23 義妹じゃなかったら……

 その後も詰まることなく杏一は柊に勉強を教えた。


 今は復習も兼ねて練習問題を解かせている最中だ。


 杏一は文系科目の方が苦手なためこの合間に勉強しておく。柊の持ってきた日本史のノートをぱらぱら開いて適当に暗記をすることにした。


(なるほど。柊は学校でも頑張ってるな)


 頭にすっと入ってくる読みやすいノートだ。授業はほとんど聞かず、脳死でただ板書するだけの杏一にとって柊のノートは非常に助かった。


 色分けの工夫はもちろんのこと、先生の喋った内容まで補足されていてより覚えやすくなっているし、たまに書かれている魚のイラストが可愛くてどんどんページをめくっていった。


 読み進めていくと、あるページで手が止まる。左と右の両方のページを大胆に使い、一文字につき三行ほどの幅を取って綴られた文字列に思考が停止した。


「ん……?」


 杏一は思わず唸った。柊が「どうかした?」と聞いてくるから、あわてて見えないように表紙を向けて「気にするな」と答える。


 なんとなく見てはいけない物を見た気がしたのだ。


(……まあ大した意味は無いよな)


 そう思ってそっとノートを閉じる。

 が、それでもそのページの内容が頭から離れない。


 そこにあった文言は真っ赤な色で記されたうえに、ぐるぐると何重にも囲まれていたのだ。


 その内容とは、【民法第734条1項】──簡単に言うと、近親者などの血の繋がりが無ければ結婚できるというものだった。


 日本史のノートなのに民法だし大きく赤で書かれてるしで意味が分からない。


「ねーってばぁ」


 柊が不思議そうに杏一の顔を覗き込み、シャーペンのキャップ部分で頬を突っついた。


 えいえい、と楽しそうにぐりぐりやってくる。


「な、なんだ。ぐりぐりするなって」

「できたって言ってるじゃん」

「あ、ああそうか。どれどれ」


 杏一は数字の羅列を見て思考と精神を安定させた。


 別にあのページの内容なんて関係ない。

 変わらず、兄と妹の関係を続けるだけだ。


 そう自分に言い聞かせて採点をする。


「お、全問正解だ。えらいな」


 花丸を書いてあげると柊の頬が緩んだ。

 それを見て無意識に手が持ち上がってしまう。


 だが杏一は触れる直前に気づいて、自分の意思で腕を引っ込めた。


(うざいとか子ども扱いするなって怒られるもんな)


