いながら私達に向き直り、



「い、いきなりドタバタしてしまってごめんなさい。二年のスモモです」


「……ひひ、同じく二年で、副部長のザクロ。よろしく――というか、入部希望者で良いんだよね?」


「はい!」


 と、ミカンちゃんは目を輝かせながら続ける。


「一年生のミカンです。あ、こっちがリンゴ。これがイチゴです」


『これ』とは何事か――と思いながらも、私は慌てて頭を下げた。


「……ひひ。良かった。これで冷やかしならどうしてやろうかと思っていたよ。あ、座って待ってて、そろそろ部長が来ると思うから」


 今日は挨拶だけのつもりなのですが――



 ――なんて言う隙も与えず、ミカンちゃんは再び「はい!」と気合の入った声をあげた。





 あれよあれよと言う間に、私達はテーブルまで案内され、それぞれ座布団に腰を降ろす。

 私は正座、ミカンちゃんは体育座り、リンゴちゃんは足を伸ばして座り込む。こんな一年で大丈夫なのかと思うが、


「……ひひ、楽な姿勢で良いよ」


 ザクロ先輩はそう言って、あぐらをかく。


 やがて、スモモ先輩が六つの紅茶を乗せたお盆を持ってやって来ると同時に、新たな声が耳朶を打った。



「――あら、弱そうなのが三人」



 あんまりな一言と共に、新たな人物――恐らく件の部長なのだろう――が現れた。

 ファッション誌から飛び出して来たかのようなモデル体型の美人。

 ただそれだけで、失礼な挨拶への抵抗力が失せてしまう。



「三年のメロンよ。F推理研究会の部長をやっているわ」



 気だるげな話し方。


 魔女を思わせる妖艶な雰囲気。


 気圧されながらも、


「一年生のイチゴです。ミステリは、ごめんなさい。あまり詳しくなくて」

 私は改めて――というより、初めてまともに自己紹介をした。


「あ、同じく一年のリンゴッス! ミステリはろくに読まないッス! でも人付き合いは得意中の得意ッス!」

 リンゴちゃんが無邪気な笑顔で追従し、


「ミカンです。まともなのは、あたしだけだと思ってください」

 次いでミカンちゃんが、嘆息しながら締めくくった。



「ミステリに対する造詣の深さは気にしなくて良いわ」


 メロン先輩は上品に微笑む。


「それより、部員はここにいる六人で全てだから。今この場で、全員の名前をしっかりと憶えておくこと」


 その言葉に従い、私は部員の顔をざっと見渡す。




 上座から時計回りに、


 メロン先輩(三年生・妖艶・部長)、

 ザクロ先輩(二年生・不気味・『ひひ』と笑う)、

 スモモ先輩(二年生・低姿勢・ピンク髪)、

 リンゴちゃん(一年生・お馬鹿・体育会系)、

 ミカンちゃん(一年生・ツンツン・ミステリマニア)、

 私(一年生・流されるように生きる・名前はイチゴ)、


 ――の順で座っている。




 ……ところで挨拶をしに来ただけだし、そろそろ帰ってもいいだろうか?



「さあ、では質問タイムよ。一年生諸君。何か質問があれば遠慮なくおっしゃいなさい」



 そんな私の希望は、メロン先輩の凛とした声にかき消された。



 待ってましたと言わんばかりに手を上げたのは、案の定ミカンちゃんだった。



「はい、ミカン」


「ミス研の活動内容は何ですか?」


「えっと」


 と、スモモ先輩が口を挟む。


「『ミス研』と総称したくなるお気持ちもわかりますが、うちは『F推理研究会』です。略称は『F推会えふすいかい』でお願い致します」


「このF苑で、略称に『スイカ』が含まれているなんて、とってもユニークでしょう?」


 うっとりとした口調でメロン先輩が笑う。


 何やら、謎のこだわりがあるらしかった。


「で、我が部の活動内容だけれど、八割はミステリを持ち寄っておしゃべりすることよ」


「ひひ、けれど僕達の部活の本質はそんな所にはないんだ。大事なのは残りの二割……イチゴ君は何だと思う?」



 急に会話の矛先を向けられてギクリとする。


 熱量のあるミカンちゃんとは対照的に、私は『ザクロ先輩の一人称は僕なのか。そういえばリンゴちゃんはオレと言ってだっけ? まぁ、女子校なら珍しくもないか』と、宇宙で三番目くらいにどうでもいいことを考えて過ごしていたのだ。


「わかりません、なんでしょうか?」


 だからこう答えるしかない。


 幸い彼女達は気分を害すことなく、


「……ひひ、ゲームをするんだよ。勿論テレビゲームじゃないよ。カードゲームでもない。推理研究会だからね――ガチンコの『推理ゲーム』をする」


 その一言に、ミカンちゃんの目の色が変わった。


「す、推理ゲーム! それってもしかして、やっぱり――」



「……ひひ、出題者が問題を出す。制限時間を設けて残りの部員が議論し、答えを出す。

 最後に出題者によって解答が発表され、正解者には景品が与えられる。有名なアレの応用だよ。これを毎週金曜日にやる」



 有名と言われてもそんなゲームは初耳だ。けれど、ミカンちゃんは知っているようで、目を輝かせてザクロ先輩の話を聞いていた。



 私はと言えば、宇宙で二番目にどうでもいいこと――を、考えられなくなっていた。



 その時の私を客観的見ていた者がいたなら、恐らくミカンちゃん以上に目を輝かせていたと証言するだろう。



 事実、私は胸の高鳴りを感じていた。推理研究会なんて、ミカンちゃんに連れられて適当に選んだ部活だ。

 普段は積極的にミステリなんて読まないし、興味すらなかった。


 けれど、ザクロ先輩の口から零れた『推理ゲーム』という言葉の響きが、なぜかとても甘美なものに思えてならなかった。


 無論、ありふれた言葉である。だから、言葉そのものに惹かれたと言うよりも、私はこの時からを予感していたのだろう。



「毎週金曜日」


 とミカンちゃんが口を開く。


「今日も金曜日ですね?」


「……ひひ、今日は――と言うより、今年はまだ活動を始めてないよ。新入生を迎えるのが先だし、そもそも来るかもわからなかったしね」


「過去問はありますか?」


「……ひひ、ミカン君は熱心だね。でもウチのゲームの楽しみ方は、そういうのとは少し違うから。是非、本番を楽しみにして貰いたい」


「なるほど、少し残念です。本番は来週? それとも再来週になりますか?」


「……ひひひ」

 と、ザクロ先輩が楽しそうに笑って続ける。




「そっかそっか。そんなに興味持ってくれているんだ? ならば、どうだろう?

 ――稿




「――え?」


 ミカンちゃんが目を見開く。


「い、今からですか」



「うん。一時間くらい貰えれば完成させられるよ。かの怪盗グアバにも負けないような意地悪な出題を一つ、ね。



 ――ひひひ、




 挑発的な口調だった。




 けれど――

 



 ――



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