最終話 義妹と新しい明日へ

 柊と二人きりになった杏一はついに想いを告げることにした。


 だがまだ喋る余裕がない。

 柊はボロボロ泣いているし杏一も少し疲れた。


「柊、もう怖くないよ」

「ひぐっ、おにぃちゃん……いなくならない? 死んじゃわない?」

「ここにいるよ。体は死ぬほど痛いけど……ほら、ちゃんと生きてる」


 地面に座ったまま、浴衣を土まみれにして抱きしめる。温もりを伝えて安心させてあげた。


「……なさい。……ごめん、なさい。私のせいで、おにぃちゃんが」

「柊は悪くないだろ。むしろ怖い思いさせてごめん」

「ううん……ごめんね。ごめんね、おにぃちゃん」

「もういいから。それより笑って欲しいな」

「……ぅん。うえええええええん!」


 子供みたいにひたすら泣いた。

 だから杏一は頭を撫でて抱きしめてあげる。


 大丈夫、怖くない、一緒にいるよ、大好きだよ。

 言葉を尽くして不安と一緒に涙を拭ってあげる。


「ぐす……ん。おにぃちゃん、ありがと」

「俺もありがと。俺のために泣いてくれて」

「うん……もう、泣かない。笑う」


 にーっと、不格好に笑ってくれた。

 可愛くて抱きしめると顔が見れなくなってしまうのがもどかしい。


「もう落ち着いたね。移動しよっか」


 ちゃんとした場所で伝えたい。

 立ち上がろうとしたが、


「ぉっと──助かる」

「まだダメだよ。座って休んでて?」


 足に力が入らず倒れそうになるところを柊が支えてくれた。みっともないが構わない。もうこれからは兄じゃないから弱さを見せたっていいのだ。


「おにぃちゃん無茶しすぎだよ」


 ハンカチで顔の汚れを拭いてくれた。

 痛いの痛いの飛んでけと腕やお腹もさすってくれる。


「だって、許せなかったから。柊を泣かせたし」


 自分でも無謀なことをしたと思う。

 結果論だが歯向かってよかった。


「ほんとにおにぃちゃんは私の事大好きだね。シスコン過ぎて気持ち悪いよ」

「それ言うなら柊もブラコンだろ」

「うん、怒ってくれてありがと。すっごく嬉しかった」


 柊は自分の胸に手を当ててぎゅぅぅっと握りしめた。

 何か言いたそうに口をぱくぱくさせて、やっと声に出す。


「……聞かないの?」

「何を」


 一応とぼけてみる。でもすぐに続けた。


「嫌な事は思い出さなくていいよ」

「うん……でも、もう平気だから。ママもだけど、私あの人にたくさん怒鳴られてぶたれた。痛くて怖くて……小っちゃい時だけど凄く覚えてる」


 心にも海馬にも刻まれて、柊をずっと苦しませていた過去だ。


「でも、おにぃちゃんが助けてくれたよ。おにぃちゃんのおかげで人と話せるようになったし笑えるようになったよ。今日も、私を守ってくれた。だから……だからね。私……ね」


 一生懸命伝えようとしてくれる。

 俯いたり見上げたり視線をさ迷わせて見つめられた。


「私……おにぃちゃんのこと──ん!?」


 その先は言わせない。杏一は柊の口を口で塞いだ。

 これだけは自分から言わないといけない。

 兄として妹にしてあげられる最後の仕事だ。


「んぅ……おにぃちゃん?」


 何回目のキスか分からなくなってきたがするたびに気持ち良くなっている。


 柊も呼吸を乱して濡れた瞳で見つめてくる。


「柊」


 杏一はゆっくり話し出した。


 本当はもっとロマンチックな雰囲気で、例えば思い出の公園なんかで言いたかった。花火を見ながらだったり、海をバックにだったり……お互いボロボロで泥まみれで地面に座っているが、もう我慢できない。


