Fブラックチョーク消失事件

Fブラックチョーク消失事件 プロローグ



[第二話  Fブラックチョーク消失事件]




『作者がこの作品を書いた意図を答えなさい』

『この時の登場人物の心境を答えなさい』

『指示語が指しているものは何か答えなさい』。



 ――その手の問題が、昔から理解不能だった。



 物語の結論も、主人公の行く先も、作者の信念とイコールとは限らないだろう。

 登場人物の心境なんて、ありとあらゆる読み方が存在して然るべきだろう。

 指示語が、もっと別の何かを指している可能性なんて、いくらでも考えられるだろう。

 そんなモヤモヤがピークに達しそうになっていた中学時代に、私はミカンちゃんと出会った。



「――なら、ミステリを読むべきよ」

 悪ガキみたいな表情で、彼女はそう言った。


 後から知ったことだが、その頃はまだ、ミカンちゃんもミステリに対する造詣があまり深くはなかった。


『ミステリは知ったかぶりをする奴が多いジャンルなんだけどね。うん、あの頃のあたしも例外ではなかったわ』と、中学校の卒業式で、彼女は照れ臭そうに告白した。



 本格、社会派、新本格、現代本格。それらの違いもよくわかっていなかった彼女が、私にススめてくれた最初の一冊は、有名な社会派ミステリだった。


 一時期、本格ミステリを駆逐しかけたこのジャンルは、犯罪者の心理や、その温床である社会の闇、それを暴く最新の科学技術、それから人間ドラマや社会的なメッセージなどを主軸としたものであり――正直に言うと、私が望むミステリではなかった。



 推理ではなく、刑事が努力の末に足で真相を突き止めるオチ。ロジカルさを追求しない感動的なドラマ。

 社会派を否定するつもりは勿論ないけれど、私の話を聞いていたなら、コレを求めていない事くらいわかるだろうに。

 そんな、不信感を抱かせる読書体験のせいで、私はあの頃、彼女の後を追いかける気力を失ってしまったのだ。



 難解なパズルで遊びたい。意地悪な謎解きに挑戦したい。その上で、気持ち良く騙されたい。あるいは、今回は騙されなかったと得意になりたい。そんな欲を満たす作品を一作目に投げてくれていれば、今頃は、もっと素直にミステリにハマっていたかも知れない。


 とはいえ、初めて叙述トリックに触れた時は、少しだけ熱を取り戻したことも覚えている。

 文章の特性を活かしたミスディレクション。

 普遍的な国語のテストに対する反論として、それは申し分がないものだった。


 描写というものは、無数の解釈の幅を持つ。同じ文章を読んでいるはずなのに、読者によってイメージする景色が全く違うのが、小説の魅力の一つの筈だろう。


 理不尽な話だ。あの手のテストを、何の疑問もなく解いてしまう子が良い成績を取って、立ち止まって考えてしまうが故に着いて行けなくなった子が、やがては学ぶことを嫌悪してしまう。

 本当は後者こそが、何かを学ぶのに適した人材のはずなのに。



 そんな原体験の負の感情が、今回『Fブラックチョーク消失事件』の作問をする上で、少しは役に立った。



 一般的な本格よりも、更にゲーム的であり、お遊びであることを、私はミステリに求めてしまう。

 


