第25話

 ヘリが離陸したことによって、敵国首都全域を一望できるようになった。湾を囲むように超高層ビルが立ち並ぶ敵国首都の夜景は、思いのほか綺麗だった。


 特に目を引くのは、ステンレス鋼が網目のように組まれた三本足の電波塔。自国の首都に建っている物と同程度の規模で、高層ビルに防がれることなく、都市全体に電波を送ることができる。


 このように他の建物に比べ圧倒的に高い電波塔は、極度に都市化、電子化が進んだ今の時代、大都市には必ず必要な物なのだ。


 だが、この塔にはもう一つ重要な役割がある。敵国首都の、シンボルとしての役割だ。電波塔内には、もちろん、電波塔としての役割を持たせるための管理室や警備室を重視して設置している。


 だが、都市の夜景を一望できる展望室や、夜景を見ながら食事を楽しめるレストランなども設置されていて、レジャー的な側面も持っている。


 中だけではない。電波塔は、毎晩、様々な色にライトアップされ、中に入らなくても、見るだけで楽しむことができる。


 まあ、これから始まる戦争には一切関係ないが。むしろ、綺麗な物を破壊したくないという人間の感情が妨げになるという面では大いに問題だが、それだけだ。


 巨大な湾に作られた港には、まだ日の出前だというのに、何隻もの輸送船や遊覧船が、船を進めていた。


 そんな穏やかな湾の中でも、張り詰めた緊張感を漂わせて、湾を監視する何隻もの軍艦が、今は戦時であると、無言で告げていた。


 ちょうど、数隻の艦艇が哨戒のために、湾を出ていった。いや。あれは軍艦じゃなくて、沿岸警備隊の巡視船だな。


 軍艦が灰色であるのに対し、この船の色は白。甲板に、海軍のものよりやや小さい機関砲が搭載されている。


 その巡視船は、船首を我が国と敵国との国境の方へ向けると、波を切り裂いて走り出した。


 あの巡視船の搭乗員クルーも、まさか今日、自分たちが、敵国の艦隊に出会うとは思ってもないだろう。


 もし思っていたとしても、あそこまでの大艦隊だとは考えていないだろう。もし考えていたら、もう少し軍備を整えてから哨戒を行うだろうしな。


 俺は、今日の哨戒当番に当たってしまった巡視船の乗組員くるーたちのことを考えて、ほんの少しだけ気の毒になった。


 まあ、あの巡視船たちがどうなるのかなんて、俺らには、知りようもないことだが、沈められる可能性の方がよっぽど高い。


 俺は、自分の戦場に意識を集中することにした。雑念が混じると、狙撃の精度も下がる。


 氷室は、操縦桿やペダルを滑らかな動作で操作する。すると、まるで申し合わせたように、ヘリが高度を落とした。


 敵国の軍艦に近づきすぎると、どれだけ高性能のステルス機だって、敵国兵士の目視によって発見されてしまう。


 そうなれば、このヘリは機関銃で落とされ、『敵国の哨戒ヘリらしき物が首都上空を飛翔していた』という情報を敵に与えてしまうことになる。


 そうなれば、当然、敵軍は湾の警戒を強めるだろう。そうなれば、今回の襲撃計画が失敗する可能性は、大きく上昇する。


失敗すれば、今回の作戦に参加している大量の軍艦や戦闘機の大半を失うことになる。それは避けなければならない。


 ヘリは首都と、人影がある敵国の施設を軍事施設以外も迂回して、そのまま、敵国首都の後ろに広がる深い森の上にさしかかった。


 ヘリの操縦機器を見ると、様々な計器が取り付けられたメーターパネルの中央に、ナビゲーションシステムの液晶パネルが取り付けられていた。


 等高線と簡略化した地図記号だけの地味な地図の中央に、自分らの位置を示す赤い点が、点滅していた。なるほど。これなら、迷子になることはないだろう。


 俺はそう安心して、直後に、ナビゲーションシステムに使われているGPSで位置情報を割り出されないか不安になってきた。


 まあ、そうならないように、GPSのシステムにも工夫はされているだろう。俺は不安に揺れる自分の心を、無理やり納得させた。不安を抱えたまま狙撃なんてやったら、絶対に失敗する。


