F推理研究会 番外編
――そこまで読んだところで、私は顔をさげた。
この街『F苑街』をぐるりと囲う、高さ三メートルの黒い石壁。
壁には色とりどりの果物が書かれていて――その間を、白色の長文が泳いでいる。
六つのルールの記載から始まって、『ミステリなんだから、そろそろ殺人事件が起きなきゃ――ね?』で終わっている長い文章。
『F苑街』の中で繰り広げられた、推理戦記の記録。
ぐるぐるぐるぐると、小説の文章は、縦横無人に壁を這っている。
ただでさえ頭を使いながら読む必要のある小説なのに、物理的に頭を動かさなければ読めない構造にしたのは、やり過ぎだったかも知れない。
――――そんな風に、わたしは少しだけ後悔する。
壁に書いたこの小説の終幕で、わたしは怪盗グアバと対峙した。
懺悔しよう。
本当はわたしの負けだったのだと強く思う。
怪盗グアバは、全てのルールを利用して完全犯罪を成し遂げた。
彼女が張った罠と、わたしが張った罠。
屋上での攻防の勝敗がどちらに傾くのかは読み手の解釈次第である。
けれど、彼女以上にわたし自身が、もうずっと前から負けを認めている。
あんな化け物には勝てないと、心から認めてしまっている。
ただ――この物語の書き手がわたし自身だからこそ、こちらの勝利で幕を閉じたかのように演出して見せただけだ。
壁を見つめる。
ここ『F苑街』は、三メートルの黒い石壁で囲われた長方形の街である。
この壁の特徴は、ほとんど全ての場所に、何かが描かれていることだ。
最も多いのは、フルーツのようなカラフルなイラスト。
青、赤、緑、黄、紫、ピンク、オレンジ、グレー。
『果実』と『ヘタ』だけを適当に書いたような量産型のラクガキ。
色分けがされているから「あれは林檎だ」「あれは蜜柑だ」と想像できるだけで、輪郭はほとんど同じものだった。
――同じものなのは当たり前だ。
それは果物のイラストなどではないのだから。
「――『0』と『1』」
隣で佇む怪盗グアバが、ぼんやりと呟いた。
「F苑街。『0』と『1』の羅列に覆われた世界。つまりはここも、電子の世界。所詮はずっと、虚構の中という訳ですか」
真相を暴くソノ声は、酷く疲れ切っていた。
彼女は、嘆息して続ける。
「――で、一体何の用です? 綺麗に物語が終わる所だったのに」
おかしな話だ。
『綺麗に』とは、あくまでもわたしにとっての話だ。
だから彼女にとって、物語の再開は本意な筈なのに。
それでも、この『再開』を不服だと思うのであれば――きちんと、嫌な予感を抱いてくれているということだ。
仕方がないのだ。思いついたら書きたくなる。そういう病気だ。
どんな手を使ってでも勝ってみよう――と、思ってしまったのだ。
悪あがきでも、グアバに挑みたくなる。そういう性なのだ。
だから――
だから、わたしは、悪意を込めて言った。
「――――それではこれより、貴方の完全犯罪を崩させて頂きます」
さあ――更なる解答編を始めよう。
「さて、本作はやりたい放題のミステリではありますが、実は事件の内容自体は、ほとんどが日常系、現実に起こっても不思議ではないような物語です。
『Fアップルパイ盗難事件』と『Fブラックチョーク消失事件』は言わずもがな、『F茶筒塔の殺人』でさえも、決してあり得ないファンタジーではないでしょう? 少なくとも、特殊設定系と呼べるほどの非現実は混ざっていない」
「そうですね。それが……何ですか?」
「ファンタジー要素があるとすれば、最終局面のみ。貴方の『壁抜け』と、『大人、子供、男、女――の定義の混在』。この二点が問題なのです」
「……だから、何ですか? 前者はルールE。後者はルールDで成り立ちます。この世界ではルールFこそが――」
「――だから、そのルールFを否定してやると言っているのです」
「――――――――は?」
目の前の女の思考が停止する。
理解が、全く及んでいないようだった。
当然だ。
だって、いくら『何でもアリ』のミステリとは言え、ソレだけは有り得ない筈なのだから。
ルールFを侵すことだけが、本作における唯一のタブーなのだから。
…………じっくりと待ってやる。
わたしが何をしようとしているのか、考える時間をやる。
当然、気づく筈もない。
だから、彼女が膝をついたのを確認した上で、
ゆっくりと、
「――ルールFで外堀を埋めて、貴方は推理を外側から固定しました」
お気に入りの歌を歌うように、わたしは言葉を紡ぐ。
「それにより別解の余地は徹底的に排除されてしまいました。
正直、この時点で完敗でしたが、貴方はそれだけでは飽き足らず、全てのルールを駆使して、完全犯罪さえも成立させてみせた。
そうして生まれたのは、現実の地盤で動き回る、何でもアリの大怪盗。探偵が太刀打ちできない、ファンタジーの怪物。
しかもその完全性は、作品を支配するルールFによって保証されている。吐き気がするほどに完璧な種明しです。
――わたしは、貴方を『最強の犯人』だと認めますよ」
だから、
「――だからその上で、化け物退治をしてみます」
わたしは、わたしの完全犯罪を語ってみせる。
「その守りを壊す方法はね、もう、一つしか存在しないのですよ。――何か、わかりますか?」
「そんなの……そんなの、存在する筈が――」
「――更に外側のルールで、六つのルールを縛れば良い。それだけですよ」
その勝利宣言で、彼女は何かに気づいたようだ。
けれど、もう遅い。
「――大前提として、この作品は、小説投稿サイトに存在するわけですよね?」
それでは、
まだ『そんなのアリか』を追い求めて、こんなページにまでたどり着いた貴方に、何でもアリのどんでん返しを捧げよう。
そう、例えば――
「――例えばこの作品を、『ファンタジー要素が許されない場所』に置いてしまえば、どうなるのでしょうか?
