狙撃手の一日

第5話

 俺の体内時計は朝三時半ごろに鐘を鳴らす。そして一度起きたら、頭もすぐに冴える。


 起床時間は四時なのだが、早めに起きて準備を整えておいた方が、後々の予定に余裕が生まれて、気が楽だ。早起きは三文の徳とは、よく言ったものだと思う。


 軍学校時代と、普通科で戦っていた時代では、起床のラッパが鳴る前に起きるのは、フライングと言われて、上官から怒られるが、狙撃部隊は、そんなことはない。


 集合時間までに現場に、冴えた頭で立っていれば、何も文句は言われない。


 起きてすぐ頭が冴えるのは、訓練実戦問わず、なんども奇襲攻撃を受けてきた結果だ。敵の攻撃を受けたら、数秒以内に反撃しないと、戦死することになるからな。


 俺は布団から飛び降りて、素早く戦闘服を着た。何度も繰り返した成果として、新兵のころは、手間取った着替えも、一分もあれば、全て装備できるようになった。


 戦闘服を着終えると、戦場で必要なナイフや食料、水筒、弾薬、ファーストエイドキッドなどが入った、装備ベストを身に着ける。


 軽く、動きやすく、色々な物が入る装備ベストは、戦場で、とても重要な役割を果たす。身に着けているだけで、兵士に安心感を与えてくれる。


 それに、防刃、防弾性能もある。防弾性能はIII-A。そんなことを言われても、分からないだろうから、説明しておく。


 大体、ピストルの銃弾程度を防ぐことができる程度だ。


 戦場で使われるのはライフルだから、ダメージは減らしてくれるだろうが、貫通する。信用し過ぎるのは考え物だが、無いよりはマシだ。


 まあ、銃弾だけではなく、手榴弾や爆弾が爆発した際に飛び散る、鋭い破片も防いでくれるので、やっぱり、身に付けておいた方がいい。


 唯一の弱点といったら、少しだけ重いことぐらいだろう。まあ、俺の場合、銃弾が届かない所で戦闘を行うので、装備ベストの防弾性能を、頼りにする必要に迫られることは、まずない。


 俺にとって一番重要なのは、狙撃銃ライフルだ。それが無いと、狙撃手は仕事ができない。


 とはいえ、一昔前までの戦場では、歩兵にとって最強の兵器だったライフルも、携行対戦車ミサイルや、携行地対空ミサイル、など個人携行が可能な、火力の高い兵器の登場によって、昔ほどの重要性は、失った。


 だが、そんな時代いまでも、小銃ライフルが、歩兵にとって、最も重要な武器であることは、変わっていない。


 俺は、狙撃銃ライフルを、保管用のロッカーガンロッカーから取り出した。今は、まだ冷たい銃身が、金属特有の、鋭い冷気を放つ。それだけで感覚が、研ぎ澄まされる。


 俺は、銃に弾が入っていないか確認すると、安全装置を外し、銃が、正常に動くか確認した。問題なし。


 俺と共に戦場を駆けまわる中で、銃に刻み込まれた傷が、銃に、不思議な凄みを与えている。


 俺は、全ての確認を終えると、銃に安全装置をかけた。そして、弾倉に弾を込め、それを狙撃銃に取り付けた。


 弾が入った銃は、とても危険な物だ。弾を込めなければ、足に落としたら痛い程度の危険しかないが、弾を込めれば、それは、あまりにも簡単に、人の命を奪う。


 銃は、敵を倒す、頼りになる武器でもあるが、雑に扱えば、諸刃もろはの剣と化す。


 発砲直前まで引き金に指を入れない。銃口を壊したくないものに向けない。自身の安全が確保されているなら、安全装置は絶対にかける。銃口を覗き込まない。


 銃という、人一人が持つには、少し強すぎる力を扱うために、人は、その力を暴走させないように、様々な工夫を凝らてきた。その努力さえおこたらなければ、銃は、思い通りに動いてくれる。


 殺気を持つのは人だが、殺気で人を殺すことはできない。


 その殺気に形を与えるのが、武器という存在なのだ。武器は存在しているだけ。武器を使うのは、人だ。


 言い方は悪いが、馬鹿には、絶対に渡してはいけない道具なのだ。俺たちも、軍学校学生時代、クソ厳しい教官から、その危険性を、教官から殴られる痛みと共に、頭に叩き込まれた。