 俺らのヘリは、GPSに導かれるままに低空飛行で森をぶ。ついに、ディスプレイの地図上に、目的地を示す青い点が映った。


 俺は外を見る。ちょうど青い点が映っているあたりに、つる草が巻き付き、廃墟となったビルが、一つ建っている。


それは薄闇うすやみの中、廃墟特有の、得体のしれない不気味な雰囲気を漂わせていた。


 氷室はヘリをビルの上でホバリングさせると、レバーを動かして、ゆっくりとヘリを着陸させた。


 この森は首都より標高が高い。つまり、首都と湾を見下ろすように狙撃ができる。


ビルに阻まれて狙撃ができない可能性もあったが、どうやら、杞憂だったようだ。


 その上、このビルは蔓草つるくさに巻き付かれ、森の木々に埋もれるように建っている。森に紛れてしまっているため、敵兵に気付かれるリスクも低い。


確かに、狙撃にはぴったりのポイントだ。


 ナビを見ると、ヘリを示す赤い点と、目的地を示す青い点が、ぴったりと重なっていた。目的地は、ここで間違いないようだ。



「ここは?」


 もしかしたら、氷室なら何か知っているかもしれない。と思って聞いてみたが


「ナビの通りに来ただけだから、私にもわからない」


 と、答えた。どうやらこの状況に対する、氷室の持っている知識は、俺と同程度らしい。


 おそらく、ここから狙撃を行え。ということだろう。何気なくナビを見ると、『狙撃を行ってください』と表示されている。俺は、狙撃銃を強くつかんだ。


 湾までは十㎞弱。知らされていたとはいえ、実際に見ると、かなり無謀むぼうであることが分かる。


 俺らは、ひとまず、ヘリから降りた。十㎞を超える、複雑な計算が必要な長距離狙撃を、風で揺れるヘリから行うのは、無理だ。


 屋上はひび割れ、その隙間から草が生えている。放棄されて久しいんだろう。人が踏んだ後も見当たらない。いったい何のための施設で、なぜ放棄されたんだ?


