Fブラックチョーク消失事件 エピローグ





「二つ目の問題が、前回の問題の応用でしかないなんて、そんなの面白くないでしょう?」



 一通り泣きはらした後、私はそんな至極当然のことを口にした。



 確かにザクロ先輩の問題を応用した部分もあるが、それだけではない。一問目とは違う発想が、少なくとも二つなければこの問題は解けないのだ。



「まずは、ザクロ先輩の先程の推理ですが、盲点でしたか?

 ルールAに【犯人は『メロン、ザクロ、スモモ、リンゴ、ミカン、イチゴ』の中に存在しなければならない。】と書かれてあります」



 ザクロ先輩が小さな声で「しまった」と呟いた。他の三人はまだ気付いていないらしく、ぽかんとしている。


「つまりですね、この六人の中に『犯人』がいなければならない」


「……犯人、か」とザクロ先輩が自虐的な笑みを零した。



 ミカンちゃん曰く、ミステリは小説ジャンルの中で最も言葉の意味に厳格でなければならない。

 特にこのような、フェアプレイを重んじる勝負事の場では尚更だろう。


 先輩方のつくったルールを新入部員である私が補足するなんて生意気かも知れないが、フェアな私は遠慮なくルールAを補強させてもらう。つまり――




「――犯とは、言うまでもなく

 ですから、そもそも動物がクロであるという問題は、ルールAによって認められていないのです」




「……じゃあ」



「はい、



 では、誰がどうやってブラックチョークを奪うのか。


 ああ、きっとまたミカンちゃんが怒るだろうな。



「……ひひ、それじゃあ何かい?

 『作中のイチゴ君が、一言も話さないのはなぜだろう?』。僕がそう言ったときに動揺したのは……演技なのかい?」


 そんな所まで観察しているなんて。やはり、ザクロ先輩は侮れない。


 勿論、あれは演技などではない。実際、かなり痛い所を突かれた。


「ザクロ先輩、発想を逆転させればいいのですよ」


 いつかの台詞をもう一度口にする。




「つまりですね、イチゴが鳥なのではなくて――――




 メロン、ザクロ、スモモ、リンゴ、ミカン、ライム、



 ちなみに冒頭に『数名の職員によって、校内全ての窓が開け放たれる。』とあるが彼らは人間である。教員の中には人間も少しだけいる。例えばレモンがそうだ。


 しかし、生徒は全員が鳥である。


 そんなある日、人間の生徒が実験的に募集された。


 好奇心から応募してきたのはたった一人。すぐに彼女は自分の愚かさに気付き、日々の悩みが尽きなくなってしまった。そういう設定である。



 さて、これを聞いたみんなはどんな反応をしているだろう? 恐る恐る様子を窺うと、四人全員が頭上に大きなハテナマークを浮かべていた。



『だから、何?』と。



「想像してみてください。動物同士が会話をするのは不自然なことではないでしょう? 彼らがコミュニケーションを取っていないという思考は人間の傲慢と言うものです。

 けれど現実的に考えると、動物同士が話せたとしても、人間であるイチゴにその言葉が理解できるというのはちょっと有り得ない。

 まぁ、現実世界にそう言った前例がないとは言えませんが、少なくともそれをやるには伏線が足りなかった。



 ですから『耳に入ってくる会話の内容を、イチゴは理解していない。いや、理解しようとしていない。誰が何をしゃべっているのかもわからないし、そもそも興味がない。

 ただぼんやりと、「騒がしいなぁ」とだけ思っていた。』という記述があるのです」



 それでも四人の頭上にある大きなハテナマークは、ブラックチョークのようには消失してくれない。



「えっと、まぁ、理屈はわかったけれど……だから?」

 ミカンちゃんが堪らず質問する。

 当然の疑問である。イチゴ以外は鳥だった。だからといって何も進展しないと考えるのが普通だろう。

 単純に考えて、イチゴ以外には犯行が可能だったということになるが、



 けれど、これは必要なプロセスなのだ。

 ――と言っても、この事件のフーダニットとハウダニットを解明する為に必要なのではない。

 ただ、作中の矛盾を失くす為だけに必要なのである。



「よく考えてみてください。補足に『午後1時から午後1時40分まで、レモン先生が中央廊下の掃除をしていたのだが、彼女は終始誰の姿も目撃していない。つまりこの間、中央廊下を通過したものは存在しない。』と書いてありますが、これ、おかしいと思いませんでしたか?」



 ザクロ先輩がはっと息をのむ。少し遅れて、スモモ先輩とミカンちゃんもそれに気付いたようだ。



「そうです。にこんなことがありました。




 『ライムが一年F組へ行き、事情を話す。先生の頼みなら仕方がないなと思い、。』」




 私は新参者だから、こういう誤魔化しが効くだろうと思って張った罠だった。



「おかしいですよね? 



