07 義妹と兄
夕方の五時になると、杏一は自分の部屋の隣にある柊の部屋をノックした。
コン、コンと二回叩いて用件だけ伝える。
勝手に開ければグーが飛んでくるからだ。
「買い物行くんだけど、食べたいものある?」
用件とは夕飯の買い出しだ。もう少し早めに行こうと思ったが休憩したら夕方になっていた。家事をしているとあっという間に時間が過ぎる。
(ほんとに寝ちゃったのかな)
返事が無い。無難に柊の好きな唐揚げにしようかと思い一歩踏み出すと、
「私も行く」
ガチャリと扉が開いて柊が顔を見せた。
寝癖はついていないし目も赤くない。
「一緒にってこと?」
「そう言ったじゃん。一回で理解できないの?」
確認を取っただけなのに怒られてしまった。反抗期によくある怒られ方だ。
「いいのか? だって俺と一緒に外歩くことになるぞ?」
「しつこいなぁ。準備するから玄関で待ってて」
杏一が目を白黒させているとバタンと閉められてしまった。
家の中でも邪険にされているのについていきたいだなんて思ってもみない行動だ。妹のあまのじゃくな性格に頭を悩ませながら杏一は言われた通り玄関で待つ。
15分ほど待つと、
「早く行こ」
待たせたことには言及せず柊がやってきた。
なんだかデートの待ち合わせみたいな気がしないでもない。
「おう、行くか。でもなんで着替えたの?」
昼は太ももが全部見えるくらいの黒いミニスカートをはいていたのに、今は足首までしっかり隠れるチェック柄のスカートになっている。上に合わせたのは黒地に白い英語がプリントされたシンプルなTシャツで、全体的に露出は控えめだ。
「あんな足さらして外歩きたくないし」
「確かに風も出てきたしな。服も自分で着れるのか。偉いじゃん」
「ねぇ、やっぱ二回ぐらい殴ってもいい?」
「ごめんて」
冗談は通じないらしい。
柊がスニーカーを履くのを待って、一緒に外に出た。
近場のスーパーまでは歩いて10分ぐらいの距離にある。一人なら自転車で行こうと思ったが柊も来てくれるらしいから歩くことにしたのだ。
こうして並ぶのは何年ぶりか分からない。
「歩くの遅い」
「そっか、悪いな」
気を遣っていたつもりだったがダメ出しを受けた。柊が早歩きになったため杏一がそのペースについていく形になる。
左右に揺れる尻尾を目で追っているすぐに到着した。
「で、何食べたい?」
カートは使わずカゴを手に持って入店する。柊は顎に手を当てて考え込んだが、思いつかないらしくぱっと杏一の方に視線を持ち上げた。
「杏くんは?」
「俺は柊が食べたいのでいいよ」
「つまんな。そういうのうざいから」
急に毒舌になるから不思議だ。
まあ言われてみれば自分だけ考えないのはずるい。
杏一も考えてみるが選択肢が多すぎて決めかねる。何を作ってもいいのだが何かそれを選ぶきっかけが欲しかった。
何かないかと周囲を見渡していると、
「あら、カップルでお買い物? お似合いね」
店員のおばちゃんに話しかけられた。試食コーナーをやっているらしく、爪楊枝に刺したサイコロステーキを一つくれた。
「素敵な彼氏さんね。今日は一緒にご飯かしら?」
「え……あ、はぃ」
柊はおどおどしながら受け取るとぱくっと口に入れて咀嚼した。熱かったのかハフハフ言いながら頬を赤く染めている。
「はい、彼氏さんもどうぞ」
「ありがとうございます。でも兄妹なんですよ」
「あ、そうなのごめんね。おばちゃん勘違いしちゃったわ」
「いえいえ……ん、美味しいですねこれ」
やはり肉は焼きたてに限る。
口の中で弾ける肉汁がさらなる食欲を誘った。
「じゃあどう? 今日は家族で焼き肉とか」
「焼き肉か……」
ちら、と柊を横目で見るときらきらした目で肉を見ていた。
ならこれで決まりだな。
「じゃあそれと、これと……あとこっちのバラ肉もください」
「はい、まいどっ」
すっかり乗せられてしまったが欲には逆らえない。お買い得のシールも貼ってあるし、何より柊が満足しているからいいだろう。
あとは適当に野菜と明日の朝食用の食材も買って、店を出た。
