第31話

 水陸両用車は、大きく、のろまそうな見た目とは裏腹に、木々の隙間を滑らかに、それでいて、大胆に進んでいく。


 この辺りの森は、あまり人の手が入っていないらしい。所々に鎮座する大樹たちが堂々と背を伸ばし、今は数を減らした人の手の入っていない本物の自然を、ゆっくりとした時間の中で、堪能している。


 齢を経た木々が、天を支えるがごとく、力強い枝と、まだ柔らかい葉を、のびのびとのばしている。


 時の流れに幹が痛んでも、それでも立ち続ける木々の、人間には理解できない哲学を感じさせる、荘厳そうごんさがある。


 まだ若々しい色を保つ枝葉が、太陽を覆い隠して、風にそよいで、優しい光芒を、大地へと降り注がせている。


 大自然の中で静かに息絶えた木々や、誰にも破壊されずに、ただ、風化で崩れるに身を任せた、悠久の齢を経た岩たちが、我々を阻んでいた。


 キャタピラは、その強力な脚力で、普通の車ではあっけなく横転してしまいそうな障害物を、涼しい顔で乗り越えていく。


 障害物だらけの坂道を、周囲の木々に紛れ込みながら、余裕綽々よゆうしゃくしゃくな様子で降りる俺たちの様子を敵兵が見たら、きっと度肝を抜かすだろう。


 だが、余裕綽々なのは、水陸両用車そのものの話だ。乗り物は涼しい顔ができるだろうが、中の人間は、そうもいかない。


 実用性重視の軍用車だ。懸架装置サスペンションなんてついていない。倒木どころか、小さな凸凹でも、車体は派手に揺れる。震度四~五弱程度のかなり強い揺れだ。


 奥歯を食いしばっていないと、揺れで舌を噛む。


 ちなみに、緊急地震速報は、最大震度が五弱以上と判断された場合、震度四以上の揺れが予想される地域に発表される。


 そんな、どうでもいい情報はさておき。


 さっきも書いた通り、本来の森は、緑を感じることができるような、平和な場所ではない。


 あたかも、霊長を自称する傲慢な人類を拒むように、その身には多くの危険を潜ませている。


 そんな森を、多くの障害物を跳ねるように乗り越えながら進む車は、中に乗っていると、かなり危ういような気分になる。


 激しい揺れが車体を襲うたびに、運転手がハンドルを取られないか、何度も心配になった。


 だが、その心配は、どうやら杞憂きゆうだったらしい。運転手さんは、まるでアスファルト舗装の大通りを運転するかのように、涼しい顔でハンドルを回していた。


 運転室に座る乗員達が、水陸両用車と同じような、大自然を前にしても余裕を崩さない強靭タフな機械特有の、頑丈な雰囲気を纏っているような、そんな気がした。


 まるで、自分の体の一部のように車を操る。日々、運転の技術を極めているのだろう。流石は、特殊部隊だ。


 特殊部隊の兵士は各々おのおの、得意な分野だけなら、他の追随ついずいを許さないほどの、高い技量を持っている。


 もちろん、得意でない分野も、特殊部隊の兵士は並以上の技術を持っている。特殊部隊に入るためには、一定の条件がある。それを満たさないと、入隊試験以前に、そもそも志願できない。


