21 義妹の親友
約三十分後。
ご飯の炊ける音と共に二人の少女が戻って来た。
「いいお湯でしたね。柊さんの体も凄かったです」
「し、しぃちゃん。そういうこと言わないでよぉ」
楽しそうにお喋りする二人はリビングの床にへたっと座った。
柊は半袖半ズボンのナース服みたいなパジャマを着ていて、栞は制服を着直したらしい。柊ほどではないが栞も素足で服を気崩しているため普段より露出が多く、杏一は伊織にごめんと心の中で謝っておいた。
「ほらお兄さん、早くこっち来てください」
「お、俺? 何が始まっちまうんだ」
ラフな格好のJKが二人。なかなかお目にかかれる状況ではない。
栞が手招きをしているし、変にじっと見ていても変態と思われるから仕方なくお呼ばれする。
「あれれ、何を妄想しちゃいました?」
「お前にはなんもそそらねえわ」
「へー『お前には』ですか」
余計なことを言ったと後悔したが、栞は目で笑っただけで深く追及してこなかった。
「それより早く柊さんの髪乾かしてあげてくださいよ」
「え、俺が?」
「だって毎日やってあげてるんですよね? 私はちゃんとお二人が生活できてるのか監視しに来たんですよ。ほら、さっさとやっちゃってください」
栞に急かされて柊を見るとぷいっと逸らされた。
しかし無言でドライヤーをこっちに向けてくるから、やれということだろう。
「じゃあ、失礼して」
いつもはソファーに座りながら密着してやるが、今日は膝立ちで少し高い位置からやってあげる。
その横では栞が自分の髪をなびかせながら慣れた手つきで乾かしていて、柊との密着度は低いはずなのに見られていると思うと緊張した。
しばらく柊のつむじを見つめながらゴーゴーと乾かしていると、栞がパシャリと写真を撮ってきた。
「しぃちゃん、なんで撮るの」
「今の柊さんのお顔をお兄さんにも見せてあげたくてですね」
「だっ、ダメだって! 早く消して!」
「え~柊さんかわいい。そんな反応してくれるなら消してあげませーん」
「ぐ、ぬぬぬぬぬ……ばか」
「ふふっ、はい消しましたよ。柊さんの怒った顔はゾクゾクしちゃいますね」
(あーわかるわ。言い方はちょっと語弊があるけど)
「お兄さん気持ち悪い顔してますけど発情しちゃったんですか?」
「え、そうなの? ほんとにキモいからやめて」
「いやしてないし。なんか二人とも俺の扱い酷くね?」
顔に出ていたかは分からないが心は若干汚れていたため否定できない。杏一は雑念を払うように首を振って、柊の頭に向き合った。
それから三人でご飯を食べる。今日はあまり手間をかけずカレーにしてみた。
杏一の正面に柊と栞が並ぶ形で座っている。味に問題は無いらしく二人ともお代わりまでしてくれた。
「このレベルを毎日続けられるならまあ合格ですね」
「上からなのは癪だが高評価と受け取っておくか。どうだ、柊。美味しかったか?」
「んー、まぁ……いいんじゃない?」
柊も不愛想だがちゃんと褒めてくれた。
また作ってあげたいと思える。
「それはよかっ……あ、柊」
杏一は身を乗り出してぱくぱくと食べ進める柊に手を伸ばした。柊はスプーンを咥えたまま上目遣いになる。
「なに?」
「髪の毛食べちゃってるよ。それと、口も汚れてる」
親指で頬をなぞって髪の毛を払い、ティッシュで口を拭ってあげた。
「んぐっ!? もぅ……口で言えばいいじゃん」
「わり、無意識にやってた」
「そんなうざいことしないでよね。子どもじゃないんだから」
そう言ってまたうまうまと食べ始める。
そんな光景を杏一は微笑ましく眺め、栞は静かに見守っていた。
「じゃあしぃちゃん、私の部屋で遊ぼっか」
夕飯を食べ終えて杏一が皿を洗っていると柊は栞を誘った。
時刻はもうすぐ九時になるところ。まだまだ夜は長く、積もる話もあるだろう。
「しぃちゃんももうパジャマ着る? あ、お菓子も持ってこ」
せっせと柊が人のために動こうとしているところを見ると我が子のような思いがする。
だが栞はそんな柊の善意に乗らなかった。
「ごめんなさい。今日はやっぱり失礼しますね」
「え、帰っちゃうの?」
「はい。家にも連絡してなかったのでまたの機会と言う事で」
「……そっか。じゃあまた今度遊ぼうね」
「楽しみにしてます。ではまた明日」
小さく手を振って栞が靴下とローファーを履く。最後にもう一度「お邪魔しました」とお辞儀して扉を開けたところで、杏一は追いかけた。
「暗いし送ってく」
「あら、いいんですか?」
「最近歩いてるからちょうどいいんだよ。柊、一人で留守番できるか?」
「できるし。バカにしないで」
行ってくると軽く手を挙げて、杏一と栞は外に出た。
もう五月も終わる頃で、夜は蒸し暑くなってくる季節。ジージーと鳴く虫の音を聞きながら並んで歩いた。
柊よりだいぶ小さい栞が隣にいるのは新鮮だ。
