29 義妹と寝んね

 その日の夜。杏一はベッドに入るも寝付けなかった。


(柊ってこんな子だったっけ?)


 柊のことで頭がいっぱいになっていた。目を瞑れば「おにぃちゃん!」と笑顔を見せる柊の顔が浮かぶ。


 寝返りを打つと白い壁が目の前に飛び込んできた。


(この向こうに柊がいるのか……)


 柊の部屋は毎朝入っているから分かるが、ちょうどこの壁一枚を挟んだ隣りに柊のベッドがあるのだ。


 今までそんなの考えたことも無かったが柊の寝てる様子を想像してしまう。


(……ああいかんな。妹だって言ってるだろ)


 杏一は柊の兄だ。世間一般の兄ならば妹に恋愛感情など抱かないだろう。可愛いと思うことはあっても夜な夜な妹のことで頭を悩ませたりしない。


(だいたい柊が悪いんだぞ。あんな無防備で甘えられたら意識するわ)


 柊はもう子どもじゃない。


 そしてそれは杏一にも同じことが言える。昔は男女の違いなど考えずにただ妹として愛し尽くしてきたが、今では男女の違いがはっきり分かってしまう。


 二人暮らしを始めた当初はまだ妹として見れていた。

 半裸や寝顔ぐらい見ても特に何も思わなかったし、おんぶや食べさせ合うのも平気だった。


 ……いや、違う。気づかないふりをしていただけだ。


 自分が兄でなくなった時この関係は壊れる。

 先に進んでしまえば二度と戻ってこられない。


 杏一はそれが怖くて、本当は女の子として見ているのに妹だと自分に言い聞かせたのだ。


(一回落ち着こう。俺は兄だ。柊は妹……妹、イモウト、いもうと……)


 きっと柊も兄としか思っていない。

 柊の好きは家族としての好きだろう。


 なぜなら小さい頃に毎日見せてくれた顔と同じだからだ。そんなに小さい頃から恋愛感情を持たれているとは考えにくい。だから今の柊は昔のように好いてくれているだけ──と、杏一は信じて疑わない。


(やべ、今日は結構くっついてたからな。柊のことしか考えられねえや)


 雨の中泣いている姿は懐かしさと同時に一生守りたいと思わされたし、風呂で見た水着姿は興奮した。


 マッサージの時はいつパジャマを脱がしてしまおうか頭をよぎったのが正直な気持ち。


(俺、本格的にキモいな。これ以上は自分でも引くぞ)


