第13話

 幸い、墜落した輸送ヘリがすぐに爆発することはなかった。だが、爆発する可能性がなくなったわけではない。


 教科書には『万が一ヘリコプターが墜落した場合、素早くその場を離れ、身の安全を確保すること。

 もし、墜落直後に爆発しなくても、漏れた燃料が気化、何かの原因で火花が爆ぜるなど、火気が発生した場合、爆発する危険がある』と、書いてあったことを覚えている。教科書マニュアルに従わないことは、大事故にもつながる。


 昔、核ミサイルを整備するさい、整備員が教科書マニュアルに従わなかったことが原因で、ミサイルサイロ(ミサイルを保管する地下施設)内に保管されたミサイルの逆噴射装置ぎゃくふんしゃそうちが点火してしまい、その爆発で、核弾頭がロケットから外れ、ミサイルサイロの内壁とミサイル本体に数回衝突して、十メートル以上の高さから落下した事故があった。


幸い、死者は出なかったが、もし核が爆発していたら、周囲のミサイルサイロを巻き込む大事故になっていただろう。


 これは、我が国の小学校の教科書にも載っている。もちろん、『ルールはしっかり守りましょう』みたいなことを説明する道徳の教科書だ。


 まあ、今回の戦闘には何の関係もないので忘れてくれて構わないが、覚えていれば、将来、貴方が核兵器の整備員になった時、役立つかもしれない。


 という事で、俺らはマニュアルを厳守して、かつて事務所だったと思われるビルの中を、縦一列になってゆっくりと進んでいく。


 俺は狙撃銃を左右の壁に油断なく向けて、サーモグラフィー装置のスコープを使って、周囲の壁に敵兵が潜んでいないかを警戒、氷室は後ろを向いて、後ろから敵兵に撃たれないよう警戒する。


 チームで、敵兵が潜んでいても気付けない死角を、できる限り減らすのは、市街戦で最も重要なポイントの一つだ。これもマニュアル通りだ。


 そして、奇襲攻撃を受けた際に素早く反撃するだけでなく、奇襲攻撃を受けないためには、敵に自分の位置を知らせないというのがとても重要になる。これも(以下略)。


 俺の狙撃銃『朧』は、消音装置サイレンサーが付けられている。それのおかげで、ほとんど音を立てずに発砲できる。


 この特徴が、自分の居場所を知らせない上で、とても役立つ。氷室のライフル銃も、今回は消音装置サイレンサーを取り付けていた。普通科の兵士には支給されないはず。つまり、自腹だ。


 狙撃手は、ほぼ全てのフィールドで戦うことができるが、中でも市街戦は、最も得意な分野の一つ。最も、敵狙撃手にとっても、それは同じなのだが。


 無線からは、味方の兵士達が作戦を叫ぶ声が雑音交じりに聞こえる。聞いているところ、本部から、狙撃部隊に対する連絡はない。


 今のところ敵兵もいないが、ヘリ衝突の爆発から逃れるために四方八方に散った仲間の狙撃兵も見当たらない。どうやら、それぞれ別々のフロアに分散したらしい。


 ビル全体に展開して、数か所から狙撃を行う。火力の高い戦車や大砲、重機関銃などで狙撃兵全員が一網打尽にされるリスクを減らすつもりだったのだろう。


 本来、市街戦で戦車を見ることはあまりない。


 理由として、市街戦では、戦車の持ち味たる電撃戦を使うことができず、その上、本来狙うことが難しい戦車の弱点である天板装甲も、ビルの上から手榴弾を落したり徹甲弾で撃つことで簡単に撃破されるようになることが挙げられる。


 そういう事情から、市街戦では、戦車のような高火力の移動兵器はあまり使われないのだ。使われても、せいぜい装甲車程度。いや、厳密に言えば「使われ


 だが近年、機動戦闘車なる市街地での運用を目的とした高火力の大砲を積んだ兵器が登場するようになり、高火力の移動兵器も警戒する必要が出てきた。


 大勢の兵士に集団行動をさせ、死角をなくすのは重要だ。だが、その作戦のせいで部隊が一網打尽にされては、元も子もないのだ。


 それに、今回の任務は『できるだけ散らばった場所に下降して、ビルから狙撃を行え!』だ。


 多分、兵士の数を通常より多く見せ、できるだけ長時間戦い続けるための策だ。


 なら、狙撃手たちが、屋上を離れた後すぐに分散したのは、正しい判断だといえるだろう。俺は、最終的にそう結論を出した。


 思考に沈んでいる俺の耳に、突然、銃撃の音が届いた。無意識に神経をとがらせる。


 音源はかなり離れている。どうやら、俺らを狙ったものではないようだ。重機関銃の音ではない、重機関銃はもっと音が重い。ライフル銃か、軽機関銃の撃ち合いをしているようだ。


