第14話
刹那、一発の銃弾が、夜の冷えた空気を切り裂いて飛んできた。銃弾は、窓に蜘蛛の巣のようなひびを入れて、俺の腕を掠める。
俺は、その銃弾が自分を殺すだろうと身構えていたので、少々、拍子抜けした。外したのか。いや。違う!
狙いが、俺じゃなかっただけだ?じゃあ、誰が狙いだ?俺は一瞬だけ考えて、すぐに答えを出した。狙いは氷室か!最も、
俺の声が氷室に届くより早く、銃弾は音速の二倍以上の速度で進み、部屋の入口を見張っていた氷室の足を、貫通した。
なっ!俺は己の心を駆け抜けた動揺を、素早くねじ伏せた。まず、自分の安全確保だ。俺が死んだら、氷室を助けることができなくなる。
ひとまず、素早く伏せた。銃の発砲音が聞こえた時に最も有効な策。まず伏せる。こうすると、弾が当たりにくくなるし、敵から見えにくくなる。
その次に安全の確保。俺は匍匐前進で薄い鉄板で作られたかつては丈夫だった机の下に入る。今は、錆びついてしまってナイフどころかパンチも防げそうにない。
じゃあ、なんでこんなところに隠れたかというと、ここが、敵の視点の死角だからだ。ひとまず自分の安全は確保できた。早く氷室を助けないと。
「痛ッ」
氷室は足の傷口を押さえて呻いている。この、狙撃銃でしか再現できない精度。撃ってきたのは、間違いなく狙撃手だ。
さっきの発砲で俺らがいる場所に気付いたんだろう。いや。違う。それだけでこの場所がロックできるはずがない。俺は少し顔を上げた。俺の瞳に、白銀に輝く月が映った。
まさか、スコープに反射した月の光を確認したのか?なんて技術だ。その上、この暗さの中で、氷室の足を撃ち抜いた。ちょっと真似できない。相手の実力は俺以上。この時点で、俺が勝てる可能性は低いな。
狙撃手同士の戦いは困難を極める。お互いの癖をよく知っているので、どこをどう撃てば敵を殺せるかがよくわかっている。細心の注意を払わないとこっちもすぐ死ぬし、反対に、うまく立ち回らないと敵は殺せない。
技術が高い方が、生存率もそのまま高い。
クッソ。もっと慎重に動くべきだった。俺の失態で、氷室が死ぬなんてことだけはあってはならない。
俺が助けあぐねている間に、また窓から静かに弾丸が入ってきた。敵も消音装置を使っているらしい。
銃の消音装置は狙撃手にとってとても重要なものだ。これ一つあるだけで、どこから撃っているか、かなり分かりにくくなる。場合によっては、見当もつかなくなる。
俺は今この瞬間、その効果を最もよく理解した。
今度の弾丸は、氷室の腕に命中した。氷室は患部を押さえて体を丸める。狙撃手がよく使う趣味の悪い手段だ。こうやって兵士一人の腕や足を撃って痛めつけ、その様子を見ていられずに助けに来た仲間を撃ち殺す。
俺も同じことを何度もやった。だが、まさか、自分が同じことをやられるとは思っていなかった。仲間を撃たれるというのは、こんなにつらかったのか。
まあ、反省はしない。それが狙撃手の仕事だ。敵を憎むこともできない。こっちも同じことを何度もやったからな。気持ちは分かる。
俺も敵だったら、同じ手段を取っただろう。顔を傷つけない所を考えると、俺より優しいかもしれない。
俺は少しだけ顔を出して、スコープで敵狙撃手を探した。見つからない。相当カモフラージュが上手いのか、俺の死角から撃っているのか。
また銃弾が飛んできた。やはりどこから撃っているのかまったく分からない。今度は氷室の肩に当たる。氷室は痛みで跳ね上がるように痙攣した。
氷室は、必死で体を動かし、這って部屋の外に出ようとする。だが、飛んできた銃弾が彼女の近くの床を穿った。これ以上動いたら殺すという意思表示か。
だが、見事な腕だ。これだけ撃たれているのに、氷室の出血量は少ない。致命傷にならないように、細心の注意を払っているのだろう。
俺は歯ぎしりした。いくら芸術的な射撃の腕を持っていても、いくら氷室の怪我が致命傷でないとしても、このまま撃たれつづけたら氷室は死ぬ。
