Fアップルパイ盗難事件 エピローグ



「馬鹿馬鹿しい! 本当に馬鹿馬鹿しい!」


 下校時も、ミカンちゃんの怒りは収まらなかった。

 彼女の独り言のような怒声を聞きながら、私は先程の部室での様子を思い出す。




「この出題は嘘ばかりです! ルールDに違反している!」


「叙述トリックは嘘を内包してはいない。誤解を招く故意の表現も、それが真実であれば認められる。


 。あ、『ミカンは女性の名前でしょ!』なんて差別的な発言はやめてね」



「そんな問題じゃないです! ――地の文で『部員は全員揃っている』『部員全員がここにいる人間の無実を証明しようとしていた』みたいなことを書いていましたよね! おかしくないですか? ミカンは部員じゃないのに!」


 そんなミカンちゃんの叫びに、ザクロ先輩は涼しげな顔で反論する。


「ひひ、部員全員とは『メロン、ザクロ、スモモ、リンゴ、イチゴ』のことを指す。

 だからレモンとリンゴがF推会に来た際は、わざわざ、『二人が扉を開けると、そこには、メロン、ザクロ、スモモ、ミカン、イチゴの五人がいた。』と書いてある。

 そしてその後に『部員は全員揃っている。』と補足した。確かに部員全員揃っているよ。部室には部員全員と、校長先生のミカンがいたのさ」


「うん。確かに何の問題もないわね」とメロン先輩が追撃した。



 ミカンちゃんが少し怯んだのが見て取れた。しかしそれでも、彼女の瞳に宿った炎はまだ消えない。



「……こ、校長先生は初登場時、レモン先生にタメ口でしたよね?

 でも、アリバイを尋ねられた際は『その時間は、まだ学園へ向かっている最中でした』と敬語で話しています。この矛盾はどう説明しますか?

 それに、校長先生のことをイチゴが『ミカンちゃん』なんて呼ぶ訳ありません!」



「……ひひ。君は、状況に拘わらず常に同じ話し口調なのが自然だとでも思っているのかい? 前者は、自暴自棄なレモン先生にアリバイを問い詰められている立場だから、思わず敬語で返したのだと解釈可能。後者は、単に作中のイチゴがそういう性格であると解釈可能。


 教師や目上の人間を『ちゃん付け』で呼ぶ生徒なんて現実にも存在するでしょ? というか、作中のリンゴの言動がまさにその伏線だよね。真相を否定する材料になるほどに不自然な要素ではない」


「校長先生が部室にいるのは不自然です。誰も指摘しないのはなぜですか。出張に行くと言ってたじゃないですか!」


「――校長が部活を見学して何が悪いのさ。出張に関してはルールC【犯人以外は嘘をついてはならない。】ね。


 それに指摘はしてるよ。レモン先生は彼に対して『最初からおかしいなって思っていた』『あなた、私を馬鹿にしているでしょ!』って言ってるでしょ。

 『何がおかしい』のか、そして『どこが馬鹿にしているのか』を考えれば君の望む答えも得られるはずだ」


「読書量が足りませんね。そんなものは推理の材料になりません。叙述トリックにはマナーがあります。騙す為だけの表記揺れもそうですが、それ以前に、もっと伏線が必要です」


「事前にルールが示されている場合はその限りではない。そのような凡庸なルールこそ、ここでは異端だ。本当に伏線が足りないなら別解の余地もあるだろう。それを突き付けてくれれば、僕だって文句はない」



 そこで一息つくと、

 ザクロ先輩は、妙に意味深な笑みを浮かべて続けた。



「――まぁ、F推会のルールがいかにフェアであるかは、今度長い時間をかけて説明してあげる。『叙述トリックはこうあるべき』『ミステリは伏線が命』と信じて疑わない君にとっては、多分目から鱗だよ」


「……い、意味不明です」


「さっきの解説は蛇足。推理材料にする必要もない。むしろヒントをあげたと言っても良い。本来なら、僕はこんな反論をする必要もないんだ。六つのルールは、物語としての完成度を追求する義務さえ放棄している。


 ――そもそもミカン君? そんな風に細かい点を指摘できるのであれば、この程度の理由くらいは説明されずとも自分で考察するべきだ。それでもまだ反論があるなら、その前にルールFをもう一度確認して欲しい」