 俺ら生徒は、銃を雑に扱って、殴られ、保健室送りにされた同期を眺めながら、ああならない様にと、銃の扱いを必死に覚えた。


 懐かしい思い出だ。その教官は、俺らが卒業した後、軍学校が敵軍爆撃機に爆撃された際に、高射砲で応戦しながら、撃破した敵爆撃機に、最後の体当たりされ、相打ちとなった。


 まあ、あの教官が穏やかに老衰死するとは思えないから、彼女らしいといえば、彼女らしいとも考えられるな。


 そんなくだらない思い出を思い出しながら、俺は、軍隊向けに改良された、ラジオ体操を始めた。


 ラジオ体操の二倍きつくても五倍効果があるというのが、この体操の売りだ。


 程よく汗がかけるので、俺は、気に入っているが、見た目がカッコよくないから、兵士達には不評だ。まあ、誰も見ていないから、いいのだ。


 これで体を温めて、意識を朝にする。俺は部屋を出ると、小走りで、自分の小隊に割り振られた部屋に向かった。


 説明しよう。わが軍では本来、朝の朝礼は基地のグラウンドで行うことになっている。国旗を掲げ、国歌を歌う。もちろん、普通の部隊の話だ。


 だが、特殊部隊や、狙撃部隊などの、少数精鋭の部隊は違う。小隊ごとに割り当てられた、自分らの部屋に国旗を掲げる。というか、いつでも壁に掲げられている。


 我が国の軍隊は、形式を嫌う傾向にある。曰く「グラウンドに集合しているところに、誘導弾が直撃したらどうするの?」とのことだ。


 すぐに避難すれば余裕で間に合うだろうが、それでも万が一を考えることはある。


 ただ、軍隊は国民の皆さんが払う税金で、運用されている。そして、どこにどれだけの税金を回すか決めるのは、財務省だ。そのため、無駄に複雑な政治にも、大きく揺らされるのだ。


 財務省は、というか、政府は、形骸化した形式にも、結構こだわる。軍部は考えなさすぎだが、政府は考えすぎだ。


 ちなみに軍も、『戦争省』とかいう、いかにも批判されそうな名前の省で、複雑な政治に、少しだけ影響力を持っている。だが、その力は微々たるもので、財務省に勝てるほどではない。


 そのためわが軍では、仕方なく、普通の部隊では形式を重視して、狙撃部隊、特殊部隊、空挺部隊、工作員部隊などの精鋭部隊では、形式をほとんど使わないという所で、政府と妥協している。


 その代わり、そういった部隊では、小隊ごとに部屋が割り当てられており、そこで、点呼、作業、作戦会議などを行う。一言で言うと、事務所みたいなものだ。


 部屋には、移動式の安っぽい机、折り畳み式の椅子、一世代前の、古いけど正常に使えるパソコンなどが置かれている。作業に合わせて、部屋のレイアウトを素早く変えられる。


 朝の点呼の際は、机なんかを全て端の方に除ける。作業の際は、椅子と机を並べて、パソコンを置く。


 万が一、敵軍に襲撃されて、兵糧攻めに遭った場合、床下収納に保存されている食料や水によって、避難所にもなるという、便利な場所なのだ。


 俺は朝の点呼の際、一番最初にここに着くようにしている。一応こんな風体でも、第七連隊第一小隊の隊長なので、現場には一番早く着いていないといけない。ルールではないが、俺の信念ポリシーだ。


 まず最初、机や椅子は出さない。点呼は立ったまま行うというルールがあるからだ。これは現場でできたルールだ。理由は簡単。


 立つ以上に良いアイデアを、誰も思いつけないだけだ。


 二十分ぐらい待っていると、まず氷室が到着した。こいつも、かなりの早起きだ。それに、迷彩柄の戦闘服には、シワ一つついていない。


 あそこまできれいな戦闘服の奴は、少数だ。外見には気を使った方がいいのだろうが、そんな余裕がない事が多い。余裕があるのは、強い証拠だ。


 と、言い訳をしつつ、単に、兵士達の大半が、服装に無頓着なだけだ。まあ、正装である軍服はそれなりに整えるが、どうせ昼には乱れる戦闘服を、朝だけ整えておく必要を、感じていない。


