14 義妹の本音

 二人暮らしを始めて一週間が経過した。


 最初はどうなることかと思った杏一だが、柊との生活は滞りなく回っている。


 家事全般から柊のお世話まで全て杏一が担っているが、妹のためにやっているため苦ではない。むしろこの生活に満足すらしている。


「柊、そろそろ起きな」


 日曜日とはいえもうすぐ十一時。


 杏一は気持ちよさそうに寝ている妹を起こしに来た。パジャマはちゃんと着ているし、部屋に入る許可も貰っているから問題ない。


 ふと勉強机に目を向けると、変わらずツーショットの写真が飾ってあった。


「柊。もう昼だよ」


 柔らかそうな唇からは唾液が垂れている。

 肩を少し揺すってみると半分だけ目を開けた。


「んぅ、うるさいなぁ。いいじゃん休みなんだから」

「ダラダラしちゃダメだ。ほら、しゃきっとして」


 猫みたいに布団にくるまってしまったため取り上げる。

 すると柊は嫌々体を起こした。


「朝からうざいなぁ。なんでそんなうざいの」

「母さんいる時はしっかり起きてたじゃん。もしかして俺に起こされたくてわざとやってるのか?」

「はぁ!? ほんっとありえない。杏くん調子乗りすぎマジキモい!」

「じょ、冗談だから。そんな怒んないで」


 杏一は雑談をする感覚で言ったつもりだが柊を怒らせてしまった。イルカの抱き枕で叩いてくるが、結果的に目が覚めたみたいだし目的は達成だ。




 柊は都合の悪い記憶はすぐに忘れてしまうのか、リビングに降りると寝癖を直してくれと頼んできた。杏一に断る理由はないため喜んでやってあげる。


 今日も可愛い髪型にしてあげようと思ったが、珍しく柊が普通でいいとリクエストしたためそれに従う。指がスーッと通るくらいとかしてあげると、丁度洗濯機がピーピー鳴った。


 脱衣所に設置された洗濯機を開ける。

 すると珍しく杏一が声を上げた。


「あああ! こら、柊!」


 その声を聞きつけて柊もとてとてやってきた。

 少し面倒くさそうな顔で、ぶっきらぼうに答える。


「なに?」

「ティッシュ入れっぱなしにしちゃダメって言っただろ」

「あ、ごめ……」


 衣服に付着した散り散りのティッシュを見て柊は素直に謝った。


「まあいいけどさ。今度から気をつけろよ」

「わかってるし。いちいちうるさいなぁ」


 軽く注意すると怒ってしまったが、それでも一緒に取るのを手伝ってくれるため根は優しいと思う。洗濯した後に干すのだけは柊も毎回手伝ってくれるのだ。


 まあそれは杏一に自分の下着を触らせたくないだけかもしれないが。お手伝いから始めて少しずつ出来るようになってくれたらと杏一は思っている。




 洗濯を終えると今度は昼食の準備だ。今日はお手軽に焼きそばを作る。

 柊は暇なのか椅子に座って杏一の様子を観察していた。


「どした、柊。一緒に作るか?」

「いい。もっと簡単なのじゃないと怪我するもん」

「そっか。いつか柊の手料理食べてみたいな」


 妹に料理を振る舞ってもらうのは一つの夢だ。

 焼きそばより簡単なものはなんだろと考えていると、柊は黙ってミニトマトみたいな顔になっていた。


「どした、柊。顔赤いぞ?」

「別に普通だし。こっち見ないでくれる?」


 情緒が少し心配だ。

 本人はそんなことを言ってくるが杏一を観察することは辞めない。


「あ、そういえば私この後出かけるから」

「栞と遊び行くのか?」

「違うけど」

「じゃあ誰?」

「なんで教えないといけないの? 過干渉キモいよ」


 どこか隠し事をしているような雰囲気だ。

 兄としては気になってしまう。


「もしかして……彼氏?」

「は? そんなんじゃないし。てかだったら何なの? 教えなきゃいけないわけ?」

「いや……いいんだ。暗くなる前に帰って来いよ」

「うっざ。ついてきたら縁切るから」


 吐き捨てるように言うとスマホを触りだした。


 誰かにメッセージでも送っているのかと詮索したくなるが、これ以上突っ込むと今日は口を利いてくれなくなるだろう。


 それに今日はいつもより当たりが強い気がする。一週間経ってこの生活に嫌気がさしたのかもしれない。


(でも気になるな)


