第32話

 俺は、車が揺れたりしても問題ないように、シートベルトを締めた。もちろん、誰かに気付かれないように気を使って。


 幸いなことに、車内には、まだ強い緊張感が漂っていた。そのおかげで、俺の行為は些細ささいなこととして、兵士全員の意識から外れた。


 このタイミングで『シートベルト締め忘れていたのか?』とか言われたら、おれは、大きな精神的ダメージを受けただろう。


 この中で一番緊張感が無いのは、俺かもしれない。飄々ひょうひょうとしていると、言い換えてもいい。というか、言い換えてほしい。


 反対に、この中で一番、戦場にふさわしい緊張感を持っているのは、体を外に出している機関銃員だろう。


 機関銃の周りには、もちろん防弾版が取り付けてある。ある程度の攻撃からなら、それが守ってくれるだろう。


 だが、それが、どこまで役に立つのかは、疑問だ。狙撃をされたら、そんな鉄の板など、意味をなさないだろう。


 だが、彼の緊張はそれだけではない。状況によっては、彼の機関銃の腕に、俺ら全員の命がかかる。敵を排除することができる力を持っているのは、彼だけだ。


 対物ライフルとか携行対戦車ミサイルみたいな、分厚い装甲に覆われた堅牢な兵器を破壊できる上に、少数の兵士で扱える高火力の兵器は、結構多い。


 戦車などの兵器は、防御力も破壊力も高く、歩兵にとって大きな脅威になる。一撃で歩兵が何人も殺されるのに、小銃の銃弾では撃破できない。


 それを破壊することができる、小型の兵器が誕生したのも、当然の流れと言えるだろう。


 簡単に言うが、一台一台、決して安くない戦車が、言うほど高くない対戦車ミサイルで破壊されるのは、軍隊の財布的に良くない。


 被害は、金だけではない。もし、この水陸両用車が破壊されれば、俺らは全員、水陸両用車を棺桶代わりに、戦死することになる。


 武器は金で買えるし、人名は何とでもなる。だが、兵士の養成は時間がかかる。


 だから、そういう兵器を持っている兵士が攻撃するような素振りを見せたら、無力化しないといけない。分かり易く言うと、殺さないといけない。


 そして、攻撃を受ければ、どれだけ寛大な敵でも、反撃してくる。反撃してこなければ、それは間違いなく罠だ。


 もし、火力の高い兵器を破壊することに成功しても、機関銃員の安全は確保できない。生き残った敵兵は、間違いなく、最も撃ちやすい機関銃員を狙うだろう。


 だが、幸いなことに、首都に駐屯していた陸軍は、最初の攻撃で大打撃を受けたので、重機関銃でも破壊が厳しい、戦車などの兵器は、見かけなかった。


 見かけても、大勢の味方軍によって攻撃されていて、俺らを攻撃する余裕など欠片も無さそうだった。


 もっとも敵には、俺らの乗る車を撃破するメリットが無い。俺らは、自衛のため以外、戦闘に参加していないからな。


 陸から援軍が来ているとはいえ、敵には、戦場の遊びで不必要な攻撃をするような余裕はない。


 湾に近づけば近づくほど、敵の数は減る。戦争が始まってから、だいぶ時間がたっているというのに、敵の援軍や救援物資は、まだ湾に届いていないらしい。


 おそらく、戦闘開始から無補給の兵士も、少なくないだろう。広い道路では、弾切れの小銃に銃剣を取り付けて、戦車に突っ込む敵兵すら見かけた。


 その兵士達は、戦車の主砲で、数人まとめて吹き飛ばされた。それでも、生き残った兵士は止まらない。最も、今から逃げたところで、助からないだろうが。


 たとえ近づけても、銃剣では戦車を破壊できない。戦車の周りで援護を行っていた兵士に、あっけなく撃ち殺された。


 敵軍の自走砲もいくつか見かけたが、積み込まれていた砲弾は、すでに底をついたようだ。


 乗り込んだ兵士が、ハッチから顔を出して、周囲の兵士に向けてライフルを撃っている。


 本来、自走砲はそうやって使うものではない。だが、物資の足りない敵は、あるものを使うしかないのだろう。


 湾側から味方軍が入ってきたのに対して、敵軍は、陸側から援軍の兵士を送っている。というか、湾側は制圧されているため、そこに補給は送れない。


 つまり、陸側の敵兵には補給が来ても、それを、湾岸の基地に駐屯していた兵士に送ることができない。つまり、湾側の敵は兵站的に孤立している。


 兵站、所謂いわゆる補給ルートを失った軍は、あっという間に瓦解する。これは、古今東西の戦争全てに通じる、定石だ。


 兵站的に孤立した敵兵は、ビルなどにたてこもって、時間稼ぎをするしかない。それか、自殺覚悟で特攻するか。


 生き残った敵兵が立て籠もったビルの中では、苛烈かれつな戦いが繰り広げられているのだろう。だが、残念ながら、その様子を外からうかがうことはできない。


 部外者に見ることができるのは、砲弾がビルに突き刺さった時に上がる、激しい爆炎と、飛び散るコンクリートの破片だけだ。


 だが、味方が苦戦している場所はない。どこを見ても、追い詰められた敵兵と、快進撃を続ける味方しかいない。


 もう大丈夫だろうな。車内には、そんな安堵が漂っていた。


 そんな空気を切り裂くように、突然、ビルの壁面が吹き飛んだ。コンクリートの破片が、俺らの乗る水陸両用車へと降り注ぐ。安堵が漂った車内に、動揺が広がる。


 いくら特殊部隊でも、いくら狙撃部隊でも、いくら氷室でも、この状況ですぐに冷静になることはできない。


「飛ばせ!」


 いち早く冷静になった指揮官が、素早く、的確な指示を下した。運転手がその命令を受けて、脊髄反射でアクセルを踏み込む。


 キャタピラが回転して、アスファルト舗装の地面をえぐる。その破片を巻き上げて、水陸両用車は、まるで跳ねるように加速した。


 俺らが通過した直後、大量の破片が、降り注いだ。あれを食らったら、俺らはコンクリートに埋められて、身動きが取れなくなっていた。


 動かない車を破壊することなら、手榴弾一つでできる。いくら余裕がない敵でも、見逃してはくれないだろう。


 一体、どこから攻撃を受けたんだ?


 俺は、丸い窓から外の様子を確認する。俺らを攻撃できる圏内に、ビルの壁面を吹き飛ばすことができる、火力の高い兵器を持った兵士はいない。


 ビルの陰に隠れた可能性もあるが、それはないだろう。こういう攻撃の場合、普通だったら、目標への直撃を狙う。


 外れにしては着弾地点が遠すぎるし、間接的な攻撃を行う余裕が敵にあるとは思えない。つまり、瓦礫を降らせる攻撃だった可能性が高い。


 だが、普通に地面に爆薬を埋めて、俺らが通過したタイミングで点火した方が、効率的だ。


 つまり、目的は威力偵察か?それか脅しだな。だが、敵軍に、それらをやる余裕があるとは思えない。


 目的が分からない。何のための攻撃なんだ?俺が理解に苦しんでいると


「久しぶりだね。氷室」


 突然、氷室の無線機から、声が流れてきた。

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