第24話

 遥か彼方まで続く、暗く、その上、所々で壁と船体との距離が10㎝切るほど狭くなる地底湖も、俺らの乗る最新の軍艦は、ものともしなかった。


 強い光を放つライトで暗闇を切り裂き、プロの運転手のような巧みな操縦で、障害物を回避し、俺が予想していたよりずっと早く、地底湖のごつごつした岩は唐突に途切れ、船は、軍本部の玄関口としての機能も持つ、広大な湾に出た。


 世界最大級の軍備がそろえられた湾。そこは、我が国の海軍の象徴シンボルともいえる大規模な軍港でもある。


 湾をぐるりと取り囲むように設置されたドック(船の建造、修理、係留するための施設)では、戦艦たちが、普段は海底に沈んでいて見えない紅い船底で堂々と地面に立っていた。


 巨大な兵器特有の威圧感に、気圧されそうになる。


 かなりの数あるドックも、戦艦たちによって全て埋まっているというのに、湾上には、まだ、たくさんの戦艦が浮かんでいた。


 戦艦だけではない、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦、フリゲート、そして、海軍のシンボルである空母など、まるで軍艦の博物館のようだ。


 なんか、戦艦の数が知らせより多い気がするが、おそらく、敵諜報機関を警戒して、正確な隻数は、陸軍に知らせていなかったのだろう。


 おそらく、第一艦隊にプラスして、その他の艦隊から精鋭を引き抜いて構成したのだろう。


 その力は第一艦隊をもしのぐ。まさに、世界最強クラスの艦隊だ。そんな艦隊たちのど真ん中を通っているというのに、誰も俺らの乗る軍艦に目を向けていない。


 真っ黒に塗られた軍艦は、夜の海の昏い色に紛れて、見えずらいのだろう。それに、ここまで接近されるとレーダーもあまり役に立たない。


 今回は味方が利用したからよかったものの、同じ方法で敵に奇襲攻撃を受ける可能性があるのだ。


 まあ、流石に湾の外側から入ってくれば、哨戒艇が気付くだろうが、この湾は、内側から発生したトラブルには弱そうだ。


 だが今回、この作戦を組んだ士官は、その弱点を生かした。


 俺たちの乗る軍艦は誰にも見つかることなく、当然、味方に紛れたスパイにも見つかることなく、そのまま湾を抜けた。


 艦隊は、外側からの攻撃には強いが、懐に入られると脆い


 俺らと同時に、三席ほどの軍艦が湾を出発した。おそらく、機動力の高い先遣隊巡洋艦を順次出発させて、敵国の様子を見ているんだろう。


 俺らの軍艦は加速すると、波を巻き上げて突き進む艦隊を追い越して、大海原に乗り出した。


 俺は、何気なく窓の外の海の風景を眺める。水平線の先で海原と同化する漆黒の空に、瞬く星が見えた。


 雲の少ない、良い天気だ。基地や都市部とは違い、海の上には、強い光を放つものがない。


 そのおかげで、闇の空を心地よくまたたく星々がよく見える。俺らの乗る軍艦の速度が速いからか、さっき追い越した巡洋艦も、とうに水平線の向こうだ。


 俺は銃床をなでた。早く撃ちたい。敵兵に私怨しえんはない。ある意味兵士は、最悪の殺人鬼なのかもしれない。


 兵士という名前であるだけで、やっていることは無差別殺人と変わらない。ただ、スコープの向こうに、猩々緋の血花を咲かせたいという気持ちがあるだけだ。


 ならばいっそ、今から脱走してしまえば、地獄自分の心から解放されるのではないか。氷室には迷惑をかけるだろうが、彼女なら自分の身ぐらい自分で守ることができるだろう。


 だが、それでは軍隊という組織は成り立たない。一人逃げれば、部隊は総崩れになってしまう恐れすらある。それに俺は、戦場が好きだ。


 自分の心を風景が反映したように、波が高くなってきた。風の音も強くなってくる。だが、俺らの乗る軍艦はほとんど揺れていない。


 乗り心地も考えられているようだ。海軍は、陸軍よりかは兵士のことを考えているようだ。


 風で吹き飛ばないか心配だったヘリコプターにも、窓から見た感じは、特に問題はなさそうだ。


 これが万が一海に転落すれば、俺らは徒歩で作戦行動を行う必要がある。それは避けたいし、まず不可能だ。


 迷彩服&銃で武装した二人組は、町中を通るには目立ちすぎる。


 相変わらず、船の走行音は全く聞こえず、不気味なほど静まり返っているが、その分、やたらと波の音が大きく感じる。それが、不安をあおった。


 俺も氷室も、おしゃべりが好きではないからなのか、お互いの間に会話はない。


 氷室はいつも通りの無表情で窓の外を見ている。話しかけるのは、なにか間違っているように感じた。


 その静寂のせいか、突然


「ヘリに移動してください」


 という機械的な声が聞こえた時には、俺らは、互いに顔を見合わせた。直後、お互いに首を横に振った。氷室の声ではない。俺の声でもない。


 さっき俺らをこの船に案内した兵士の声に似てなくもない。何が起きたんだろう?