 そう思いながら頬を思いっきりつねった。このままだと超えてはいけないラインを越えてしまう。そうならないために忘れてしまおうと引っ張った。


「おにぃちゃん、何してるの?」


 頬の痛みが無くなるほど引っ張っていると幻聴が聞こえた気がした。しかしそれは実態を持っていて、夢でも幻でも何でもなかった。


「柊……? 本物か!?」


 杏一はばっと体を起こした。想いが強すぎておかしくなったのかと思ったが本物の柊だ。


「そうだよ。私のこと、考えてたの?」

「いや……そうじゃなくて、どうしてここに?」


 ここは杏一の部屋。見たところトイレに行って部屋を間違えたわけでもなさそうだ。


「一緒に寝よ」

「聞き間違いだな。どうしてここに?」

「おにぃちゃんと、一緒に寝たいの」

「なるほど。一回座ろっか」


 杏一はポンポンとベッドを叩いた。柊は冗談で言っているわけでもからかっているわけでもないからだ。


 声は若干震えていて、暗くて見えにくいが表情も強張っている。


「雷……怖いの」


 柊は外の雨にも負けそうな声で呟いた。


 昼間とは比較にならないほど本降りになっていて、風の音もゴーゴー聞こえてくる。そしてたまにフラッシュが起きたと思うと数秒後に轟音を立てるのだ。


「一人じゃ、眠れない。おにぃちゃんと、一緒がいい」


 おへそを手で隠して俯いてしまう。

 そんな柊に杏一は迷わず言った。


「そうだったな。母さんもいないし俺が寝るまで側にいてやるよ」


 昔はよく泣いていた。

 泣かないようになったとはいえ怖い物は怖いだろう。


 杏一はベッドから出て柊の部屋に行こうとした。


 しかしその隙を逃さないように、柊が杏一の布団に潜り込んでしまう。枕の半分に頭を乗せてここが自分のベッドみたいな顔をした。


「ああ、ここで寝るんだな。じゃあ俺は……」

「おにぃちゃんは、寝ないの?」


 杏一が今度こそ出ようとしたところで手首を掴まれた。小さく「捕まえた」とも囁かれる。


「一緒って、それはダメだろ」

「どうして? 小っちゃい時は一緒に寝たよ」

「そうだけどさ、今はもう高校生だぞ? 柊も女の子なんだから俺と一緒は気にするだろ」

「私は気にしないよ。それともおにぃちゃんは妹に変な事するの?」


 またこれだと杏一は思った。兄妹という言葉を聞くとそれが正しいように聞こえてしまう。


 柊は本当にそう思ってくれているのかもしれないが、杏一は純粋に妹として見れていない。


「……するわけない。柊は大事な妹なんだから」

「じゃあ決まりだね。眠たくなっちゃったから早くお布団入って」


 結局杏一は柊に言われるがまま横になった。

 二人で首だけ出して同じ布団に入る。

 シングルベッドだから当然狭い。


 杏一は壁の方を向いて寝ようとしたが、柊に肩を持たれて阻止された。


「おにぃちゃん、何か喋って」

「眠いんじゃなかったのか?」

「怖いからお話して」

「じゃあ壁向いててもいいよな。俺寝る時はこっち向いて寝るんだよ」

「いつも私の方向いて寝てるってことだね」


 負けた気がしたため柊の方を見ることにした。

 戦う相手は自分の心だろう。

 これぐらいの誘惑に屈するようでは兄をやっていけない。


「おてて繋ご」


 返事をする前に柊が勝手に握って来た。

 指を絡めて恋人繋ぎをしてくる。


「柊、からかってるのか?」

「違うよ。ママはいつもこうしてくれるもん」

「ならしょうがないか」


 理由があると人は何でもできる。

 杏一は楽な方へ行くことにした。


「えへへ、おにぃちゃんの匂いだ。これ好き」

「こ、こら。くすぐったいからごそごそするな」


 柊は頭から布団に潜ると杏一の胸にすりすりした。

 見えないがくんくんされている。


「ふふっ、おにぃちゃん可愛い。私の匂いも付けてあげよっか?」


 柊の暴走は止まらない。布団から顔を出すとくすくす笑った。親に悪戯する子どものようにも見えるし、好きな異性にちょっかいする女の子にも見える。


 なら、勘違いしないように自分も勘違いさせよう。


「遠慮しとく。あと俺も柊の匂いは好きだ」

「やった! おにぃちゃん大好き」

「俺だって柊が大好きだよ」


 好きという言葉は便利だ。この場合どっちの意味でも言えるから心から伝えられる。


 嬉しそうな柊の頭を撫でるとカーテン越しにピカッと光った。直後──ゴロゴロガッシャンと数秒と待たずに落雷した。


「ひっ!」


 柊が杏一に抱き着く。

 それは演技でもなく、本当に怖がっていた。


「大丈夫だよ柊。怖くない。俺がいるから安心しろ」

「うぅ……。うん。ありがと、おにぃちゃん。大好き」

「ああ。どこにも行かないから泣くな。ずっとずっと一緒にいる」


 杏一もぎゅっと抱きしめた。すると柊が力を込めてくる。杏一は全部受け止めるように、壊れてしまわないように、繊細な体を優しく包んであげる。


「おにぃちゃん」