 人間には不可能。

 つまり、生徒が鳥じゃないと有り得ないことなのですよ。



 この時、鳥であるメロン、ザクロ、スモモ、ミカン、リンゴの五匹は窓を通ってE組へ行きました。それ以外の方法ではこの矛盾をどうにもできない。だから、イチゴ以外は鳥でなければならないのですよ」



 となれば当然の疑問が出る。



「あれ? じゃあ人間であるイチゴはどうやってE組へ行ったのよ?

 仮にその時教室にいなかったから『一年F組にいた全員』に含まれなかったとするわよ?


 けれどその後のシーン。午後1時35分に『一年E組に、メロン、ザクロ、スモモ、リンゴ、ミカン、イチゴが集まる。』という記述がある。つまりイチゴもE組に移動している。どうやって?」



 さて、いったいイチゴはどんな魔法を使ったのか?

 それがこの問題のメインの謎だった。

 けれど、誰もここまで辿り着いてはくれなかったのだ。



 では、この事件の真相に迫ろう。



「まずは本文を引用します。ひねくれた目でしっかりと確認してください。




、ミカン校長、メロン、ザクロ、スモモ、リンゴが輪になって談笑していた。

 生徒達が「少し寒いわね」「風強いッス」と元気に騒ぎ立てる中、イチゴだけがの隅――一番後ろの窓際の席に座ってぼんやりとしていた。』




 ええ、そうです。今皆さんが想像したそれが正解です。




 イチゴが一年F組の生徒であることは作中で明記されていますね。けれど、イチゴがいた『教室』が『一年F組の教室』だなんて、どこにも書かれていない」




 ミカンちゃんがまた何か言いかける。私はそれを遮って続けた。



「作中の時間設定は昼休みです。別に生徒が自分の教室にいなくてもいい。



 だから、イチゴは、一年F組の教室の真ん中で談笑するクラスメイト達の会話に耳を傾けていた。



 E組とF組の距離は約10メートルで途中の窓は全て開いている。人間の話し声ならそれでも聞こえないかも知れませんが、それが鳥の鳴き声である上に、イチゴがその内容を聞き取った訳ではありませんから。

 要は『あそこで鳥達が鳴いてるなぁ』ということだけがわかる距離なら問題ないわけです。



 ちなみに、前者はともかく、後者、


『生徒達が「少し寒いわね」「風強いッス」と元気に騒ぎ立てる中、イチゴだけが教室の隅――一番後ろの窓際の席に座ってぼんやりとしていた。』


 この部分はどう考えても同じ教室のことだろ、と思う人もいるかも知れない。

 どうしても納得できないのであれば、『少し寒いわね』『風強いッス』という台詞は、確かに一年E組の生徒のものにしてもいい。



 こんなしゃべり方をする人間なんてどこにでもいますから、勝手に特定の誰かを思い浮かべてはなりません。解釈は自由。

 言うまでもないですが、この時点では一年E組が無人だなんてどこにも書かれていませんし、鳥の生徒ですから、いつでもF組側に移動して作中の矛盾をなくすことが可能です」



 私はこほんと咳をして、締めくくる。



「犯は『イチゴ』。彼女は最初から一年E組の教室にいて、午後1時から午後1時20分の間に教壇にあるブラックチョークを盗んだ。


 そして、午後1時20分にライム先生が来た際はベランダに隠れていました。

 ベランダの存在は作中にきちんと書かれていますし、隠れる直前にはイチゴがベランダに行こうとしている描写まであります。

 そして言うまでもないですが、教壇付近しか探索していないライム先生には、イチゴ及び彼女の隠し持つブラックチョークは見つけられません」



 午後1時20分の描写では、地の文に『西廊下は無人である。一年E組の教室内にも人はいない。』と書かれてあるが、ベランダという抜け道は丸見えと言っていいほどのタイミングで明記しているので、反論の余地はないだろう。



