F茶筒塔の殺人 エピローグ
「後半は色々と苦しい推理でしたね。特にアレは頂けない」
目を丸くしているメロン先輩に、ミカンちゃんは厳しい口調で告げる。
「世界を引き継いでいるからと言って、『イチゴさんは犯人じゃない』が尚も有効だと言うのは、流石に過大解釈です。
いくらメタ的な保証がある強い台詞だからといって、その『犯人』ってのはあくまでも『Fアップルパイ盗難事件』の犯人を示したものでしかないでしょうに」
相手の全てを見下すように、彼女は淡々と続ける。
「それから前置きにルールDを適応することに異論はありませんが、特にザクロのシロ置きは甘いと言わざるを得ません。
『Aが「ザクロは無実」と言った場合、A自身がザクロであり自称しているだけといった可能性は考えなくても良い。』
――この一文は『Aが「ザクロは無実」と言った場合』という仮定の話でしかないと捉えるのが自然ではありませんか?」
確かに彼女が指摘するその二点には、僅かばかりの強引さがあった。
けれど――
「ま、待ちなさいミカン」
メロン先輩がミカンちゃんを睥睨して続ける。
「確かに強引さがあるのは認めるわ。けれど、推理に対して何が自然で、何が苦しくて、何が過大解釈かなんて言い出したら、それは個人の感覚の問題になってしまう。
そしてF推会は、そういう曖昧なミステリを避ける為の武器を出題者と解答者の双方に用意してある。気付いているかは知らないけれど、そういう構造になっているのよ。
だから、言っちゃ悪いけれど、そんな隙を用意した時点で作問に問題がある。反論できなければそれが正解。そして貴方のその反論こそ甘い」
「いいえ」
見慣れた、自信家の笑み。
ああきっと、メロン先輩のその反駁すら、ミカンちゃんは予想していたのだろう。
彼女は胸を張って、得意げに絶望を突き付ける。
「――メロン先輩の推理は全否定できちゃいます。感覚ではなく、ロジカルに、完膚無きまでに」
全員が息を呑む。黙って、ミカンちゃんの解説を待つ。
そうすることしかできない。
「まぁでも、メロン先輩の気持ちも理解できます。あれくらい無理な手を使わなければ、犯人の断定は不可能――そう思いますよね?」
その通りだ。犯人特定。この切り口が最も難攻不落なのだ。
「……ま、前置きは良いから」メロン先輩が先を促す。
その焦心した様子が、
ミカンちゃんの嗜虐心を満たしたのだろう。
彼女は口角を上げ、
真実を――
「犯人はFです」
――告げた。
リンゴちゃんは何も噴き出さない。それくらい、意味不明な結末だった。
「……ひ、ひひひ、ミカン君。Fは被害者だよね?」
ザクロ先輩が乾いた笑みで尋ねる。
「ええ」
とミカンちゃんは得意気に頷いた。
「Fことスモモは被害者です。あれがFじゃなかったというのはルールDにより有り得ません」
つまり、
「自殺、ということですか」
呆然とした私の呟きに、
「その通り」
と、ミカンちゃんが微笑む。
「メロン先輩の推理、半分は正解です。
けれど、倉庫部屋の聖剣を『ドクウツギの窪み』に差し込んだのも、二つの手錠を金具から外したのもF本人です。
午後2時。足、腕、の順番で自分に手錠を付ける。そして午後2時1分以降。無重力を利用して、『聖剣ドクウツギ』へと向かう」
それでも、問題なく動けるのだ。
壁を蹴った反動で凶器の元へ。
胸を差し出して、天へ――天国へと旅立つように。
「こうしてFは天に召されました。F――つまりルールFは、ね」
勝利宣言。
