17 義妹の命令は絶対

 二人暮らしを始めてひと月が経った。


「柊、俺ちょっと外出てくるから」

「なら私も行く」


 最近、杏一は夜にジョギングをしている。

 風邪を引いてから体力の無さを実感したため始めたのだが、今日は柊もついてくるらしい。


 準備するのを待ってから外に出る。


 柊は体操服の上にピンクのパーカーを羽織った姿。

 上から順に見ていくと髪は動きやすいようにポニーテール(杏一がやった)で、胸は運動には向かなそうな膨らみがある。下は短パンで寒いのかニーソックスを着用し、足元は白のスニーカーという組み合わせだ。


「なにジロジロ見て。目がキモいよ」

「柊は服を可愛く見せる天才だなって思っただけだ」

「意味わかんない。早く行くよ」


 妹のジト目を受けて走り出す。まだ反抗されることもあるが、看病されてからは少し優しくなって距離も近くなった気がする。


 夜もそこまで気温が下がらず運動するには丁度いい。


 すぐ隣を走る妹を見ると、やはり一定のリズムでぽよんぽよんと揺らしていた。人間は動いている物に目を奪われるのは本当らしい。


 妹の真剣な表情を見て杏一は前を向いた。


「柊はなんで走るんだ?」

「悪い?」

「いや、その理由を聞いたんだけど。……あ、もしかしてダイエッどぅえああ!」


 言い終える前に柊の手刀が脇腹に入った。


「ちょっとだけだもん! 最近ご飯食べ過ぎちゃうからむしろ杏くんのせいだから!」

「わ、悪かったって。柊は既に綺麗な体してると思うけどな」


 痩せすぎず余分な肉はついていない理想的な体型だ。ご飯を食べ過ぎちゃうというのは少し嬉しい。杏一が褒めると、柊は弱々しく呟いた。


「もう、ほんとうざいしキモいよね」

「はいはい。そーだね」

「なんかムカつくその言い方。私怒ってるんだけど?」


 そう言ってまた柊はつんつんと脇腹を突いてきたが、杏一は笑って受け流す。本音を一度聞いてしまったため、今更落ち込むこともないのだ。


 十分ほど回り道をしながら走ると公園が見えてきた。

 真っ直ぐ行けば三分ぐらいで着く距離だ。


「ここ懐かしいな」

「……そ、だね」


 いつもならここは通らない。でも今日は柊が一緒ということで、あえてこの場所を選んだ。


 小さい頃はよく二人で遊んだ場所。

 柊がよく一人で泣いていた場所だ。


「ちょっと休憩するか」

「うん」


 あまり根を詰め過ぎても二の舞になる。汗は薄っすらかいたし、夜風に当たるだけでも良いリフレッシュになるだろう。


 公園は特別大きくも小さくもない普通の広さ。定番の遊具が一通り端の方にあって、サッカーコートの半分ぐらいの芝生が広がっている。


 時計の針は夜の九時を回ったところ。

 杏一と柊の貸し切りで、二人はブランコに座った。


「あれ、足ついちゃって漕げねえや」

「……そっか。もう十年以上経つもんね」


 柊は寂しそうに声を細めた。昔を懐かしむと同時に嫌なことまで思い出してしまったのだろう。今はそんな気分になって欲しいわけではないため茶化して場を濁す。


「昔は泣き虫で一人じゃ何もできなかったもんな。あ、今もあんまり変わってないか」

「か、変わってるし。てかそんなの覚えてないもん。誰のこと言ってるの?」


 柊はブランコをがちゃがちゃ鳴らした。

 それからぷいっとそっぽを向いてしまう。


(ふふっ、本当に大きくなったな)


 この場所に来て改めて実感した。

 柊が自分と喋ってくれるだけで嬉しいが、それは大袈裟でも何でもない。昔はそれすらも叶わなかったことだから……。




 杏一が柊と出会ったのは三歳だが、最初は心を開いてくれなかった。反抗的な態度ですらなく、完全に拒絶されていた。


 というのも、前の父が原因で柊は人間不信になり、杏一のことも避けたのだ。保育園でも家の中でも、柊は誰とも話そうとせず独りでいた。今では考えられないが母が柊に「ごめんね」と謝るのも珍しくなった。


 顔を合わせれば怯えられるし、話しかければ逃げられる。保育園では大人しくしているかと思いきや、目を離した隙に一人で勝手に抜け出してどこかへ行ってしまうこともあった。


