Fアップルパイ盗難事件 ヒント
[Fアップルパイ盗難事件 ヒント]
読み終えた感想は『おかしな小説だな』だった。
『つまらない小説』や『意味のわからない小説』というよりも『おかしな小説』。
気になるのは以下のような点である。
一、登場人物の性格が現実のそれと乖離している点。例えばレモン先生は、こんなにも幼稚な人物ではない。
二、レモン先生が疑心暗鬼になっているとはいえ、F推会の部員六人が唐突に容疑者に仕立て上げられている点。
三、物語のテンポが速く、登場人物が操り人形のように見える点。全体的にリアリティが感じられない。
――等々。
これほどまでに機械的でプロット染みた読み物は初めてだった。
登場するのが実在の人物なのでまだ頭に絵は浮かぶが、これがオリジナルキャラクターであれば、名前を憶える前に物語が終わっていたことだろう。
尤も――
ミステリに謎解き以外のものが混ざることを退屈だと感じてしまう私にとっては、最初に感じた通り、決してつまらない読み物ではない。
但し、無論それは解けるようにできていればの話である。
まだ解答を見ていないから何とも言えないが、この短過ぎる物語は、ミステリとして明らかに情報が不足している気がしてならない。
「……ひひ、イチゴ君は読むのが速いね。で、犯人わかった?」
ザクロ先輩が不気味な笑みを浮かべながら私を見る。
「これは解けるようにできていますか?」
率直な感想を述べた。
「え、えっと……少なくともわたしは解けましたよ」
私の質問に答えたのはスモモ先輩だった。
「勿論、わたくしも解けたわよ。嫌ぁね、ザクロ、こんなサービス問題出しちゃって」
続いてメロン先輩も自信満々にそう言った。
「ひひ、二人とも速いね。イチゴ君より読むの遅かったくせに。読み終えてすぐにわかっちゃった?」
「いいえ、読んでいる途中でわかったわ」
「……わたしもです。ごめんなさい」
なるほど。少なくとも二人は解答を出した。見栄を張っているなんてこともないだろう。つまり、先輩方しか知らないルールでもない限り、私にだって解けるということだ。
ならばもう一度読み返そう。そう思った瞬間、原稿を机に叩きつける音が室内に響き渡った。
「じょ、情報不足ですっ!」
声の主はミカンちゃんだ。
勢いよく席を立った彼女の顔は赤く、鼻息は荒い。
「こんなのミステリじゃないです! 何だろ? 色々と言いたいことはあるんですけど、上手く纏められない! でも、これはあたしが望んでいたミス研じゃない!」
期待していただけにショックが大きいようだ。
確かに言い分はわからないでもないが、そんなに激昂することなのかと呆れてしまう。たかが高校の部活動に何を求めているのだろう。こういうのは楽しんだ者勝ちだと私は思う。
「……ご、ごめんなさい」
なぜかスモモ先輩が謝罪した。
「べ、別にスモモ先輩が悪い訳じゃないですけど……」
ミカンちゃんは蚊の鳴くような声でそう言うと、ゆっくりと席に座り、目を皿のようにして原稿を読み返し始める。
批判しておきながらも、やはり解けないのが悔しいのだろう。
やがて、最後に原稿を読み終えたリンゴちゃんが「うひょー、全然わかんないッス!」と叫んだ所でザクロ先輩が口を開いた。
「ひひ、全員読み終えたみたいだね。じゃあ、改めて一年生三人に質問。レモン先生のアップルパイを盗んだ犯人はだ~れだ? その方法も合わせて答えてね!
制限時間は今から30分。三人で相談しても良いよ。――はい、スタート!」
合図と共に、私達一年生三人は顔を寄せ合う。最初に口を開いたのはリンゴちゃんだった。
「レモンっちが犯人とかどうッスか! 自作自演って奴ッス!」
すぐにミカンちゃんが反論する。
「馬鹿ね。地の文をきちんと読みなさい。彼女は犯人足り得ない。
そもそもルールAに書いてあるでしょ、【犯人は『メロン、ザクロ、スモモ、リンゴ、ミカン、イチゴ』の中に存在しなければならない。】」
「じゃあ全員犯人とかどうッスか? そうでもしないと解けないッスよ!」
「ルールB【犯人は一人。あらゆる意味で共犯が存在してはならない。】。
あんた真面目に考えなさいよね!」
あれだけ怒っていたのに、ミカンちゃんはノリノリだった。
私も負けじと口を開く。
「実は何かの拍子にアップルパイが机から落下しただけですが、レモン先生の探索が甘く、それに気付かなかった……ということはありませんか?」
「ひひ、それはないから安心していいよ。『問題』の項目に『レモン先生のアップルパイを盗んだ犯人の名前と、その方法をお答えください。』と書かれてあるね? だから、事件の前提を疑う必要はない。
それから、ルールD【地の文に嘘が存在してはならない。】。
レモン先生が犯人を暴くシーンに、『犯人を指さして』って書いてあるでしょ?
『犯人だと思うその人を指さして』なら話は別だけれど、こう書かれてある以上、犯人は必ず『その場にいる』と言うことになる。
更には、レモン先生が指さした人物は『間違いなく犯人』だと言うことになるね?
