誰も一人では戦えない
第34話
俺は、本国へと帰還する空母の甲板で、艦上戦闘機と共に、心地よい潮風に当たっていた。
あの後、俺らの乗る水陸両用車は、敵と交戦するようなこともなく、赤く染まった海に入ることができた。
俺に抱き付いていた、というか、俺を抱きしめていた氷室は、水陸両用車が海に入る際の震動で、ふと、われに返ったように、顔を上げた。
呆けたような顔で、辺りを見渡す。さっきまで氷室が顔をうずめていた俺の肩が、少し濡れている。俺の肩を濡らしたそれが、嬉し涙であるといいな。
氷室は、そんな事を考えている俺に構うことなく、徐々に冷静になっていく瞳で、特殊部隊の兵士達一人ひとりに、目を向ける。
最後まで見たところで、ようやく、特殊部隊の兵士たちが、とても気まずい顔をしていることに気付いた。
氷室の顔が、より
俺の体には、氷室の体温が、まだ、ほんのりと残っていた。
少し寂しいような気分になったが、俺は、強引に、その思いをねじ伏せる。ぬるい気分で戦場に立つと、自分も仲間も、戦死することになる。
自分一人ならいい。自分の命は、自分のものだ。ただ、自分のせいで仲間が死ぬようなことは、絶対にあってはならない。
俺は深呼吸して、できる限り心を落ち着けた。特殊部隊の兵士達は、どう反応していいのか分からない、といった表情をしている。
兵士として、俺らのことなど黙殺して任務に集中したい気持ちと、人間として、俺らを
そのせいで、車内には、とても微妙な空気が流れている。これは重大な事態だ。このまま敵に攻撃されたら、連携が取れずに、壊滅する可能性が高い。
だが、そんな船内の様子など歯牙にもかけず、水陸両用車だけは、己の責務を
ウォータージェットの稼働音が、沈黙した水陸両用車内に、やけに響いた。
最も、すでに、敵国首都の湾全域が味方海軍によって制圧されているため、敵の攻撃を心配する必要など、全くないのだが。
湾で行われている戦闘といえば、何とか生き延びた敵水兵を、味方艦の甲板に据え付けられた機関銃が、掃討している程度だ。救助した方が良いのだろうが、万が一罠だった場合、取り返しがつかない。
数名の水兵が、俺らの方に泳いできたので、機関銃員は、機関銃の照準を敵水兵へと合わせると、引き金を引いた。
連続する重い発砲音で、水面が波立ち、絶命した敵水兵たちは、水中深くへと沈んでいく。俺は、軽く
たった一人の黙祷が、どれほどの意味を持つのかは分からないが、少なくと、無意味ではないと思っている。
海全体が、闇のような赤色に染まっていた。それが夕日なのか、兵士たちの血なのか、沈んだ戦艦から漏れ出た燃料なのか、俺には、分からなかった。
そんな
実は、陸軍と海軍では敬礼が違う。陸軍の敬礼が肘を突き出すのに対して、海軍の敬礼は、狭い船内で行うことを前提にしているため、肘を突き出さずに、体にぴったりと付ける。
陸海合同演習の際には、狭い軍艦の廊下で肘を突き出す敬礼を行って、肘を強打して負傷する陸軍兵士が、結構多い。俺も、その一人だ。俺は、新兵の頃の、古びた思い出に、苦笑した。
俺たちに、一部の乱れもない敬礼を向ける水兵達が、窓から見える風景として、後ろに流れていく。
俺らは、味方艦が、敵兵器の鹵獲などの戦後処理に
湾の外では、大型の戦艦や空母などが待機しており、俺らは、一隻の空母に回収された。
すでに湾の制圧が終わったからか、湾の外の軍艦は、堂々たる威厳を失ってはいなかったが、のんびりした雰囲気を漂わせていた。
俺らを回収した空母には、下に開く大きなハッチが取り付けられており、そこから、水陸両用車を船内に入れることができた。まるで、揚陸艇のようだ。
運転手は、巧みな操縦で、波に影響される水陸両用車を、一切、接触することなく、空母の中に入れた。
どうやら、揚陸艇のよう。ではなくて、揚陸艇の仕組みを、水陸両用車の収容にそのまま使ったようだ。つまり、この空母は、揚陸艇としても機能するという事か。
まあ、水陸両用車一つのために、新しい設備を作る必要もないし、何より、割に合わない。つまり、コスパが悪くなる。
それなら、水陸両用車を揚陸艇で収容できるように設計した方が、はるかに安上がりだ。まあ、多少の細工は必要だろうが。
