11 義妹の心境とアイ、スクリーム
晩ご飯を食べ終えると先に杏一が風呂に入った。
その後に柊が入って、まだ湿っている髪を杏一が手入れしてあげるというのがルーティーンになりつつある。
まだ慣れないせいか栞に指摘されたため、もう少し研究して柊に可愛くなってもらうよう頑張るつもりだ。
今日はゆるめのお団子頭にしてあげた。
これなら寝返りを打っても寝癖が付きにくい。
「あ、アイス食べてなかった」
大人しく座っていた柊はハッと思い出したように立ち上がると、スプーンとアイスを二つずつ持ってきた。
自分の分だけという意地悪はしないらしい。
「なに? そんな見ないでくれる?」
「いや、えっと……ありがとう」
柊はチョコ味で杏一はバニラ味だ。受け取るときに手が触れ合うも、お互いそれくらいでは一切動揺しない。
兄妹なのだから当然だろう。
柊はどかっと真ん中に座ったため、杏一は邪魔にならないようソファーから降りて距離を開けた。ソファーは譲るという暗黙のルールがあるからだ。
「座れば?」
「え、いいのか?」
柊がアイスに視線を落としながらぽんぽんと隣を叩く。今日は機嫌がいいのか座る許可を頂いた。セリフ自体は投げやりだが、声音は微糖といった感じだ。
「私もそんな意地悪じゃないよ。それに……さっきまで座ってたじゃん」
髪の毛をやってあげる時は真後ろに座る。
なら横ぐらいはもう普通か。
「じゃあ、失礼します」
柊の左側──肩が微妙に触れないくらいの位置に腰を下ろす。
今日の柊はマシュマロタッチな質感のもこもこしたパジャマを着ていた。あまり露出は多くないが、隠しきれていない鎖骨や呼吸に合わせて上下する胸が色っぽい。
──柊ちゃんのことどう思ってるんだ?
何故かその姿を見て、伊織との会話が想起された。
でも特にというのが感想だった。
……やはり、柊は妹だと思う。
「溶けちゃうよ?」
「ん? ああ、そうだな。いただきます」
蓋を開けてべりっともう一枚ビニールを剥がすとバニラの香りが漂ってきた。一口すくってぱくりと食べれば幸福感に包まれて頬っぺたが蕩けそうになる。
「やっぱ風呂上がりのアイスは格別だな」
「うん。冷たくて美味しい」
スイーツを食べている時の柊は本当に幸せそうな顔をする。杏一に対しても優しいし、今度から怒らせた時は食べ物で釣るのもいいかもしれない。
風呂上がりということもあり、柊は頬が火照っていた。二人きりの空間には音が無く、柊が「あむ」と食いつく小さな声と、飲み込んだ後の満足そうに吐く息の音が耳をくすぐる。
こうしてみると不思議な光景だ。
学校一の美少女がパジャマ姿でアイスを食べている。他の生徒からしたら目から血を流すほど羨むシチュエーションだろう。
頭を触らせてくれるし、反抗しながらも結局はお喋りしてくれる。寝顔に怒った顔に照れた顔など、いろんな姿を見せてくれる。
今だって抱きしめてキスできる距離に無防備に座っているのだ。
(……いかん。何考えてんだよ俺)
嫌でも意識してしまう。柊は妹だという結論は出ているのに、つい邪な考えが頭をよぎる。したいかしたくないかに関係なく、その考えが浮かんでしまう。
だからか、無意識に手が持ち上がった。
スプーンを小さな口に運ぶ柊。
その一挙一動に目が奪われ、柊の美貌に吸い寄せられるように杏一の指が耳に触れた。柊はびくっと肩を跳ねさせ、スプーンを咥えたままこちらを向く。
「あ、ごめ……」
目が合った途端に気まずくなって謝った。
勝手に意味も無く女性の耳に触れてしまったのだから、キモい程度の罵倒や軽蔑をされても文句は言えない。杏一はそう思っていたのだが、
「そんなに食べたいの?」
柊は咥えていたスプーンを口から出した。
ちゅぱっと音を立てて唾液が糸を引いている。
「しょうがないなぁ」
サクッとアイスをすくい、柊は何の躊躇いも無く腕を運んだ。その行き先は自分の口ではない。
──ポカンと半開きになっていた杏一の口。
押し込まれて、チョコレートのほんのり苦くて甘いのが口いっぱいに広がった。
「そっちも貰うから」
杏一の口からスプーンを抜くと今度は白いバニラのアイスをすくう。こぼさないように杏一の方に顔を持っていき、それが当然のように自分の口に入れてしまった。
「ふふ、美味しいじゃん」
柊はうんうんと頷いて満足そうに微笑んでいる。
杏一は行動の意味が分からず目をぱちぱちさせることしかできなかった。
「なに、じっと見て。金魚みたいな顔してるけど?」
「いや……えっと、別に……」
「頭おかしくなったの? 大丈夫?」
何とも言えない感情が込み上げてくる。
怒られると思ったのに、いつもより柔らかい言葉をかけられたからだろうか。アイスの味が、いつもと違ったからだろうか。
「だって、柊はそういうの気にすると思ってたから。なんか意外だなって」
「兄妹なんだからこれぐらい普通でしょ。そっちこそどうしたの急に」
柊は眉を下げて杏一を見上げた。
きょとんと首をかしげてお人形みたいに佇んでいる。
(普通……か。そうだよな。柊もやっぱりそう思ってるよな)
間接キスをしても心や体に変化はない。