「なんだ?」

「パパとママに見られたらどう思われちゃうかな?」

「仲のいい兄妹だなって思うだろ」

「よかった。おにぃちゃん大好きだよ」

「ありがと。俺も世界で一番大好きだよ」


 嘘ではない。本当だから今の状況も関係も利用して杏一は柊を抱きしめた。夏なのに暖かくて一生こうしていたいと思える。


 一分ぐらい経っただろうか。


 自然とまた見つめ合う。寝るために布団に入ったのに目がしっかり開いている。吐息がかかってくすぐったい。


 柊が手を重ねてきたところで、杏一は止まった時を動かすように口を開いた。


「柊はどうして俺に反抗してたんだ? そんなの知らないってのは無しな」


 ずっと悩んでいたのに元に戻るのは一瞬だった。

 いや、複雑な葛藤があっただろう。


「それは……おにぃちゃんがおにぃちゃんだからだよ」

「そっか。もう反抗期は終わったのか?」

「うん。舌打ちしたり酷い事言ったりしてごめんね。本当は思ってないからね」

「分かってるよ。だって俺が風邪引いた時に言ってたの全部聞いてたから」


 あれは本当に嬉しかった。


「え!? は、恥ずかしいよ。なんで起きてるって言わないの。でもでも、私だっておにぃちゃんが彼氏作るなって言ったのも唇つんってしたのも知ってるからね」


 それは強烈なカウンターだった。


「そそそ、それは柊が可愛かったからつい」

「えへっ、もう一回触ってもいいよ」

「遠慮しとく」

「えーじゃあ私が触っちゃお」


 つん、と柊の指が触れた。

 ドキッと心臓が跳ねてしまう。


「あ、おにぃちゃんドキドキしてるよ」


 そう言って心臓にも手のひらで触れてきた。

 答える暇もなく柊は続ける。


「私のも……触りたい?」


 鼓動がドクドクドクとペースを上げる。

 それを柊に気づかれてまた加速する。


「触りたい」


 逡巡する必要もなく、杏一はすぐに確かめた。

 すると柊はがっかりした様子で唇を尖らせて、すぐにそれを悟られないように元に戻った。


「柊もちゃんとトクントクンってしてるな。手の脈」


 手首を掴んで確認した。

 流石に胸に触れる勇気はない。


「おにぃちゃん、ぎゅーしたい。ぎゅーしよ」

「また唐突だな。どうしてだ?」

「抱き枕忘れちゃったから。おにぃちゃん抱き枕にしてあげる」

「よかった。ちょうど俺も抱き枕探してたところだ」


 さっきもしたし互いの言質は取った。

 でもそれはせず、二人で吹き出した。

 深夜テンションはもうお終いにする。


「変なこと言ってごめんね、おにぃちゃん。もう寝よ」

「そうだな。もう遅いしな」


 そう言ってもまだ目を閉じない。

 寝返りも打たず無言で見つめ合った。


 静けさが深みを増していく。

 鼻をくすぐっていた息が止まる。


 布の擦れる音が若干鳴るだけ。

 だがそんなの耳には入らない。


 もう目の前の一点にしか目がいかず、そのこと以外何も考えられない。


 3センチ──2センチ。


 確認もせず、この雰囲気がそうさせた。


 してもいいと、その先に行かせた。

 衝動と欲求に従って。


 ──1センチ…………0。



「「ちゅぱっ」」



 指とは比べ物にならない弾力が唇を覆う。


 じめっとしていて柔らかい。ただ唇同士を重ねただけの数秒のキスは、杏一の脳内を柊で満たした。まるで唇から幸せが体に染み渡るようだ。


 桜の花びら見たいな唇を離すと、互いの唾液を指で拭った。触れたまま、


「おやすみ、柊」

「おやすみ、おにぃちゃん」


 それだけ言って手を離し、お互い何も言わず反対側を向いた。


 おやすみのチュー。家族ならするだろうか。

 それも口と口で、思春期の男女がだ。


 その問いに、平常時の杏一ならばノーと答えた。

 柊もそれは同じだろう。


 だが今は、今だけは、その問いにイエスと回答することで自分たちを誤魔化した……


(ししししししちゃった。こんなん兄妹じゃねえよ!)


 ……誤魔化せた訳がない。


 平静を装ったがやってすぐに後悔した。

 いや、正直幸福感の方が勝っているがそうじゃない。


 幸い、拒絶されなかったことだけが救いだ。

 最悪柊が泣いて出て行ってしまう可能性もあったがそれだけは避けられた。ただ、


(柊ももしかして……)


 疑念が浮かぶ。

 今すぐ反対を向いて確認したいがそれはできない。

 柊もそうだからこちらを向いてこないのだろう。


(……そんなわけないよな。柊は妹だし)


 杏一は完成させたパズルを壊すように脳内でそう反芻した。


 でもそれもいつまでもつか分からない。外はすっかり天気が良くなったらしく、無音の空間が心地悪かった。


 杏一はこの日、一睡もできないまま朝を迎える。

 二人きりの夏休みの幕開けだ。

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