 そういう時はいつもここで泣いていた。

 杏一が誰より早く見つけると、


 ──ごめんなさい


 謝られて、迷惑かけるから消えると言われた。

 すると杏一は無言でただ抱きしめた。


 なんで私に構うのかと聞かれたから、兄ちゃんだからだと返す。


 兄とはそういうものだと思っていたし、そうなりたいと思ったから答えた。


 初めておにぃちゃんと呼ばれた時、それがどれだけ嬉しかったか柊は分からないだろう。


 今の家族は関係も良く、柊は笑顔をよく見せる明るい性格になった。それは間違いなく杏一の存在があってのものだ。




「休憩終わり。もうちょっと体動かすか」

「うん」


 杏一はブランコを降りると柊に手を貸して立たせてあげた。


 今ここで過去を口にしないのは恩を着せたいわけでも感謝して欲しいわけでもないからだ。この場所が思い出になっている確認だけ出来ればそれで十分。


「あ、これやろうよ」


 柊は誰かが忘れていったバドミントンのラケットを手にした。ちょうど二つあるし、街灯の近くなら問題なく見える。表情もいいしここに来て正解のようだ。


「いいね、やるか。でも負けても泣くなよ?」

「こっちのセリフだし。勝ったら命令権一つだからね」

「へぇ、なんでもいいの?」

「な、なんでも……でいいよ。どうせ私が勝つし」


 含みのある言い方だったが賭けは成立。

 互いに打ち合って先に落とした方が負けの一発勝負だ。先に打てと言われたため構える。


「じゃあ行くぞ。そーれっ」


 下からシャトルを打ち上げて柊の頭上に送る。

 すると、


「ふふっ、私の勝ち! それぇ!」


 一撃で決めるつもりだったのだろう。勝ち誇った笑みで柊がスマッシュを打ってきた。


 だがこれは予想通り。


 杏一は反抗的な柊の行動を先読みしてコースに入り、虚をつくドロップショットをお見舞いした。


「ふぇにゃあああ!」


 勝ったつもりでいた柊はわなわなとラケットを振り回す。辛うじて打ち返すことに成功するも、杏一のセンターに綺麗に返った。


 ──勝ったな。そう杏一が思った瞬間、


「いたっ!」


 柊がぐきっと足を捻ってふらついた。よろけて倒れる体を、杏一は咄嗟にラケットを捨てて支える。


「大丈夫か?」

「……う、うん」


 転ぶ前に助けることが出来てよかった。

 お姫様抱っこして近くのベンチまで運ぶ。


「は、恥ずかしいんだけど……」

「俺しか見てないからいいよ」

「そうじゃないよ。バカぁ」


 確かに高校生になってされるのは嫌かもしれない。でも痛そうだから汗で若干熱くなった柊の体を抱えて座らせる。杏一は柊の前に膝をついてしゃがみ、


「足出して」

「い、いいけど……絶対匂い嗅がないでよ?」

「しないって。俺そんな変態に見えるか?」

「信頼はしてるけど、絶対の絶対だからね?」


 再度念を押されたが誓ってそんなことしない。

 むしろして欲しいのかと一瞬思うが「はいはい」といなして靴を脱がせる。そしてニーソックスを下ろして真っ白な美脚を露出させた。


「ジロジロ見んな」

「仕方ないだろ。てか家でいっつもさらしてんじゃん」

「しっ! してないし!」


 事実を述べただけなのに柊は足でばんばんと蹴ってきた。妹の扱いはやはり難しい。


「でも元気そうでよかった。そんなに酷くなさそうだな」

「う、うん……」


 急に明かりを消したようなテンションで落ち込んでしまう。外に出てまで迷惑をかけてしまった……とか思ってくれているのかもしれない。


「柊。ちょっと待ってろ」


 杏一はぽかんとした柊を座らせたまま、少し離れた場所……クローバーの絨毯に腰を下ろした。


 一緒に四つ葉のクローバーを探したのを思い出す。


「なに、してるの?」

「んーっとね……」


 何年も作っていなかったのに手は覚えていたようだ。器用に手先を動かして目的のものを作っていく。時短であまり豪華なものは作れなかったが十分だろう。


「はい。あげる」


 自然にあるもので作った、小さな手のひらサイズのアクセサリー。シロツメクサの冠だ。

 柊の頭にちょこんと乗せてあげる。


「似合ってるよ。やっぱり柊はお姫様みたいだ」


 昔はこれで結婚ごっことかもした。おにぃちゃんのお嫁さんになると言ってくれたが、きっともう忘れているだろうし、兄妹なのだからその場限りの方便だろう。


「これ……って。ありがと」

「ん。元気出てよかった」


 柊が気を使う必要は何もない。むしろ少し反抗してくるぐらいが丁度いい。

 ソックスを戻して靴を履かせてあげる。


「じゃあ帰るか。立てる?」

「む、無理……だから、おんぶ」

「はぃ? なんて?」


 柊が絶対言わなさそうなお願いが聞こえてきた。


「だって歩けないんだから仕方ないじゃん」

「さっき俺蹴られたんだけど?」

「め、命令だから! 私が勝ったもん!」


 そういえば最後にシャトルを打ったのは柊で、杏一は打たずに柊を助けた。


「ま、まあいいや。命令って事でいいんだよな?」

「そう言ってるじゃん! 私は歩けないし命令できるの! だから仕方なくおんぶさせてあげるの!」


 少し意地になってる気もするが、ご命令とあらば拒否権はない。


「わかったよ。はい、乗って」


 そう促すと、迷わずズシンと乗っかって来た。背中にぷにぷにが押し付けられて、ほんのり汗で湿っていて、妹なのに変な気分になりそうだ。


「んぅ……お、重い? 変なこと言ったら怒るけど」

「なんで急に不安になるんだ。でもちょっと重いよ」

「ぐぅ……」


 頭の横から意味を持たない声が聞こえてくる。柊は今顎を肩に乗せている状態なのだ。今どんな顔をしているか見れないのが少しだけ勿体ない。


「重いって別に貶してるわけじゃないぞ。人背負ってるんだから重いの当然じゃん」

「うわ、デリカシーって知ってる? 他の子に言ったら嫌われるよ」

「別にいいよ。どうせ柊以外は背負う気ないし」


 杏一はお人好しではない。

 世話を焼く相手くらい選ぶ。


「なんで黙った? もしかして結構怒ってる?」

「ううううるさい! うざい! もおおおお!」

「わっ! ちょっと暴れるなって」


 背中で動き回られるとそのたびに弾力が圧迫してくる。

 柊は大人しくなると、今度はぎゅぅーっと力を入れて抱き着いてきた。


「あの、柊?」

「落ちちゃうから仕方ないでしょ」

「……そうだな」

「ほら、早く歩いて。家まで進め!」

「は、はい! お嬢様!」


 これは命令だから仕方ないし、兄妹ならおんぶくらいするだろう。


 杏一は昔に柊を背負いながら歩いた帰り道を思い出しながら、いつもよりゆっくり歩いた。

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