32 義妹が義妹でいる最後の日

 結論から言うと、それから一週間経っても杏一と柊の間に進展はなかった。


 杏一は朝起こしてあげるし髪もやってあげるしご飯も作ってあげているが、キスとハグはしていない。夜は別々に寝るし風呂も一緒に入りはしない。


 なんとなく柊との間に溝があって、お互いに気持ちを探り合っている感覚があった。


 無視されたり反抗されたりするようなことは無くなったが、ここ最近に比べれば会話も接触も格段に減っている。


 柊は自室で勉強でもしているのかご飯の時にしか顔を見せないし、杏一もそれに対してもっと一緒にいようとは言い出せなかった。


 本当はこれでいいのかもしれない。

 世間一般の兄妹は、会話がゼロの日だってあるだろう。キスしたいとか思わないだろう。


 ……でも杏一は違った。


 柊のことはもう妹として見れていない。

 抑えられないくらい日に日に想いが強まっている。


 寝ても覚めても最近は柊のことで頭がいっぱいだ。

 今までもそうだったが、種類が違う。


 それは妹ではなく、好きな女の子に対して抱く感情だ。

 その感情を伝えたいが、伝えてしまうのが怖い。



 もしダメだったら……嫌々オッケーされたら……伝えてどうしたいのか……そもそも今伝えるべきなのか……どうなりたいのか……何をしたいのか……せめて高校を卒業したら……嫌われたら……泣かれたら……自分の前からいなくなったら。



 怖い。怖い。怖い。怖いけど。


 ──もうやめる。


 杏一は覚悟を決めた。


 このまま柊と接するのはダメだと。

 言い訳なんてもうやめろと。ずるい考えは捨てろと。


 お前は『兄として』この関係にケジメをつけろと。


 そう自分に言い聞かせた。

 そして今日、それを実行する。

 天坂柊の兄──天坂杏一でいられる最後の日だ。




***




「おにぃちゃん、入ってもいい?」


 杏一が自分の部屋で覚悟を決めると廊下から声がした。

「どうぞ」と言って入れてあげる。


「えっと、おじゃまします」

「そんな畏まらなくていいよ。どうかした?」


 モジモジしている柊を見て、杏一は堂々とした態度で接し、緊張させないように配慮する。


「あのね……えと、えとね。これ」


 柊は後ろに持っていたものを前に出して見せてくれた。それは杏一が予想していた通り、綺麗に畳まれた色鮮やかな浴衣だった。


 今日は花火大会に行くことになっているのだ。


「着せて、欲しいの。……いいかな?」

「わかった。任せて」


 杏一は優しい笑みを浮かべて柊から浴衣を受け取った。

 よしよしと頭を撫でてあげるとくすぐったそうに笑ってくれる。


「流石に着せ方知らないな。どうやるんだろ」

「んと、調べたよ。ほら」


 スマホの画面を見せてくれる。

 それに倣ってやることにした……のだが。


「ま、まずは、脱いじゃうね。……んしょ」

 

 いきなり柊が目の前で脱衣を始めた。

 衣擦れの音を立てながら一気に上を脱いでしまう。


「ちょ、柊いきなりは……」


 まだ心の準備が出来ていない。欲望にまみれた男からすると浴衣は全裸で着るものというイメージがあるだろうが、杏一もそうだと思って咄嗟に目を伏せた。


 柊の『その』部分自体は見てしまったことがあるが、今の精神状態では自分が何をするか分からない。


「へ、平気だよ。おにぃちゃん。下着はちゃんとつけてるから」

「そ、そっか。でも恥ずかしいな」

「私だって恥ずかしいんだからお相子だよ」


 浴衣の下に着る和装下着というものがあるらしい。ワンピースのような白いデザインで下着というよりインナーだ。一度深呼吸して冷静になる。


「水着より露出少ないし見やすいな」

「見やすいって……お風呂のことはもう忘れてよぉ」


 柊もあの時はやり過ぎた自覚があるらしい。

 ぽっと赤くなってしまった。


「じゃあ始めるか」

「うん。お願いします」

「こちらこそ」


 互いにぺこりとお辞儀して着付け開始。

 柊も調子を取り戻してきた。


 両手を持ち上げてくれたため、杏一は後ろに立って袖を通してあげた。後は手順に従って丁寧に着せていき、帯を締める。と……そこで。


「柊、ちょっとごめん」


 杏一は思いついたことを葛藤もせずに実行することにした。暴走しかけている意識はあるが許してほしい。締めてあげたばかりの帯を手に持って思い切り、


「それっ!」

「あ~~~~れ~~~~!」


 柊はクルクル回ってノリよく帯回しをしてくれた。

 一度やってみたかったことだ。


「も、もうおにぃちゃんったらぁ! 遊ばないでよぉ!」

「柊もやってくれたじゃん」

「ぐ……まぁおにぃちゃんならいいけど」


 満更でも無さそうだからもう少し……は流石にやらない。

 気を取り直して浴衣を着させてあげた。


 去年の浴衣はサイズが合わなくなってしまったらしく、母のものを借りたらしい。


 白地に大きな青い花と、それを引き立たせるように薄ピンクの花も小さくプリントされている。落ち着いた色合いでいて決して地味ではないデザインが柊を彩っていた。


「可愛い。すごく綺麗だよ」

「ありがと。えへへ」


 柊は袖をひらひらさせてくるっと回ってくれた。

 幻想的で見惚れてしまう。


「……あ、せっかくだから髪もやろうか」

「うんっ」


 柊をベッドに座らせてやってあげる。


 せっかく浴衣を着ているのだからいつもより気合を入れようと思い、編み込んで後ろでお団子を作る髪型にしてあげた。我ながら完璧な仕上がりだ。


「写真撮っていい? 世界一可愛いんだけど」

「も、もぉ言い過ぎだよ。おにぃちゃんも着替えたら撮ろ」

「そうだな。ちょっと待ってろ……確かこの辺りに」


 タンスを開けて浴衣を取り出す。紺色のシンプルなやつだ。

 さっさと着替えて柊と写真を撮ろうと思ったが。


「柊? ちょっと向こう向いててくれない?」


 じーっと凝視してくるのだ。別にいいがやりづらい。


「私のも見たじゃん」

「まぁ……そうだよな」


 今は見られても大丈夫な状態だったため杏一もぱっと脱いでぱっと着替えた。


「よし、撮ろっか」


 杏一もベッドに座って柊の隣に並ぶ。

 今日は一段といい匂いがした。


「もっと寄らなきゃ入んないね」

「だな。じゃあ……」

「うん!」


 杏一が少し胴と腕の間に隙間を作ると柊が腕を組んできた。杏一も離さないようにがっちり組んで密着させる。そしてお互いに頭を傾けてくっつけた。


 ……完全にカップルのそれだろう。


「はい、いくよ~」


 柊がスマホを横にして持ち上げると。

 パシャリ──二人とも笑顔の、ハートマークが良く似合う写真が撮れた。


「それ送ってよ」

「んーやだっ」


 くすくす笑う柊を見て、杏一はシャッターを切るように目をパチパチさせた。たまに柊はこうして意地悪してくるのだが、それが堪らない。


「ふふっ、そろそろ行こ」

「そうだな。今日は楽しもう」


 こうして杏一と柊は二人一緒に夏祭りに向かった。

 キスして以来、面と向かって上手く喋れるか心配だったが問題なさそうだ。


 杏一はこれからの結果に関わらず、次この家に入る時はもう兄ではないんだなと思って家を出た。


 今の時間も十分過ぎる程幸せだが、どんな結果になっても後悔は無い。


 いつまでも変わらない関係なんてないのだから。

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