けれどメロン先輩は食い下がる。
「わたくしの解釈に無理があったのは認めるわ。けれど、だから自殺が正解というロジックは成り立たないでしょう。
それなら、誰が犯人でも良い――ということになる。実際、犯行は誰にだって可能なのだから」
「はい」
とミカンちゃんは飄々と頷く。
「犯行は誰にでも可能ですよ。でも犯人はF以外に有り得ない」
「ど、どういう――」
D『絶対、怪我しないッス!』
F『そうです。聖剣で傷を負うようなマヌケはいません』
B『……ひひ、僕も触ってみたいな』
E『あたしも!』
C『せっかく来たのですから!』
「『聖剣で傷を負うようなマヌケはいません』。――これ、Fの台詞です」
その一言で全てを理解する。
なんだそれは。なんということだ。
Fが嘘をついてしまっている。
……ルールC【犯人以外は嘘をついてはならない。】。
――なのに、嘘をついているから犯人なのだ。
これだけで、F以外が犯人であるという可能性が潰える。
五人が一気にシロになる。
「……ひひ、なるほどね。確かに反論の余地がない。けれど、まだいくつか詰めさせて貰う」
「ええ、質問はいくらでも受け付けます」
無駄だ。ザクロ先輩の言い分は全てわかる。それが通用しないことも、もう私には理解できていた。
「……ひひ、ルールAによって事件には『犯人』が求められる。自殺した人間を犯人と呼ぶのはどうだろう?」
「ああ」と、
ミカンちゃんは何でもない風に続ける。
「自殺者を犯人だなんて呼んでませんよ」
「――は?」
ザクロ先輩にとっては、予想外の返しだったのだろう。
けれどミカンちゃんは、相手の混乱が収まるのを待ってはくれない。
「なんて言うか皆さん、道徳心とかは無いタイプですか?」
「何を――」
「――犯人であるFことスモモは、倉庫部屋に置かれていた『聖剣ドクウツギ』を無断で持ち去ったのですよ?
ねぇ――これって、やって良いことですか?
言うまでもないですよね?
――つまりこの時点で、立派な立派な『窃盗犯』というわけです」
「そんな馬鹿な」
「何がおかしいのですか? 家宝で聖剣なのですよ。アップルパイやブラックチョークを奪うよりも、よっぽど重罪でしょう。まさか、自害したから罪がチャラになるなんて、思ってないですよね?」
「……そんな問題じゃないさ。それはルール違反だ」
「ルール違反?」
「この事件のタイトルは『F茶筒塔の殺人』だ。
君自身も『殺人事件』を用意したと取れるような発言をしていた。なのに、そんなものはどこにもない」
「ええ、ないですね」
「それは駄目だ。あの時メロン君も言っていただろう?」
――イチゴとリンゴの為に補足しておくと、『地の文』というのは『台詞以外の全ての文章』のことね。F推会では、作者から読者への注や補足もこれに含める。つまりルールCと組み合わせると【作者は犯人の台詞以外の場所に嘘を書いてはならない。】と言うことになる。
「どうだい? 確かに『地の文』とは言えないけれど、君は間違いなく、読み手に対して大きな嘘を吐いた。――それはアンフェアだよ。君は、紙の上でも口頭でもタブーを犯してしまった」
ザクロ先輩の指摘に対して、ミカンちゃんは柔らかな笑みを返す。
「【作者は犯人の台詞以外の場所に嘘を書いてはならない。】。あたしが今回、このルールを守っていたかどうかを議論する必要は全く有りません。
だってこれは、メロン先輩が二つのルールを組み合わせて、勝手に纏めたことでしょう?