 俺も、もちろん、ある程度きれいにしてはいるが、そこまで真面目にやってはいない。俺も見習いたいものだな。絶対に無理だが。


 氷室に続いて、他の兵士たちもぽつぽつとやってきた。そして集合時刻の五分前には、当然、全員が集まった。一糸乱れぬ整列をして、殺伐とした雰囲気だ。


「敬礼!」


 俺がそう怒鳴ると、兵士たちがザッと音を立てて二秒ほど敬礼した。


「点呼!」


 俺の指示で、兵士たちが端から一、二、三、四、・・と順番に自分の番号を声に出す。「二十九!」氷室が澄んだ声で言ったので、俺は


「三十。確認終わり!」


 と、点呼を終了した。この後は外に出て、全員で訓練を行う。朝食前は基礎体力を鍛える訓練しかやらないが、朝食後には狙撃や機動作戦、カモフラージュの訓練も行う。


 カモフラージュの訓練はかくれんぼみたいで面白いが、見つかり次第苦いペイント弾で顔面を撃たれるという所を差し引けば結構ハードな訓練だ。まあ、今日はやらないが。


 まとまって移動する際は、規律の乱れは良くないとの軍上層部の決定で隊長の号令で整列することになっている。


 全員が廊下に出たところで俺は「整列!」と言った。兵士たちは一斉に一列になる。兵士が一斉に動いて、三秒程度で一列になる様子は見てて面白い。


 だが、その様子がいくら面白くても、いくら軍を自由に扱えても、いくら給料が上がっても、こういう指揮官みたいな仕事は俺の性にあっていない。正直言ってあまり好きではない。


 俺は、指示を聞いてその実行に徹する方が好きだ。だが上官の命令なら仕方がない。命令は絶対。これがなければ軍隊なんてものは成り立たないからな。


 俺らが目指す屋外訓練場があるのは、宿舎や食堂やらが並んでいる駐屯地の施設群から少し離れたところにある、コンクリートがひかれた広い空間だ。


 屋根はないから、雨が降ると大変なことになる。


 そこで腕立て伏せ、腹筋、ジャンプスクワット、ランニングなどを二時間ぐらい延々と繰り返す。数ある訓練の中では、退屈なのに体力を消耗する一番きつい訓練だ。だが、一番ためになるとも言える。


 軍隊に入ったことを後悔するのはこの基礎訓練の時だという人が一番多い。腕立て伏せをしながら、少し氷室の方を見る。


 氷室は相変わらずの無表情で腕立て伏せをやっていた。軸がまったくブレていない。あの細い腕から何であんな力がひねり出せるのか謎だ。俺は、少し不安定に腕立て伏せを続けた。


 狙撃というのはじっとしていることが多い。実戦経験を積んでも基礎体力はそんなにつかないが、銃の反動はしっかり押さえないといけないので、腕の筋肉を鍛えないといけない。


 一瞬、なんでこんなところに入ってしまったんだろう?と、脳裏に疑問が通り過ぎる。俺は頭を振ってその疑問を振り払った。そんなことに気を散らしていたら、体力の限界がすぐに来る。


 基礎訓練が終わるころには、夏だろうが冬だろうが水筒は空っぽになっている。


 だが、それでも朝二時間の基礎訓練程度で疲れ果てる奴はいない。それどころか、訓練が終わった後のほうが目に力が宿っている。このあと、ようやく朝食にありつけるからだろう。


 トースト二枚、ジャム、炒めた卵スクランブルエッグらしき何か、コーヒー、これが朝食のメニューだ。それだけではカロリーが足りないので、食材は、品種改良されたものを使い、調味料代わりに、化学物質がたくさん入っている。健康食品だ。


 癖も特徴も無い味のパンに、いちご風味の何かを原料としたジャムをぬって、口に運ぶ。まずくはない。むしろ、おいしい。


 だが、大半の兵士は食事が早い。味わう?何それ?という感じの勢いで胃に流し込む。兵士たちが、一斉に食事を終わらせていくのは、少々不気味だ。


 朝食が終わると、今度は座学だ。また食堂の前で整列して、足音をそろえながら大学の講堂みたいな広い部屋に向かう。


 そこには教授っぽい格好の人がいて、その人に敵兵器の弱点や、実戦での動き方、心得、最新の戦術などを教わる。


 授業は分かりにくいが、進みは馬鹿みたいに早いので、言っていることをひたすらノートに写すことを延々と続ける。広い講堂にペンが紙を削る音と、教授が喋る音と黒板をチョークが走る音が響く。


 この作業は一時間程度で終わるはずなのに、三時間以上に感じるのはなぜだろう。不思議だ。


 ちなみに、俺の座学の成績は普通だ。体育の成績は平凡以下。つまり、俺の取り柄は狙撃とカムフラージュだけだ。歩兵にいたころに生き残れたことは、今でも奇跡だと思っている。


 そして座学が終わったら今度は自習だ。パソコンで情報を調べたり、銃の整備をしたり、座学の復讐をしたりする。これに三時間程度割いてある。


 俺はこの時間、座学の復習を二時間程度かけて終えた後、丁寧に銃の整備をすることにしている。日によっては、座学の復習だけですべて終わることもあるが。


 氷室は復習もそこそこに、延々とキーボードを叩いている。一度画面をのぞいたことがあるが、真っ黒な画面が開かれていた。


 文字を打ってエンターキーを押すと、なんか俺の知らない言語で書かれた文が出てくる。いったい何をやっているんだろう?