さっきから氷室はほとんど動いていない。撃たれるのを警戒しているというのもあるだろうが、かなり弱っているんだろう。
早く助けないと。こうなったら、一番頼りたくないものに頼るほかなくなる。それは運だ。祈りだ。概念で言えば神だ。くだらない、無意味な物だ。
だが、氷室を助けるためには、これしかない。俺は頭の中で作戦のシミュレーションをする。問題ない。きっとうまくいく。
俺は少し机から顔を出すと、素早くボルトアクションして、闇雲に五発、つまり全弾撃った。
どうせ当たらないことは分かっている。ただ、牽制になればいい。おそらく、狙撃手は反射的に体を引っ込めるはずだ。当たったら死ぬ可能性があるからな。用心するに越したことはない。
ここまでは大丈夫。狙撃手は用心深い。そして、問題はここからだ。俺は一個だけ持っているグレネードのピンを抜いて、窓の外に投げた。
狙撃手は、突然飛び出してきたものをスコープで追う癖がある。というか、そうするように訓練を受けている・・・はずだ。敵国が兵士にどんな訓練を施しているのかなんて知りようがない。
つまりここが、最大の賭けだ。三秒ほどでグレネードが爆発した。
スコープで拡大された爆発の光は、目を一時的に無力化する。失敗すれば多分、氷室にはとどめの一撃が来る。成功すれば来ない。
これが今回、最大の賭けだ。頼む。こないでくれ。二秒待っても弾は来なかった。おそらく、成功だ。これが罠だとしても、硝煙で視界は悪くなっている。まあ、成功率は上がっているだろう。
俺は机を飛び出すと、氷室を抱えて、ドアに体当たりしながら部屋の外に飛び出した。
飛び出す瞬間、足に一発、銃弾を食らった。一瞬、バランスを崩しかけた。
まさか、片目が見えなくなったから、まだ見えている目に素早く切り替えて撃ったのか?
それは、利目ではない方の眼でスコープを覗いて撃ったということを意味する。繊細な狙撃は、利目でないと上手くいかない。なんて技術なんだ。
傷口が焼けた鉄を押し付けられたように熱い。だが、今止まったら心臓を撃たれて死ぬ。俺はそのまま部屋から飛び出して、その勢いで廊下を転がった。
「氷室!大丈夫か!」
呼吸が苦しそうだ。静脈が傷ついているのか、トロトロとどす黒い血があふれてくる。1秒でも早く治療をしないと。
俺は廊下で氷室の患部をすばやく確認する。弾丸は貫通しているようだ。体に毒である鉛玉を摘出する必要はない。
それに、急所からはしっかり外されている。これなら後遺症は残らないだろう。
まあ、生き残れればの話だが。
だが、氷室はかなりのダメージを受けている。呼吸が荒い。氷室の助けなしに戦場を生き延びる自信はない。それに、俺のミスのせいで氷室が死ぬようなことだけは嫌だ。つまり、ただの願望だ。
俺はファーストエイドキットを取り出した。いわゆる、戦場版救急箱だ。消毒薬を取り出すと、氷室の傷口にスプレーして、その上からしっかり包帯を巻いた。
氷室は痛そうに呻いたが、我慢してもらうしかない。足と腕と肩。全ての患部にしっかりと包帯を巻き終えると、氷室をおぶさって歩き出した。
まだ機能しているドアがついている部屋を探す。これは、意外とあっさり見つかった。ドアがついていれば、ドアがない部屋にいるよりよほど安心感がある。
ドアがあったって銃弾は貫通するからあんまり意味はないが、今は、落ち着いた判断が必要だ。
部屋に入り、鍵を閉める。鍵のかかっている部屋なら、敵兵が入ってこないかもしれない。希望的観測だが、それに頼るしかない。
さらに窓を閉めて、鍵をかけて、いまにも崩れそうなボロボロのブラインドを下げた。
これでひとまず外から見られることはない。狙撃されても、一発目さえ外してもらえれば逃げることができる。・・・かもしれない。
いつまでも背負っているわけにはいかないので、ひとまず氷室を床に寝かせた。苦しそうだが、目は開いている。意識はありそうだ。
「大丈夫か?」
俺が声をかけると、氷室は
「大丈・・夫」