……そういう公募や企画の中に放り込むと、どうなるのでしょうか?
ルールFよりも更に強く、もっと外側の――作品外のルールに支配されてしまえば、どうなるのでしょうか?」
言うまでもない。
たったそれだけで、否定され、成り立たなくなるものがある。
だってその要素は、その場所では許されない”筈”なのだから。
許されないのであれば、それは没推理。
登場人物が錯乱して語っただけの、ただの戯言、独り言。
有りもしない夢物語である。
「――だから、投稿サイトの構造上、わたしはいつだって、怪盗グアバから壁抜けの能力を奪うことが出来る」
「――は? ――――は?」
思いもしない方向から殴られて、彼女は目を見開き、やがて頭を垂れる。
もう、目の前には、諦観しか存在していなかった。
「…………なんですか、それは。そこまでして、私に勝ちたいですか」
「ええ、勝ちたいですね」とわたしは即答する。
嘆息して、微笑んで、小さな声で続ける。
「良いじゃないですか、悪あがきみたいな無様な反撃なのですから。少しくらい、わたしにも華を持たせてくださいな」
「……よく言う。本編だって、私の負けで幕を閉じているのに」
「それも解釈次第ですよ。貴方の勝ちで幕を閉じているという解釈も可能です。
ちゃんと、【未解決一覧】まで読んで頂けましたか?
そうそう、あの中では、特に『壁の暗号』が自信作なのですよ。
物凄く、気持ち良ーく解けるように出来ているのですから、本気で挑戦してみてくださいな。
怪盗グアバの暗号なんかよりも、よっぽど質が良い代物なのですよ、アレ。
……あーあー、種明し、しないことに決めたのが残念だなー」
「…………もう、どうでも良い」
「あらら」
そうか。もう、これでQEDか。それは少し、残念だ。
……けれど、そうか。
もう戦い疲れてしまったよね。
それは確かに、わたしも同じだ。
なら、これで本当に物語の幕を閉じよう。ほんの少し、寂しくはあるけれど。
「それじゃあ、さようなら。こうして彼女は――わたしは、完全犯罪を成し遂げた怪盗グアバのその犯行さえ、否定することが可能と――」
「――トンネル効果」
と、背後の少女が呟いた。
突然込んできたその声と対峙するように、わたしは振り返る。
一体、いつからそこにいたのだろう。
部室で見慣れた得意気な顔。
金髪ツインテールのその後輩は、いつものように小さく胸を張って言い放つ。
「ご存じありませんでしたか? 本格ミステリには、度々登場するのですよ。現実レベルギリギリのトリックの象徴として。
よりにもよって、本格の戦場で『壁抜け』に反論してしまうなんて滑稽ですね。ついでに、『大人、子供、男、女――の定義の混在』の定義も新時代の価値観を用いて有耶無耶にしておきましょうか。別に何の主義主張がある訳でもありませんが、ミステリとしては切れ味が鈍いのも事実でしょう」
「でも、そんな知識はルールEで――」
言ってしまってから気づく。
「あら、このページでの貴方の目的は、そんなルール達を破壊することではなかったのですか? ――最後の最後で縋り付いてどうするのです」
なんて愚かな反論。
そして、なんて美しく意地悪な詰ませ方。
わたしの刀は、あっさりと折られてしまった。
それでも彼女は、
「では――ついでに、二本目の刃も折っておきましょうか」
わたしがまだ隠し持っている奥の手までもを、潰そうとしてくる。
ソレは、おまけ程度に隠し持っていた悪あがき。
暴いた所で実際には潰す手段もない、ただの意地悪。
「なんて言うか、貴方は本当に何でもアリなんですね。怪盗グアバを潰す為なら何でもやる」
呆れ声での彼女に、わたしは弁明する。
「未遂ですよ。それは、ただの仮定の話です。実現していないのだから、評論しないでください」
「どんな仮定か、解説してください」
やれやれ、と。
わたしは嘆息しながら口を開く。
「もしこの小説に挿絵を付けるなら、そんな仮定の話ですよ」
「そんなの無理に決まっているでしょう? 人物誤認の叙述トリックを使っているのですから」
馬鹿にするように、彼女は続ける。
「叙述トリックの映像化は度々行われますが、本格ミステリマニアとしては、それらは正確には映像化ではないと主張したいです。