軍とは、その性質上、できるだけ装備を統一した方が、やりやすいのだ。個性よりも均一。天才ひとりより、統制のとれた凡人百人の方が、強い。
まあ、兵士はそんなことを心配する必要など、全くないのだが。兵士が、戦場に来てまで装備の心配をする必要があるほど、わが軍は貧しくない。
俺らの後ろで、ハッチがゆっくりと閉まっていく。これで、万が一敵が襲ってきても、俺らは頑丈なハッチで守られる。という訳だ。機関銃員が、安堵のため息をつくのが、聞こえた。
後ろのハッチが完全に閉じる。すると、今度は、船内に入った海水の水位が、徐々に下がってきた。ハッチ内にたまった海水を、抜いているようだ。
ハッチ近くにいた兵士は、海水が完全に抜けたのを確認して、水陸両用車のハッチを開いた。俺らは順番に、水陸両用車から降りていく。
ここが、もし戦場だったら、全員がしっかりと銃を構えて、素早く水陸両用車から降りて、油断なく周囲を警戒する必要があっただろう。
だが、今は、そんな必要もない。
俺らが水陸両用車から降りた瞬間に、青い迷彩服を着た水兵達が二十人程度、銃を構えて走ってきた。そのまま、よく統制の取れた動きで、俺らを取り囲む。
彼らの構える銃の、銃口の先には、俺らがいる。指は、引き金にかけられていない。つまり、すぐに撃つようなことはないだろう。
敵国兵がこの空母を制圧した可能性は、低い。あの戦闘服は、我が国の海軍が採用しているものだ。つまり、彼らの目的は、氷室を殺す事である可能性が高い。
まずい。ここで戦闘になると、とても不利なことになる。特殊部隊の兵士は、一人で
正面からぶつからない『影の戦争』では、偽情報の散布、敵国の反政府組織への武器供与、金銭的援助、訓練なども行うので、それも含めると、一人で
特殊部隊の兵士、乗員三人と、兵士十人。全員が同じ実力を持っていると考えれば、百三十人を相手にできる。つまり、
まあ、もし水兵が氷室を攻撃すれば、特殊部隊は水兵の側に付くだろう。彼らは、国に忠誠を誓う、生粋の兵士だ。そうなると、百三十人+水兵二十人vs俺と氷室という戦闘になる。
俺は、真正面からの戦いになってしまうと、0,5人分の戦力にもならない。弾避けにしかならないな。
だが、俺はともかく、氷室はとてつもなく強い。正面からぶつかっても、十個分隊、合計、百人を余裕で壊滅させられる実力がある。
多分、少なく見積もっても、
裏からの工作を含めれば、三十万人、一個軍団規模の部隊と互角に戦えるだろう。まあ、今回は裏からの工作ができないから、それは除外する。そう考えても、200.5vs150。五十人分、こっちが有利だ。
だが、俺らに銃口を突き付けている水兵も、特殊部隊かもしれない。特殊部隊は、陸海空どの軍隊にも、存在している。
もしそうだとすると、戦力は拮抗。つまり、互角になる。そうなれば、多くの犠牲を払うことになるだろう。仲間内で争うのは、嫌だな。
だが、俺の予測は、何の役にも立たなかった。まず、水兵は氷室を殺すつもりではなかった。
氷室は、その場で拘束された。氷室は、一切抵抗しなかった。水兵も、無用な争いをするつもりはないらしく、氷室を傷つけるようなことは、しなかった。
俺と、特殊部隊の兵士達は、武装した水兵に警戒されながら、氷室とは別の方向に連れていかれて、取調室のような地味な部屋で、数時間にも及ぶ事情聴収をされた。
俺は、氷室との関係を慎重にはぐらかしつつ、慎重に嘘と真実を混ぜて、氷室について語った。遠回しに、『殺すには惜しい人材だ』と伝えておいた。
嘘をつくときには、嘘に、真実を慎重に混ぜる。こうすることで、相手は、情報を信じやすくなる。軍学校で教わった。
まさか、役に立つ時が来るとは、思わなかった。
後から聞いた話では、氷室は、艦隊司令官、作戦参謀長、参謀副長、そして、軍本部からオンラインで、工作員部隊隊長、そして、軍の最高司令官である元帥まで参加する、かなり大規模な軍事法廷にかけられたそうだ。
工作員部隊隊長は、氷室を自分の隊に入れることを希望して、参謀長と副長は、ともに処刑を希望した。艦隊司令官は投獄を希望。元帥は、氷室の話次第と、意見を出した。
氷室は、自分の持っている敵国工作員の名簿や、情報を渡すという方針で、裁判に