「それで、今日は何しに来たんだ? 最初から泊まるつもりはなかっただろ」
「バレてましたか。その観察眼を他で活かした方がいいと思いますよ」
「他? よくわからんが目的は達成したのか?」
「ええ、もちろん。嫌というほど」
栞は夜空を見上げて星を掴むように手を伸ばした。
杏一も真似して手を伸ばす。
「あのさ、もしかして俺を奪っちゃうって話本気だったか?」
「は?」
杏一は本気で考えたし言うか言うまいか悩んだが全然見当違いだったらしい。こいつ何言ってるんだという顔で見られた。
「バカなんですか? 私があなたみたいなシスコンに惹かれるわけないじゃないですか。ていうか自意識過剰すぎ。もし冗談で言ってないんだったら痛いことしますからね?」
「も、もちろん冗談だって」
「ほんとですかねぇ? もしかしてお兄さんはその気だったんですか?」
「ちげえわ。からかってないで話を進めるぞ」
栞は可愛いと思うが友達だ。
それは栞も理解したうえでの発言らしく、にへらと笑って付け加える。
「あ、ちなみに柊さんのことは大好きですけどもちろん性的な意味では好きじゃないですからね」
「ん? お前よく私のですとか言ってたじゃん」
「それは言葉の綾です。別に柊さんが変な男に騙されなければ幸せになって欲しいと思ってますもん」
「そうなのか? じゃあなんで俺に突っかかって来るんだよ」
「それはご自分で考えてくださいよ。まだわかってないのか気づかないふりしてるだけなのかは知りませんけど、お兄さんがバカってことはよくわかりました」
「なんで急にディスるの?」
柊もだが女の子の考えは謎だ。
もう少し具体的に言って欲しいと思いつつ、最後まで言われなかったことに安堵する。栞が柊に言っていたように、自分もまたずるい考えをしているのだ。
「家ここだよな。いつ見ても豪邸だな」
栞の家は近所でも有名だ。
この辺でいいかと思っていたら、栞が足を止める。
「これは独り言なので帰ってくれてもいいですよ」
そんなあからさまなセリフを吐かれては聞けと言ってるのと同じだ。杏一は何も答えず黙って続きを待った。
「私は、昔からお二人が羨ましかったんですよ。今日だって、柊さんはお兄さんといると私には絶対見せない顔を見せていました。二人だけの世界みたいで、私なんかじゃ入り込めない関係で……いいなって思います」
俯きながら話す栞はいつもより小さく見えた。
「お兄さんのことは憧れに近いですね。そんなバカみたいに誰かのために尽くすって凄いことだと思います。自分で言うのもなんですけど、私って勉強も運動もできるし何でも持ってるじゃないですか」
杏一はそれを聞いて視線を一か所に集めた。
とても可愛らしいと思う。
「エッチです。これはステータスだからいいんですぅ」
「なんも言ってないけどそういうことでいいんじゃないか?」
軽口を交えつつ空気を調節する。
杏一と栞の関係にしみじみとしたものは似合わない。
「ふふっ、私が唯一持ってない物なんですよ。みなさん私を可愛いと崇めてくださいますが安物なんです。だから柊さんとお兄さんを見てると少し意地悪したくなっちゃいます。引きました? 私って結構酷い女ですよね」
「いやそんなもんだろ。柊のことは結構気にかけてもらってるみたいだし、まずお前が居なかったら柊はこんなに明るくなってなかった。だから感謝しかねえよ」
杏一以外の同年代と話せるようになったのは栞のおかげだ。栞は間違いなく聖女よりの人間だろう。
杏一が男同士で相談し合うように、柊たちも何か相談し合っていたのかもしれない。
「あら、口説いてるんですか?」
「誰が口説くか。柊はそんなこと思ってないってだけで俺はお前の事苦手だからな」
「面と向かって言えるのは美徳ですね。お兄さんのそういうところは好きですよ」
「お前わざと言ってるだろ」
「それはお互いさまでは? 気が合いますね」
まあ確かに、悪い気はしない。
むしろ話すのはかなり楽だ。
くすりと笑い合うと、もう独り言は終わったのか夏虫の音がよく聞こえてきた。
「もう遅い時間だしお開きにしましょうか。送って下さりありがとうございます」
「ああまたな」
別れを告げて栞の背中が見えなくなるまで見送る。
見えなくなる直前で、ふと杏一は栞の名を呼んだ。
栞は不思議そうに振り返って首をかしげる。
「お前は絶対幸せになるから大丈夫だ」
杏一はお人好しではない。お節介を焼く相手ぐらいは自分で選ぶ。
だから自分たちを支えてくれる周りの友人たちぐらいは幸せになって欲しい。
「あら、浮気ですか? 柊さんに報告しておきますね」
「それはやめてください」
栞はいつもの笑みを浮かべて家に入った。
それを見て、杏一も柊が待っている家に走って帰る。
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