驚きと恥ずかしさがあるだけで、ドキドキしたりこれをきっかけに変なスイッチが入ったりするようなこともない。
柊の方も全く狼狽を見せず、あっという間にアイスを完食してしまった。
杏一もそれを見て、頭によぎった異分子を忘れるようにアイスをかきこんだ。
「うまかったな。ちゃんと後で歯磨くんだぞ? 虫歯になったら大変だ」
「分かってるし。ていうか、杏くん世話焼きすぎ……」
隣で座ったままの柊が背中を丸めるように俯く。まだ湯に浸かった熱が抜けていないのか、赤いほっぺに左手を添えて杏一からは見えないように隠してしまった。
柊は振り絞るように言葉を紡ぐ。
「……そんなに、私のこと、好きなの?」
「好きじゃなかったらこんなに世話しないだろ。可愛い妹のためなら当然だ」
杏一が即答すると、柊は顔を下げたまま体の向きを変えた。杏一の方を向いて、肩に頭突きを始めてしまう。
こてん、こてんとぶつかってくる妹の奇行に杏一は首をひねった。
「そういうの、シスコンって言うんだよ」
独り言みたいな大きさで柊は呟いた。
すっかり反抗期になってしまった妹が、こてん、こてんと弱々しくおでこをぶつけて攻撃してくる。
「柊までそんなこと言うのか……。やっぱり俺ってキモいしうざいよな」
善意だとしても相手を不快にさせるなら嫌がらせと同じだ。柊には喜んでほしくていろいろしているため、そんなに嫌がるならアプローチの仕方を変えた方がいい。
「別に……今はキモいなんて、言ってないじゃん」
「でもどうせ思ってるんだろ?」
柊が今どんな顔をして言っているかは分からない。お団子を引っ張って確認してみたい衝動に駆られるがぐっとこらえる。確認は、してはいけない気がしたのだ。
やがて肩にぶつかってくる衝撃は止まり、今度はおでこを押し付けてきた。
隣を見ても、可愛いつむじが見えるだけ。
「うん。杏くんはキモいし、うざいもん」
いつもより消えそうな声は言っている意味とは真逆のように聞こえてくる。だからそういった趣味はないのに、自然と笑いがこぼれてしまった。
それを見て柊が少しおかしそうに顔を上げる。その上目遣いはやっぱり愛しくて、守ってあげたくなる顔だった。
「なんで喜ぶの。ほんとに気持ち悪い」
「別に喜んでないよ。ちょっと嬉しかっただけだ」
口を滑らせたと思ったが手遅れだった。
柊が本気で嫌そうな顔になって離れたため急いで弁明する。
「いや違くて。柊もずっと笑ってるのは疲れるだろうからさ、俺の前では愚痴こぼしたり怒ったりしていいと思うんだよ。だから柊が俺を嫌じゃないって言ってくれるのが嬉しいんだ」
父や母、それから学校で見せる顔を無理しているとは言わない。
柊が本気で笑って楽しんでいることぐらい顔は見れば一発で分かるが、どこかで休憩しなければ気づかないうちに壊れてしまうこともある。
だから人は家と外や、親しい友達とただの知り合いなど、状況や相手によって態度を変える。
それが柊の場合、杏一とそれ以外なのだろう。
反抗してくるということは、言い換えれば信頼の証とも言える。だから嬉しい。
「これからもたくさんうざいって言ってな」
「待って。ほんとにキモいよ?」
言葉って難しいなと杏一は思った。
どうしたら伝わるだろうか頭を悩ませたが、どうやらその必要はないらしい。ちゃんと柊は分ってくれたから。分かったうえで反抗してくるのだ。
「……でも、ありがと……ちょっとだけ。ほんとにほんとにちょっとだけ」
「ああ。どういたしまして」
歪な関係だし、おそらく普通の兄妹には程遠い。
それでも杏一にとってはこの関係が心地よく、柊の兄であることを誇りに思った。これからも柊を見守っていきたいと、心から思う。
「じゃあ……私、寝るから」
「おやすみ。明日は怒らず起きてくれよ」
「ん」
ぺこっと首だけ頷いて柊は歯を磨きに行った。
しゃこしゃこ。しゃこしゃこ。
一定のリズムを聞きながら杏一はその背中を眺めた。
やがて磨き終わった柊がちょこちょこ歩く。
部屋を出かかった──直前に、
「私も、おにぃちゃん大好き」
ころっと燃料を投下して、すぐに姿を消した。
「……え?」
思考が停止した。
おそらく杏一には聞こえていないと思っての言動だろう。じゃなかったらこんなに恥ずかしいこと言うはずない。昔は言ってくれたがこの年で言うはずないのだ。
(……兄としてって、意味だよな?)
残された杏一は柊が見えなくなると、ソファーの上で転げまわる。ピンク色の感情が脳を支配して頭がおかしくなりそうな気分になった。
(落ち着け、俺。柊は妹だぞ。妹妹妹……)
口にはまだほんのりアイスの味が残っている。
バニラを食べたはずなのに、まだほんのり香る苦みは上書きできていない。
目を瞑ると柊の顔しか浮かんでこない。
可愛くてほっとけない義妹の顔が浮かんでくる。
こんな気持ち初めてだ。
「……走るか」
叫びたい衝動に駆られた杏一は夜の街を全力で駆け抜け、もう一度風呂に入ってから眠りについた。
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