04 義妹とお話

「ちめたっ」

「こら、我慢しないと治らないぞ」


 氷嚢ひょうのうを作って柊の右手首に乗せると可愛らしい声と共に腕を引っ込めた。


 杏一が頭だけは拭いてあげたが流石に着替えを手伝うわけにはいかず、上下一体のワンピース型パジャマを頭から被って着たらしい。


 薄ピンク色で手首と膝下まで隠れるロング丈のやつなのだが、柊が着るとお姫様みたいだ。ちょこんと座った顔は小動物みたいで、杏一が兄じゃなかったら今すぐ押し倒しているだろう。


 杏一はソファーに隣り合わせで座り、引っ込めてしまった柊の手を取る。思っていたよりも華奢で柔らかいその手にもう一度氷嚢を当てた。


「っ! 冷たぃ……そんなに痛くないのに」


 柊はビクンと肩を跳ねさせて、弱々しい声で呟いた。


「腫れてるんだから冷やしとけって。悪化してたら病院連れてくからな」

「……そこまでしなくていいし」


 手当てしてもらっているという意識があるのかあまり強く当たってこない。


 俯いているせいで髪の毛が垂れて表情が見えづらく、怒っているのか落ち込んでいるのか判別がつかない。


「じゃ、髪乾かすか」


 まだ湿っているから風邪を引いたら大変だ。

 杏一が風呂場から持ってきたドライヤーをコンセントに差して構えると、


「は!? 何しようとしてんの!?」


 出力を上げたように柊が驚きを見せた。

 元気はあるみたいで一安心する。


「その手じゃやりにくいだろ?」

「いや、だからって……」

「そんなに嫌なら持つ係だけするから。それでも手伝わないよりかはマシだろ?」


 普段も片手で持って片手で髪を触ることになるから不自由なくできるはずだ。


「そ……そんなにやりたいなら勝手にすれば」

「ああ。あんまり上手くないと思うけど我慢してくれ」


 小さい時は杏一が柊の髪を乾かすこともよくあったし最低限のやり方は心得ている。手を痛めた妹の髪を乾かしてあげるくらい普通の事だろう。


「ちょ、ちょっと待った。後ろからにして」


 スイッチを入れて風の温度を確認していると柊が口で遮った。

 自分の座るすぐ後ろをポンポンと叩いている。


「後ろ? そこ座れってこと?」

「ママにいつもそうしてもらってるから。……それに見られるし」


 母と風呂に入るのは知っていたが髪までやってもらっていたらしい。見られるというのは謎だが、杏一は言われた通り大人しく後ろに座ることにした。


 柊はお尻が半分はみ出すくらい浅く座り、背もたれとの空いたスペースに杏一が足を開いて座る格好だ。ぱっと見、膝の上に座らせているように見えなくもない。


「じゃあ始めるからな。不満があったら言えよ」


 思ったより密着するから相手が妹であっても恥ずかしいのが杏一の本音だった。きっと久しぶりで、慣れていないのが原因だろう。


 確認をとると顎を引く程度に頷いたため始めることにした。


 まずは髪の毛から距離を離して強めの温風を根元に当てる。柊は杏一と違って髪が長いから手入れするのが大変そうだ。


 髪に触れて内側までしっかり風を当てていくと、同じシャンプーを使っているはずなのにほんのり甘くて爽やかな匂いが鼻孔を抜けた。


「ごめんな、柊……」


 重い沈黙を破るように杏一は呟く。


 時間がかかりそうだったためこの機会を利用することにしたのだ。


 これまでは口を利いてくれなくても何とかなっていたが、二人で暮らすとなればそうも言っていられない。


「なに急に」


 柊も答えてくれた。

 顔を合わせていないから話しやすいのかもしれない。


「だって、俺と二人きりなんて嫌だっただろ」


 昨日は声を上げて否定していた。


 杏一のことを「こいつ」呼ばわりして母に注意を受けたほどだ。普段の様子を見ていても良く思われていないのは明らかである。


「相手が俺でごめん……」


 杏一は肌触りのいい柊の髪に触れながら、後頭部に向かって言葉を紡ぐ。無音な空間で話すには少々言いにくい内容のため、ドライヤーの音が心地よかった。


「柊は俺のこと嫌いみたいだしストレス溜まると思うけどさ、あんまり邪魔しないようにするから言いたい事あったら言ってくれな」


 年頃の女の子だし不満は溜まりやすいだろう。自分が原因で与えるストレスは出来るだけ減らしたい。兄として、柊には快適な生活を送って欲しいのだ。


 風を弱め、今度は左右から前髪に当てる。

 目に入らないよう手はおでこに添えておいた。

 仕上げに冷風で全体の熱を逃がしていくと、


「別に……」


 柊が風に乗せて吐息のように漏らした。

 でもハッキリと、杏一の耳に届けてくれた。


