13 義妹と下校

「で、なんだ。さっさと言え」

「あわわ! お兄さんが虐めてきます。怖いですよぉ」

「そういうのいいから。タイムセールが始まっちまうだろ」


 栞は小さくて癒し系と評判だが杏一には舐めた態度を取ってくる。場所が体育館裏ということもあり、傍から見れば杏一が悪に映るだろう。


 要するにからかわれているのだ。


「ふふっ、おつかいですか? 偉いですね」

「別に普通だろ」

「もしかして柊さんと一緒ですか?」


 自分の頬っぺに人差し指を当てて、試すような視線を向ける栞。


「だったらなんだよ」

「いやー最近仲がよろしいなーと思いましてねー」

「別に兄妹なんだからおかしくないだろ」

「まーそうなんですけどねー」


 柊とは中学に上がってから他人以上の距離があったため、朝一緒に登校するのを目撃すれば怪しく思うのも当然かもしれない。


 が、栞の場合は少し種類が異なる。杏一が栞を苦手とする理由だ。


「ねぇ、お兄さん」


 栞は杏一のネクタイを掴むと強めに引き寄せた。

 息がかかりそうな距離で、


「柊さんは私のですからね?」


 にこっと笑みを浮かべながら囁いた。

 ただし目は笑っていない。


「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだ」

「女の子は好きなものを独り占めしたい生き物ですよ。私だって嫉妬しちゃいます」

「一応聞くが俺を取られて、じゃなくて柊を取られてってことだよな?」

「もちろんです。お兄さんは柊さんに群がる虫ですから追い払っておく必要があります」


 栞はネクタイを離してしっしとジェスチャーする。杏一からすると平穏な柊との関係を邪魔する栞の方がよっぽど虫だと思うが口にはしない。


「話は終わりか? じゃあまたな」

「待ってください。まだ終わりじゃないです」


 帰ろうとしたがまた前に立たれてしまった。

 栞も部活があるだろうからさっさと言えと促す。


「お兄さんに頭を撫でて欲しくてですね」

「は? 何言ってんだお前」

「ですから、私の頭をなでなでしてください」


 はきはきとした口調で恥じらいの欠片も無い。

 言葉の意味を理解するのに数秒要した。


「あれれ、もしかして恥ずかしがってます?」

「なわけねぇだろ。頭でも打ったか?」


 栞との付き合いは長いがこういったお願いをされるのは初めてだ。


「私は大真面目です。実は最近柊さんの頭を撫でてさしあげてもあんまり気持ちよさそうにしてくれないんですよ。きっと私のじゃ満足できない体になっちゃったんだと思います」


 柊は気づいていないが、栞は少々病的に柊を好いている。


「私は柊さんの嬉しそうな顔を見たいんです」

(あー、その気持ちはちょっと分かるな)


