第11話

 空を飛びながら、俺は深呼吸をして、はやる心を落ち着けていく。何度経験しても、戦闘前には結構緊張する。


 新兵の頃よりはましになったとはいえ、さらに強い狙撃手を目指すなら、もっと感情を押し殺す必要がある。


 本当に伝説になる兵士たちは、心が本当にあったのか疑問に思うような人もいる。


 まあ、その水準にはなりたくないが。


 氷室は、いくら経験がある兵士でも多少は緊張する戦闘前というのに、驚くほど落ち着いている。氷室の周囲だけ空気が異次元だ。シーンと静まり返って、冬の早朝の人気が無い神社のような、神聖さまで感じてくる。


 以前そのことを仲間の兵士の一人と話したら、「お前の周囲だって同じようなものだ」と言われたのを、ふいに思い出した。あの時は確か「俺なんてまだまだだ」と返したはずだ。


 そいつは少し前の戦闘で、スポッターと共に敵軍の偵察に行ったきり帰ってこなかった。珍しいことではない。狙撃手はそのカモフラージュ技術を買われてよく敵陣偵察に送られる。


 そして、偵察任務から帰ってこない兵士は、決して少なくない。俺はいまだに、氷室たちの領域にたどり着けない。何が違うんだろうな。


 夜十二時ごろ。窓から外を見ると、トーチカが散らばり、塹壕が張り巡らされた荒野が広がっていて、その先に無機質な灰色っぽいビルが連なる巨大な市街地が夜闇に沈んでいた。


 もう目的地付近に着いたらしい。


 塹壕で敵の砲弾を避けながら様子を伺いつつ、市街地に兵士を送るという作戦を取っているのだろう。長期戦には有効な策だ。


 塹壕内にミサイルが直撃する可能性もあるが、対空兵器を塹壕に設置するだけで命中率は下がるし、何より、銃弾や近くからの砲撃を避け、兵士の生存率を上げることができる。


 少し前の世界大戦時には塹壕のせいで、戦況が膠着状態になった。その際、塹壕を突破するために開発されたのが、戦車だ。


 ヘリが降下を始める。下を見ると、塹壕の中に広い空間が作られていた。


 地面を掘って、地下にヘリポートを作ったらしい。なるほど。これなら、駐機中のヘリコプターがミサイルで簡単に破壊されるような事態を防ぐことができる。いいアイデアだ。


 塹壕関係のマニュアルには載ってなかったし、授業でも聞いていないので、兵士が現場で発案したんだろう。


 やる必要はないけど、それをやることによって誰かが助かる。


 小さな気遣いが、最終的に増援や、物資の供給などを通じて自分のためになる。たくさんの兵士の力によって、俺たちは、己の信念のために戦えるのだ。情けは人の為ならず。本当に的を射たことわざだと思う。


 ゆっくりとヘリが着陸した。搭乗口が開く。入口に近い兵士から順番に降りて、素早く三列に並んだ。


 ヘリポートの入り口付近には、待機していたと思われる五人の兵士が立っていた。


 俺はその場を見渡して、最も階級の高い兵士を見つけると、敬礼した。軍隊は単純だ。その場にいる中で最も階級が高い兵士が、その場の司令官だ。


「第七連隊第一小隊隊長、蒼です!」


 狙撃精鋭部隊三十名が一斉に敬礼する音が塹壕内にザッと響いた。その音は塹壕のむきだしの土に吸い込まれる。


 その兵士が敬礼を返したので、俺らは一斉に敬礼をやめて背筋を正した。


「今回、君らを指揮することになったものだ。君らは一時的に第二旅団第一連隊の指揮下に入る。私は、第一連隊指揮官だ。よろしく」


 つまりこの兵士は、俺たちの隊長と言うことか。


「了解!」


「君らは、このヘリポートで待機すること。以上」


「了解!」


 隊長はそれを聞くと、幅一メートル程度のヘリポート出入り口から兵士を引き連れて出ていった。後には、ヘリの乗員五名と第七連隊、第一小隊三十名がポツンと残された。


 だが、こんなことは日常茶飯事だ。戦場に着いたはいいが、指揮官クラスの兵士の戦死などによって現場が混乱していて、すぐに命令を出せない事は珍しくない。


 酷い戦場だと、その間、食料や水が支給されないこともある。そのため、兵士はたいていバックパックに軍用の粘土みたいな保存食と水を五日分は持っている。


 食糧事情は孤立無援状態と変わらないが、狙撃手は基本的に少数で、その上、味方の補給が届かない敵陣近くで活動することが多い。他の兵士に比べれば、そういう事態にだいぶ慣れている。