作中の人物が悪意を持って変装したり、騙してくるのではなく、読み手が行間を誤って読むことによって勝手に騙される――というのがこの手法の醍醐味です。
つまり、上手いこと誤魔化したり、区別がつき難くしたり、お茶を濁したりするような映像化は、もはや叙述トリックではありません。当然、挿絵だって同じ。誤魔化しは禁止です」
「ええ。だから、ね。誤魔化しが禁止なら、堂々と挿絵で嘘をつくしかないでしょう? 普通の小説は知りませんが、幸い、ルールFでは、それは禁止されていませんし」
「……未遂で良かったですね。いくらルールFの保証があっても、そこまでのアンフェアをやらかすと、真相が美しくなくなります」
そう。あくまで未遂。
物語はもう終わっている。
この番外のページで、わたしと彼女は、この世界を更に面白くする『仮定の話』をするだけだ。
彼女の言う通り、いくらルールFで許されていようが、挿絵で嘘をつくと、真相の美しさが削がれる。
つまり、それは同時に――
「――同時に、怪盗グアバという存在の美しさも削がれるでしょうね。
それがわたしの目的です。
実際には、投稿サイトにそういう機能があろうがなかろうが、この小説に後から嘘の挿絵を付けて、台無しにするような愚行は犯しません。もう作品は完結していますからね。
けれど作中で、物語の中でやるのは勝手でしょう? だから、壁に書いた文章の最中に、いくつか描いておきました。アンフェアな嘘の挿絵を」
「なるほど。さっきの『作品外のルール潰し』を実行した上で、『挿絵の嘘』なんていうアンフェアなアイデアまで追加して、グアバの完全性をダメ押しで否定する。そんな勝利宣言をする予定だったのですね。それはもう、本当に止められて良かった」
「だから、悪あがきの奥の手なのですよ。暴いて、議論するような事ではありません」
「いいえ」
無駄でしかない議論。
それを掻き消すように、
「――あたしならそれを、ミステリ的に価値のあるアイデアに変えてみせます。壁の落書きも、もう改良しておきましたよ」
彼女は言い放った。
馬鹿みたい悪質で、ひどくF推会的で、笑ってしまうような未遂のアイデアを。
「仮にこの小説に挿絵を追加するなら、全てのイラストのどこかに『※このイラストはイメージです』という文字を隠しておけば良いのです。
【挿絵に嘘があることを禁止していない】というルールFと【地の文に嘘が存在してはならない】というルールDを組み合わせた上で、それに気付くチャンスまでもを複数回提示すれば、アンフェア感は薄れるでしょう?
どうですか、この、まだ実現していない仮定のアイデアは。
貴方のただの意地悪よりは、面白くなったとは思いませんか?」
「…………貴方もグアバも、勝手な改良を……」
「本作のメイン部分のどんでん返しは、『Fアップルパイ盗難事件』を始めとする三つの作中作に比べると捻りは少ないです。けれど、『きちんと解けるように出来ている人物誤認系の叙述トリック』としては、恐らく最高難易度に近い底意地の悪さ誇るでしょう。
その上で、挿絵でも嘘をつくとなれば、それはもうフェアでありながら気付くのがほぼ不可能な極上の悪意に成長します。
結果として、怪盗グアバを包むベールは更に厚くなる。――貴方の想いとは裏腹に」
ああ、なんだそれは。
ふざけた未遂の一手すら、切り返されるなんて。
けれど既に、わたしは、その可能性を示唆してしまった。
物語の中の話であれ、提示し、提示され返されてしまった。
それはもう、作品として、実現しているのと同義だ。
だから彼女は、最後の勝利宣言と共に――
――今度こそ本当に、物語に幕を下ろす。
「こうして怪盗グアバは――――あたしの幼馴染は、やっぱり完全犯罪を成し遂げることが可能となりました。ありがとうございます。貴方のおかげですよ」
キャラメルポップコーンのように、甘く弾んだ声だった。
〈完〉
F女学園、推理あそび【極悪推理戦記】 空等ミア @mia_soranado
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