08 義妹と朝のハプニング

 杏一の朝はいつもより少しばかり早かった。


 六時ちょうどにセットした一回目のアラームで飛び起きると、顔を洗って制服に着替え、朝食の準備に取り掛かる。


 前日の夜に薄切りしておいたりんごとハムを食パンにのせ、上から蜂蜜をかけたらあとはトースターでこんがり焼くだけのお手軽料理。脳に必要なブドウ糖やたんぱく質を一度に取れるため食べる機会は多くなりそうだ。


 ちなみに柊は甘いのが好きだからたくさん蜂蜜をかけておく。それと、焼きたてを食べてもらいたいからまだトースターは回さない。



 ここまでで六時三十分。

 杏一はもういつでも学校に行ける状態のため、ここからの時間は柊に使う。


「柊? 朝だよー」


 呼びかけてノックもしてみたが返事は無い。


「入るぞ?」


 一応形だけ確認を取って入らせてもらう。

 鍵はついていないため自由に入ることが出来るのだ。


 それでも最後に入ってからは三、四年近く経っている。中学に上がって反抗するようになってからは部屋にも入るなと言われたが、今回ばかりは許して欲しい。


(すげ、柊の部屋って感じだ)


 部屋の造り自体は隣にある杏一のものと同じだが、置いてあるものから雰囲気、色合いまで全てが男子高校生の杏一とは違った。


 ピンク色が目立つ部屋は整理整頓されていて(母のおかげかもしれないが)、まるでお姫様が住んでいそうな空間だった。


 時間を忘れて見渡していると、ふと柊の机で目が止まる。具体的には椅子に座ると丁度目の高さに来るだろう位置に貼ってあった、数枚の写真に目を奪われた。


 映っているのは二人の男女。

 そのどれもが柊と杏一だ。


 出会ったばかりでお互いぎこちなさの残る幼い姿のものから、一年前に高校の入学式で撮った微妙に距離感のあるツーショットまで飾ってあった。


 しかもそれら全てが大事に額縁に収められている。


(……いかん。早く起こさないと)


 詮索するのはまた今度にして、今は柊を起こすのが優先だ。


 柊はイルカの抱き枕を大事に抱えてすやすや寝息を立てている。また、布団は蹴っ飛ばしてしまったのか床に落ちていた。妹であっても同い年の女の子が無防備に寝ているところを見るのは背徳感がある。


「柊? 起きて」


 そっぽを向きながら肩を少し揺すってみる。


 昨晩はボタンのパジャマを着ていたらしいが、途中で脱ごうとしたのか上下ともにはだけていたからだ。ボタンは全部外されているし、ズボンは膝の位置まで下がっている。そして一番問題なのは下着も一緒にずれてしまっていることだ。


 イルカを抱いていなかったら上も下もモザイクが必要なほど肌色で、杏一は申し訳なさから視線を逸らした。


「んぅ~~~。まだ朝だよ、ママぁ」


 むにゃむにゃという言葉を体現したような寝ぼけ具合だ。

 母も毎朝大変だっただろう。


「柊。母さんじゃなくて俺だよ。学校遅れちゃう」

「ふぁ~あ……んぅ? おにぃ……ちゃん?」


 柊はぴくぴくっと瞼を動かして大きなあくびを一つした。目をごしごし擦るとイルカの抱き枕がポロリとずれてしまう。


 杏一は即座に目を逸らした。


「へ──?」


 開眼し、意識を覚醒させたプリンセスもとい柊。

 ボケっとしていた顔は魔法が溶けたように動揺が張り付いていた。


 目をぱちぱちさせるごとに怒りと羞恥で顔を真っ赤に染め上げていき、


「ばばばばばばっ、バカぁぁぁぁぁぁ! アホぉぉぉぉぉぉ! 変態! 最低!」


 爆発させた。涙目でイルカを抱きしめると、体育座りで壁に背を預ける。


「なななななんでいるの! なんで勝手に入ったの!」

「いや、だって……起こしてあげようと思ったから」


 いきなりテンション百パーセントになった柊に気圧されてしまう。


「頼んでないし! み、みみ見たの!? 見たんでしょ! ももも、もしかして触った!?」

「いいいやギリギリ見てない。マジで、セーフだったから安心しろ。それに断じて触ってなんかない! それよりイルカさんが可愛そうだからやめてやれ」


 自棄になったのか、柊は布団にくるまるとイルカの抱き枕をバシバシ叩き始めたのだ。


「うぅ……もう最悪。てかいつまでいるの!? 早く出てってよ!」

「ちょ、わかったから投げるな。そんな怒ることか?」


 本当は円盤購入特典的なあれが見えてしまったが、一瞬だったしそもそも家族なのだからそんなに困ることだろうか。


 なんて考えを見透かしてか、顔に出ていたのか、柊は一層怒ってしまう。


「ほんとうざい! バカぁ!」


 柊の悲鳴を背中で聞きながら杏一は、

「早く降りて来いよ」とだけ残して部屋を出る。


 考えてみれば自分が柊に裸を見られたとなるとあんまり良い気はしないため、女の子なら猶更だろうと思い少し反省する杏一だった。


 去り際、


「そっか、……」


 そう聞こえたのはきっと何かの間違いだろう。





「あのー柊? 怒ってる?」

「別に」

「もう勝手に入らないから許してください」

「いいって言ってるじゃん。それより手を動かしてよ」

「……わかりました」


 ブレザーの制服に着替えて顔も洗った柊はどかっと椅子に座って朝食を食べ始めた。はむはむと焼き立てのトーストを頬張っていて可愛らしい。


 杏一はその後ろに立って寝癖を直してあげている最中だ。これは柊が命令したことで、杏一は文句を言わず従っている。怒ってないとは言いつつ、やはりむすっとしているからだ。


「ご飯のお味はいかがですか?」

「まあまあ」


 お嬢様のご機嫌を取りつつ作業を始める。


 まずはスプレーで濡らしてブラシでとかし、ドライヤーを当てていく。仕上げに洗い流さないトリートメントでツヤを与えれば完了だ。


 学校に行くときはストレートヘアーのため、家の中で見せる髪型は少し特別感がある。学校の男連中は柊の魅力を半分も分かっていないだろうと、杏一は思う。


「食べ終わったら歯磨いて、それから忘れ物無いか確認しろよ?」

「それぐらいわかってるし。うざいんだけど」


 舌打ち交じりに柊が席を立ったため杏一は食べ終わった皿を洗う。どうやら歯磨きもできるらしいが、褒めると機嫌が悪くなるから黙っておく。


「明日は自分で起きれるか?」


 今日はこの程度で済んだが夏場はどうなるか想像もつかない。というか想像したら怒られそうだ。柊も恥ずかしいだろうから自分で頑張った方がいいと思う。


 杏一の問いかけに、柊は背中を向けて呟いた。


「無理。だから…………して」

「なんて?」

「起きれないから起こして!」


 今度は振り返って、堂々と命令した。


「いいけど怒るなよ?」

「気をつけるから……平気。あと部屋も」

「気をつけて何とかなるのか?」

「……なるもん」


 俯いて頬を赤く染める柊。

 もじもじする様子が小動物みたいで、つい頭を撫でてしまった。


 するとすっかり触り触られ慣れた頭なのに、お互い何かを意識して見つめ合ったまま動けなくなる。


 柊は視線をさ迷わせてから、杏一の手首を両手で捕まえるように握った。


「……離してよ」

「悪い。学校行くか」

「……うん」


 最後に一口水を飲んで二人一緒に家を出た。

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