第23話

 案の定、兵士も眠る丑三つ時午前二時ごろ、滑らかにドアが開いて、外の騒々しい音を室内に呼び込んだ。


「出撃するぞ。ついてこい」


 ドアを開けた兵士が、短く、だが有無を言わせない口調で言った。まあ、軍という組織で命令に逆らうのは論外なのだが。


 その場にいる全員が、一斉に立ち上がる。俺らを呼びに来た兵士は、そのまま身をひるがえした。狙撃手たちは素早く荷物をまとめ、ヘルメットを着用すると(装備ベストは脱いでいない)、兵士の後ろについて走りだした。


 俺と氷室も、そこについていこうと走り出した。その時、突然、狙撃部隊を案内している兵士とは別の兵士に、呼び止められた。


「お前らはこっちだ」


「お前ら?」


「蒼と氷室。こっちだ」


 兵士が俺たちの名前を呼んだ。あれだけの兵力がいる中で、よく俺と氷室の名前をおぼえていられるなと、少し感心した。俺と氷室は仲間に軽く別れを告げて、殺風景な廊下を、エレベーターがあるのと反対の方向に進んだ。


 伝令が走り回りカードを扉にかざす。次々とドアが開き、兵士たちが部屋から出てきて、廊下は青、灰色、緑の陸海空の戦闘服を着た兵士たちでごった返していた。


 どうやら、ここのフロアに今回の作戦に参加する兵士を待機させていたらしい。


 俺たちは、戦闘服を着た兵士たちの隙間をぬうように、案内人の兵士を追いかける。この人混みの中で迷子になれば、相手を見つけるのは至難の業だ。


 案内人は足が速い。驚くほどの勢いで人混みをかき分けていく。慣れているな。きっと何回もこんな状況で兵士を案内したのだろう。


 しばらく進むと、廊下にいる兵士の数が減ってきて、いつの間にか、廊下からは誰もいなくなった。


 両脇に等間隔に並んでいた扉も、廊下から人がいなくなって、しばらくしたころに途切れた。


 円を描いていない限り、無限に続く廊下はない。さらに数分間進むと、当然のように行き止まりにぶつかった。


 壁と同じコンクリートの自然な行き止まり。地面にも壁にも、仕掛けがありそうな雰囲気なんて全くない。本当に、ただの行き止まりだった。


「行き止まりですよ?」


 俺が疑問に思って聞くと、兵士はその質問には全く答えず、カードを三枚取り出した。それをまとめて壁に掲げる。


 突然コンクリートの壁が下に沈み始めた。何だ?ズズズズズと重い音を立てて分厚いコンクリートの壁が沈んでいく。


 仕掛けがあったのか。一見しただけでは、まさかこれが動くなんて誰にも分らないだろう。その上、この壁はかなり分厚い。


 ここまでの重さのものを動かすには、相当な技術を要するだろう。軍というのは、まさに国の技術の粋を集めた組織なのだ。


 コンクリートの壁が沈み切って消えたその先には、いったい何があるんだろう?