 ちなみに俺は、その基準を満たしていない。だから特殊部隊ではなくて、狙撃の技術を徹底的に極めていれば入隊することができる、狙撃部隊に入った。


 だから、天井に頭をぶつけている、正確に言うと、ヘルメットをぶつけているのが俺だけなのは、周囲が優秀だからに違いない。そう信じたい。


 三人の乗員に関しては輸送のプロだから分かるが、特殊部隊の面々も、氷室も、車の震動をうまく逃がしているらしい。どれだけ車が揺れても、体は、ほとんど動いていない。


 まるで、乗りなれたバスで通勤するかのような、涼しい顔をしている。


 どうやら、周囲が特別優秀なわけではなく、俺が、うまく体を使えていないだけらしい。コツさえつかめれば、俺もできるようになるだろう。


 俺は、試しに色々とやってみることにした。まず、車の揺れを読んで、その動きに合わせて膝を動かしてみた。


 こうすると、揺れは軽減される。だが、かなり疲れる。これなら、揺れに身を任せていた方が楽だ。俺は、数分で諦めた。


 これは体力の問題か?いや、違うな。俺はここに来て、ようやく気付いた。皆、シートベルトを使っているだけだ。


 軽く視線を動かすと、確かに、シートベルトの金属部分が、ちょうど、俺の肩がある所に取り付けられている。全く気付かなかった。


 初めてだから仕方ないという陳腐な言い訳は、氷室がシートベルトを使っているから、使えない。


 今から付ければいい話だが、ここで気付いたようにシートベルトを付けるのは、少々、いや、かなり恥ずかしい。


 自業自得と言われてしまえば、それまでだ。だが、俺にも誇りプライドがある。こうなったら、最後までシートベルト無しで行こうではないか。


 俺は、氷室に格好悪いところ見られたくないな。という気持ちを誤魔化すように、そう決意した。


 早く市街地に出てほしい。市街地の道路はアスファルトで舗装されている。山奥を走っていると、その有難みが、良く分かる。


 俺は、市街地に出た瞬間に、敵国と味方軍との戦闘に巻き込まれることなど忘れて、そう願っていた。


 無神論者である俺の祈りを、何処の神が聞き届けたのか、鬱蒼うっそうと茂っていた木々が、ふっと途切れた。


 次の瞬間、俺らは、立ち並ぶ高層ビル群の真ん中に飛び出していた。


 青空と太陽が、無機質なビルに遮られて、ビルの谷間は、森の中よりも薄暗い。だが俺は、この揺れが終わることに、喜びを覚えていた。


 だが、揺れが終わった先には、死と戦場が待っていたようだ。どっちが良かったかなんて、分からないが。


 都市では、大勢の兵士が、ビルの陰に隠れながら、ライフルや軽機関銃などを頼りに、殺し合っていた。


 敵軍は、初戦でのダメージが大きかったので、火力の大きい兵器が少ない。だが、補給物資や兵士達は、首都へと続く何本もの道路を通って、次々と展開している。


 首都は、交通の便が驚くほど良い。普段は首都で暮らす大勢の腹を満たすために使われている、驚くほど太い道路は、こういう使い方もできる。


 都市の中に入った瞬間に襲い掛かる、大量の銃弾。味方も、発砲の音と光を判断して、敵兵の現在地に目星をつけ、つぎつぎと引き金を引く。


 どうやら、俺の願いを聞き届けてくれたのは、悪魔らしい。まあ、願いを聞き届けてくれるという意味では、どちらも変わらないのかもしれないが。


 無神論者の俺には、やっぱり無関係だが。


 俺らの頭上で、俺らの乗る水陸両用車を巻き込んだ、銃撃戦が始まった。


 下手をすれば、一発でジュースが二本買える銃弾が、無意味に、コンクリートの壁を穿ち、窓ガラスを砕く。


 これだけの量の銃弾でジュースや、食べ物や、ワクチンを買えば、いったい何人の人が助かるのか、俺には見当もつかない。


 幸いなことに、水陸両用車が堅牢な造りをしていたのと、銃弾が徹甲弾でなかったおかげで、俺らは無事だった。


 硬い装甲に弾丸がはじかれて、火花を散らす。車内に激しい音が響いて、頑丈な装甲がへこむ。もし、これが徹甲弾だったら、装甲なんて、紙切れのように貫通して、俺らは戦死していただろう。