と、明らかに大丈夫じゃなさそうに答えた。
「大丈夫な人の返事じゃないな。ひとまず味方に無線連絡する。さっきは俺のミスで怪我をさせてしまった。すまない」
俺が無線機の電源をつけると、なぜか敵国で流行っている明るい音楽が流れ始めた。
「は?」
大体三秒弱で理解した。おそらく敵が我々の使っている無線の周波数を調べて、通信されないように妨害として音楽を流しているんだろう。
無線の周波数まで調べるとは、敵国は、結構な人数の諜報員を我が国に潜入させているらしい。
俺は無言で無線を切った。救援はあきらめて、自力で助かる道を探した方がよさそうだ。
だが、どうするか。戦闘が落ち着くまでここに隠れて、ある程度落ち着いたところで氷室を背負って自軍に戻るという手が一番安全そうだ。
だが、戦闘が落ち着く時にどっちが勝っているか分からない。味方が負けていたら、むしろ戦闘が激しい時より危険だ。
「私は・・置いていって・・ください」
氷室が突然口を開いた。それだけは絶対にしない、と思ったし
「それだけは絶対にしない」
と、俺は言った。
「なぜ?・・」
「そもそも君が怪我したのは俺が油断したせいだ。責任ぐらい取らないと後味悪い」
「でも・・」
「隊長命令。以上」
俺はそう言うと、口を閉じた。氷室も流石に呆れたのか、顔だけ動かしてそっぽを向いて、それ以上言ってくることはなかった。
私に何ができるのか?
味方がいることを祈って適当な周波数にして、応援を頼むという手もあるが、確率は低すぎるし、万が一敵に傍受されたらこっちも危険になる。
氷室は重症。俺もさっき弾丸に射られた
俺は自分の患部に、乱暴に包帯を巻いた。さっき氷室を運んだのは、完全に火事場の馬鹿力だったのか。
確かに、足にけがを負った状態で人を抱えて走るなんて、普段の俺にはできない。
ここに留まって、わが軍が負けたら、ほぼ間違いなく敵に殺される。狙撃手の捕虜は基本的にまともな扱いを受けられない。
俺は狙撃銃『朧』の、艶消しの黒で塗られた銃身から胡桃材の銃床をスーッとなでた。
私たちに何ができるのか?
銃は答えない。いつだって目的のために銃の引き金を引くのは人間だ。人間が何かしなければ、銃は何もできない。
俺はしばらく沈黙していた。というか、それしかすることがなかった。運が良ければ仲間が俺らの存在に気付いてくれるかもしれない。
運が悪ければ、敵に気づかれて殺されるかもしれない。戦場では、「逃げる奴は敵。向かってくる奴は訓練された敵」なのだ。たとえ戦闘能力がないように見えても、殺すのが正解だ。敵兵は、正解を選ぶ可能性が高い。
まあ、いろんな理屈を抜きにしても、俺が何もしなければ、ただ死を待つだけになることは良く分かっている。
氷室は早く傷口を消毒しないと化膿しかねないし、俺の脛には鉛の銃弾が残っている。早く摘出しなければ周りの神経に悪影響を及ぼすし、傷口に菌が入って感染症にかかる危険もある。
俺は頭を回して、一つ、無茶のある計画を思いついた。
氷室に肩を貸しながら歩けば、自分の陣地に戻れるかもしれない。俺も負傷していたりとか、万が一的にぶつかったときに対応できないとか、問題は山積みだが、俺らが取れる最後の抵抗は、これしかない。
「俺が肩を貸す。それなら歩けるか?」
「分かった」
俺が言うと、氷室は躊躇うことなく了承した。自分のせいで怪我した怪我人を無理やり歩かせることに罪悪感がないわけではないが、このままここに留まって氷室を見捨てるしかなくなるよりはよっぽどマシだ。
痛そうに顔をしかめながら氷室は体を起こす。
俺は氷室を半分背負うように肩を貸すと、氷室を気遣いつつ立ち上がった。
撃たれた足に負荷がかかって焼けるように痛い。だが、こらえなければここに留まることになる。それは、死を意味する。
俺らは、ゆっくりと歩き出した。
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