大事なのはルールF。それは先輩方が、散々あたしに言ってきたことです。
ねぇ、ザクロ先輩? つまりは――六つのルールのどこに、【タイトルに嘘が存在してはならない。】【出題者は、ゲーム中及びその前後に嘘をついてはならない。】なんて書かれてあるのでしょうか?」
「……ひひ」と、
ザクロ先輩は乾いた笑いを零す。
「そこまでやっちゃうんだ、ミカン君は。確かにルールFに違反してはいないけどさ。――袋小路だよ、そっちは」
「創作に袋小路なんて存在しません。それは枯れ尾花のようなものです。そんなものに怯えるなら、F推会の存在意義はありません」
「……ひひひ。そっか。そうかもね。でも、最後まで詰めさせて貰うよ」
この場で、ザクロ先輩だけが戦意を失っていなかった。彼女は鋭い口調で続ける。
「ミカン君。確かに、『タイトルも地の文に含む』と言う反論はちょっと苦しいかも知れない。ゲーム開始前の嘘も、酷いとは思うけれどルールに反してはいない。
――けれど、流石に『補足』や『出題』に嘘があるってのは、君も賛成しないだろう? それらを『地の文』と呼称するのは、とても常識的なことだと思う」
「ええ」
ミカンちゃんは笑顔を返す。
「ミステリを愛する者として、それに賛成することは有り得ません。だって、本格ミステリにおいて、作者が読者に語りかける部分と言うのは、『地の文以上に嘘が許されない聖域』ですから」
「つまり『補足』や『出題』に嘘が存在するのは、F推会のルールでもアンフェアである、と認めるね?」
「勿論です。あたしはフェアなので、ゲーム前のミスリードだって、厳密には嘘ではないのですよ? 『ミステリといえば殺人事件』と述べただけです」
「なるほどね。正直僕は、後半の理屈はどうだって良いんだ。前半の言質を取りたかっただけ。だからそれを聞いて安心したよ」
ザクロ先輩は深く息を吸ってから捲し立てる。
「ならば、この原稿の『出題部分』について問い質そう。
絶対に嘘をついてはいけない『聖域』での君の問いはこうだった。――『作中の全ての謎を解明せよ。但し、犯人は快楽殺人鬼であり、動機を推理する必要はない。』。――これについて弁明してくれるかな?」
「あはは、まだわからないんですか?」
ミカンちゃんは微笑んで、
このゲームに幕を降ろす。
「そこに書かれてある通り、窃盗の犯人であるFことスモモは快楽殺人鬼です。
ああ但し、
――作中では殺しを行っておりません」
絶句してしまう。
しかしザクロ先輩は、すぐに新たな疑問を突き付ける。
「……じゃ、じゃあ、最後の一文『快楽殺人鬼のその少女は、邪悪な笑みを浮かべた』は?」
「勿論その子も、Fとは別の快楽殺人鬼です。でも今回は良い子にしていました。本件とは無関係なのでご安心を」
五人で呆然とする。
無言の時間が流れる。
ミカンちゃんはそんな私達を、嘲笑うようにじっくりと見回した。
私達が敗者で、ミカンちゃんが勝者。その構図が、くっきりと浮かび上がってくる。
けれども彼女は更に、死体撃ちをするようにオーバーキルを加える。
「自身が関与していない死体を見て笑っちゃうなんて、いかにも快楽殺人鬼って感じがして、とってもチャーミングですね。
……え? もしかして、『犯人が笑ってやがる! 突き止めてやる!』って意気込んでいたのですか? ごめんなさい、お求めの窃盗犯は……なんか上の方で自主的に突き刺さってます。
理由なんて知りませんよ。『動機を推理する必要はない』と断っているでしょう?
……お? 今、問題文が『全ての謎を解明せよ』なら、地上側の快楽殺人鬼の正体も解けるようにするべきだという細やかな反論が口から出そうになりましたね?
それとも、もはやそんな切り返しすら思いつかないほどに、脳がキャパオーバーになってしまいましたか?
もし皆さんが、面白いほどに本編とは無関係なその狂人の正体が気になって気になって仕方がないと言うなら、
聖剣を見た時のDの台詞『斬ってみたいッス!』を拾ってきた上で、ルールC【犯人以外は嘘をついてはならない。】で補強し、自由な解釈を叩きつければ良い。
情報不足は出題者こそを追い込む。
解答者はルールFを利用して、駆逐されない『解釈』を提示すれば良いだけ。
――そうですよね?
それが皆さんが愛してやまない、F推理研究会の流儀――そうでしたよね?」
――そんな『出題者の不利』すらも逆手に取って。
ミカンちゃんは、自身のミステリにエンドマークを付けた。
悪意が過ぎるミスディレクションの連鎖と、奇想天外を極め尽くした発想の数々。
誰が解けるんだ、こんなもの――と思ってしまう。
そんなのアリか、と何度も思ってしまった。
無論、普通のミステリならアリのはずがない。
けれど、
ルールF【ルールA~E以外の全てを認める。】。
私たちは最初から、そんなのが『アリ』だと断った上で、このゲームを遊んでいる。
故に、もはや、そんなぼやきすらも、私たちには許されていなかった。
いや、問題はそんなことではない。
そもそもこれは、どんな大義名分があった上で、何を賭けて行われた戦いだった?