「私の声は録音です。そろそろ目的地に着きます。ヘリに移ってください」


 再び声が聞こえた。なるほど。ここへ無線で連絡すると、電波を傍受したした敵に、この作戦が気づかれる恐れがある。


 そうなれば、俺らは死ぬ戦死だろう。それを避けるために、録音した音声をタイマーか何かで現在地を確認して、自動で流すという形式にしたんだろうな。


 二階級特進は嬉しいが、死体は喜ばない。生きて二階級特進したい。


「行こう」


 氷室がすくっと立ち上がった。俺も、それに続いて立ち上がる。


「そうだな」


 俺らは、鉄製のドアを開けて甲板へ出た。


「うわっ!」


 扉を開けて船室から一歩外に出た瞬間、俺は強風にあおられて思わず悲鳴を上げた。そのまま体の軸を風に押され、バランスを崩す。そのまま踏みとどまることができず、数歩よろめいた。


「しまった!」


 数歩だけ。だが、船自体が小型だたっため、その分、甲板が狭かったのが災いとなった。


 数歩よろめいただけで、俺の足は空を切った。体が一瞬中を浮き、重力に引かれて海へと落下を始める。甲板から足を踏み外したと理解するまでに、二秒以下。


 理解すると同時に、俺は甲板に向けて手を伸ばしたが、すでに遅い。俺の手は空を切り、俺の体は、夜闇より黒い水の中に落ちていった。


 誰かの手が、獲物を狙う蛇のような鋭さで伸びてきて、俺の手首を食らい付かんとばかりに捕まえた。俺の腕に、自分の全体重が掛かった。


 不幸中の幸い、風は強かったが、雨は降っていなかったので、その大切な命綱を、手が滑って放してしまう事はなかった。だが、いきなり体重を掛けられた腕に、鈍い痛みを感じる。


「痛ッ」


 甲板を見上げると、氷室が、俺の手首をしっかりつかんでいた。俺の足元では、風にあおられた波が黒い渦を巻いていた。落ちたら、助からなかっただろう。


 氷室は、自身が落ちる危険あることも気にせず、俺の体を、眉一つ動かすことなく甲板へ引き上げた。


 落ちそうになった恐怖より、強風によって狙撃が失敗する可能性が高くなってきたことに対する恐怖と、難しい狙撃ができるという興奮が、先に心を満たした。


「ありがとう」

 だが、命を救ってくれた氷室への感謝も忘れてはいない。俺が氷室に礼を言うと、氷室はそっぽを向いて


「早く行くよ」


 と言った。もっともだ。此処ここ愚図愚図ぐずぐずしている時間など俺たちにはない。


「ああ。そうだな」


 氷室は自身も風にあおられて転ばないように注意しつつ、素早く梯子を伝ってヘリに乗り込んだ。


 俺も、氷室が乗り込んだのを確認した後、同じ梯子を伝ってヘリに入った。


 ヘリに入る途中、ふと後ろを振り向いて、陸地があると思われる方を見た。ぼんやりとした高層ビルのシルエットと、窓から漏れる、たくさんの光が見えた。


「蒼?どうしたの?」


 氷室がヘリから心配そうに見下ろしている。俺は少し速度を速めて、縄梯子なわばしごを上り切った。


 俺はヘリの操縦席を覗き込む。このヘリの座席は、乗員二名が横並びに乗るような形式になっている。乗り込むための梯子はしごは左側にかかっており、右が運転席。左が助手席だ。


 氷室が先に乗り込んだのは、正解だった。逆だったら、席を交換するためにもう一度甲板に下りる危険をおかす必要がある。


 レーダーに捉えられないようにするためか、それとも、この小さな戦艦に乗せるためか、または両方か。この機はかなり小さく設計されている。そのため、本当に二人乗りかと疑うほど座席が狭いのだ。


 幸い、俺も氷室も細身だから、空間はとれる。少し肩がふれる程度だ。


 この程度なら、万が一敵に発見されても、身を乗り出して敵兵を狙撃できるだろうし、俺はヘリを操縦したことがないから分からないが、氷室の、操縦の邪魔になることもないだろう。


 俺は万が一のことも考えて、背負っていた銃を手に持った。


「行くよ」


 氷室が緊張した声で言った。俺はしっかりとうなずく。氷室がレバーを動かした。ヘリのプロペラが静かに回り始めた、凸型四角形のプロペラは、音を立てない工夫だったのかもしれない。


 数分程度で、プロペラの速度はどんどんと速くなり、小さく風を切る音が聞こえてきた。その音がいよいよ高くなってきたころ、タイミングを見計らったように、氷室がレバーを引いた。機体が船から離れた。窓から下を見ると、船が離れてゆく。


 どうやら、離陸したらしい。

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