Fブラックチョーク消失事件 解答編
[Fブラックチョーク消失事件 解答編]
(※ヒントを先にお読みください)
「不正解……ですか」
「……ひひ、残念だ。不正解の理由を訊いてもいいかな?」
スモモ先輩が悲しそうに呟き、ザクロ先輩が不敵に笑う。
「……理由はまだ説明しません。制限時間があと10分残っていますから」
「……ひひ、騙されないか」
ハメるつもりだったのか!
全く、どこまでもしたたかな先輩だ。
ミカンちゃん、リンゴちゃん、スモモ先輩の三人は俯いたまま、ぼんやりと原稿を眺めている。
ザクロ先輩だけが、尚も真剣な表情で原稿を読み直していた。
――さあ、あと10分逃げ切れば私の勝ちだ。
この分だと脅威となるのはザクロ先輩だけだろう。
そう、これは前回のリベンジ戦なのだ。
前回、私は制限時間が来てから真相に辿り着いた。
あんなものは正解とは呼べない。
最後の意地を見せただけであり、正真正銘の負けである。
その証拠に、ご褒美のアップルパイは食べさせて貰えなかった。
――残り時間は8分。
今度こそ勝つ。
――7分。
無言の時間が流れる。
――6分。
心臓が破裂しそうだった。
――5分。
「……ひひ」
そのとき、不気味な笑い声が、室内に低く響いた。
「解答していいかな?」
それはザクロ先輩の勝利宣言。
「……はい」
私は俯いて返事をする。
ミカンちゃんがぎょっとして、私達の顔を見比べる。同時に、机を引っ掻くような音が、彼女の手元から発せられた。
その時――ふと、ミカンちゃんが熱心につけていたメモが目に入った。
『限定香り付き消しゴム(縦3センチ、横2センチ。高さ1センチ。10個。別の香り?)。紐(長さ1メートル、直径5ミリ。5本。最適のサイズ?)。
絶対に秘密の宝物? 皆が宝物? 奪ってでも欲しい? 突飛な解釈は可能か? 10メートルの空間を超えられる道具はあるか? 全てを組み合わせたとしても不可能? 紐を繋げて消しゴムを結ぶと約5メートル。投げても届かない。強度も足りない。それらを無視しても、補足の条件を満たして渡る方法は思いつかない。そもそも組み合わせる場合はルールBを回避する為に盗めばそれで良いのか? いや、それにしても――』
「ねぇ、イチゴ君。推理に入る前に、まずは『前提』を確認しておこうか」
耳朶を打つのは、ザクロ先輩の底意地の悪い声。彼女は私の視線を追うように、ミカンちゃんのメモをぼんやりと一瞥し、
「――ミカン君が纏めたこれらの情報って、何の意味もないよね?」
私が造った一つ目の壁を、あっさりとぶち壊した。
「――え」ミカンちゃんが目を見開き、言葉を失くす。
そんな彼女を無視して、ザクロ先輩は更に続ける。
「いや、この原稿の悪質さはその程度じゃない。
それよりも重要なのは、さっきミカン君が解いたあの出題だ。
問題文の途中に挿入されていた論理パズル『話しているのは?』。
それすらも――」
「――ええ。勿論、何の意味もありません」
少しだけ悔しくなって、二つ目の壁は自分から破壊した。
絶句するミカンちゃんに向けて、私は続ける。
「問題の性質を理解すれば、誰が話しているのかなんて何の関係もないことは明白です。ですから、あんな問題を解く必要は全くありません」
「……ひひ、ミカン君は目の前のわかりやすい問題に飛びついて、その先を――全体を見ることができなかった。
問題を解く『意味』を理解せずに、とりあえず解こうと思ってしまった。
スモモ君はそんな事わかっていたから、あの時は口数が少なかった――そうだろう?」
ザクロ先輩が追い打ちをかける。
「そんな……」
ミカンちゃんは虚ろな目で続ける。
「ザクロ先輩が参加してこなかったのは……スモモ先輩が遠慮がちだったのは……全部、わかっていたから……」
ザクロ先輩が残酷な笑みを浮かべ、スモモ先輩が申し訳なさそうに俯く。
「じゃあ、やっぱりこれも……?」
ミカンちゃんは自身のメモを見つめる。
「――ええ、それらの道具や情報にも意味はありません」
「ひひ、全てが煙幕ってわけだ? 明記されたあらゆる道具も、あの出題も」
「はい。意味のない問題を解かせて時間を稼ぐ為と、真相から思考を遠ざけさせる為です。
せっかく解いた問題や注目した道具を、全部潔く捨てなければ事件の真相には辿り着けません」
「な、なによそれ!」
ミカンちゃんは私を睨みつけながらそう叫び、湧き上がってくる怒りを叩きつけるように、メモをくしゃくしゃと丸めた。
ザクロ先輩が言った通り、この問題はほぼ全ての情報が煙幕でしかない。
時間稼ぎと思考ロックの二つの壁。