 今回の任務は成功した。わざわざこんなところで戦死しなくても、二階級ぐらい特進させてもらえるだろう。


 それに‥‥‥‥‥。言わずと知れた話だ。あえて言うのは、無粋というものだろう。


 とにかく、俺は今、死ぬわけにはいかないんだ。まあ、俺の生き死には、特殊部隊の面々の技術と、この水陸両用車の運転手の操縦の腕にかかっている。


 俺の狙撃の腕は、有っても無くても、もう、あまり変わらない。もう使わないだろう。さっきのボルトアクションは、無意味だったかもしれないな。


 俺がそう思った瞬間、船長というか、水陸両用車の乗員三人の中のリーダー(以下指揮官)が「機関銃用意!各員、各々の武器を用意せよ!」と、素早く命令を下した。


 三人いる水陸両用車の乗員の、最後の一人の仕事。それは、ハッチから顔を出して、そこに設置された重機関銃で、敵に攻撃を入れることのようだ。運転室から一人、兵士が出てきた。


「どうした⁉」


 俺が聞くと、指揮官が「目前、警察と思しき武装集団。数、七十以上」と、冷静な声で言った。どうやら、軍隊ではないらしい。警察を動員するほど、敵は切羽詰まっていると判断してよさそうだ。


「強行突破できるか?」


 俺が聞くと、機関銃員がハッチを開きながら


「無理です。RPG携行対戦車ミサイルと、対物ライフルを装備しています。流石に、あれを食らえば持ちません!」


 と、叫んだ。警察がそんなものを持っていていいのか!俺は思わず叫びかけて、そして思い出した。


 戦争が始まってから、軍事技術は飛躍的に進歩した。それは、兵器を作る技術だけではなく、新しい戦術、戦略も同じだ。


 その波に乗って、戦場すら、新たな分野へと進化した。


 過度に都市化が進んだ現在、民間人を巻き込んだ、市街地への少数工作員によるゲリラ攻撃は、リスクに対してリターンが大きい、有効な手だ。


 その攻撃は、テロと攻撃を区別できない。というか目標が軍事施設ではないので、ただのテロと言っていいだろう。


 つまり、警察が対応に当たることも多い。そうなれば、装備の面で軍隊に劣る警察は、多くの犠牲を払うことになる。


 我が国の警察は、その経験から学んだ。どうやら、敵国も同じらしい。だが、いくらなんでも、装備の火力が高すぎだ。


 下手をすれば、服装が違うだけで、軍隊と同レベルの強さを持っている。まあ、戦車や迫撃砲が無いだけ、軍隊よりはマシかもしれないが。


 もしここで道路を封鎖していたのが軍隊で、その中に戦車があったら、俺らは間違いなく、全員、戦死していた。


 だが、ここで足止めを食らえば、今度は、敵国軍の戦車が出てきても、おかしくない。いや、市街戦だから、機動戦闘車か。


 どっちにしても、やばいことに変わりはない。流石に、大口径、破壊力抜群の砲弾を食らえば、水陸両用車なんて一瞬でスクラップになってしまう。


 ハッチから顔を出した機関銃員は、素早く狙いを定めると、警察と思しき武装集団へと、銃弾をばらまいた。


 ドドドドドと、重い音が響いて、威力の大きい重機関銃の凶悪な弾丸が、機動隊へと降り注ぐ。


 弾丸は、ポリカーボネート樹脂の防弾盾ライオットシールドを粉砕して、アラミド繊維の防弾チョッキを、紙のように貫通する。


 武装集団の団員は、銃弾を食らって、次々と吹き飛ばされる。くうに血の花と、ポリカーボネート樹脂の破片が、紙吹雪のように舞った。


 だが、機関銃の凶弾を逃れた機動隊員は、このまま戦っても勝てないと判断したように、素早くビルの陰に隠れた。


 頑丈な鉄筋コンクリートを粉砕するのは、いくら重機関銃でも簡単ではない。それに、そんな時間もない。


 俺らの目標は、機動隊の殲滅ではなくて、あくまでも、この道路の通過だ。


 水陸両用車は、道路を封鎖していた鉄パイプ製のゲートを、キャタピラで紙細工のように押し潰すと、機動隊に威嚇射撃を行いつつ、その場所を通過した。


 思いのほか、あっさりと通過することができたのは、僥倖だろう。

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