つまり、レモン先生の誤答で幕を閉じているなんて変化球を疑う必要はないってことだ」
「ヒント出しすぎよ」
メロン先輩がザクロ先輩の頭を小突く。
「何かの道具、例えば釣竿なんかを使って、窓からアップルパイを奪うっていうのはどうッスか? 学園の外からひょいっと」
「ひひ、ルールE【『あらゆる道具、難解な科学、専門的な知識、超常現象』等は明記した場合を除き存在してはならない。】。
『あらゆる道具』に含まれる『釣竿』の存在は作中で明記していないから、君達の推理で急に登場してはならない。
それから補足もちゃんと確認しよう。
『職員室の出入り口は作中に登場した一か所のみ。問題を複雑にしない為に、窓なども存在しないこととする。職員室を出入りする為には作中に登場した一か所の出入り口を使用する他ない。』とあるね」
リンゴちゃんのお馬鹿な推理もすぐに
時間を惜しむように、今度はミカンちゃんが私達二人に問いかける。
「犯人の視点から考えてみるわよ。
犯行時刻、つまり午前11時から午前11時30分までは職員室に入ることはできない。つまりそれ以前、午前11時以前に職員室へ侵入していなければ、どうやったって犯行は不可能。
午前11時以前の全ての時間に確実なアリバイがある人物はいない。
だから、この密室への侵入方法を考える必要はないんじゃないかしら?
問題は、犯行時刻前に侵入した後に、そこからどうやって脱出するか、ね」
「窓からっていう手は使えないッスね。さっき言われたように、絶対に出入り口を通るしかないッスから」
「けれど、午前11時以降は絶対に脱出不可能ですよね。
でも一方で、午前11時以前に犯行を終え、アップルパイを外に持ち出すというのも不可能なはずです。午前11時の時点では、アップルパイは確かにレモン先生の机上に存在していますから」
その時既に、中身のアップルパイだけが抜き取られていて……というのも考えたが、お弁当箱の中にアップルパイが存在することはきちんと地の文で説明されている。
それに、どちらにせよ、午前11時から午前11時30分までに風呂敷ごとなくなるので、この線はないと考えていいだろう。
整理する。
犯行は確かに午前11時から午前11時30分の間に行われた。
また、犯人が職員室に侵入した時間は午前11時以前で間違いない。なぜなら、それ以降は侵入する隙がないからだ。
午前11時から午前11時30分までは、レモン先生とキウイ校長が、
午前11時30分から午前11時45分まではレモン先生とリンゴちゃんがいる。
補足には『午前11時から午前11時45分の間に職員室を出入りすると、必ず誰かに目撃される。目撃された場合は必ず作中に明記される。』と書かれている。
つまり、見逃しは有り得ないのだ。
ミカンちゃんの言う通り、侵入は容易いが脱出は困難を極める。
「レモンっちとオレ、つまり作中のリンゴは、午前11時45分に職員室から離れ、午前11時50分にF推会の部室に着いたんッスよね。ということは、この五分間は犯人が職員室から出られる時間なんじゃないッスか?」
当然そこへ行き着く。
けれどそれも有り得ない。
ミカンちゃんもわかっているらしく、無言で首を横に振った。
ぽかんとしているリンゴちゃんの為に、私が代わりに説明する。
「補足に『職員室からF推会の部室までの道程はたった一つしか存在しない。道中で誰かを追い越すと必ず目撃される。目撃された場合は必ず作中に明記される。』とあります。
こう断った上で作中に明記されていないのですから、この線自体が消えてなくなります。
つまり犯人が午前11時45分以降に職員室を脱出したとしても、絶対にレモン先生とリンゴちゃんを追い抜くことはできません。
そして、レモン先生とリンゴちゃんがF推会に到着した時点で、容疑者五人は確かにそこにいました。
これは地の文で証明されています。
従って、犯人は午前11時45分には必ずF推会の部室にいた、ということになります」
もう少し厳密に言うと、職員室からF推会の部室までの道中、それもレモン先生とリンゴちゃんより先の地点には必ずいたということになる。
「……え? ん? そんなことないッスよね?」
けれどもリンゴちゃんは首を傾げて反論する。
彼女が何のことを言っているのかわからず、一瞬何か凄い案でも出てくるのではないかと期待してしまう。
ミカンちゃんから借りたミステリの中にも、リンゴちゃんのような一見お馬鹿な子が大きなヒントを口にして、それを受けた探偵が謎を解明するという展開がいくつかあった。
だから、私は彼女の口から零れるヒントを心待ちにする。
「……えっと、そんなじっと見られると言いにくいんッスけど……職員室からF推会の部室までの道程って一つじゃないッスよね?」
けれど、なんのことはない。
彼女が言っているのは現実世界のF苑女学園のことだった。
確かに現実世界のF苑女学園に限って言えば、職員室からF推会の部室までの道程は一つではない。遠回りになるが、回り道をすることも可能だ。
けれど作中では一つとされている。
補足には『作中に明記されていない通路や抜け道などは、どこにも存在しない。』とまで書かれてあるのだ。
つまり、現実世界がどうあれ、一つと明記されれば間違いなく一つである。明記された情報を無視することは許されない。
同じことをリンゴちゃんに説明すると「ああ、そうッスか。やっぱりオレ、馬鹿ッス」と言いながら俯いてしまった。
見れば、ミカンちゃんも同じように俯いている。
「……ひひ、あと五分だよ」
ザクロ先輩の無情な声が頭に響く。
メロン先輩は笑っていて、スモモ先輩は哀れなものでも見るかのように、私達三人を見つめている。
リンゴちゃんは俯いたままだ。
ミカンちゃんは両手を震わせて、歯を食いしばっている。
私はもう一度頭を回転させる。10秒ほどで問題文をざっと読み返し、一から考え直す。
犯人とトリックを暴くことが可能?
……本当に? たったこれだけの情報で?
考えて考えて『きっとこの問題は解けるようにはできていないんだ。先輩たちの新人いじめなんだ』という現実逃避をして、それでもすぐにまた考える。
問題そのものを疑っても何も始まらない。こんな奇妙な謎に出会ったことなど一度もないけれど、きっと解けると信じて考える。考える。考える。
けれど――
「…………ひひ、時間だよ。はい、おしまい」
――けれど結局、わからなかった。
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