 俺は無線のスイッチを付けた。

『こちらザザッ歩兵第三小隊、ザザーッ。市街地に到着。現在、E3ビルを制圧完了』


『ザザッこちら第十二小隊。現在、中隊規模の部隊と交戦中。至急、援軍求む。繰り替えす。こちら第十、パパパパ‥‥‥ブツッ』


 無線にに発砲音が混ざり、音が一つ消えた。


 歩兵達は、どうやら市街地に到着したらしい。少なくとも、俺らがマシンガンナーを撃ったことは無駄ではなかったんだろう。ヘリの搭乗員クルーたちの犠牲も、無駄ではなかったんだろう。


 それは、一つの自己満足であり、同時に、一つの救いである。少しでも己の行動を正当化する材料がなければ、兵士なんてやっていけない。


 俺らはビルの中を静かに進んでいく。どうやらこの都市は、放棄されてからだいぶたっているらしい。


 本格的な宣戦布告前も、数年間、部分的な小競り合いが行われていたからな。国境付近の一部地域では、開戦のだいぶ前から人が住めなくなった地域もある。ここも、そんな地域の一つだ。


 元々はかなり賑わっていた大都市なんだろう。今となっては、コンクリートはひび割れ、今回の戦争で降り注いだミサイルが原因かもしれないが、上の方が崩れているビルも少なくない。


 いくつか敵兵が潜んでいないか気を配りつつ部屋をのぞいてみたが、壊れて久しいコピー機やパソコンが転がっているだけだった。


 コピー機のプラスチックは劣化して、錆びた金属の骨組みだけになっている。紙は茶色く風化して、物によっては、端の方から崩壊し始めていた。


 錆びついていた金属に、溜まった雨水が地面で規則的なリズムを打って、寂しげに音を鳴らす。


 そこら中に銃弾の穿った後があり、大急ぎで避難した人達の落とし物。そして、避難が間に合わなかった人達の白骨化した遺体が所々に転がっていた。まあ、俺らには関係ないが。


 だがもし戦争が終わったら、きっと埋葬されることができるだろう。家族とはもう会えないかもしれないが、土に身をうずめて、自然に帰ることはできるだろう。


 市街戦では、できるだけ素早く建物の中に入るのが重要だ。道を歩いていると、ビルから撃たれた時に対抗しずらい。


 さらに、狙撃手の場合、建物の中に入るだけではなくビルの上階を占拠しないと狙撃が始められない。


 それが間に合わなければ、狙撃する前に、敵狙撃手に狙撃される可能性まで出てくる。そんな死に方したら、死んでも死にきれない。


 だが今回、俺らはすでに建物の中にいる。少しだけこの戦闘を有利に進めることができる。


 だが、室内だからといって安心することはできない。曲がり角の先に敵がいるかもしれないというのが、市街戦で一番怖いことだ。今の時代でも、白兵戦になる可能性がある。


 俺らはまず、狙撃にちょうどよさそうな窓がある部屋に入った。もともと事務所だったようだが、今は床に黄ばんだ書類が散らばり、錆びたり、腐ったりした机は隅の方に除けられて、事務所だったころの面影は見る影もない。


 俺は、ひとまず窓の脇に立った。氷室は入口に立って敵兵を警戒している。


 できる範囲で安全を確認した後、一瞬だけ顔を窓から出して、外の様子を確認する。


 このビルの真下に十人ほど兵士がいた。戦闘服の迷彩柄が違うので、敵兵だ。


 それだけ確認したら、すぐに体を引っ込める。司令官らしき人物が、列の中心を歩いていた。前後の兵士に分かりやすく指示を飛ばしている。


 俺はもう一度窓から身を乗り出すと、さっき、司令官である可能性が高いと判断した兵士に狙いを定めて撃った。兵士たちは少し移動していたが、この程度の誤差なら、一切問題ない。


 銃弾は重力にひかれながら加速して、狙い通り兵士の後頭部に着弾した。前後を歩いていた兵士に砕けた頭蓋骨と、その中身が降りかかる。


 そこまで確認するが早いか、俺は倒れこむような勢いで体を窓からひっこめた。


 顔を出しっぱなしにすると、敵に自分の場所を特定される危険性リスクが高くなる。顔を出す時間を最小限に、素早く狙って撃つ。


 これは狙撃の鉄則だ。下から敵の声が少し聞こえる。恐怖するような、戸惑うような、怒っているような、会話の断片から推測するに、俺らがどこにいるかは分かっていないらしい。


 闇雲にビルの窓を撃つ発砲音と、窓ガラスが砕けるシャラシャラという音がビルに反響する。大丈夫だ。どう見ても俺らがいる場所に気づいていない。


 それに、市街戦で激しい音を立てるのは、自分がどこにいるのか敵兵に教えるようなものだ。


 それは、「別の狙撃手さん寄ってらっしゃい。私たちを殺してください」と、大騒ぎするのと同じだ。


 そんなことをやってしまう素人に、俺らの場所は分からない。万が一、あの慌て様が演技で、この部屋に回り込まれても、氷室の技術なら全員あの世に送れるだろう。


 俺は安心して、ほっと一息ついた。


 戦地での油断は禁物。その鉄則が、頭から抜け落ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る