帰り道。柊は自由な両手を大きく振って杏一の一歩先を歩いていた。
「なんかごめんな、柊」
左手に荷物を下げた杏一が漏らすと柊はくるっと振り向いた。声は出さず、きょとんと首をかしげて様子を窺っている。風で靡く黒髪が綺麗でCMのワンシーンみたいだ。
「俺と一緒だと変な誤解されて迷惑だろ」
柊は可愛いから、自分が横に立っても釣り合わない。兄妹だから別に構わないのだが周りからの柊の見方が悪くなるのは嫌だった。
「は? 何それ」
しかし柊は杏一の言葉に対し、過去一番の嫌悪を示した。
「本気で言ってんの?」
怒気のこもった静かな声だ。
それなのに、柊は泣きそうな顔をしていた。
初めて会った時に見せた孤独な子どもの顔だ。
詰め寄ってきて、掴みかかるような勢いで、
「迷惑なんて一回も言ってないじゃん! 嫌いな人と一緒に歩かないし!」
柊は真っ直ぐ杏一を見て声を上げた。
夕方の住宅街に叫び声が響く。
「ごめん……」
突然キレ出したのに、驚きとは全く別の感情が込み上げた。
「怒らせるつもりはなかったんだ」
ただ柊に申し訳なかった。
ただ柊の顔に泥を塗りたくなかっただけだ。
それだけなのに、
「そのごめんって言うのやめてくれる? ほんとうざい」
柊は、笑ってくれない。
謝った分だけ笑顔から遠ざかる。
そう言えば、いつからこんな気軽にごめんと言うようになっただろうか。
どうやら根本から自分の考えが間違っていたらしい。
勝手に自分でも思い込んでいただけだ。
「ごめ……わかった。もう言わない。約束する」
「うん。そうして」
柊はそう言って、また歩き出した。
杏一も追いついて並んで歩く。
(ごめんな、柊)
隣にいてもいいんだとようやく分かった。
自分は兄で、柊は妹。余計な事は気にせず、前に立つぐらいしなければならないのだと。
ならもう少し堂々と柊に接しようと思う。
これまでより一歩踏み込んで寄り添ってみる。
「でも驚いた。俺たちカップルに見えるもんなんだな」
「見えるでしょ。顔似てないんだし」
「そういうもんか」
血は繋がっていない。だから周りが見たら他人同士に見えるのだろう。
それでも杏一は意外だった。柊は超がつくほど美少女で、杏一はイケメンと比べれば見劣りする。
「そうだよ」
少し弾むような語尾で微笑むと、柊は風に負けるくらいの小さな声で「それに……」と囁き、
「おにぃちゃんは、かっこいいよ」
杏一とは反対の方を向いて声にした。
本人は聞こえないように言ったつもりなのか、すました顔で歩き始める。
「何してんの? 私お腹空いたんだけど」
「あ、ああ。帰ろっか」
だが、これも杏一の耳にはハッキリ届いている。
杏一は頭を振って、おまけに頬っぺたを叩いてから義妹を追いかけた。
***
「こら、柊。肉ばっかり食べるな。ピーマンも食べなさい」
「うっざ。ママでもそんなこと言わないんだけど」
「母さんは甘やかしすぎだったんだよ。俺はもうちょっと柊を自立させることに決めた」
夕食はプレートの上で肉と野菜を焼いて直接食べた。
四人の時より遥かに会話は少ないが充実した時間を過ごしている。目に見える形で距離が縮まったと実感できたのが大きい。
「なにニヤけてんの? キモいよ」
「え、そんな顔してたか? てか柊もそのうざいとキモい禁止にしない?」
「やだよ。だって杏くんキモいしうざいもん」
かっこいいと思ってくれてるみたいだが、あまり調子に乗っていられない。聞こえるようにわざと言ってからかってるんじゃないだろうか。
「食べないなら貰うから」
「あ、俺さっきからもやししか食ってないんだけど?」
「ふふっ、ばーか」
柊は杏一の皿から牛タンを奪うと、綺麗なピンク色の舌をべーっと出した。
妹のことはよく分からないが今は会話も笑顔も増えたしいいだろう。
二人暮らし一日目は無事に? 幕を閉じたのだ。
義妹との関係も大きく一歩前進した。
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