 さらに別の部屋か。危機管理センターか、シェルターか。司令本部か。だが、その答えは俺の予想のすべてを外す形でやってきた。


「ほぉ」


 鍾乳石が大量にぶら下がっている天然の洞窟。息を飲むほど美しい光景に、俺の感嘆の声が反響した。


 ごつごつした岩肌の地面が五メートルほど続いた先には、向こう岸が見えないほどに広い湖があった。


 どこから差し込んでくるのか。微かな光を受けて闇の中に、木洩れ日が蒼く煌めいている。


 地底湖か。


 氷室の瞳の色に似た怖いほど澄んだ水面は、吸い込まれそうなほど綺麗な蒼だ。だが湖底が見えないほど深く、昏い。


 そんな輝くような光景に目を向けていると、一瞬違和感を感じた。俺は視線を横に移動させて、違和感の正体に気づいた。


 ヘリポートが装備されている真っ黒に塗られた小さな軍艦が一隻、その湖の上に浮かべられている。


 こんな大自然の力を感じるような場所に置かれるには、余りにも無骨だ。だが、違和感の正体はそれだけではない。


 ここまで小さい軍艦ヘリ空母というのは、あまり見ない。というか、まず無いと思う。簡単に沈められてしまうし、何より、大量の兵器を搭載できない。


 小さければ確かに空気抵抗は減り、小回りが利くようになるが、ここまで小さくなると、デメリットがメリットを上回る。


 現在の戦争の形は、基本的に強力な火力を作戦で動かす。まあ、多少頭を使う力業という形式をとっているので、その形に合う強力な兵器が必要なのだ。


 大抵の戦艦に、すばしっこい小型艦を、周囲の海水ごと吹き飛ばすような威力の主砲が備えられている。打たれ弱い小型艦は、あまり役に立たないのだ。


 昔は、水雷艇という魚雷を使って戦う小型の船もあったが、対策のために登場した駆逐艦に文字通り駆逐されてしまい、今、小型艦は駆逐艦だけだ。


 何より、ヘリ空母を小型にする必要性など、まったくない。


 それに、真っ黒に塗られた軍艦というのも初めてみる。あんまり詳しくないけど、海の上を堂々と進む戦艦は、大抵重厚感のある灰色だ。


 それだけではない。ヘリポートに駐機してあるヘリコプター。これもまた奇妙な形だった。


 プロペラには、通常のものより多くの羽が取り付けられている。それだけならそこまで違和感がない。形も奇妙だ。


 ブーメランのような形のプロペラが、普通のヘリの角と面を際立たせたような、カクカクした本体に取り付けられている。


 見たこともない形だ。新型のステルス機かな?兵士の一言が、俺の疑問に答えをもたらした。


「見ての通り、この基地の地下には、巨大な地底湖があるんです。軍の最重要機密なので絶対に漏らしてはいけませんよ。万が一他言した場合、命の保証はできません。


 この地底湖は海に繋がっています。君たちには、わが軍の主力部隊に先立ってこの百ノット以上の速度が出せる最新のステルス艦で敵国首都へ向かい、ある程度近づいたところで、この最新のステルスヘリで狙撃可能なポイントに行ってもらいます。


 先ほども説明したと思いますが、任務内容は敵艦隊司令官の狙撃です」


「どのくらいで首都に着ける?」


 俺が兵士の説明を半分無視するようにそう聞くと


「およそ三時間程度で着きます。あなたには、風の強い中、十㎞以上の長距離狙撃をしてもらわないといけないので、先に現地に到着して、狙撃の準備を始めてもらいます。お分かりになりましたでしょうか?」


 と、兵士が嫌味なほど丁寧な口調で返した。あっそ。分かっていますよ・・・は?十㎞?


「ちょっと待て。四㎞って話だっただろ。何で二倍以上になってんだ?」


 俺は慌てて聞いた。十㎞までになってくると、そもそも銃弾が届かない可能性がでてくる。大丈夫なのか?


「大丈夫です。わが軍の狙撃銃『朧』は、論理上十一キロ以内だったら殺傷能力があります。それにあなたに断る権利はありません」


 兵士が、小馬鹿にするような口調で言った。その通りだ。俺に断る権利なんて全くない。もう聞きたいことがなくなったので、俺は口をつぐんだ。


「ヘリと戦艦は誰が操縦するの?」


 さっきまでずっと黙っていた氷室が突然、口を開いた。確かにそうだ。見た感じ、ここに俺たち以外に人はいない。動かせなければどんな兵器も無用の長物だ。


「戦艦は全自動です。あなたたちは寝て過ごしていても問題ありません」


 兵士がすました顔で、さも当たり前のように言った。全自動の戦艦が開発されたなんて話は聞いていない。


 おそらく、軍が秘密裏に開発していたんだろう。軍というのは何かと秘密が多い機関だ。秘密裏に開発された兵器の一つや二つ、それどころか十や二十あってもおかしくはない。


 そして今回、試しに実戦に投入して、正常に使えるかのテストをするつもりなのだろう。


 分かりやすく言うと実験。そんな実験に命を懸けないといけないとは、ついてないな。それに俺らはハツカネズミじゃねえ。


「ヘリは?」


 俺の心境を歯牙にもかけず、氷室がいつも通りの無機質な、でも澄んだ声で続きを促した。兵士は大きくうなずいて


「氷室さん。あなたが操縦します」


 どうせ断る権利なんてないですね。はいはい非常によく分かっていますよ。俺は氷室が言うべきことを、どうせ言わないと分かっているので内心で代弁した。


「氷室、ヘリの操縦ができるのか?」


 だが、どうせ断る権利がなくても一応聞いておきたい。もしここで「できない」といったら、俺は、いつでも海に飛び込む準備をしないといけない。プロペラでズタズタにされるのは、ごめんだ。