一番の功労者は、意外なことに、狙撃部隊隊長だ。彼は、誰が責任を取るのかという問題を持ち出して、上層部の軍人を脅し、特殊部隊隊長などの協力を取り付け、この結果を手に入れたらしい。彼自身、氷室を失うのは惜しいと思ったのか。
全てが終わった頃には、すでに、次の日の夕方になっていた。丸一日かかったことになる。だが、その価値はあった。俺は、氷室と共に戦える。
その後、俺らには自由行動が許された。特殊部隊の兵士達は、
特殊部隊の兵士達は、空母に乗るのは初めてではないようだ。俺とは違い、物珍しそうにしていない。
まあ、海軍特殊部隊との合同演習も、狙撃部隊よりは多く行っているだろうし、上陸作戦などで、乗ったことがあるのだろう。
俺は、戦艦、
俺は、物珍しさを感じながら、艦内を見物した後、広々とした甲板に出て、平和になった海を見ながら、のんびりしている。
空母の甲板は、とにかく広い。まさに、海上の飛行場といった雰囲気だ。戦闘機がひっきりなしに行き来していれば、危険すぎて休めないが、平和な時は、その広々とした甲板で、のびのびとできる。
俺以外にも、青い迷彩服を着た水兵たちが、煙草を吸いながら海を眺めて、のんびりとしている。
事情聴収中に、弁当なんかを運んできた、親切な水兵が言っていたことによると、敵国海軍の総司令官が、俺の狙撃で死亡したため、敵国海軍は統制を失い、指揮系統を回復させることができないまま、各個撃破され、壊滅したという。
その水兵は、俺の事情聴収が終わった後、ポンと、俺の肩を叩いた。ありがとう。と、感謝の言葉と共に。
どうやら、この兵士は、かつて、あの司令官の指揮する戦艦と戦火を交えて、一杯食わされたことがあるようだ。だから、それを殺した俺に感謝したのだろう。
水兵たちが戦闘機に燃料を補充する音や、戦闘機を整備する、心地よい音が、甲板に響く。
柔らかい光を甲板に降り注がせる夕日が、ゆっくりと沈んでいく。ぼんやりとその風景を眺めていると、いつの間にか、俺の横に、氷室が立っていた。その表情は、読めない。
「ねえ、蒼」
氷室が、突然、呼び掛けてきた。俺は、氷室になんて話しかければいいのか、分からなかった。少しは気の利いたことを言いたかったが
「何?」
俺に、言語をそこまで巧みに扱う才能は、無い。それに、そんな才能が必要だとも思わない。
「これから、この世界はどうなっていくのかな?」
確かに。それは気になる。氷室の裏切りで、敵国工作員網は大打撃を受けた。その上、いくつかの重要な作戦の計画を、一から練り直す必要に迫られた。
その上、敵国の首都機能は、完全に失われた。復興には、十年以上かかるだろう。
今まで不干渉を決め込んでいた周辺の国も、一斉に、我が国との首脳会談の申し込みを行った。
敵国の植民地では、大規模な反乱がおきて、それの鎮圧に、多くの敵兵士が駆り出されている。敵国は、核の力で、危うくも、現状を保っている。
今回、わが軍は核を上手く使った。核は、上手く使わないと、世界が滅びる。様々な要因が重なって、戦争は大きく動いた。
荒れる。俺は、より激しい戦争の匂いを、感じていた。
「少なくとも、兵士の仕事は、まだ残りそうだな」
「そうだね」
俺らの間の空気は変わったのに、交わされる会話は、いつも通りだ。何も変わらない。何も変わらないことが、それが、何よりもうれしい。
俺は、多くの戦場を駆け抜けてきた。指揮官、衛生兵、輸送兵、そして、氷室。今まで俺を助けてくれた人は、あまりにも多い。
俺も、多くの命を奪う中で、同時に、わずかな命を、救ってきた。俺は、味方が少しでも安全に戦えるようにする。だが、それで救える命は、とても少ない。
命を救うことは、とても難しい。人を救うことは、人を殺す事よりも、ずっと難しい。それでも俺は、人の命を救うために、人を殺す。それが兵士の仕事だ。
それでも、兵士に救われる命だって、沢山ある。兵士にしか救えない命が、沢山ある。だから、
「なあ、氷室」
「何?」
「誰も、一人では生きられないんだな」
「そうだね」
夕日が、水平線の向こうに、消えた。日の入りだ。
氷室が、俺の手を握った。俺は、その手を、そっと握り返した。冷え込んだ世界の中で、氷室の手だけが、少しだけ、暖かかった。
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