 謎解きの材料にもミスディレクションにもならない文章なんて、一文だって入っていて欲しくないと思うし、使


 だから私のミステリ観は、硬派なミカンちゃんが溺れるような水量すらも、飲み干せるくらいに口渇なのだ。



 そんな、本格でもまだ足りないような乾きを、『Fアップルパイ盗難事件』は、ほんの少しだけ癒してくれた。

 だから、ミカンちゃんを置き去りにしてでも、その海に飛び込んでみたいと思ってしまった。


 相変わらず彼女とは、価値観が合いそうでいて全く合わない。

 だから今回、出題者である私と解答者であるミカンちゃんは、前回にも増して、本格的に対立することになるだろう。



 あの出会いから約三年、今や私の何十倍ものミステリを読み込んだ彼女。

 それなのに、逆に頭が固くなっているようにも思える彼女。

 どこかズレていて、ミステリから悪い影響を受けている気がするそんな悪友は――




「絶対におかしいわ。どうしてドリアンが道路にあるのよ」




 ――通学路にドリアンが落ちていたというだけで、朝っぱらから推理ショーを始めてしまうような、本格こじらせ女子に成長してしまっていた。



「これがトマトとかなら、あたしも驚かないわよ。買い物袋から落ちたってことにしてやっても良い。あるいはバナナなら悪戯で処理しましょう。でもドリアンよ? 落し物の範疇じゃないわ」


 金髪ツインテールの探偵気取りは、今日も通学路でニワトリデシベルを撒き散らす。


「……トラックの荷台から落ちただけでは?」と、私はいつにも増して、適当な返事をしてやる。



 日常の謎の解明なんて、現実世界でやっても自己満足で終わるだけだ。

 最初に思いついた日常的な結論こそが真相であり、つまりは謎にすらなっていない。

 本格と現実は真逆のルールで動いているからこそ面白いのに――と、こんな所でも価値観の違いが如実に現れる私達だ。



「結論を急ぐのはアンタの悪い癖よ」

 ミカンちゃんはムッとした顔で言い放つ。



「――後期クイーン的問題。覚えているわよね?」



「えっと……なんでしたっけ?」

 何度も聞かされていたので脳に刻み込まれているが、解説させてやった方が、ミカンちゃんの矜持を満たすだろう。

 そんな私の思惑通り、彼女は得意気に人差し指を振りながら口を開く。



「『作中の最終的な解決が、本当に真の解決かどうか、作中では証明できない』。それが提唱された問題の一つ目にして、ミステリにおいては最も重要な課題よ。


 もしかしたら、探偵が見つけていない証拠が、まだどこかにあるかも知れない。

 あるいは、最後に明かされた事件の犯人は、真の犯人に操られていただけかも知れない。


 出された伏線は、端から端まで全て平らげるのがミステリマニアの礼儀だけれど、それでも尚、まだ見ぬ何かが隠されている可能性を常に想定しなければならない。――小説の中ですらそうなのだから、現実世界には、無限の物語が隠されていて然るべきでしょう」


「……つまり?」


「どうせ断定できないなら、『落とし物説』なんかじゃなくて、もっとロマンのある答えを妄想する方が楽しいでしょ。例えばそう、『怪盗グアバの犯行予告説』とかね」


 腹の立つドヤ顔で以て――今日もまたニワトリ似の少女が、非現実的な卵を産み落とした。



 ミステリマニアの探偵気取りがやっかいなのは、普遍的な答えでは絶対に満足しないという点だ。言い訳のように理屈を捏ねた上で、陰謀論染みた解答を無理矢理捻り出そうとする。


「だったら、ね? マニアとしては今度こそ、探偵グレープよりも先に謎を解きたいわよね」


 どうやら、すっかりそっちのモードに入ってしまったらしい。




 ――怪盗グアバと探偵グレープ。

 確かにそれは今、ミステリ好きにとって最もホットな話題である。二人の本拠地であるこの街『えふ苑街おんがい』で、その名を知らない者なんて一人もいないだろう。



 無論、私も興味がないと言えば嘘になる。

 しかし今日だけはそれ所ではなかった。



 4月18日。金曜日。

 F推理研究会では、前回のゲーム以降、オススメのミステリを持ち寄って議論したり、息抜き程度のクイズやなぞなぞを出し合ったり、学園生活について、或いは全く関係のないことについて談笑したりと、時々何の部活なのかわからないことを繰り返していたが、ようやくこの日がやってきた。