しかし、それらが破壊されることは想定内だった。
重要なのは三つ目の壁だ。その奥に真相がある。
けれど――
「……ひひ」
ザクロ先輩のその表情を見て、私は観念した。
彼女は既に、そこへ辿り着いている。
悔しそうに唇を噛んでいるミカンちゃんを無視して、
「解答編、始めるよ。いいかい?」
ザクロ先輩はそう言うと、誰の返事も待たず、
「……ねぇ、イチゴ君」
にやにやしながら、
「――作中のイチゴ君が、一言も話さないのはなぜだろう?」
事件の心臓部を貫いた。
「……つ、続けてください」
私は黙って彼女の推理を拝聴する。
「……ひひ、作中のイチゴ君がどうも変なんだよねぇ。ずっと気になっていた。
すごくネガティブで、楽しくなさそうで、クラスメイトと話したこともない。
そして、そんなクラスメイト達の会話は、『出題』というクイズ形式にすることで、詳しい描写をする必要がなくなっている。この二つの違和感は見逃せない」
確かに誰だって違和感を抱くだろう。けれどザクロ先輩は、『そういうキャラ設定なのか』『そういう書き方なのか』と流してしまわずに、細かい点をしっかりと貫いてくる。
「登場人物達の『描写』や『会話』という点について、何かボロを出したくないことがあったから、『出題』なんてものを付属して誤魔化した。
じゃあ、イチゴ君は何を隠したかったのだろう? ずっとそれについて考えていると、一つの真相に辿り着くことができた」
ああ、
「ねぇ、作中のイチゴ君はクラスメイトと話したことがないんじゃなくて、本当は――話せないんじゃないの?」
正解だ。
「つまりこれは、僕の問題の応用だよね? 作中のイチゴ君はさ――――
――――鳥なんだ」
リンゴちゃんが紅茶を噴き出した。
いつの間に飲んでいたのだろう。今回もタイミングばっちりだった。
「鳥になら犯行は可能だよね」
そう。鳥になら可能なのだ。ブラックチョークの大きさを自由に設定できるので、厳密には空を飛べる生き物のほとんどに可能なことだ。
「だからと言って、レモン先生に見つからないように中央廊下を通った訳じゃない。
補足にはこうあるね。『午後1時から午後1時40分まで、レモン先生が中央廊下の掃除をしていたのだが、彼女は終始誰の姿も目撃していない。つまりこの間、中央廊下を通過したものは存在しない。』
『使用した人物は』と書いていない所が上手いね。
このルールがある以上、鳥であっても、目に見えないほど小さな生き物であっても、中央廊下を通ることは絶対にできない。では、鳥であるイチゴ君はどうやってE組へ行ったか? 簡単なことだ」
答えが出ているくせに、ザクロ先輩はもったいぶる。今の私には、それがとても憎らしくて仕方がなかった。
「……ひひ、F組の教室からE組の教室までの窓は空いている。このルートは作中できちんと明記されている。つまりイチゴ君はここを通過したのだ。
勿論、3メートルの制限を厳守できるし、校舎に外から触れることもない。道具だって必要ない。だって鳥だから」
そして、
「そして難なくE組へ来たイチゴ君はブラックチョークを奪う。クチバシで咥えて優雅に空の旅だ。それをどこかへ隠し、何事もなかったかのようにF組へ戻る。これが真相だ」
スモモ先輩、ミカンちゃん、リンゴちゃんが驚愕する中、私は一人で肩を震わせていた。
なぜか視界が大きく歪んだ。いや、理由は単純だ。
――泣いているから。
この私が、こんなことで泣いているのだ。
――ああ、あと少しだったのに。
涙が止まらない。滂沱と流れる涙が、私の原稿を濡らし、ボロボロにしてしまった。
――ああ、私はこのゲームに対して、こんなにも本気だったのだ。
己の心の底から、恥ずかしくてどうしようもない叫びが聞こえてくる。
「……だ、大丈夫かい」
流石のザクロ先輩も心配してくれる。
「だ、大丈夫です」
涙声だった。大丈夫な訳がない。泣いているのだ。放っておいてくれ。
勿論、そんなことは言えない。今は、心配してくれたザクロ先輩に答えなければならない。彼女の推理を称え、ゲームを終えなければならない。それが、出題者である私の義務なのだ。
「……ザクロ先輩」
ああ、あと少しだったのに。
私は泣きながら、
「――不正解です」
勝利宣言をした。
三つ目の壁の内側で、私は肩を震わせる。
ああ、ザクロ先輩。あなたの推理、あと少しだったのに。
それにしても――嬉しくて涙が止まらない。
私は先輩二人を含む四人全員を騙し切ることができたのだ。
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