義妹暴走編

19 義妹の失言

 ヒソヒソ。コソコソ。チラチラ。

 ガヤガヤ。ザワザワ。ジロジロ。


 家庭科室がそんなオノマトペで埋め尽くされる。

 その内の九割は下心丸出しの視線と羨望の眼差しで、杏一の目の前にいる柊と栞に向けられるものだ。


 そして残り一割の「そこ代われ」とか「ぶち〇すぞ」など邪悪な感情は、杏一とその隣に座る伊織に向けられるものだろう。


 今は調理実習の時間。

 杏一と柊、それから栞と伊織は同じ班になった。


「柊さんは本当に可愛いですねっ」

「ありがと。しぃちゃんもすっごく似合ってるよ」


 調理実習ということで二人ともエプロンを着て頭に三角巾を被った姿。さらに髪の毛は一つに束ねて尻尾みたいに垂らしている。


 杏一はちょうちょ結びが出来ない柊を手伝ってあげようとしたのだが栞に先を越されてしまった。ナイスフォローと思いつつも少し悔しい。


(おやおや~。柊さん取られて悔しいんですかぁ?)


 そんな杏一の胸中を察してか、栞がウザ可愛く口角を持ち上げる。ちょうどテーブルに置いてあるまな板みたいな胸を得意げに張った。


(うっせ。別に思ってねえし)


 杏一は興味無さそうに栞から目を逸らし、もう一度柊を見ると丁度目が合った。


 柊のエプロンはお魚のアップリケがついた水玉模様のやつで、ついでに補足すると栞は花柄。柊は全然家庭的なタイプではないが、やはり家のキッチンに立つ姿を妄想してしまう。


 柊が何か言って欲しそうにこちらを見てくるから、つい家にいる調子で口を滑らせた。


「俺も可愛いと思うよ、柊」

「──!? そ、そんなの聞いてないよぉ」


 柊はグレープフルーツくらいある胸の前に持っていった人差し指を遊ばせながら呟いた。


 学校では無視されると思ったがレスポンスがあって嬉しくなる。と同時に、周囲から殺気を感じたため失敗したと思った。水面下で裏庭に埋める計画が進行しているかもしれない。


「柊さん。おてて洗いに行きますよ」

「あ、うん!」


 柊は栞に腕を組まれて手を洗いに行ってしまう。

 杏一がコッソリにやけていると、伊織が話しかけてきた。


「なあ杏一。裸エプロンは好きか?」

「いや全然。もちろん大好きに決ま……って何言わせるんだよ」


 一瞬脳裏に浮かんだ柊の幻想を消す。

 すると伊織がはははと笑って真面目な顔になった。


「まあ裸かどうかは置いといてだ。エプロンってのはいいもんだよな」

「ああ。コスプレと違って誰が着ても似合うってのはポイント高いと思う」


 幼女でもJKでも熟女でも、日常をほんの少し特別にしてくれるアイテムだ。

 杏一が柊を目で追うと、伊織も同じ方を向いて続けた。


「三角巾から飛び出てる尻尾も可愛いよな」

「ああ、ぎゅって掴んで引っ張りたくなるし最高だ。それで? 素直に栞が可愛いって言えよ」

「…………ぐ」

「視線でバレバレだっての。お前イケメンのくせに何日和ってんだ」


 伊織と栞は幼馴染の関係だ。伊織はモテるし他の女の子とはノリよく気軽に話すし遊びにも行く。だが本当に大切な相手には奥手になるようだ。


 杏一が柊の相談をするように、伊織からも相談をされることがある。


「あのロリっ子のどこがいいんだ。お前がロリコンでドMって知った時はびっくりしたぞ。栞がほんとは狂暴だって知ってるだろ?」


 杏一はそれを体感済みだ。


「ばっかそこが栞ちゃんの可愛いところだろ。てか俺はロリコンでもドMでもねぇし! お前みたいな妹に欲情するシスコンには良さがわかんねぇだろうな!」


「は、はぁ!? 何言ってんのお前。別にしてねえし。俺はほんのちょっとだけお玉持ったエプロン姿の柊に起こされてみたいなーって思っただけ──」


 その時、教室全体が冷凍庫になっているのを杏一は感じた。時を止める能力者として覚醒したのか、ノリよくみんながマネキンチャレンジでも始めたのかと錯覚したほどだ。


 杏一は伊織と顔を見合わせ、恐る恐る殺気のある方を向く。

 すると天使様が魔王になっていた。

 二人は睨まれて氷漬けになる。

 そして、少女は無情に告げた。



「きっも」

「軽蔑します」



 雷に打たれたような衝撃。


 微かに聞こえてくるのは他の女子のヒソヒソ声と男子のゲラゲラとした嘲笑、さらには先生のため息。


 杏一と伊織は悪寒すら感じさせる柊と栞の罵倒を受け、速やかに膝を折り最上級の謝罪体制に移行した。


((ごめんなさい!))