 柊は可愛いしスタイルもいいから欲情した男が寄ってくるだろう。別に妹を取られるのが嫌というわけではなく、変な男に騙されないか心配しているだけだ。


「ふんふんふ~んっ♪」


 柊は急に鼻歌を歌いながらにこにこしだした。


 栞以外の女の子と休日出かけることはないだろうから、やはり男か。自分以外の者にこの顔をされると心がモヤモヤする。


「楽しそうだな」

「別に。話しかけないでくれる?」


 柊は一瞬怖い顔を見せ、またすぐにスマホを眺めて顔を緩ませた。


 杏一は少し寂しい想いになりながらザクザクと玉ねぎを切る。一通り野菜を切り終えたためボールに移すと、柊が立ち上がってキッチンに入ってきた。杏一の後ろを通り過ぎる。


「どした?」

「喉乾いただけだし」

「下の段にオレンジジュース入ってるから飲んでいいぞ。あ、注いでやろうか?」


 冷蔵庫開けようとした柊に問いかける。ちょうどソーセージを取り出そうとしたためついでにやってあげようと思ったのだ。


 あまり広くないキッチンで、柊に近づく。


「あ──」


 すると突然、杏一の視界がぼやけた。

 目眩を起こして、ふらっと体の力が抜けるように足がもつれる。


 その結果、


「それぐらい自分で──やっ、ちょっとなに!?」


 膝から崩れるようによろけて柊に抱き着く形になった。

 杏一は自分の足で踏ん張ることが出来ず、重力に押し潰されるように柊にかぶさる。


「ね、ねぇどこ触って……苦しいってばぁ……!」


 女子の中では背の高い柊だが、男の杏一が相手では抵抗できない。

 柊は杏一の重みを受けて冷蔵庫に背中をぶつけ、そのまますとんとしゃがみ込んだ。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 杏一は柊の肩に顔をうずめて熱い息を吐く。


 ──頭が痛い。

 ──体がだるい。


 意識は朦朧としていて、体内に夏と冬が同時に来たような不快感に襲われた。


「……いったた。ねぇ、なんのつもり!?」


 柊は襲われたと思ったのか、肩を掴んで強引に跳ね除けようとする。先に手を出したのは杏一の方だから多少手荒な真似をしてもいいという判断かもしれない。


「ね、ねぇ……杏くん?」


 だが杏一は絶対にこんなことしない。その信頼があってか、柊は疑問を持ったのだろう。杏一のうなされるような顔を見て表情を変える。


「えっ、熱あるじゃん! 大丈夫!? ど、どうしよう……立てる?」


 杏一も混濁する意識の中で柊の優しさに触れることが出来た。

 無理やり体を動かしてみる。


「ご、め……柊」


 自力で立ち上がって昼食の準備に取り掛かろうとした。

 でもできなくて、無様に柊にもたれかかってしまう。

 声を出そうとすると咳が出た。


「いいよ無理しなくて! 早く寝て休んだ方がいいよ。頑張って布団まで行こ?」


 柊が杏一の腕を肩に回し、怪我人を支えるように立ち上がった。よく見る酔っぱらいが介抱される図みたいで情けない。


「ごめん……柊」

「いいって! ほら、歩くから気を付けてね?」


 柊に体を任せてゆっくり歩く。

 杏一が苦しそうに呼吸すると、柊は「大丈夫だよ」「すぐよくなるよ」と声をかけてくれた。自分より重くて大変だろうに、一生懸命杏一を運んだ。


 何度か階段で休憩をしながらようやく杏一の部屋に着く。


 ベッドに入ると杏一は強烈な睡魔に襲われた。

 抵抗することもできず瞼が降りる。


(だっせえな……)


 すぐには眠れず、悪夢を見ているようにうなされた。


 なんて惨めで醜いんだ。


 柊の優しさが嬉しくもあり、同時に自分を情けなくさせた。


 本当はもっとうまく兄をやるはずだったのだ。


 かっこよく、昔みたいに守ってあげられる存在でありたかった。



(全然できてねえよ)



 少し張り切り過ぎたのだろうか。体が言う事を聞いてくれない。柊にご飯を作ってあげないといけないのに起き上がれない。これじゃあ柊の力になれない。 


(ごめん、柊)


 使えないと思われただろうか。うざいと思われただろうか。

 それならまだいい。

 失望されて、自分から離れて行ってしまうのが怖かった。


 柊を守ってお世話している自分に酔っていただけで、本当は柊に見捨てられたくなかっただけなのかもしれない。だとしたら、兄としても男としてもこの上なくダサい。


(俺が、もっとしっかりしてれば……)


 そんな自己嫌悪に陥っていると、急に手が温もりに包まれた。体は熱くて寒いのに手だけが異様に温かい。


 その正体は目を閉じていてもよく分かる。今はそれだけで安心できた。


「ごめんね、おにぃちゃん」


 柊が優しく手を握ってくれた。大事に両手で包んでくれたのだ。それが本当に嬉しくて、欲を言えば元気な時にしてもらいたかったと思った。


 杏一の手にこもる熱が、涙で中和される。


「私のせい、だよね……ごめんね」


(柊のせいじゃないよ。だから泣くな)


「うぅっ……早く、良くなってね」


(ああ、もう大丈夫だ。元気出たよ)


「本当は、大好きだよ……おにぃ、ちゃん」


(……ありがと。俺、も……だよ……)


 伝えたい言葉は声にならない。

 聞きたい言葉を聞いてあげられない。


 すすり泣く義妹の声を聞いて、杏一の意識はぷつんと切れた。

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