今、私たちが何度も衝撃を与えられた『F茶筒塔の殺人』は、
一体、どんなミステリだった?
言うまでもない。
それは、極めて『F推理研究会的』な出題であった。
これまでの二問よりも遥かに悪質で、『推理ゲームの極北』のような気さえした。
だから、あんなにも怒っていたミステリマニアのミカンちゃんが、これを出題しただなんて信じられなかった。
――ああ、きっと、そういうことなのだろう。
私達は完膚なきまでに騙されていたのだ。
ミカンちゃんの手のひらの上で踊らされていたのだ。
――――いつから?
「あは」
私がその可能性に気付いた瞬間に、
ミカンちゃんはとても楽しそうな笑顔で、
「あはははははははははは!」
心の底から、純粋な笑い声をあげた。
「あは、あははははは! ね、ねぇ皆さん?」
笑いを堪えながら、彼女は目に涙を浮かべて、
そして私達に――最後の真相を明かす。
「『あたしがこれまでの出題に怒っていた』という、その前提が間違っていることに、まだ気付けませんか? あはははは!」
それが、ミカンちゃんの『本当の勝利宣言』だった。
メロン先輩が、つられるように「……はは」と、乾いた笑いを零した。
「ミカン。貴方はまさか、ずっと……」
「ええ。――ずっと演技をしていました」
ミカンちゃんは、ゆっくりと口角を上げる。
「勝負は戦う前から始まっています。ザクロ先輩が『Fアップルパイ盗難事件』を出題した、あの日から。
あの原稿を読んですぐに、あたしは真相に辿り着きました。
そして、自分が出題者になった際は、あくまでもこの世界観で勝負を挑みたいと思いました。
だから、慣れている先輩方を騙すには、あの時点で下準備をしておく必要があったのです。
同じ問題でも出題者があたしでさえなければ、あるいは違った結果になっていたかも知れませんね?
このやり方はちょっとアンフェアかも知れないので、これでもヒントを出したつもりではあるのですが」
「……ヒント?」
メロン先輩が、か細い声で聞き返す。
「ええ。まだわかりませんか?
勝つための犯人当てを本気でやるなら、袋小路の果てに眠る宝はたった一つ。
それは六つのルールでも、文末の補足でも、作中の矛盾でもない。そんなものよりももっと、強力な武器があるのですよ。
ねぇ、メロン先輩? 最初に言ったでしょう? これがあたしの――伏線、ですよ」
私達は、さぞかし間抜けな顔をしていたことだろう。
それを見て、ミカンちゃんはまた笑った。
大声で、楽しそうに、純粋に、そして知的に、
――色々な物を吐き出すように笑った。
先輩方は、もう何も言い返すことができない様子で、皆、悔しそうに俯いていた。
リンゴちゃんは、口をあんぐりと開けて、ミカンちゃんに尊敬の眼差しを注いでいる。
私は、不思議と悔しいとは思わなかった。
ああ、良かったと思った。
これまでの感情的なミカンちゃんの反応は、確かに面白くて愛おしかった。
けれど、やはり私は心のどこかで、彼女の矜持に傷がついてはいないかと、ずっと懸念していたのだろう。
ミカンちゃんが喜んでくれるなら、騙されるのも悪くはないのかも知れない。彼女の笑顔があまりにも清々しかったせいか、私は素直にそう思った。
まったく、何が『意外な犯人なんて存在しないのよ』だ。
そんなもの、工夫次第でいくらでも作り出せるんじゃないか。
得意げに放たれたあの言葉すら、嘘だったんじゃないか。
尤も、我が友人ながら、こんなにもやりたい放題を極め尽くしたアイデアをポンポンと思いつくような病を、喜々として抱えているその人間性に関しては、本当にどうかと思うけれど――
私の期待を超えるくらいに、どんな手を使ってでも読み手を騙そうとしてくるその性悪さは、本当にどうかと思うけれど――
――思うけれど、そんな彼女が報われて本当に良かったと思った。
とは言え、
「まったく、心配して損をしました」
余計な心配をさせたことについては、少しだけ愚痴を零しておくことにする。
「あはは、悪いわねイチゴ」
「……スモモ先輩も、気にしていたのですよ」