 二回目の推理ゲーム。

 出題者は新入部員であるこの私だ。



 鞄の中には昨夜遅くまでチェックしていた原稿がある。

 中学時代のモヤモヤを元に生み出した骨組みのイメージ。

 組み立てるのは簡単だと高を括っていたが、F推会的なミステリとして成り立つものに仕上げるのは予想以上に大変だった。

 先週の放課後も、あくる日の土曜日も、考えようとすればするほど、肉の付け方が思いつかなかった。



 結果的に功を奏したのは、いっそ考えないようにしようと思い、日曜日に思う存分遊んだことだった。

 一時はどうなることかと思ったが、アイデアが一つ思い浮かべば、それを元に他の部分を肉付けしていくという作業は機械的に進み、面白いくらいにコンセプトに見合った作品が完成した。

 最終的にはザクロ先輩の『Fアップルパイ盗難事件』よりも優れた内容になったと自負している。



 とはいえ、ゲームという体裁を取っている以上、本当の意味で作品が完成するのはこの後の話だ。

 どのような攻防があり、どのような結果になり、どのような評価を受けるのか。もう間もなく全てが決まってしまうと思うと、緊張せずにはいられない。

 だからミカンちゃんの陰謀論なんて、いつもに増して耳に入らない。



 視線の先には黒い壁。

 長方形の街『F苑街』を、ぐるりと囲う、高さ3メートルの石壁だ。


 そこに書かれているイラストや文章をぼんやり眺めながら、片手間に「そうですね」「凄いですね」「えーー!」と言っている内に、気付けば学園へと着いていた。




 思えば1日中緊張していたように思う。

 学園へ着けば、今度は授業の内容が全く入ってこなくて、いかんいかんと首を振る。それを繰り返していたら、あっという間に放課後になっていた。



「――イチゴっち、頭大丈夫ッスか」


 物思いに耽ってぼんやりとしている私に、リンゴちゃんが声をかけてくれた。

 なんて失礼な問いかけなんだと苦笑していると、その心中に気付いたのか、彼女は首を振って続ける。


「――って、そういう意味じゃないッスよ! 数学の時間、ライムっちにポカポカ叩かれてたッスから」


「ああ、そういうことでしたか。大丈夫ですよ。少しズキズキしますが」


 授業中、私があまりにもぼんやりしているものだから、一年E組担任の数学教師であるライム先生に、何度も頭を叩かれたのだ。

 教科書を用いての軽い打擲も、積み重なれば後を引く痛みになる。



「ライムっち、優しそうに見えて鬼ッスもんね」


 確かにライム先生には厳しい一面がある。

 生徒に気に入られようとしない、ベテラン故の厳しさ。F組の担任が優しいレモン先生であることは、しばしE組の生徒から羨まれていた。


「担任も顧問も、レモンっちで良かったッスね」

「ですね」


 ああ見えてレモン先生にも、『Fアップルパイ盗難事件』で描かれたような内面があるのかも知れないけれど。――なんて、F推会のことに思考が移るとまた緊張してくる。



「ほら、イチゴもリンゴも、部活行くわよ」

 教室で談笑している私達を、ミカンちゃんが急かす。

 気付けば彼女は、もう廊下に出ていた。


「いや、ミカンっちを待ってたつもりだったんスけど」


「待たせた覚えはないわよ! 早く来なさい!」


 リンゴちゃんと二人で苦笑する。そして、いつもと同じように三人で部室へと向かう。



「最近の『ランプータン』はイマイチね。特に悪魔ネクタリン。あのキャラクターは気に入らないわ」


 今日も今日とて一方的にしゃべり続けるミカンちゃんに対して、私は、「そうですね」「凄いですね」「えーー!」のいずれかを返す。


 前回のゲームであれだけ憤慨していた彼女であるが、怒りが収まったのか、それともやはり内心ではリベンジをしたいのか、心中は不明だが、ゲームへの参加を拒むつもりはないようだった。



 リンゴちゃんは「イチゴっちの問題楽しみッス」などと無邪気な笑顔を振り撒いて、私のプレッシャーを大きくしてくれる。


「ちょっと! イチゴもリンゴも聞いてるの!」


「聞いてるッスよ! ところで、ネクタリンって何ッスか?」

「だから、『ランプータン』に登場する新キャラよ!」

「……何スか、ソレ?」

「だーかーらー、ミネオラ先生の連載小説よ! 怪盗グアバと探偵グレープの戦いを描いた創作物なんだけど、最近、悪魔ネクタリンとかいう作者オリジナルのキャラが割って入ってきて――」