 柊なら絶対そう言うだろう。


「じゃあ次これな。これやったら今日は終わりでいいんじゃないか?」

「そうする。よし、がんばろ」


 柊が胸の前で拳を作って気合を入れ、杏一も解き慣れた数学の問題を解き始める。


 かりかり。かきかき。さっさ。こつこつ。


 ペンがノートを叩く音。

 それに混じるように、柊がぽろっとこぼした。


「杏くんって好きな人とかいるの?」

「ん? どうした突然」


 目線はノートに向いたまま隣から聞こえてくる声に耳を傾ける。眠たいのか柔らかい声音だ。


「前にしぃちゃん言ってたじゃん。本当はどーなのかなーって」

「本当だよ。そういう相手はいないな」

「じゃあ、付き合ったり告白されたりとかも無いの?」

「俺がモテないのは柊もよく知ってるだろ。俺がおめかしして家出るとこ見たことあるか?」

「ふふっ、そだね。杏くんキモいから誰も好きになってくれないよね」


 何がそんなに面白いのか柊はくすくす笑って杏一を小馬鹿にした。


「逆に柊はどうなんだよ。可愛いしモテるだろ」

「モテは……するかもだけど、私だってまだ付き合ったことないよ」

「そうなのか? その気になれば彼氏の一人や二人いつでも作れるだろ」


 大半の男は柊と付き合えたらと夢見るはずだ。

 そんな横顔を盗み見るとぷくっと膨れていた。


「むぅ、私ビッチじゃないんだけど」

「わかってるって。そうじゃなくて告白は頻繁にされてるだろ。いい人いないのか?」

「……うん。告白はしてもらえるけど好きにはならないよ。絶対ね」


 ──絶対。

 その単語はあまりにはっきりと力強く発音された。


「まだ高二だしな。焦って作るもんでもないだろ」

「うん。私もそう思う」


 そこで会話はぶつ切りに終わり、お互い問題に取り組んだ。


 軽快にペンが走っていたかと思えばしばらく沈黙が続き、また走り出す。


 紙をぺらりとめくる音。シャー芯の折れる音。

 座り直す音。難問に当たって唸る音。

 息をすっと吸って、はぁと吐く音。


 やがて沈黙の時間が長くなる。


 勉強の音は止み、エアコンと柊の音と自分の立てる音だけになった。


「柊?」


 肩に重みを感じて見てみると柊が頭を預けていた。

 手からはペンが離れていてノートにはデタラメな線が引かれている。


「寝ちゃった?」


 聞いても顔の前で手を振っても返事はない。倒れないように遠くの肩を持ってから覗き込むと瞼が閉じていた。一定のリズムで寝息も立てている。


「どうしよ。起きれる?」


 杏一は無駄と知りながら話しかけてみた。

 時計は日付が変わる時間。今日はもう頑張っただろう。


「まったく、柊はしょうがない子だな」


 杏一は回していた手でしっかり肩を掴み、柊の膝の裏に腕を通した。そのまま持ち上げてお姫様抱っこをしてあげる。前にもしたことあるから簡単だが起こさないように注意だ。


 こうして抱いていると成長を感じて嬉しくなる。

 柊は怒るだろうが、昔より随分重たくなって大きくなったと実感するのだ。


 器用にドアを開けて柊の部屋に入る。豆電球にして静かにベッドに寝かせると布団をかけてあげた。エアコンのタイマーもセットしておく。


「俺たち、もう高校生になったんだな」


 柊の寝顔を見て杏一は昔を思い出した。


 あんなに小さかったのにもう大人。

 柊は心も体も立派に成長してくれたのだ。

 だからか、つい自分でも気づかない本音が漏れてしまう。


「柊……」


 杏一にも言えないことがある。いつも可愛いとか好きとか言って頭も撫でるしお姫様抱っこもするが、面と向かっては言えないこともあるのだ。


「柊、俺の側にいてくれてありがと。俺は柊がいないと生きて行けないよ」


 ずっと柊のために生きてきた。この慣れない生活も柊に笑って欲しくて頑張れたのだ。


 反抗もしてくるが柊といられる毎日が楽しくて仕方ない。だから、もう少しこのままが続けばいいと思う。


 あわよくばもう少し距離を縮めて。


「柊……」


 杏一は、柊の唇に指で触れた。

 柔らかい。ずっと触っていたいがすぐに指を離す。


 妹とはいえ寝ている女の子にこんなことしている自分に罪悪感が芽生えた。だがそこまで芽生えたのなら、いっそ咲かせてしまおう。そう思い、杏一は口にした。


「彼氏とか作んないで欲しい……って言ったら、流石にキモいよな」


 さっきの話でその考えが浮かんだ。高校生ともなればカップルも自然に量産されていくだろう。その中に柊も入ってしまったらと考えたら苦しくなった。


 自分以外の誰かに柊を取られたくない。

 触れさせたくない。笑顔を見せたくない。


 寝顔も寝起きも、嫌な顔も良い顔も、全部全部自分のものにしたいのだ。


 その感情がなんなのか言葉にできない。

 しようとすると、無意識にストッパーがかかる。


 その先には行くなと囁く声が聞こえてくる。

 だから知らなくていい。気づかなくていい。


 きっとこれは親心にも似た何か。

 父親が娘の結婚式で泣くのと同じ。

 そうに、違いない。



 だって、杏一は柊の兄だから。

 柊は女の子ではなく妹だから……。



「おやすみ、柊。また明日」


 杏一は喋り過ぎたと思い、最後にもう一度だけ頭を撫でるとそれ以上は顔を見ることができず部屋を出た。


 そのまま自室には戻らず、忘れるようにもう一度シャワーで洗い流した。

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