VS怪盗グアバ 果汁に溺れる少女戦 エピローグ
[VS怪盗グアバ 果汁に溺れる少女戦 エピローグ]
学園では明るく馬鹿っぽく、それ以外の場所では余所行きの上品さを――それはごく一般的な処世術を、少しだけ発展させた程度の物でしかないと思う。
イチゴちゃんが指摘したように、『お遊び』の要素が全く含まれていないと言えば嘘になるかも知れないが、個人的には、効果を実感している真面目な取り組みである。
なんと言っても私は、『人付き合いは得意中の得意』なんて台詞を、初対面の相手にさらっと言えてしまうような人間なのだから。
尤も、F推会ではつい調子に乗って、演技を過剰にしてしまった。
名門だからといって、勉強ができるからといって、この手の謎解きパズルや論理ゲームのルールに対する理解力や順応力があるとは限らない。
――そう判断して、ゲームの楽しさに身を委ねて、展開を裏からコントロールすることに集中してしまったのだ。
F推会でヒントを出した理由は、イチゴちゃんが指摘した通りである。
しかし、問題に対するヒントは与えていたが、正体に対するヒントを与えていたつもりはない。
ここで言う正体とは、探偵グレープであることではなく、単純に『お馬鹿な言動が演技である』と言う点だ。
無論、その演技はただの処世術であり、怪盗グアバに向けたものではない。そのような部活外の攻防なんて、私は想定していなかったのだから。
しかしそれでも、処世術なんてものはバレれば意味を成さないのだから、失態であることに違いはない。ヒントを与えていたのは常にイチゴちゃんの方であり、失態し続けていたのは常に私の方である。
反省点は多い。見逃していた情報はとても多い。
――4月20日。日曜日。
私が初めてカシス君と出会い、ドリアンダイヤを巡って怪盗グアバとの前哨戦を行ったあの日。
怪盗グアバは、私がミカンちゃんから借りた小説に細工をした。
あの時点で、私はF推会の部員の中に怪盗グアバがいる可能性を考慮するべきであり、その中でも容易にあの小説に触れる機会があるミカンちゃん自身とイチゴちゃんを疑ってみるべきだった。
『知の箱の中、最も意外な犯人が眠る、合作ミステリ』。
怪盗グアバの暗号にしては簡単だと思った。
――あれはダブルミーニングだったのだ。
『知の箱(=学園)の中、
最も意外な犯人(=怪盗グアバ)が
眠る(=正体を隠している)、
合作(=ミカンの所有物とその行動をグアバが暗号に利用した無意識の共犯)
ミステリ(=暗号に使われたミステリ小説及び、それを媒介にして繋がるグアバとグレープの関係性の『謎』――という意味での『ミステリ』)』
つまり、
『学園の中で怪盗グアバは正体を隠している。ミカンの所有物と行動をグアバが利用することで完成した、合作の如き合わせ技。その成果は、一冊のミステリ小説の中に。それを媒介として『グアバ(私)』と『グレープ(貴方)』は繋がっている。この謎を紐解けるか――?』
これが裏のメッセージなのだろう。
小説がずっと鞄に入れられている保証はないのだから、むしろこちらの解釈の方がメインだったのかも知れない。
いや――怪盗グアバに限って、それはないか。
恐らく彼女は、私の家に本棚がないことと、私が本を借りても読まないことをミカンちゃんから聞いていて、小説がずっと鞄に入れられていることさえ想定したのだろう。
高名な怪盗が、見ず知らずの私だけの為に暗号を作り、個人的な挑戦をしてくることの不自然さを考えれば、犯人が近くにいるのは必然と言えただろう。
しかしそれも、おかしなことではない。その不自然さに気付けなかったのは、私が他でもない『探偵グレープ』だったからだ。
初めて事件を解決した日、押しかけてきたマスコミに対し、年齢や性別などを一切公表しない怪盗グアバのライバルとして、この名を提案した。
自分でも稚気だなと思ったが、これが意外にもマスコミの心を擽ったらしく、その後、探偵グレープは何度か怪盗グアバの暗号を解くことになる。
F推会に出会うまで、私にとって怪盗グアバの謎は本当に単なる暇潰しで、初めて真剣に挑んだのが4月20日のドリアンダイヤの一件だった。