 かっこつけるのはもう終わりだ。


「柊……。もう俺、柊の兄ちゃん辞めるな」

「へ……?」


 柊がぽかんと口を開ける。

 するとふるふる首を振って何故か哀しそうな顔になってしまった。


「やだ……やっぱり私迷惑なの? ごめんね、もっといい子にするから捨てないで。一人にしないで。やだやだ……おにぃちゃんと一緒が──!?」


 頬っぺたをぷにっと左右に引っ張って言わせない。

 柊は意味が分からずボケっとしている。


「そうじゃないよ。ごめん誤解させて。もう分かってると思うけど……俺は柊が大好きだ」


「しょ、しょれって……しょれって!」


「妹としてじゃないよ。女の子として柊が好きだよ。柊といるとドキドキするし、抱きしめたいしキスしたい。兄ちゃんでいるのもう限界だから、柊の彼氏にさせて」


 ようやく言えた。

 ずっとずっと言いたかった。


 杏一はもう一度ぎゅっと抱きしめる。

 でもその行為は今までと違う。

 後ろめたさも言い訳も一切ない。

 心から柊を一人の女性として愛しての行動だ。



「……やだ」



 耳元で囁かれた。たった二文字だけ。


「え……なん、で? 今、やだって、言った?」


 耳を疑ってしまう。この流れで断られるだろうか。

 もしかして自分だけが勘違いして思い上がっていただけなのだろうか。


 答えは、すぐに柊が教えてくれた。


「ねぇ、柊。ほんとに俺の事──んむっ!? ……んぅぅぅ! んっ、んっ、んぁ」


 キスされた。それもただのキスじゃない。

 口の中に知らない感触が迫って来た。柊の舌がれろれろと絡めてきて唾液を交換するようにくちゃくちゃと侵入してきた。


「──はぁ! しゅ、柊? どうしたの?」


 意味が分からなかった。こんなキス初めてだ。

 拒絶されたのに、杏一がしたかったことをしてくれた。


「バカ。……おにぃちゃんのバカ!」


 ポカポカと胸を叩いてくる。

 突然の反抗期再来に頭を悩ませていると、


「彼女なんて嫌だよ……」


 薄っすら涙目になってモジモジしてしまう。

 そんな柊は、とびっきりの笑顔で答えてくれた。



「お嫁さんにして」



 ぶわっと全身の鳥肌が立った。

 嬉しいを通り越して涙が止まらない。

 好きな子の前で泣いてしまった。


「……っ、俺でよかったら結婚してください。柊……ずるいって、焦るじゃん」

「ふふっ、だっておにぃちゃんも兄妹辞めるとか意味深な事言ってきたもん」

「お相子か。でも、本当にいいんだよな。俺たちもう戻れないぞ?」

「今更だよ。私なんて三歳からずっとおにぃちゃんのこと大好きだったんだよ」

「そうなのか? 俺は……多分俺もそうだ。柊とずっと結婚したいと思ってた」

「やった。えへへ、もう隠さなくてもいいんだよね」

「そうだよ。だから──」


 もう一度キスをした。


 確かめるように、誓うように、三回も四回も飽きるまでした。どっちがどっちの舌か分からなくなるぐらいトロトロになるまでくっつけ合った。


「おにぃちゃん」

「どした?」


 口を拭いて浴衣を直すと柊が呼んだ。


「おにぃちゃんって呼ぶの変かな?」

「呼びたいように呼べばいいよ」

「うん! じゃあこれからもよろしくね、おにぃちゃん」

「よろしく、柊」


 この笑顔を守れて本当に良かった。

 二人はすっかり様になった恋人繋ぎをして歩き出す。

 体はまだ痛いが歩くのに支障はない。


 祭りは既に終わっていて、後片付けをしている最中だった。


 神社を出て家に向かう。

 どんどん静かに、見慣れた景色に戻っていく。


「おにぃちゃん」

「ん?」

「大好き」

「俺も。大好き」

「いひひ、おにぃちゃん大好き!」

「わかったよ。近所迷惑だから静かにな」

「はーい!」


 隣で歩く柊。


 十年以上経って、ようやくここまで来れた。


 すれ違うこともあったし反抗もされたがいつも変わらず柊は可愛く、杏一の生きる希望だった。


 それはこれから先もずっと変わらない。

 一生、一生、側にいる。


「柊、生まれてきてくれてありがとね」


 柊と出会えたこと。それだけはあの男にも感謝しないといけないかもしれない。まあそれだけだが。


「……そ、それは恥ずかしいよ」

「そう? でもほんとに思ってるよ。俺は多分柊を守るために生まれてきたんだな」

「お、おにぃちゃんってたまにキモい事言うよね」