 俺らはすぐに状況を飲み込んで、思い思いの活動を始めた。


 とは言っても、戦場で兵士ができる休息は寝るか、食べるぐらいだ。インテリなら読書とか、宗教家なら祈りとか、まあ、人によってほかにもあるが。


 残念ながら、俺は戦場にまで本を持ち込むことはない。無くすと困るし、汚れるからな。


 隊には十分の一くらい女性がいるが、当然、こんな人目に付くところでナンパを始めたりする阿保アホは狙撃手になれない。そもそも、そういうことは軍則で禁止されている。


 まあ、こんな緊張感あふれる場所で恋愛できるバカなんて、まさかいるまい。


 俺は、自分の狙撃銃の手入れを始めた。万が一、狙撃中に銃が故障ジャミングしたら、敵に気づかれる危険性が跳ね上がる。


 そして、銃が壊れれば、たとえ敵に見つかっても、反撃できない。狙撃銃、というか、すべての武器に言えることだが、ぶきは、意外と繊細だ、使用後は必ず整備を行い、定期的にオーバーホールしなければ、使えなくなる。


 俺は自分の銃を、常に新品同然に保っておくようにしている。艶消しの黒に塗られた銃身には傷一つないし、胡桃材の銃床はとても滑らかで、構えると肩にしっくりなじむ。


 分解したいところだが、部品をなくすと困るので、今日の整備は最小限にとどめる。


 俺が銃口をブラシで掃除していると、少し離れたところにいつも通りのポーカーフェイスで座っていた氷室が、ふと、何かを思い出したようにやってきて、俺の隣に座った。どうしたんだろう?


 俺の疑問を知ってか知らずか、氷室は歩兵に支給されているライフル『驟雨』の手入れを始めた。このライフルは、一メートル程度の長い狙撃銃と違い、全長四十五センチ程度と、比較的小型で小回りが利く。


 精度もある程度はあり、大体の戦場に順応できるように設計されている。『市街戦から塹壕戦まで』というのが、この銃の売り文句だ。


 弾倉は三十発。セミオート、フルオート、三発のフルオートを断続的に繰り返す三点バーストの三つの設定を、グリップの上に取り付けられた小さなレバーで行うことができる。


 普通科にいたころに撃ったことがあるが、発砲音がうるさいのが嫌だった。消音装置サイレンサーを取り付ければ解決する話だが、普通科の兵士が想定する戦場では、あまり使う必要がないので、支給されないのだ。


「今回の出撃。多分、裏がある」


 突然、氷室が口を開いた。まさか、話したいことがあって、俺の横に座ったとは予想していなかった。


 驚きを顔に出していないせいか、ただ無視しているだけなのか。氷室は、俺が驚いていることなど一切気にかけず、独り言かと思うほど無機質な声でつづけた。


「私たちの出兵と同時に、軍本部から特殊部隊のヘリが離陸したのを目撃した兵士がいる。そのヘリは、この戦場に向かっている」


 いったいどこから仕入れたのか聞きたくなるような情報を静かな声で流していく。


 そう言えば、特殊部隊が駐屯している基地はいくつかあり、軍本部にも駐屯していたはずだ。


 だが、そんなことを俺に話して、いったい何が目的なんだ?


「おそらく私たち含むこの塹壕で戦う兵士ごと、あの都市と、その後ろにある敵基地を焼き払うつもり」


「まて。なんでそんなことがわかる?」


「ヘリに積み込まれた荷物の中に、市街戦には不必要な大量の強力なミサイルが入っていたという情報がある。流石にそんなものを輸送すれば、いろんな経路から情報が洩れる」


 俺の質問、というか、明らかにおかしい穴を突いた攻撃は、氷室の次の言葉で徹底的に叩きのめされた。情報戦と討論で氷室に勝つのは、絶対に無理だろうな。


 氷室は一息ついた後、俺の目をまっすぐ見た。ここで目をそらすのはまずい気がする。


 相手の眼を見るというのは、相手の感情の変化の情報を得る有効な手段の一つだ。俺も氷室の蒼い目をまっすぐ見る。そこには、一切の感情が浮かんでいない。ここから情報を読み取るなど、不可能だろう。


 しばらく、見つめ合ったような、睨みあったような時間が流れた。いや。本当は一瞬だったのかもしれないが、俺には、その時間がとても長く続いたように感じた。氷室は突然、俺から目をそらすと、そっぽを向いて


「とにかく覚えておいて。あなたに死んでほしくないから」


 と言って立ち上がると、俺から離れていった。


「お気遣いどうも。だけど、考えすぎじゃないか?」


 俺は、その逃げるように離れていく氷室の後ろ姿をぼんやりと眺めた。


 あいつ。あんな情報収集力があるなら特殊部隊か諜報部隊に入るべきだった気がするな。しがない一狙撃手のスポッターと埋もれていい人材じゃないだろう。俺の脳裏に、そんな考えが交差する。


 同時に、なぜ軍部がこんな人材をここに遊ばせているのかと、疑問も浮かんできた。何か事情があるのかもしれない。


 だが、考えても絶対に分かることはできないだろう。俺は、考えるのをやめた。

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