だからこそ、ピンポイントで弄ばれたあの一件で強い敗北感を抱き、悔しさと恥ずかしさを感じた私は、いつもの『探偵グレープ』ではなく、『偶然事件を解決した匿名の女子高生』として新聞の片隅にひっそりと載せてもらうように懇願し、その結果、またいつものような記事が書けると期待していたマスコミの方をガッカリさせることになってしまったのだ。
探偵グレープの名前を使わない上に新聞の片隅に掲載を、などという要望にマスコミは乗り気ではなく、必然的に記事の発表も速報ではなくなり、結果的にマニアですら掲載の数日後に知るような事件となった。
銭湯でイチゴちゃんと対峙しながら、私は彼女を睥睨し、唇を小さく噛む。
ずっと、彼女に騙されていた。
噂通り、グアバの変装は完璧だった。姿だけではなく、声まで別人のそれだった。
けれど、どこかでモヤモヤとした感情はずっとあった。
カシス君を見ているとなぜか心がざわざわとして落ち着かず、上手く頭が回らなかった。その理由も今ならわかる。頭のどこかで、私は違和感や不信感を抱いていたのだ。
「一緒にケーキを食べた日、イチゴっちはミステリへの造詣が深かったッスね?」
思わずそんなことを尋ねてしまう。イチゴちゃんも私と同じように、F推会をきっかけにミステリを読み始めていたのだろうか?
そう言えば『Fアップルパイ盗難事件』の攻防において、ザクロ先輩が「イチゴ君は読むのが速いね」と言っていた。
実際、10秒ほどで原稿を再読していたのを私は目撃している。
ならば4月20日時点で、カシス君として私の前に現れた彼女が、既に多くの知識を蓄えていたとしても不思議ではない。
――しかし、
「ああ、あれですか」
と、イチゴちゃんはどこか恥ずかしそうに笑って続ける。
「確かに人並み以上には読んだのですが、それでも私の知識は浅いです。
だからあの日列挙した犯人像は、それを知識として知っているだけのものも多くて、それどころか想像で語った部分もあります」
「そ、想像?」
「ええ。ネタ単一での斬新なミステリなんて、もうほとんどないほどに出尽くしているでしょうから、私がパッと思いつく程度の犯人像は既出だろう――と言う具合に想像を交えて列挙しました。
私がミステリ初心者なのは部内で伝わっている可能性が高いので、正体を隠す為に執拗に通ぶった話し方をしたのです」
ミステリは知ったかぶりをする奴が多いジャンル。――ミカンちゃんの言う通りだなと思った。
「……む。なんかそれ、滅茶苦茶馬鹿にしてるッスね」
「馬鹿になんてしてません。ただ『最も意外な犯人』の別解を駆逐しておく為には、思いつく限り列挙する必要があったのですよ」
「……ああ、別解の駆逐。それは確かにイチゴっちらしいッスね。そう考えると、グアバとイチゴっち、そしてカシス君とイチゴっちを結びつけるヒントは、意外とあったかもッスね」
「どうでしょうね。まぁ、これはF推会の外での攻防ですから。六つのルールも、攻防前提の謎も、必要最低限のヒントも、私とリンゴちゃんの間には――怪盗と探偵の間には必要ありません」
「そりゃまぁ、確かに」
……身体が熱くなってくる。
弄ばれた怒りのせいではないだろう。こんな状況なのに、のぼせてしまったようだ。
目の前にいるイチゴちゃんの姿が、白闇に埋もれる。頭がぼんやりとする。思考力が鈍ると同時に、心が空っぽになってゆく。
――シャンシャンと、
鈴の音が鳴り響く。
魑魅魍魎の祭の音。小さな銭湯で化け物と対峙。
ああ……疲れて心が空になるといつもこうだ。不思議な世界に誘われて困る。
ああ……けれど――同じ部活の仲間が大怪盗であったというのは、間違いなく現実なのだ。こんな症状に身を委ねている場合ではない。
そんな、どこまでも不甲斐ない私を嘲笑うかのように、
「――それで? 私を捕まえますか、探偵さん?」
イチゴちゃんは目を細めて、にやりと笑った。
「……裸で格闘する探偵と怪盗、ダサいッスね」
不敵な笑みの怪盗も、それを追いつめた探偵も全裸なのだ。こんなに締まらないクライマックスも珍しい。
「そうでした」