「後は、午後1時35分に駆け付けたF組の五匹に混ざって、ブラックチョークを探せば良いのです」



 これで、『午後1時35分。一年E組に、メロン、ザクロ、スモモ、リンゴ、ミカン、イチゴが集まる』という条件もクリアできる。


 これならライム先生に疑われることもないだろう。

 イチゴはあくまでも鳥達の様子を見て探し物をしていると判断し、一緒に探してあげている善良なクラスメイトである。


 勿論、実際は探し物が自分の盗んだブラックチョークであることまで予想した上で、自身が疑われないように探すフリをしているだけ、というオチだ。




 ――以上が『Fブラックチョーク消失事件』の全貌である。





「ひょえ~、単純に見えて複雑。複雑に見えて単純ッスねぇ」

 リンゴちゃんがわかった風な纏め方をする。ミカンちゃんは俯いて肩を震わせていた。ザクロ先輩は満足気に微笑んでいて、スモモ先輩はまだ何か考えている様子だった。しばらくして、そんな彼女が、おずおずと口を開く、



「……えっと、わたしの推理。『小さな粒のブラックチョークが、E組の教壇からF組まで飛んできて……』というのはどうして……」



 それは、スモモ先輩が披露し、ザクロ先輩がフォローした最初の推理だった。開始早々このようなユニークな推理が飛んできたことに焦りつつも、私はそれを不正解と断言した。

 解答に直結する為ゲーム中は理由を説明できなかったが、今はその疑問に答える義務がある。



 しかし、「あれは――」と私が説明を始めるのと同時に、スモモ先輩が「最初は――」と声を発した。


「――ああ、ごめんなさい」とスモモ先輩が照れ臭そうに笑う。


「いえいえ、続けてください」



「はい。最初は――ブラックチョークも『道具』に含まれるから、書かれている以上の解釈を加えたら駄目なんだ、と思いました。

 正直、わたしはそのことを失念していて、不正解と言われてから気付いたのです。お恥ずかしい話ですが」


「いえ、私もブラックチョーク自体の解釈を変えるという発想はありませんでした」


「ああ、やっぱりそうなんですね。つまり――」


「ええ、それを抜きにしても不正解です。不正解にできます。

 その理由を尋ねてきたザクロ先輩は、きっとスモモ先輩の失念に途中で気付いていて、その上で何かあるなと思ったのでしょう」


「……ひひ、どちらにしても、二人ともそこまで辿り着けなかった訳だけど」

 ザクロ先輩が楽しそうに自虐する。


 スモモ先輩は少し考え込むような仕草をして、やがて「あ」と声を発する。



「今、理解しました。――ルールAにより犯人は絶対に人間。



 )』




 ……なのですね? 




「ええ、その通りです」




 




 作中に矛盾を発生させることで、それを取り払わない限りどんな推理も寄せ付けない堅硬な『盾』。

 取り払おうとすれば、今度は誤答の道に進まされる強靭な『矛』。




 正解へ辿り着く為には、




 別解の駆逐以上の悪意を込め、パズルであることを放棄した道化的な仕掛け。それがこの問題の要だった。



「……なるほど。情報が少ないなんて言ってごめんなさい。きちんと守りを固めていたのですね」


 スモモ先輩は微笑んで続ける。


「問題文の『鳥瞰』や『人が足をつけられるスペース』、攻防時の『服すらもあらゆる道具』という言葉のチョイスも、人外を連想させる罠の一種だったのかな? まんまとやられちゃいましたね。わたしもザクロさんも」



 先輩方にも納得して頂けて、丸く収まったかな――なんてのは勿論、楽観的な勘違いで、




「こ、こんなのミステリじゃない!」




 案の定、ミカンちゃんが癇癪を起こした。



「そうです。これはミステリではなく、フリーダムミステリなのです」などと言う空気の読めない発言はしない。彼女の怒りは正常なものである。だから私には、前回ザクロ先輩がそうしたように、彼女の質問に答える義務がある。



「イチゴ、質問するわよ!」


 ミカンちゃんは叫び声をあげる。


「まず! この原稿の冒頭に『『Fアップルパイ盗難事件』から一ヶ月が経過した』と書かれてあるわね? つまりイチゴはザクロ先輩の世界を引き継いだ訳だけれど――ならば! イチゴ以外の部員が鳥なのはおかしい! 一ヶ月前は確かに人間だったのに、鳥になるのは絶対におかしい!」