 その否定が、いつもの反抗とは別の意味を持つことは雰囲気で感じ取れた。


「別に嫌いなんて言ってないじゃん」

「え?」


 思わず聞き返してしまう。

 本当に柊が言ったのか半信半疑だ。


「勝手に謝られても困るんだけど」

「え、ちょっと何言ってるか……」

「触らせるわけないじゃん。髪の毛……嫌いな人に」


 怒りの中に一滴だけ寂しさを垂らしたような声音。

 少し強めの口調で即答し、語尾をフェードアウトさせていく。


「そう、なのか」


 撫でるように触っていた手を止めてしまう。確かに女性の髪は大切だと聞くし、そう易々と触れるものではないことも知っている。


 なら、嫌われていないのも本当か……。


「でもさ、舌打ちするじゃん。邪魔って言って睨むよな?」


 言葉と行動が逆だ。柊は杏一にだけ反抗する。他の人には優しくて素直な態度で接するのに意地悪するみたいに当たってくるのだ。


「教えてくれるか?」


 今日は話してくれそうな雰囲気があったから恐れず聞いてみた。ほぼ髪が乾いたからドライヤーはソファーの上に置き、一瞬迷って櫛でとかし始める。


「それは、うざいから」

「うざい? 嫌いとは違うのか?」


 杏一の中にはうざいイコール嫌いの図式が成り立つ。

 柊は軽く肩を持ち上げてため息を吐いた。


「そうだって言ってるでしょ。てかそういうとこだから。ほんとうざい」

「ごめん……」


 全然納得できないが嫌われてはいないらしい。

 うざいと言われながらも内心ホッとした。

 もちろん、そういう性癖に目覚めたわけではない。


「ねぇ」

「ん? なんだ、柊」


 髪の手入れも終わって左右で二つ縛りにしてあげると柊は口を開いた。寝る時は邪魔だろうからツインテールにしてあげたのだ。よく出来ている方だと思う。


「……やっぱいいや」

「気になるだろ。教えてくれよ」

「何でもないし。しつこいのうざいよ?」


 そう言いながらも背中は少し楽しそうだった。

 それが兄としては嬉しかったりもする。


「またうざいか。そんな妹に連呼されると兄ちゃん傷つくからな?」


 少しは距離が縮まったと思ったがまだまだ良好とは言えないだろう。

 杏一が分かりやすく落ち込んでみると、柊は声を弾ませた。


「だってきょうくんうざいんだもん」

「まあ喋ってくれるだけマシか。てか今なんつった?」

「うざい」

「そっちじゃなくて、杏くんって……なんだそれ恥ずかしいな」


 ここ数年は「おい」とかそういう指示語でしか呼ばれていない。昔は「おにぃちゃん」だったが「杏くん」なんて呼ばれ方は背中が痒くなる。


「だってこれから呼ぶこと増えるじゃん。間違えて学校で兄さんとか絶対言いたくないし仕方なくだから。仕方なくね」


 わざわざ二回も強調した。

 杏くんの方が恥ずかしいのではと思うが指摘しないでおこう。


「呼ぶこと増えるんだな。学校で喋ったことなんてないけど」

「だって喋って欲しいんでしょ? そんなに私と喋りたいなら構ってあげる」

「別にそんなことは言ってないけど。柊がそう呼びたいならそれでいいよ」

「は?」

「いや喋ってくれ。呼んでください。お願いします!」


 このチャンスを逃したら一生喋ってくれなさそうだ。

 ここは頭を下げてでもお願いしたい。


「そこまで言うならいいけど」

「よかった。なんか柊と話すの久しぶりだな」


 一方的に話しかけることはあったが会話を成立させるのは懐かしさを感じる。

 妹が喋ってくれるだけで兄というのは嬉しいものだ。


「改めてこれからよろしくな」

「ん」


 短く、肯定か否低か分かりにくい音を漏らすと柊は立ち上がった。たった今まで触れて目の前にあった存在感が無くなり若干の寂しさを感じる。


「寝るのか? おやすみ」


 背中に声をかけるが返事は帰ってこない。まあそう簡単に仲良し兄妹という風にはならないだろう。自分たちのペースで焦らずゆっくりいけばいいと、そう思う。


 ゆさゆさと揺れる左右に結った髪が部屋を出ようとしたその時、



「おやすみ、おにぃちゃん」



 聞こえないように呟いたつもりなのだろう。柊は特に変わった様子も無くそのまま部屋を出て行った。


 だが確実に、杏一はそのセリフが聞き取れた。その懐かしい呼ばれ方にくすぐったい思いがすると同時に、色々な感情がちらついてしまう。


(……妹ってわかんねえな)


 義妹の背中を見送り、戸締りと消灯を確認してから杏一も寝床に入った。

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