 ミカンちゃんとリンゴちゃんの会話は、耳に入って来ない。気が付けば、部室の前まで来ていた。




 覚悟を決めて扉を開く。




 いつもと同じように、ロウソクに照らされた暗い部室。

 その光景を見て、気が引き締まる。

 部室には既にザクロ先輩とスモモ先輩がいて、テーブルの上には紅茶を淹れたカップが、五つ用意されていた。



「……あれ、五つ?」

 疑問が口を突いて出る。



「えっとですね……どうやら、メロンさんに急用ができたそうで」

 残念そうに、スモモ先輩が告げる。

「どうしましょう、日を改めますか?」



「……ひひ、メロン君は気にせずやってくれって言ってたよ。イチゴ君には、後日原稿読ませてね、だって」

 だから心配しなくてもいい、とザクロ先輩は付け加えた。


「どうするの、イチゴ?」とミカンちゃんが私を見つめる。



 どうするもなにも。



「そういうことなら、メロン先輩のお言葉に甘えます」

 微笑みながら、私は続ける。

「皆さんも、楽しみにしてくれているようなので」

 こんな緊張感、来週まで持ち越せない――という本音は飲み込んだ。



「……ひひ。じゃあ、見せて貰おうか。新入生の実力を」

 挑発するような不敵な笑み。それが私の心に火を点けた。



「――わかりました。では、さっそく始めましょう」



 ザクロ先輩、スモモ先輩、ミカンちゃん、リンゴちゃん。


 四人の対戦相手が、私の言葉に頷く。


 メロン先輩がいないのは残念だけれど、それでなくても四対一なのだ。


 当然、相手にとって不足はない。



 この四人を、絶対に騙し切ってみせる。



 私は印刷済みの原稿を鞄から取り出し、裏返しで配った。

 A4用紙四枚程度に凝縮されたミステリ。


 それを神妙な表情で受け取ってから、



「……ひひ、じゃあイチゴ君。賞品を提示して」



 ザクロ先輩がキラキラした瞳で私を見つめる。



 そう言えばそうだった。

 副次的な要素なので忘れていたが、出題者は何かを賭けなければならない。


「なんでも良いのですよ。気負わずに」と、スモモ先輩が微笑む。


「オレは焼き肉が食べたいッスね」と、リンゴちゃんは勝手なことを宣う。



 けれど、その程度の覚悟で挑むのであれば、それは今日1日、私の心に渦巻いていた緊張感に対する冒涜だろう。



 だから、



「一人でも正解者が出たら――そうですね、何でも言うことを聞きましょう」



 私は挑発的に笑う。



 アップルパイなんて安いものは賭けない。



 



「ひひ、何でも?」

 ザクロ先輩が歪な笑みを浮かべる。


「ええ、何でも」

 遊ぶつもりも、テストされるつもりもないと、そんな心中を込めて首肯する。


 部室の空気が変わった気がした。私が望んでいた方向へ。

 スモモ先輩が息を呑む。ミカンちゃんがこちらを睥睨する。リンゴちゃんがポカンと口を開ける。


「ひひ、そうか。僕達を騙す自信があるんだね」

「ええ」


 本当は、自信というよりも、願望に近い。

 素人の私が悩みながら創作したのだから、本気で挑戦してきて欲しいのだ。



「ひひ、何でもかぁ。何が良いかな。まずは裸になって貰って――」


 ……けれど、この先輩の前で『何でも』は禁句だったのかも知れない。


 スモモ先輩とミカンちゃんが、可哀相なものを見るような目で、私を一瞥する。


「裸踊りッスか? 一度見て見たかったんスよ!」とリンゴちゃんが快哉を挙げた。

 再度弛緩しかけた空気。それを一蹴するように、







 私は笑った。




 四人が黙り込む。


 その勢いに乗って、




「――では、健闘を祈っております」




 開戦を告げる。




 こうして二回目のゲームが始まった。

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