03 義妹の心は難しい

 シャワーを浴びて寝る準備を済ませた杏一は、自室でパソコンの電源を入れた。


 これから生活するうえで家計簿をつけようと思ったのだ。生活費は支給されるが出来る限り節約した方がいいだろう。


 計算ソフトを立ち上げて簡単なレイアウトを組んでいく。こういうマメな作業は杏一の性分に合っていて、家事なんかも好きな方だ。


「よし、こんなもんだろ」


 表の作成を終えると時計は十一時を示していた。

 普段は日付が変わっても動画を観たりゲームをしたりするのだが、今日は慣れない緊張のせいか疲労が溜まっている。


 早めに寝るかと思い、消灯して布団に入った──その時、


「きゃっ──!」


 部屋の外……一階から短い悲鳴が聞こえた。

 続けてガタッ! と何かの倒れる音。それが連鎖的に何度か鳴る。


 大惨事が起きていることは容易に想像がつくほど大きな音だった。


 とりあえず『何』が起きたかは分からないが、『誰』が悲鳴を上げたかは考えなくても分かる。今はそれだけ分かれば十分だ。


 杏一は飛ぶように布団から出て階段を駆け降りた。

 まずリビングに行くが姿はない。

 ならば考えられる場所は一つ。


「柊!?」


 迷わず脱衣所のドアを開け放った。すると化粧水やドライヤーが床に散らばり、横幅八十センチほどあるプラスチック製のバスタオル掛けは倒れていた。


 派手に転んで倒したってところだろう。

 それらの下敷きになる形で柊がいた。


「……いっでて……って、え!? ななな、なに勝手に開けてんの!?」

「大丈夫か? 今助けるからな!」


 柊はうつぶせで倒れていた。

 バスタオルのおかげでお尻は隠れていたが、引き締まったくびれと水滴のついた背中は丸見えになっている。髪の毛もまだびしょびしょだ。


「頼んでないし! 早く出てってよ!」


 柊が首を持ち上げるようにして吠えてくる。顔は朱に染まっていて恥ずかしいのは十分承知しているが、半裸で泣き出しそうな妹を放ってはおけない。


 ここまで見てしまったらもう関係ないし、このまま帰るのは寝覚めが悪い。明日の朝、顔を合わせても雰囲気が最悪なのは目に見えている。


 だから決して他意は無く、杏一は善意で救出してタオルで見えないように包んであげた。これならちゃんと隠せているし問題は無いはずだ。


 そう思ったが柊は迷惑に思ったらしい。起き上がって目が合うなり、


「変態!」


 罵声を吐き出した。

 自分の体を護るように抱きしめると鋭い眼光を向けてくる。


「いや、見えてないじゃん」

「関係ないし! 覗きじゃん!」

「いや覗きではないし俺はただ助けてあげようと……」

「うるさいバカ!」


 何を言っても柊は聞く耳を持ってくれない。

 バカとかアホとかキモいとか言って猫みたいに威嚇してくる。


「でも見られたことはあるだろ。小っちゃい時とか一緒に入っ……たし」


 言いながら杏一は違和感を持った。


 いつの間にか柊の体は女性として完成に近づいていたのだ。タオル程度では隠しきれない妖艶さが溢れている。


 思春期の妹──しかも柊は杏一を嫌っているようだから余計不快に思われただろう。虫を見るような目で、いつもより一段とドスの効いた声で罵声を受ける。


「ほんと最っ低。ありえない」

「……それはごめん。でも何してたんだ?」


 派手に転んだというレベルではない。

 一応対話の余地はありそうだから聞いてみた。


「関係ないし。ちょっと失敗しただけだもん」

「全然ちょっとじゃなくないか?」


 脱衣所にある棚や引き出しは全て開け放たれて中身が出ていた。空き巣にでも入られたように物が散らばっていて、何かを探したような痕跡だ。


「まあいいや。髪拭いてやるから暴れるなよ」

「は、はぁ!? なんでそうなんの!」

「だって手怪我してるだろ。痛いなら無理するな」


 見ていれば手を庇っているのがすぐ分かる。

 倒れた時に捻ったのだろう。


「別にこれくらい……」

「いいから。もうちょっと兄ちゃん頼ってくれよ」


 杏一はそう言って勝手にタオルを被せたが柊は抵抗しなかった。だから頭皮を軽く包み込み、指の腹を使って頭全体を優しく揉むように拭いていく。


「んぅ……」


 わしゃわしゃしていると柊が弱々しい声を出した。

 でもやっぱり怒っているのか、顔は赤い。

 俯きながらそっと漏らす。


「もぉ……うざい。ほんとキモい」

「それでいいよ」


 柊はなんだかんだコミュニケーションは取ってくれる。昔のように無邪気に笑ってくれないし、怒ってばかりだが今はそれで十分だ。


 話してくれるだけでも杏一としては満足だから。



「よし、これでオッケー。あとこっちが先だったな」


 杏一は頭を拭き終えると床に落ちている中から化粧水を探して拾った。柊の手に出して保湿させようとしたが片手だから少しやりづらそうだ。


「やってやろうか?」

「自分でできるし」


 鏡越しに睨まれてしまう。

 顔のケアも完了すると床は散らかしたまま二人でリビングに向かった。


 杏一はついでに自分の心もケアしてほしいと願ったが、今のところそうはいかないようだ。

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