VS怪盗グアバ ドリアンダイヤ戦 問題編
[VS怪盗グアバ ドリアンダイヤ戦 問題編]
ここ『F苑街』は、高さ3メートルの黒い石壁で囲われた長方形の街である。
この壁の特徴は、ほとんど全ての場所に、何かが描かれていることだ。
最も多いのは、フルーツのようなカラフルなイラスト。
青、赤、緑、黄、紫、ピンク、オレンジ、グレー。
『果実』と『ヘタ』だけを適当に書いたような量産型のラクガキ。
色分けがされているから「あれは林檎だ」「あれは蜜柑だ」と想像できるだけで、輪郭はほとんど同じものだった。
次に目に飛び込んでくるのは、そんなカラフルな果物達の間を縫うように書かれた、白色の長文だ。
ぐるっと、縦横無尽に壁を泳ぐ文章。
読破したことはないが、スタートからゴールまで、一筆書きのように繋がっているらしい。
誰が、どんな目的で描いたのかは、誰も知らない。
けれど、謎には鮮度がある。子供の頃から見慣れているせいか、もはや真相なんてどうでも良くなっていた。
どうせ、昔の人の、気紛れか暇潰しだろう。
今はそれよりも、鮮度の高い謎に惹かれてしまう。
見飽きた石壁を横目に、私は歩みを進める。
『好敵手の本性の三文字目を、次の共通しない頭と入れ替えろ。完成した四文字は街の中で混ざる』
ふと、壁付近の地面に書かれた、目新しいそのラクガキが妙に印象に残った。けれど、グアバの暗号で手一杯な私は、そんな些細な謎なんて数分後には忘れてしまっていた。
――午前11時過ぎ。
事件現場である宝石店『カリン』の店先に辿り着いた所で、自然と足が止まる。
そこはまるで異世界だった。
学園の教室ほどの広さしかない店内だが、何もかもがキラキラと――いや、ギラギラと輝いていた。
汚れ一つない真紅の絨毯に大きな黄金のシャンデリア。豪華なガラスケースの中に、丁寧に陳列された――いや、祀られたと表現すべき様々な宝石達。
店員はスーツを着た40代くらいのお洒落な男性が一名。客は馬鹿みたいに豪華なドレスを着たマダムが三名。
予想に反してマスコミや警察の姿はなく、平和そうに通常の営業を行っている。恐らくこの数日間で、その辺りのドタバタは一通り過ぎ去ったのだろう。
さて、この状況で中に入っていけば確実に目立つだろう。
しかも私は客ですらないのだ。そもそも一介の学生である私がドリアンダイヤの件を尋ねても快く答えて貰えるとは思えないし、そんなことを訊ける雰囲気の店ではない。
気分に流されて外出なんてするべきではなかったのだ。これまで怪盗グアバの出題に挑戦してきた時と同じように、家でショートケーキでも食べながらぼんやりと考えていれば良かった。
いや、今からでも遅くはない。さっさとケーキを買って帰宅しよう。そう思うと同時に踵を返す。
「――お姉ちゃん」
と、声をかけられたのはその時だった。
「もしかして、怪盗グアバに挑戦しようとしてる?」
振り返る。
黒い帽子に黒いスーツ。年齢は私より少し下だろうか。背の低い、華奢で色白の中性的な男の子が、私の顔を覗き込んでいた。
彼の澄んだ瞳を見てドキリとする。なぜかそこから目が離せなくなり、ぼんやりと見つめ返してしまう。その理由は自分でもよくわからない。
「ねぇ、怪盗グアバの調査ならほんの少しだけ手伝えるよ。僕、『カリン』のオーナーの息子だからさ」
店内の男性を指さして、男の子は微笑む。
状況を理解できずに黙ったままでいる私を不思議そうに見つめた後、彼は「着いてきて」と一言だけ囁いて、あさっての方向へ歩き出してしまった。
着いて行って大丈夫なのかと疑問に思うが、足は自然と彼の後を追っていた。
――数分後。
案内されたのは、路地裏にひっそりと佇む隠れ家のような店だった。看板には『喫茶ランセット』と書かれている。
「入って。奢るから」
とても強引な男の子だなと思った。しかし危険な臭いはしなかった。
――そうして私は、あれよあれよと言う間に、出会ったばかりの男の子と食事をしていた。
歳は私より一つ下の中学三年生で、名をカシスと言うらしい。
軽い自己紹介を交わした所で、話はさっそくドリアンダイヤの件に移った。
「ドリアンダイヤってのはウチにある中じゃ一番高価な宝石で、セキュリティはかなり厳重だった。まだ店頭にすら置いてなくてね。店の奥の倉庫に保管していたんだよ」
「倉庫?」
急な展開にどきまぎしつつも、それを悟られまいと、冷静な顔で目の前のショートケーキにフォークを入れながら尋ねる。
「暗証番号と指紋認証と鍵付きの鉄扉で閉ざされた、石造りの部屋だよ。窓も勿論、隙間もない」
「指紋認証というのは、お父さんの?」
「うん。登録されているのは父さん一人だけ。ちなみに鍵も造ったばかりのものが一本だけ。父さんが肌身離さず持っていたから、奪われる隙なんてなかったはずなんだ」
ふむふむと頷きながらメモを取る。F推会に入部して以来、自然と携帯しているメモ帳が役に立って喜ばしく思う。
「――では、事件があった日のことを教えてください」
「4月13日の午前6時頃。倉庫に入ったら既にドリアンダイヤはなかったらしい。最後に確認したのは前日の24時前らしいから、その間に奪われたのだろうね」
「鉄扉は?」
「壊されてなんていないよ。そこはいつのも怪盗グアバさ。何もかもが無傷のままドリアンダイヤだけが奪われていた。他に質問はある?」
カシス君が私に問いかける。
質問と言えば、なぜ高校生の私が敬語を使って、中学生の君がタメ口なのかということくらいだが、小さな不満は静かに飲み込む。