 ――ルールF。



 ルールAからE以外の全てを認めると、わざわざ断っている『事前のお約束事』。それは、全ての負け惜しみを寄せ付けない究極の反論だった。

 まだまだ言いたいことはあったのかも知れないが、ミカンちゃんはそこで口を閉じた。





「――ほんっと! 期待して損した!」

 だから今も怒っている。

 彼女の愚痴を聞くのは、中学生の頃から私の役目の一つである。

 そういえば、自分の好きな作品を批判された時に、彼女がいつも口にする反論がある。



『――同じジャンルであっても、目指している場所は真逆だったりする。正反対の需要を満たす二つの創作物を、同じ物差しで評価するのは愚かなことでしょ。向いていないジャンルに的外れな批判をする前に、まずは勉強不足を自覚しなきゃね』



 ……ミカンちゃん、ブーメラン突き刺さってない?



「……なによ? 何か文句あるの?」

 睨まれた。面倒なことになりそうだなと思いつつも、気になるので訊いてみる。



「いえ、ほら、ミカンちゃんがいつも言ってる文学論を思い出しただけです。『それを目指しています』で済んじゃう批判は、悪口にすらなっていない――って」


「あんた、あたしを揶揄してるでしょ? 全然理解してないわね」

 ミカンちゃんは、是見よがしに鼻で笑って続ける。

「確かに、ミステリに限らず創作物には座標があるわ。『文学的な恋愛小説』と『癒し系の恋愛ゲーム』だと需要が異なる。後者に対して『リアリティが足りない。現実の人間はこんなこと言わない』なんて言うのは、視野の狭すぎる意見よね。――でも、『だからあたしがF推会に向いていないだけ』なんて結論にはならない」


 不満の塊を吐き出すように、彼女は捲し立てる。


「あたしはね、方向性を批判している訳じゃないの。単純に、その出来の未熟さが気に入らないのよ。隙だらけ、荒削り、情報不足。文字情報だけの伏線にメタ推理。おまけに、論理的に推理不可能な、トラップみたいな叙述トリック。端的に言うとアンフェアなのよ、今日のゲームは」



 本格ミステリに必要不可欠なフェアプレイの精神については、中学生の頃にこの金髪から散々叩き込まれてきた。しかし、私の教授たるミカンちゃんと、F推理研究会の先輩方の意見には相違があるようだった。



 果たして、今日のゲームは本当にアンフェアだったのだろうか?



 正直に言うと私は、『もう少しちゃんと考えれば、解けたかも知れなかったのに』と思ってしまった。そんなこと、ミカンちゃんの前では絶対に言えないけれど。


「そもそもね――」

 顔を真っ赤にしながら騒音を撒き散らす金髪少女。ミステリマニアも大変だなと思った。まるで自縄自縛だ。



 彼女は今朝、「意外な犯人なんて存在しない」と言った。


 F推理研究会のルールAも、その価値観を前提としている。


 しかしその上で今日、ザクロ先輩は意外な犯人を提示したのだ。

 ミカンちゃんから借りた小説によくある人物誤認の叙述トリックを、騙しに特化した形で。

 そのタイムリーさも相まって、悔しさが増幅するのも無理はないだろう。



 しかしどちらにせよ、ミカンちゃんの不満に同意してあげることはできない。


 彼女とは対照的に、私はあのゲームをとても楽しんでいたのだから。それこそ、あんな感情は生まれて初めてと言っても過言ではないほどに。


 ギリギリではあったが自分の手で謎を解くことができたからではない。最後の最後まで騙されていたとしても、やはり私はあのゲームを楽しかったと評価していただろう。


 勿論、ミカンちゃんの気持ちが全くわからない訳ではない。彼女の怒りを負け犬の遠吠えだなんて思わないし、彼女自身のことを頭が固い人間だとも思わない。



 創作物は料理に似ている。評論家も存在するが、突き詰めれば好みの問題でしかない。それに、恐らく今回の問題は最低難易度なのだ。コース料理は、最後まで味わってから席を立たなければならない。

 それを私が直々に、ミカンちゃんに教えてやるとしよう。



 別れ道に突っ立ったまま彼女の愚痴を聞かされ続けて数十分。

 ミカンちゃんには悪いが、私の頭の中は宇宙で一番重要なことで一杯だった。

 来週までに原稿を書かなければならない。

 ああ、犯人はどうしよう。

 トリックはどうしよう。

 どうやってみんなを騙してやろうか。



 あのゲームがあまりにも楽しくて――






 ヒント 隙は六つ




[第二話【Fブラックチョーク消失事件】へ続く]

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