 そんな疑問が湧いてきたが、優秀な情報科の兵士達が、安全と判断したなら、俺ら現場の兵士には、それを信じるしかない。


 今まで全く人の出入りのなかったと思われる廃墟に、まさか、今日に限って人が入ってくるなんてこともあるまい。


 肝試しに来ただけの人、つまり、相手が民間人ならいいんだが、俺らの接近に気づいた戦闘員に入ってこられると、かなり厄介だ。


指揮系統の整った部隊に突入されれば、人数の少ない俺らが、圧倒的に不利だ。


 ヘリや戦闘機から発見されることを防ぐため、ヘリには、簡単にカモフラージュネットをかけておく。


 そもそもヘリ自体が目立ちにくい色をしているから、これなら、パッと見ただけでは何の違和感も感じないだろう。


ホバリングしてよく観察しない限りは問題ない。敵がこのビルの上でホバリングをしないことを祈るしかないが、その可能性は低いだろう。


 俺らは屋上を見渡して、半分崩れた階段を見つけた。俺らは、そこから下に降りることにした。


 うっかり踏み抜かないよう、慎重に足を下ろす。屋上からすぐ狙撃を始めないのは、万が一発見されたときに、身の安全を確保するためだ。


 敵が、もしも榴弾砲などの兵器を使ってきたら、屋上にいれば、確実に死ぬ。


だが、それより下の階なら、屋上のコンクリートが盾になって、衝撃から守ってくれる。


 かと言って、下に行き過ぎるのは問題だが。ある程度高いところからでないと、ビルや森の木々などの障害物に阻まれ、狙撃が難しくなってしまう。


 他にも、あまり下の階から狙撃を行うと、下を通った兵士に、窓から突き出た銃口が見つかってしまう危険性リスクもある。


第一、上に向けて撃つより、下に向けて撃った方が精度もいいし、安全だ。高すぎてもいけないし、下過ぎてもいけない。絶妙な場所があるのだ。


 氷室とも軽く話し合った結果、狙撃を行う場所は、屋上の一階下にすることにした。


ここなら、屋上とあまり変わらない視界の広さが確保できるし、コンクリートの天井が、機関銃の銃弾なら何とか防いでくれるだろう。


 それに、あんまり下に行き過ぎると、ボロボロの階段を踏み抜きそうだしな。


 流石に、ミサイルを食らったら、ほぼ間違いなく屋上ごと吹き飛ばされるが、そこに関しては、付近の駐屯地に野戦特科がいないことを祈るしかない。


 というか、万が一、ミサイルを食らったら、このサイズのビルでは、上階が全て吹き飛ばされてしまう。


 少し前の市街戦で特殊部隊は、都市を、大量のミサイルで破壊したが、あの時、もし、俺らの隠れていたビルが小さかったら、俺らは、ビルごと吹き飛ばされていただろう。


 俺は、銃を構えて階段を下りる。万が一、人影を見かけたら、反射的に引き金を引いてしまうだろう。たとえ、それが民間人であっても。


 慎重に階段を下りた先には、ただっぴろい部屋が一つあるだけだった。もともと会議室だったのか、椅子や机の残骸らしき物が散らばっている。


 そして、最も必要な、湾を見下ろせる大きな窓が、三つもあった。狙撃には最良の物件ってところだな。


 俺は真ん中の窓に近づくと、閉まっていたそれを開放する。これでいつでも狙撃が開始できる。


「氷室。敵司令官を探すぞ。発見次第、教えてくれ」


 氷室は、俺の右隣の窓を開放すると、フィールドスコープを取り出した。そのまま窓から身を乗り出して、湾を眺める。


 傍から見れば、バードウォッチングをしている(ミリタリー好きの)少女にしか見えない。戦闘服を脱いで私服になれば、()カッコ内の言葉は消える。


 俺はフィールドスコープを持っていないので、窓枠を銃座代わりに狙撃銃を構え、取り付けられた高倍率スコープを覗いた。


 流石に、俺はバードウォッチングをしているようには見えないだろう。バードウォッチングに銃は必要ない。


 猟になら必要だと言っても、ビルから突き出た銃身を見たら、それが軍人か警察官じゃなければ、普通に通報するだろう。


 もし軍人か警察官だったら?俺らはその場で逮捕されるだろう。銃刀法違反、不法侵入、殺人未遂、スパイ防止法違反など、牢屋に放り込まれるに違いない。


俺は、くだらない想像を頭から振り払った。もし警官や軍人が近づいてきたら、まず間違いなく、氷室が気づくだろう。彼女の感覚はレーダー並みにするどい。


 民間の船も入れると、とても調べきれないので、軍艦に絞って一隻一隻確認していく。旗艦を、民間の船に偽装していないことを祈るしかない。


 艦橋に、お目当ての司令官の乗っている船は、なかなか見つからない。さっさと狙撃を行って、戦闘が本格的になる前に退散できるのが一番いいが、それは無理そうだ。


 まあ、俺も、そんな簡単に見つかるとは思っていなかったが。そもそも、この湾にいるのかどうかだって、断定していいものか。


 情報科が偽情報つかまされた可能性も、完全には否定できない。


まあ、我が軍の中でもトップクラスに頭がいい人たちが、揃いも揃って騙されたとしたら、我が国の軍事力も、いよいよ終わってきたと考えるべきだろう。


 今回の作戦が、失敗に終わって、その上、被害が甚大じんだいだったら、政府と警察に、逆クーデターを起こされてしまう。


冗談みたいだが、本当にそんな事があったら、全く笑えない。


 日が昇ってきた。薄暗かったビルが、爽やかな風のような朝日に包まれる。しん、と澄んだ朝の空気が、あたりに程よい緊張を運んできた。


 ここは戦場だというのに、不思議と、すがすがしいような、爽やかな気分になった。戦場の朝日より綺麗な物はない。

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