心なしか胸を隠しながら、イチゴちゃんは続ける。
「でも、最初から私を捕まえる気なんてなかったのでしょう? 誰も呼ばすに、文字通り丸腰でのこのこやってくるなんて」
「そういうイチゴっちも、呑気にお湯に浸かっているッス」
「ええ。お互い様です。私も貴方もまだまだ遊びたい。ここで終わらせたくはない。もしくは、同じ部員として情のようなものがあるのかも知れない。そんな心すら互いに推理していた。だからクライマックスは締まらないのです」
「……その稚気は否定しないッスが、それでも全部言い訳ッスよ。
所詮オレら小娘には、名探偵も大怪盗もまだまだ早かった。だから互いに、まだその芽を摘みたくはない」
その言葉にイチゴちゃんは微笑んで、
「確かに、蒼々たる探偵様や怪盗様に比べれば、お互いまだまだ未熟です」
そう言いながら、ゆっくりと立ち上がる。
水に濡れた美しい身体。怪盗という言葉なんてとても連想できない、ただの小さな少女の身体。――今はまだ、青い果実。
透明のお湯が静かに揺れる。
ゆっくりとした足取りでこちらに歩み寄ってくる、可愛らしい女の子の怪盗。
私も、思わず立ち上がる。
お互い身体を隠すこともなく、その距離は徐々に縮まり、
ゼロになった所で、
「――探偵グレープ」
怪盗グアバは私の耳元で囁く。
「ここまでの全てが前哨戦です。本戦は――いつかまた、どこかで」
――ここまでの全て。
当然、F推会の活動も含めた全てのことを言っているのだろう。
――いつかまた、どこかで。
言葉を愚直に受け取ると、互いに学園から姿を消すような未来を幻視するが――きっと、そんな凡百な意味ではないと、私は――いや、私達は確信していた。
きっとこの言葉には、力の抜けた微笑ましい意味しか含まれていない。
つまりは――『F推会の部室以外のどこかで』という、ただそれだけの意味しか込められていないのだ。
私達は『リンゴ』と『イチゴ』の名で、変わらずに同じ学園に通い、同じ部活で共に活動をしながら、そしていつかまたどこかで――『グレープ』と『グアバ』の名で再戦を開始するのだ。
怪盗と探偵が、そんな状況下で戦うなんて、本来であれば、有り得ないような話だけれど――私達は未熟であるが故に、互いの芽を摘んでしまいたくないと思っているが故に、そんな『お遊び』を行うことも可能なのだ。
なぜなら――本来イチゴちゃんは、まだまだ私から逃げ切る余裕があったはずなのだから。
私に正体を看破されたのではなく、自分の意志で正体を明かしてきたのだ――それは誰の目にも明らかな『事実』である。
動機は?
私が不甲斐ないから? 相手として張り合いがないから?
それも理由の一つかも知れない――が。
怪盗グアバの動機なんて最初からわかっている。
きっと一番の理由は、『楽しむこと』だ。
そして、そんなお楽しみを、不意打ちの奇襲で台無しにするような馬鹿な真似に、釘を刺しておく為だ。
だからイチゴちゃんは、それまでの関係がここで終わるのではなく、次のステージへ行くことを望んでいるのだ――と、私には理解できた。
「――怪盗グアバ!」
だから私は彼女に対抗して、大きな声で宣戦布告する。
怪盗と違って、探偵は囁かないのだ。
私は同じF推会部員である『リンゴ』として、そして探偵である『グレープ』として続ける。
「――次に挑戦状を叩きつけるのは、探偵であるオレの方かも知れないッスね!
F推会用の問題、『リンゴからの挑戦状』は、あまりにも難し過ぎて封印したんッスよ。いつかまた、どこかで見せてあげるので、楽しみにしていて欲しいッス」
怪盗が、常に何かを仕掛ける側であると自負しているのであれば、是非とも訂正してやらなければならない。
探偵が怪盗に謎を仕掛ける瞬間を、次回の本戦とやらでは見せてやろうと思った。
怪盗グアバは「ふっ」と微笑んで、歩みを進める。
そして音もなく、私の前から姿を消した。
小さな探偵と、小さな怪盗の戦いは――こうして幕を開けたのだった。
[【真話 F推理研究会】へ続く]
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