 あまりの羞恥と恐怖に、杏一たちは声を出せたかどうかすらわからなかった。

 ただ、男同士の会話は時と場所を選ぼうと肝に銘じた。




***




 数分後。何事もなかったように調理実習が開始。

 いや、正確には精神に多大なダメージを負うことで帳消しにしてもらった。


「まあ気にすんなよ伊織」


 杏一は未だ立ち直れない親友の背中をさする。


 柊はそんなに怒っていないようだったが栞は「別に怒ってませんけど?」の一点張りだった。まあ栞は柊しか眼中にないようだからその通りなのだろう。親友には気を強く持って欲しいと思う。


「ではお兄さん。覚悟はいいですか?」

「な、なんだよ栞。俺に痛い事する気か?」


 栞が包丁を持って近づいてきた。

 恐怖以外の何物でもない。


「やだ違いますよぉ。どちらが柊さんの胃袋掴めるか勝負しましょ」

「お前が俺と? ほぉーなるほどな。よし、相手になってやる」


 血が騒ぐようだ。

 兄として、柊の世話をする身として負けるわけにはいかない。


「今日のお題は卵料理だったな。なら一品ずつ作って審査してもらおう。それでいいか、柊」

「う、うん。私はそれでいいよ」


 柊に確認すると目が合って、でもすぐに逸らされた。

 どうやら怒ってはいないようだ。


「決まりですね。では早速始めましょうか。柊さん、一緒にやりますよ」

「わ、わかった。頑張るね!」


 栞は柊とチームを組むようだ。柊の好みを聞く気だろうが杏一も熟知しているためそれくらいのハンデは構わない。むしろ柊が加わったことでむしろマイナスかもしれないが。


「おい伊織。俺たちも……ってまだへこんでるのか。考えてみろ。今から栞の手料理を食べられるんだぞ」

「そ、そうか! てことは……」

「ああ。柊がべっとり触った食材で作った料理も食べ……ごほんっ。無駄口叩いてないで始めよう」


 バン! と包丁でまな板を叩く音が聞こえたため急いで口を塞ぐ。伊織といると妙なテンションになるため要注意だ。


 授業時間は五十分。今日は各班で一品以上作ることになっているのだが、その間に作って食べて片づけまでやるため限られた物しか作れない。


「杏一、何作るんだ?」

「そうだな……シンプルに玉子焼きでいいんじゃないか?」

「それで勝てるのか? いや、そうか。シンプル故に腕の見せ所だな」


 伊織はイケメンで料理もできる。モテる奴はモテるべくしてモテるのだ。でも肝心なところでヘタレだからある意味整合性が取れている。


「時間無いしぱぱっとやるぞ」


 卵と少量の醤油に砂糖をどばっと加えてよく混ぜる。柊は甘いのが好きだから喜んでくれるはずだ。あとは三回ぐらいに分けてフライパンでふわとろに焼くだけ。


(勝ったな。どれどれ、一体栞は何を企んでいるんだ?)


 敵の様子を観察してみると、柊が割るのに失敗した卵の殻を栞が取ってあげているところだった。


 相変わらず卵も割れない妹を微笑ましく思いながら卵を焼いてフィニッシュ。


 十分後。テーブルには両者の品が並んでいた。

 杏一はそれを見るなり思わず声を上げてしまう。


「ぴゃぴゃぴゃ! ピャンケーキだと!? それはずるじゃん!」


 ハチミツたっぷりのパンケーキ。

 卵料理でお菓子を作る発想は杏一に無かった。


「ずるじゃないですよぉ。ね、柊さん?」

「うん! パンケーキ大好き!」


 幸せそうに甘々な笑顔を浮かべる柊。

 その顔を見たら全部どうでもよくなってしまう。


「まあいいや。勝負は決まってないからな。ほら、二人とも食べてくれ」


 二人に差し出すとまだ熱々の卵焼きをはふはふ言いながら美味しそうに食べてくれた。杏一と伊織もパンケーキを頂く。ふわふわでお店みたいな出来栄えだった。


「……ん。やりますね、お兄さん。正直見くびってました」

「そっちもな。それで、柊。どっちが好きだ?」


 気づいたら柊はパンケーキも卵焼きも完食していた。

 小首を傾げて一度考えると、


「こっち」


 微かにハチミツの残る皿を持ち上げて笑顔を見せた。


「ふふんっ。やりました私の勝ちですね」

「まぁうまかったし認めるわ。次があれば絶対負けん」


 栞もなかなかの腕をしている。

 伊織も幸せそうだし罰ゲームも決めてないからいいだろう。


「柊もありがと。ちゃんと作れてたし頑張ったな」


 柊は混ぜていただけだがきちんと褒めてあげたい。


 ……と思っただけではなく、杏一はポンと柊の頭に手を置いた。ここが学校にもかかわらず、いつもの調子で頭を撫でてしまったのだ。


 最近は距離が近くなっていたから油断があったのかもしれない。


 だがそれは柊も同じだった。褒められて嬉しくなったのか、また別の感情があるのかは分からない。柊もバターみたいに蕩けた顔を見せてしまった。


「う、うん。でも杏くんのも美味しかったと思うよ。けど……毎日食べてるから」


 そのセリフがこぼれたことで、教室が別の理由で静まり返る。

 誰もが戦慄する中、沈黙を破ったのはやはり栞だった。


「しゅ、柊さん? 今お兄さんのこと杏くんって……まあいいですけど、毎日食べてるって言いました?」

「え? う、うんそう言ったかも。だって今二人で暮らしてるから」


 純粋無垢な瞳が杏一を見上げた。何も状況が分かっていない柊に、杏一はなぜ今に限ってデレるんだと心の中で叫びながら黙って首を振る。


「あ……」


 すると柊は、やっちゃったという顔で真っ赤になった。そんな妹を可愛いと思っていたいが、残念ながら体は恐怖に侵食された。


 教室中の視線が杏一に集まる。それはもちろん良いものではなく、中でも一際目立つ方をゆっくり向いた。


「あははー。お兄さん、あとでお話があります」


 柊は学校で杏一と関わらないよう徹底していたから、周囲には仲が悪いように映っていただろう。栞は昔の関係を知っているが、今の論点はそこじゃないらしい。


 とにかく。杏一と柊の関係が普通じゃないと、周囲に感づかれた瞬間だ。

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