 ついでに三途の川の渡し賃、六文銭も必要だ。だが俺のそんなくだらない思考も


「できる」


 氷室の即答で終了した。安心できる力強い声だ。どうやら、本当にできるらしい。


 氷室は何でもできる。かどうかは知らないが、あらかたのことには通じている。特殊部隊にだって、ここまでよろずに通じている人材はいないだろう。


 できないことがあるのか、一度聞いてみたい。まあ、ちょっと聞いた程度で手の内を明かしていたらここまで生きていないだろう。多分、俺にも教えてくれないだろうな。


 だが、いくら氷室がよろずに通じていても、俺の狙撃の腕がそこそこあっても、二人だけでは、万が一敵に気付かれたら、死ぬしかない。


「俺ら特攻隊じゃないんだけど」


 案内人の兵士に皮肉を込めて言ってやると、兵士は鼻で笑って


「狙撃手の作戦は少数で行うのでは?あなた方が少数での活動しかやっていないので、それが好きなのかと思ったのですが・・」


 と、完全に馬鹿にした口調で聞き返した。俺は一瞬ナイフの柄に手をかけそうになったが、考え直して止めた。ここでこいつを殺したら軍法会議ものだ。減俸では済まされないだろう。


 俺がナイフの柄から手を離した瞬間、兵士はにやりと笑って


「さあさあ。地獄行きの新婚旅行。どうぞごゆっくりお楽しみください」


 十代のガキ中二病じゃあるまいし、男女でペアを組んだだけで揶揄からかうなよな。俺は黙って踵を返すと、軍艦に入るための、鎖とアルミ製の棒で作られたロープ梯子を、ひょいひょいと登る。


 俺が梯子を登り切って甲板に立つと、氷室もゆっくりと登り始めた。俺と目を合わせないようにしている気がするが、気のせいだろうか?


 氷室は、なぜか俺に背を向けて甲板に立った。耳が赤い気がするが、洞窟内は少しだけ熱いからな。そのせいだろう。


「それじゃあ。行ってらっしゃい」


 兵士はのんびりと手を振ると、その場を立ち去った。ゴミが。


 俺らは、「細部は手を抜きました」と言わんばかりの、黒く塗られた甲板の上に、ちょこんと小さくつけられた船室の中に入ることにした。


 甲板の大半は、そこまで大きいわけではない二人乗りのヘリに占拠されてる。船のほとんどがヘリポートになっていて、そのせいで船室は四畳半もなさそうだ。


 いかにも船らしい、丸い窓ガラスが取り付けられた黒塗りの扉を開いて、船室に入った。


 船室内は黒塗りではなかったが、いかにも手を抜いた雰囲気を感じさせる鉄板の床や壁に、床に固定された木製の椅子が二つ。それだけだった。


 ただ、部屋の前方部の壁には、外から見た時にはただの黒く塗られた鉄板にしか見えなかった場所に巨大な窓が取り付けられていた。マジックミラーか。


 自動で動き出すらしいし、ヘリの操縦は氷室ができるし、狙撃銃の整備をして、移動の震動でパーツを堕としたら取り返しがつかない。


 つまり何もやれることがない。なので、無言で椅子に座っていた。民間の船室にも椅子がないのに、こんなところに金を使う必要あるか?


 まあ、あるものは有り難く使っておこう。これが人生最後に座る椅子になるかもしれないんだからな。


 窓の外には天然洞窟特有のごつごつした岩肌と、地底湖の所々に木洩れ日の差し込む、澄んだ水が見える。


 その風景はずっと向こうまで続いていて、明かりは見えない。この向こうに海があることを疑いたくなるほど、海の影も形もない。ただ、少しだけ潮の香りがする。気がする。


 椅子に座って待つこと十分程度。ようやく船が動き始めた。窓の外の風景の流れている感じから判断するに、かなりの速度で動いているらしい。流石、最高速度百ノットの船は、初速も違う。


 だが、不気味なほど静かだ。スクリューが水を描く音どころか、エンジン音すらしない。もしかしたら電気とか、燃料電池とかで動いているのかもしれないが。


 だが、ここまで静かに動くエンジンが搭載されている船が、俺らの行動のためだけに惜しみなく使われているという所で、なぜ俺らの狙撃に、ほとんど人が関わっていないか理解した。


 情報が極力漏れないようにするためだ。人が関われば、当然、情報というのは漏れやすくなる。


 その点、この作戦に係わる人で、俺たちが今、この瞬間、出港したことを知っているのは、船のプログラムを組んだ人と、あの兵士だけだ。


 俺らの行うこの狙撃作戦が、敵首都攻撃作戦にとってかなり重要な位置づけになっていることが分かった。


 様々な人の思いと、氷室と俺を乗せて、全てを乗せるにはあまりにも小さすぎる戦艦は地底湖の中を静かに進んでいく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る