そんなことはどうでも良くなるくらいに、私は高揚していたのだ。
だって私は――これだけの情報で真実に辿り着いたのだから。
「――今、何て言ったの?」
カシス君は、不思議そうにこちらを見つめてそう言った。
私は彼を傷付けないように、できるだけ何でもない風に、
「――カシス君のお父さんの自作自演だと思います」
自身が辿り着いた答えを口にした。
カシス君はしばらく停止する。
彼の両腕が少し震え、右手に持ったフォークからチョコレートケーキの欠片が零れ落ちた。
けれど、本人はそれに気付いていないようだ。無言の時間が1分ほど流れた後、彼はハッとしてケーキをすくいなおし、静かに呟いた。
「……そんな馬鹿な。どうして?」
「怪盗だって人間です。漫画の中の話じゃないのだから、それほど厳重な倉庫からドリアンダイヤを盗み出せるとは思えません。だから、もっと現実的に考えれば良いと思います。
カシス君のお父さんが犯人か共犯者なら、こんなの事件にもなりませんよね」
「いや、トリックではなく動機が訊きたい。どうして父さんはそんなことを?」
「怪盗グアバは盗んだものを必ず返します。そして彼にはマニアックなファンがいる。彼が一度盗んだモノなんて――その手に触れたものなんて、マニアなら喉から手が出るほど欲しいでしょう。つまり――」
「――売名行為?」
「……ええ。怪盗グアバが惚れたというキャッチコピーで商品価値を高める、そういう計画なのだと思います。
恐らく数日後には、カシス君のお父さん自身がドリアンダイヤを発見するでしょう。自力で見つけたと言う冒険活劇を引っ提げて。いや、もう少し慎重な人ならサクラを雇うかも知れませんね」
そこまで話した所で「しまった」と思った。
カシス君はうつむいて、肩を小さく振るわせていた。
泣かせた、いや、怒らせた?
どちらにせよ、何てデリカシーがないことを言ってしまったのだろう。また私の悪い癖が出てしまった。とにかく謝罪をしよう。
そう思って顔をあげた所で呆然とした。
カシス君は笑っていた。
目に涙を浮かべ、その瞳を輝かせながら私を見ていた。
「面白いよ! その推理、とても面白い!」
彼は興奮気味にそう言って、しかしすぐに落ち着きを取り戻して続けた。
「――でも、そんなの警察が見逃すと思う? どんな連続事件も、模倣犯か否かを判断する一番有名で確実な方法はお姉ちゃんも知ってるよね?」
カシス君はチョコレートケーキを口へ運び、ゆっくりと嚥下してから続ける。
「――そう、情報の制御だ。例えば怪盗グアバが現場に残したオリジナルのカード。一般に公表されているアレが偽物だって、お姉ちゃんは知ってた?」
きっと私は間抜けに口を開けていたことだろう。カシス君は悪戯っ子のようにクスッと笑って更に続ける。
「まさしく自作自演や模倣犯を見分ける為の工夫だよ。警察は本物のカードを一切公表していない。そのまま公表しているのはカードに書かれた暗号だけ」
「……で、でも、過去の被害者は知っている訳でしょ? 何らかのルートを使ってカシス君のお父さんが知り得た可能性も……」
「お姉ちゃんはミステリが好きなのかな? 僕も大好きだから、僅かな可能性も追求したいって気持ちはよくわかる。
でもね、怪盗グアバには本人であることを証明する為に警察にしか送らないメッセージや、専門家にしかわからない細かい拘りがあるらしい。今回はそういった様々な理由から、本物と断定されたらしいよ」
「も、もし、カシス君のお父さんと怪盗グアバがグルなら?」
それは最後の足掻きとばかりに発したみっともない推理だった。
「面白いけど、それもないと思うな。怪盗グアバに何のメリットもないし。まさか怪盗としての業績を上げる為なんてことはないだろうしね。それは怪盗グアバのスタイルとは大きく異なるでしょ。少なくとも僕はそう思う」
そうだ。私も今朝、怪盗グアバは『楽しむ為』に盗みをやっていると分析したばかりじゃないか。
ああ、どうして今日はこうも頭が回らないのだろう。
いや、理由はわかっている。カシス君の影響だ。彼を見ていると、なぜか心がざわざわとして落ち着かない。
とにかく、これ以上恥の上塗りはしたくないと思い、私は潔く謝罪する。
カシス君はと言うと、更なる反駁を期待していたのだろう、いきなり謝罪した私を見て目を丸くした後、焦ったように口を開く。
「いいよいいよ。まぁ、トリックはとりあえず置いといて、暗号について考えようよ。今一番重要なのはこっちなのだから」
そうだ。犯人が怪盗グアバであることが確定した時点で、やることは一つしかない。私はメモ帳のページをめくり、今朝書き留めたばかりの暗号を確認する。
『仮名の子、葉の散る旨、願人は無いが、芋とっ盛りて炭臭っが』
「少なくとも――」
と、カシス君は微笑んで続ける。
「この暗号を『意味の成すもの』に変換する過程は、馬鹿にしてるのかってくらい簡単だよね」
「……え、ええ。そうですね」
返事をしながら、考えて来て良かったなと思った。
家を出る前に少しは解読しておこうと思い、第一段階までは解けたのだ。
しかし、それだけでも10分を要したなんてことは、とてもじゃないが言えない。
――そんな風に内心緊張しながらも、
私達は、かの大解答の暗号を解剖してゆく。
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