 まあ俺には知る必要がない事だ。俺は、この時間に三回ほど銃の整備を行った。銃は気持ち悪いぐらい調子が良い。やはりこうでなくては。


 その後、狙撃の訓練を行う。左右から時速百四十キロ程度の速度で発射されるオレンジ色の皿を、離れた場所から狙撃銃で撃つ。いわゆるクレー射撃と呼ばれるものだ。


 だが、軍、特に狙撃手に必要とされる射撃力は競技に比べるとかなり高いので、皿は一般のものより早く、小さい。どうやら、クレーの製作所に特注しているらしい。


 俺は自分の狙撃銃を手にすると、射撃場に入った。射撃訓練は射撃場に入れる人数が決まっているので、基本、順番で参加していく。


 俺は一番乗りで射撃場に着くと、適当な射撃ポイントに立った。カチャッと音を立てて装填し、立射の姿勢で銃を構える。


 スコープに小さなクレーが映った瞬間、引き金を引いた。サプレッサーによって絞られた発砲音が小さく響き、クレーの中央に穴が開いた。軸を失ったクレーは変な軌道を描いて落下する。このくらい造作もない。


 俺はボルトアクション操作で排莢、装填すると再び構えた。クレーが発射される。


 俺が引き金を引こうとした瞬間、いつの間にか隣に立っていた人が、クレーの端の方に銃弾を当てて軌道をゆがめた。


 狙撃をしているとき、俺は、隣で何が起こっていても気付けない。もし敵兵に接近されたら、頭に銃口を押し付けられるまでは敵に気づけない。


 だが、今回は俺を殺そうとするような類の敵ではない。なら、まったく問題ない。生きていればどんな任務でも完遂できる。


 何より、その程度のゆがみ、俺にとっては何でもない。俺は銃口を少しずらして発砲した。


 発砲音が、青空に響き、空中で回転していたクレーの回転が止まった。回転方向と、逆方向に力が釣り合うように撃って回転を止めたのだ。


 俺は素早くボルトアクションして銃を構え直し、もう一発撃った。


 空中に飛んでいるクレーに、俺の放った球が吸い込まれていった。


 百発ほど撃って、ようやく昼食の時間になる。昼食のメニューはなんかよくわからない物質でできたクラッカー。以上。


 お腹にはたまるのに、恐ろしいほど味がしない。いったい何でできているんだろう?


 この国の軍隊に内容物表記の義務なんて存在しない。


 それに、どれだけ不安があっても、どんな状況。もちろん、頭上を銃弾が飛び交っていても、さっと食べられる上に、栄養バランスが良い、というメリットが、とても大きいので、誰も文句を言わない。


 昼食後は訓練、訓練、また訓練で、ヘリや装甲車両の整備、狙撃などを、延々と七時ぐらいまで繰り返す。


 あと、雑務なんかも、この時間に行う。小隊ごとに割り振られた部屋には、パソコンが並べられ、数名の兵士が、キーボードを叩いている。


 そして雑務にしろ訓練にしろ肩が痛くなってきたころに、ようやく、特筆すべき特徴のまったくない、でも美味しい夕食にありつける。


 豆のスープらしきものに、肉の缶詰らしきものなど。メニューは多種多様だが、味には特徴が全くない。味がしないわけではない。肉は肉の味が、豆は豆の味がしっかりする。


 だが、それしかしない。無駄な味付けが一切されていない。どれだけ好き嫌いが多い人でも、ぜったいに食えるメニューだ。


 そして、夜九時から十時ぐらいに、一時間だけ短い自由時間がある。


 俺は『兵士の心得』を三回ほど繰り返し読んだ。もうそらんじることだってできるが、やはり読むという行為には意味がある。より内容を深く理解し、頭に刻み込むことができる。


 狙撃手は、信念のない奴ができる仕事じゃない。俺には、信念がなかった。『兵士の心得』は、俺に『どんな時でも兵士である』という信念を与えてくれた。


 消灯時刻には、布団の上に寝転がる。そして目を閉じて、三匹の羊を数えることには、おれは夢のない眠りの世界に立っている。


 そうして、俺の忙しい一日は終わる。


 とは限らない。


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