 良い事言ったつもりなのに乗ってくれなかった。

 やはり柊の扱いは難しい。


「でもそういうところも好き。過保護でキモくてうざいところも大好きだよっ」

「それ褒めてるの?」

「当たり前じゃん。おにぃちゃん私に罵られるの好きなくせに。たまに言ってあげようか……って、さっそく変態な顔してるよ?」

「し、してないって。俺はどんな柊も大好きなだけだ」

「えへへ、私も!」


 そんなこんなでイチャイチャしてると家が見えてきた。

 好きな子といるとすぐに立ってしまうらしい。もちろん時間が。


「一緒にお風呂入ろっか? 汗かいちゃった」


 柊は胸元をパタパタさせて唇に弧を描く。


「え……あ、そっか。二人きりだもんな。好きな子と二人きり……って、ダメだろ」


 考えていなかった。兄妹と言う縛りから解き放たれた男女が何を始めてしまうか分からない。杏一は己を律する自信がなかった。


「おにぃちゃん顔真っ赤っかだよ。『恋人同士』なら普通じゃないの?」


「兄妹の次は恋人か。凄く便利な言葉だな」

「夜も一緒に寝よ? いいよね?」

「い、いや、それはどうなんだ。一応外から見たらまだ兄妹だぞ? 学校もあるし」

「でもほんとはどうしたいの?」


 物凄くぐいぐい来る。

 暴走してしまっているようだ。


「柊、一回落ち着こうか」

「んふっ、お家着くまでに決めてね」


 こんなことしていて大丈夫かと思うが本当に大丈夫なのだろうか。まだ夏休みは長いしどうなってしまうのか……と考えていると、スマホが鳴った。


「ん? 母さんからだ」


 見ると一言だけメッセージが送られていた。


「ママなんだって?」

「明日帰って来るってさ」


 また唐突だ。


「じゃあさ、おにぃちゃん。今日は二人でいられる最後の夜かもよ?」

「……ごくり」


 柊が覗いてくる。

 頬にちゅっとキスされてけらけら笑われた。

 杏一は一生懸命真顔を作った。


「母さんと父さんにも俺たちのこと話す?」

「あ~話逸らした。もお、おにぃちゃんはムッツリさんだね」

「まあ二人なら許してくれるか。今日はゆっくり寝て迎えに行こう」

「ふふっ、私が寝かせないもーん」


 柊がさっきから小馬鹿にしたようにアピールしてくる。これは一度分からせてやった方がいいかもしれないが、杏一は天秤にかけた。


「柊、あんまり調子乗ってるともうお世話してあげないから。これからも俺にお世話されたいんだろ?」

「ぐ、それは……おにぃちゃんほんとうざい」

「ふふっ、うざくていいよ」


 ぷくっと膨れてしまったほっぺをぷにっと押してまた怒らせる。懐かしいやり取りをして、杏一は先に家に入る。今夜は二人だけの家だ。


「もお! 待ってよおにぃちゃん!」


 その後ろに柊がついてくる。

 後ろをついてくるのは今も昔も変わらない。

 妹でも恋人でも嫁でも、杏一にとって一番大切な存在に変わりない。


 関係が変わってもそこだけはぶれないのだ。


 きっとこれからも、たまに喧嘩して仲直りして、イチャイチャしながら笑うことになるだろう。


 それが杏一にとっての宝物。

 杏一にとっての生きる意味。


 柊も同じである。塞ぎ込んでいた想いが開花して、ようやく真正面からぶつかれるようになった。杏一を愛して愛されて、一歩ずつ大人になっていくのだ。


 二人の信頼関係は名前の定義に当てはまらない。

 それが杏一と柊の在り方である。


 何十年先も。


 健やかなるときも、病めるときも、

 喜びのときも、悲しみのときも、

 富めるときも、貧しいときも、


 二人が一緒にいるならば、

 ずっとずっと、いつまでも──




─ 完 ─


--------------------------------------


これにて完結です。

最後までお付き合い頂きまして誠にありがとうございます!


一話を書いていた段階では作中時間で二人がくっつくまでに一年ぐらいかかるのかなと思っていましたが、作者の予想以上に二人の関係が進展したので夏までとなりました。難しいですね(笑)。


楽しんで頂けたのなら幸いです。では。

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兄にだけ反抗期な義妹と二人暮らし 彗星カグヤ @yorukei

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