「……う」
初耳の情報に一瞬固まるが、
「そ、そんなの知らないわ! 勝負の世界は非情なのよ!」
ミカンちゃんは顔を真っ赤にして、そっぽを向いた。
スモモ先輩は気にした様子もなく、
「完敗、ですね。今思い返せば、ヒントを頂いていたことも理解できます」
優しげに微笑んで続ける。
「――例えば、イチゴさんが出題した『Fブラックチョーク消失事件』。
あの時のミカンさんのメモは、少々現実的ではありませんでした。
自分用のメモであれば、普通はもっと簡略化して書くはずです。
まるで、そう――余計な思考をしてしまっている事を、わたし達にアピールしているかのようでした」
スモモ先輩の指摘に、ミカンちゃんは微笑みを返す。
「ヒントと言うよりは、騙しを強化するつもりでした。少々ピエロを演じ過ぎたかとも思いましたが、今更暴かれるのであれば及第点でしょう」
挑発的な口調である。
しかし、
「う。た、確かに今更の指摘ですよね……」
「……ひひ、僕としても完敗だね。色んな意味で」
スモモ先輩もザクロ先輩も、既に闘志を砕かれた様子だった。
ミカンちゃんはそんな二人を見て小さく嘆息した後に、残されたメロン先輩に加虐的な視線を向け、
「メロン先輩?」
心底楽しそうに、
「あたしはF推会のこと嫌いじゃないですよ? だから、ルール変更の権利は放棄します。安心してくださいね?」
そう言い放った。
それは勝利宣言のようなものだったのだろう。少なくとも、受け手のメロン先輩にとっては。
「あ……あはははは」
F推理研究会。その部長であるメロン先輩は悔しそうに笑いながら、
「――完敗だわ、ミカン」
そう言って、眼尻に浮いた涙を拭う。
それが悔し涙なのか嬉し涙なのかはわからない。
けれど最後には、
「これからも宜しくね」
満足気にそう言って、右手を差し出した。
良かった。ミカンちゃんとの友情も、ルールFも無傷だ。
私にとっても、理想的な決着である。
これでF推理研究会は円満
――のはずだった。
「……メロン、先輩? なんですか……コレ?」
ミカンちゃんが呆然としながら呟く。
メロン先輩の手のひらの中。
そこに、キラリと光る何かがあった。
「小型の録音機よ。見ればわかるでしょう」
「……ろ、録音機?」
「そう。音を録音して、再生する機械」
「……そ、それがいったい」
ニヤリと、
捕食者のような悪魔染みた笑みで、
「――ここに別解が入っているわ」
メロン先輩は告げた。
「――は?」
茫然とした表情で、ミカンちゃんが口を開く。
「べ、別解? そんな馬鹿な! いや、それよりも、もう時間切れですよね?」
「ええ、時間切れよ。だから、このわたくしが今からその別解を口にするなんて反則は犯さないわ。その代わり、時間が切れる前のわたくしが貴方と闘うって訳ね」
思い出す。議論時間の最初に、メロン先輩は手で口を覆って、何やらぶつぶつと呟いていた。
まさか、あの時点で――。
「……そんな……どうして録音なんて方法で……」
「希望を与えてから絶望へと叩き落とす。そうやって、確実に心を折っておきたかったのよ。
わたくしはF推理研究会の部長なのだから、ミス研ならともかく、F推会のフィールドで勝てるなんて幻想を抱いている新入生を、きちんと教育する義務があるでしょ?」
残酷な女王のように、ミカンちゃんを見下ろすメロン先輩。
「……ひひ。鬼だね君は。流石にミカン君が気の毒だ」
見かねたザクロ先輩がフォローする。
けれど、それは藪蛇だった。
「何を言っているのザクロ? 高みの見物なんてしている場合じゃないわよ」
「……ん? どうして?」
「だってここに入っているのは――『Fアップルパイ盗難事件』の別解なのだから」
「――――は? な、何を言ってるんだい?」
「残念ね、ミカン。ザクロが未熟だったせいで、貴方のミステリは崩壊する。まぁ、気付かずに仕掛けた時点で、自業自得だけどね」
「何で、僕のミステリが……」
「馬鹿ね。『作中のミカンは男性だからFではない。従って、F=スモモ=犯人という結論が成り立つ』。