 当たり前だ。


 真面目にそんなことを言うミカンちゃんが可笑しくて笑ってしまいそうになるけれど、私は真剣な顔で反論する。





 確かに今回の物語は『Fアップルパイ盗難事件』から一ヶ月後の世界を舞台としていますが、同じ学園での出来事だなんてどこにも書いておりません」




「……ぼ、冒頭に『F苑女学園』って書いてあるじゃない!」




「書いておりません。『F苑女学園』ではなく『F女学園』です。次回から問題文は一言一句しっかりと読みましょう」




 ミカンちゃんは絶句して、原稿を読み返す。




 前回の学園ときちんと区別する為に、私は『Fあて女学園』と書いた。それも二回も。



「……も、もしかして、最初から騙す為に?」


「ええ。『前回と同じ世界。つまり、登場人物は全員間違いなく人間である』。そういう固定観念を持って頂く為に、あえてザクロ先輩の世界を引き継ぎました。


 そして、逆に学園名の異変に気付いた人は、私の思惑を逆算して『鳥の学園』というミスディレクションだけに引っかかり、場所を誤認させるという単純な叙述トリックには気付けない。そういう作戦でした。でなきゃ、こんな無駄且つ危険なことはしません」


「…………」


「質問はそれだけですか?」


 ミカンちゃんは暫く悔しそうに俯いていたが、やがて、「……わかったわよ」と呟いた後に、再び私を睥睨する。


 その眼からは、まだ戦意が消えていない。他にも言いたいことがあるようだった。



「イチゴ! 二つ目の質問よ!」


「ええ、望むところです」


「じゃあ遠慮なく指摘するわよ! そもそも――」


 ミカンちゃんは深く息を吸って続ける。


「――『鳥』という道具の使用はルールEに反する可能性があるわ! 『鳥瞰』という文字があるけれど、そっから『鳥』だけを抜き取って来いってのは流石にないでしょ!」


「それは……」

 と私が返事をする前に、

 今度はザクロ先輩が口を挟む。



「……ひひ。ルールEに関するその手の指摘は、確かに難しい問題だ。けれど、登場人物――いや登場鳥物であるキャラクターを道具と捉えるのはどうなんだろう?


 その指摘が許されるなら、作中で人間が動く為に、わざわざ『人間』という文字を入れなければならない。歩く為には『足』という文字を入れなければならない――という風になってくるよね?


 ルールEは、そんな面白くもない上に原稿の枚数が増えてしまうような泥沼な闘いをする為にある訳ではない。間違いなく明記されていて、そこに存在しているキャラクターの正体が鳥だった。これくらいは許容範囲だと僕は思うけれど?」



「……う。で、ですが、それでも……」



 二の句を告げなくなるミカンちゃんに対して、私は「いえ……」と口を開く。



「――実はその指摘も予想済みです」



 ミカンちゃんが目を見開く。ザクロ先輩が「へぇ」と、楽しそうな笑みを浮かべた。



 ――そう。最初から、というのが、この問題のテーマの一つなのである。



「ミカンちゃん?」



 私は笑みを浮かべて続ける。



「――忘れてませんよね? 私の問題の真相は『犯行時刻。イチゴは、一年F組の教室ではなく、一年E組の教室にいた』という単純なものです。


 先程の『F女学園』の件もそうですが、今回の私の試みの一つは『真相に関係のない真相』を沢山入れて、『謎を解いたのに間違った道に進む』という罠をあちこちに仕掛けることでした。

 だから、正当に至る道筋を説明する為に『鳥』という言葉を使う必要は全くありませんよ?



 。』



「……ひひ、なるほど、確かにそうだね。この問題は、作中の出題や補足の矛盾を全て無視しても解けるようにできている。この手の発想は今までのF推会にはなかったから、僕としても完敗だね、これは」


「いえ、そんな。ザクロ先輩に頂いたフォローだけでも防げるかと思ったのですが……不安だったので一応、別の盾も造っておきました」


「……そ、そんなのって」とミカンちゃんが小さく呟く。

「他に質問はありますか?」

「…………」


 ミカンちゃんが肩を震わせる。


 もっと言いたいことがあったのかも知れない。

 けれど彼女は、これまでの不満を全て吐き出すかのように、「もう知らない!」と叫びながら、テーブルを叩いて立ち上がる。



 一瞬、私を蔑むような視線で見下ろして、



 そして、そのまま一人で部室を出て行こうとしたところで――




「――あら? どこへ行くのかしら?」




 妖艶な声が彼女を立ち止まらせた。




 第三者の突然の登場にぎくりとする。




 F推会の部室の扉の前。





 そこに、急用で欠席したはずのメロン先輩が立っていた。




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