 落ち込む栞を見て杏一も少し同情した。

 最近は表情も柔らかくなって嬉しさを感じるのだ。


「どうせお兄さんの仕業ですよね。ですから私にも教えてください」

「お前自分が何言ってるか分かってるか?」

「柊さんが大好きって事です」

「変態だな。それで俺に頼むか?」

「むぅ、お兄さんにだけは言われたくないです」


 栞はぷくっと頬を膨らませて杏一の胸をつついた。杏一は自分が変態だなんて一度も思ったことないが、何故か否定できなかった。


「わーったよ。ほら、これでいいか?」


 柊の頭より低い位置にある栗色の髪に手を置いて優しく撫でる。髪の一本一本まで手入れが行き届いていて、ふんわりした手触りだった。柊は直毛だが栞は少しクセがある。


 体育館裏を選んだのは人目を避けるのが狙いだろう。いけないことをしているわけではないのに妙な背徳感があった。


「なるほど。確かに心地良いかもです」


 栞がつぶらな瞳で見上げてくる。普段からかってくるのに手懐けているみたいで変な気分だ。


「もういいだろ?」

「はい、ありがとうございます。では今度はお兄さんがしゃがんでください」

「何する気だ。もう帰らせてくれ」

「ダメです。ほら、早くしてください」

「いやいいって。もう帰らせ──」


 踵を返そうとすると首が絞まった。

 耳元で悪魔が囁く。


「座れって言いましたよね? 言う事聞けませんか?」


 杏一は栞にネクタイを掴まれた。そして抵抗する暇もなく壁に押し付けられ、力が抜けるようにすとんとお尻を地面につけた。


 栞が嗜虐的な笑みを浮かべて見下ろしてくる。


「ネクタイは掴む場所じゃないんだが?」

「苦しいより痛いほうが良かったですか?」

「暴力反対!」


 栞は小さい女子だからと油断できない。護身用に格闘技を習った経験があるとかで、杏一など簡単に完封できてしまう。金持ちで頭もいいしかなり多彩だ。


「お兄さんが悪いんですよ。むしろ私にこんな事されるなんてご褒美では?」

「俺にそんな趣味ねえよ。くそ、ここで俺をなぶるつもりか!」


 杏一は栞にとって虫らしいから十分あり得る。

 恋敵? を仕留められるなら栞という女は手段を択ばないだろう……と、思ったのだが。


「もう、私は乙女ですよ? そんなことしません」


 栞の華奢な指が迫る。

 喉か目か、どっちを潰されるのかと思いきや、予想外の行動に出た。


「よしよし……いい子ですね」


 頭を撫でられた。頭が真っ白になる。


「ちゃんとおにぃちゃんやれて偉いです。頑張ってますね」


 栞の柔らかい手が頭を包んでくれる。

 女の子に撫でられるのなんて初めてだ。


 自分よりずっと小さな女の子にいい子いい子されて、全然好きでもない相手なのに恥ずかしい気持ちになる。正直、このまま目を瞑ったらすぐに眠れそうなくらいには気持ち良かった。


「……はい、お終いです。もう帰っていいですよ」


 なでなでを終えると栞がネクタイを直してくれた。

 杏一は意味が分からず目をぱちぱちさせてしまう。


「どうしました、お兄さん。もっとやって欲しかったですか?」

「ちげぇよ。驚いただけだ」

「ふふっ、もしかして意識しちゃいました? 私はお礼してあげただけですよ?」

「今更お前に何も思わねえよ。お前だってそうだろ」

「そうですね。お兄さんは私の良きライバルであり大切なお友達ですよ」


 杏一にとって、栞は伊織と同じく本音を語れる数少ない友人だ。栞も男子からは女として見られるため恋愛感情を持たれない杏一といるのは楽だろう。


「ライバルではないけどな」

「あら、そんなに自信がおありですか?」

「いや、なんで俺が柊と結婚したいくらい大好きみたいになってるんだよ」


 伊織といい柊は妹だと言っているのに。


「そこまでは言ってませんけど、でもそうじゃないですか」

「そんなわけないだろ。変な誤解するな」

「へぇ~、まあいいですけど」

「ああ。今度こそじゃあな」

「はい、気をつけて帰ってくださいね。それと、柊さんに変な事したら生殺しにしますから」


 そんなバイオレンスな忠告を背中で聞いて、杏一は帰路に就いた。





 校門を出ると杏一は額に汗を浮かべて足を止めた。

 女王様がご機嫌斜めだったからだ。


「おっそ。ねぇ、私を待たせるってどういうつもりなの?」


 激おこの柊はローファーを忙しなく鳴らして怒りを隠そうともしない。


「いや、帰っていいって連絡したよな?」

「電源切れてたし」

「まじか……それは申し訳ない」


 本当は一緒に帰る約束自体していないから謝る筋合いは無い。だがそれを言うともう一緒に帰ってくれないだろうから、杏一は誠意を見せるしかないのだ。


「で? 何してたわけ?」


 理由を問い詰めてくる柊。

 束縛する彼女みたいだなと思ったがこれも口には出さない。


「ちょっと栞が用あったみたいで」

「ふぅん。しぃちゃんが困ってたなら別にいいけど」

「許してくれるのか?」

「別に怒ってないし。でもしぃちゃんに何かしたら生殺しにするから」


 最近は生殺しが流行っているのだろうか。

 杏一は背筋がぞっとする思いがした。


「わ、わかった。絶対あり得ないから安心しろ」

「なに、安心って。なんか私が妬いてるみたいじゃん。キモっ」


 渾身の罵倒を受けてぐさりと胸に突き刺さるが、鍛えられた杏一の精神はこの程度では動じない。先に行ってしまった妹の隣に追いついて並ぶ。


「えっと、今日は何食べたい?」

「オムライスがいい」

「おっけ。安いのならデザートも買っていいよ」


 そう提案すると柊が若干笑顔になった。その顔がくすぐったいような可愛さで、杏一は路上にもかかわらずつい衝動で頭を撫でてしまった。ぽんぽんと慣れた手つきで髪を撫でる。


「もぅ……なに。うざいんだけど」

「柊はいい子だなって思っただけだ。一緒に帰ってくれてありがとな」

「ほんとに気持ち悪いなぁ。言っとくけど仕方なくだからね」

「わかってるよ。明日も一緒に帰ろうな」


 この時間が好きだ。

 会話は多くないが柊と歩いているだけで嬉しくなる。


 杏一が手を引っ込めると柊は「勝手にすれば」と言って反対側を向いてしまった。


 髪と一緒に頬を押さえて、



「ほんとは、私がおにぃちゃんと帰りたいんだよ」



 そう小さく呟いたセリフは風に乗って杏一に届く。

 柊は相変わらず気づかれていないつもりらしい。

 この何気ない日常が、他のどんなことより心地良かった。

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