それは『Fアップルパイ盗難事件』の世界を引き継いでいるから可能な推理の筋道でしょ。
じゃあ、その原典自体に別解があって、ミカン=校長=男性でなくても事件を解明できてしまったら――
そういうルートも成立するなんてことになれば――
――その延長線上にある『F茶筒塔の殺人』はどうなってしまうか、想像できないの?」
目を見開いて、動くことすらできずにいるザクロ先輩とミカンちゃん。
リンゴちゃんは目をパチクリさせ、スモモ先輩は呆けたように口を開いている。
Fが犯人であることに変わりはない。
けれど、ミカンちゃんが用意した筋道が崩れ、Fの中身が別人になる。それは犯人が変化するという最大級の別解だ。
『F茶筒塔の殺人』の問題部分は『作中の全ての謎を解明せよ』というものだった。だから、論理的に全てを解明する必要がある。
最後はどちらでもでも成り立つ、などという曖昧な別解は通り難い。
だからこそミカンちゃんは、この出題方法を選択した。
そして――だからこそ、メロン先輩は録音機を用いてその別解を駆逐したのだ。
ミカンちゃん自身に全てを解明させた上で、それを潰す別解を投げつける。
しかもその別解は、ザクロ先輩の世界を受け継いだミカンちゃんの工夫を、逆手に取ったものである――と。
もはや部外者となってしまった私は、ぼんやりと、頭の中で過去の事件を回想する。
ザクロ先輩による『Fアップルパイ盗難事件』。
レモン先生のアップルパイが机上から消失するが、犯行時刻に職員室への出入りは不可能だった。一つしかない出入り口は常に監視状態にあり、所謂『密室』を生成していた。
容疑者六人をアリバイの方向から見ると、ミカンちゃんが犯人であることを論理的に証明できるが、トリックが理解不能。
――解法は以下のような流れであった。
犯行可能な人物はキウイ校長以外に有り得ない。しかし、ルールAに含まれていないので犯人足り得ない。
ならば、犯人であるミカンが校長に変装しているのだろうか。
けれど、地の文に『キウイ』『校長』『男性』と明記されているので、ルールDにより犯人足り得ない。
それでもここにしか突破口がないなら、
結論は――ミカンが校長である。この可能性しか残っていない。
ルールAの盲点を突いた真相である。
最後の飛躍は、普通のミステリでは伏線不足と判断されるだろう。
しかし、厳格なルールEの存在や、足りない情報が解答者を有利にするF推会の趣旨を考慮すれば、決してアンフェアではない――と、今の私なら理解できる。
荒削りで隙があるように振舞いながら、真実を一つだけにする緻密さを内包した、ザクロ先輩らしい出題。
「……ひひ。あの事件の別解? そんな馬鹿な。どこかに別の解釈が隠れているというのかい? それともまさか別のトリック?」
「――両方よ」と、
狼狽するザクロ先輩に、メロン先輩が言い放つ。
「校長先生の正体が、作中のミカン以外の人物だという解釈も可能――なんて言う、つまらない別解じゃない。
そして、他の二問の亜流でもない。
キウイ校長というパーツを利用せずに、別の犯人と別のトリックを提示することが可能よ」
ミカンちゃんは諦観した様相である。本当に心が折れてしまったかのようだ。
ザクロ先輩は、ずっと目を見開いて呆然としている。こんな彼女は初めて見た。
自分が書いたミステリを自分以上に理解して、これに挑戦してみろなどと突き付けられる屈辱と、それに屈服するしかない絶望。
ミステリに、F推会に対して真剣だからこそ、感情移入してしまう。
ただ部室で、推理ゲームをしているだけなのに。
心が蹂躙されていく。
「――死刑宣告。ザクロミステリ『Fアップルパイ盗難事件』。ミカンミステリ『F茶筒塔の殺人』。
未熟な未熟な青い果実を、両方纏めて無かったことにしてあげる。
せめてもの情けよ。少しだけ考える時間をあげる。
このまま喰われたくなければ、一矢くらいは報いてみせなさい」
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