第19話

 あの墜落の経験が、少し尾を引いている。あそこまで強く死の恐怖を感じたのは、久しぶりだ。輸送ヘリ『星彩』には、あまり乗りたくない。


 怪我人の後方輸送には、輸送ヘリではなくトラックを使って欲しかった。ちなみに、もし俺が戦死していたらトラックに乗ることができた。


 トラックは基本、遺体運搬用だ。人間と違って、少しばかり遅くなってもがたまることは無いからな。ガスはたまるかもしれないが。


 負傷兵(まもなく死体を除く)をトラックで後方輸送せざるを得ない状況は、二つほどある。


 一つ目は、敵に制空権を取られていたり、敵の対空砲火が激しいなど、輸送ヘリが落とされる危険性が極めて高い場合。


 激戦地の場合、こういうことは結構多い。そうと知らずに突っ込んだ輸送ヘリに地対空ミサイルが直撃して、乗り込んでいた兵士三十名が全滅という事例もある。


 二つ目は、近くに燃料を補給できる場所がないなどの、燃料の問題がある時だ。


 そういう時は仕方ないので、かつて死体を運んだトラックに、生きたまま入れられることになる。


 俺は、昔乗った、否、乗せられた、血のシミが付いた少し腐臭のする車内を思い出して、身震いした。


 やっぱり、どれだけ怖くても、輸送ヘリの方がトラックより百倍マシだ。墜落の恐怖さえ我慢できれば、輸送ヘリの乗り心地は悪くない。


 それに、俺が軍人でいる限り、輸送ヘリには今後も乗ることになる世話になるだろう。何しろ、陸軍の輸送はほぼ全てこれ輸送ヘリで行っているからな。


 例外は、離島の防衛作戦の場合に船を使うのと、現場の飛行場が正常に機能していて、その上、敵の攻撃で落される心配が少ない場合に限り、大型の飛行機が使われる程度だ。


 大型の飛行機は、地対空が直撃して、墜落した場合の被害が、途轍とてつもなく大きいものになってしまう。


 一機でも落されれば、大体四百人、一個連隊規模の部隊と装備を、全て失うことになる。


 それが特殊部隊などの、訓練に時間がかかる部隊だった場合、一個連隊規模の兵力を再び訓練して、作り上げることは容易ではない。


 つまり、輸送ヘリを使うメリットは大きいのだ。そして、ヘリの使い道はこれだけではない。


 ホバリングというヘリコプター特有の能力を生かして、ロープで懸垂下降けんすいかこうして、地上に部隊を展開させる作戦はよく使われる。


 軍学校の訓練項目に入っているので、歩兵は、全員できる。狙撃部隊の兵科は、歩兵だ。狙撃兵もスポッターも歩兵だ。


 今、乗っておかなければ、その恐怖が、後に残る。怖い思いをした後は、同じことをできるだけ早めにやって、恐怖を克服するのだ。


 恐怖が尾を引くなんてことは、絶対に避けなければならないし、そもそも、俺ら軍の末端に位置する兵士は、ヘリに乗りたくないなんて我儘わがままなど言えない。


 人間は、必要に迫られれば、根性でどんな恐怖でもねじ伏せることができる。それに、絶対に乗りたくない、というほどの恐怖は感じていない。


 俺は、衛生兵の「こっちは忙しいんだ。もたもたするな」と言わんばかりのストレスの溜まっていそうな視線を受けて、ゆっくりと立ち上がった。


 駐機場は、戦闘終了後、塹壕の掘られていない平らな場所を探して、その周囲の塹壕を埋め立てて工兵の連中が大急ぎで作った。


 いや、ヘリポートとは名ばかりで、大型の輸送ヘリが、二十機程度なら余裕をもって駐機できる程度の、コンクリートの敷かれた空間が取られているだけだ。


 ただ、急ごしらえでも工兵の連中は、それなりにしっかりした物を作る。


 コンクリートは頑丈で、大型輸送ヘリがすべて破壊されるような爆撃を食らっても、駐機場は無事だろう。


 その急ごしらえの割には、しっかりした、作りたての駐機場では、大体に十機程度の輸送ヘリが駐機していて、怪我人や最前線から引く兵士達が、開け放たれた後部搭乗口から、次々とヘリ内に乗り込んでいく。


 たった今、限界まで兵士を積み込んだ輸送ヘリが、プロペラの羽音を一段と高くして、離陸した。


 衛生兵は、俺らを、外見からは他との違いが無い、量産品の輸送ヘリ『星彩』の一つに案内した後、野戦病院に戻ってしまった。


 まあ、あれだけの怪我人けがにんがいるんだ。衛生兵も、決して暇ではないのだろう。むしろ、かなり忙しいのだろう、


 医療崩壊が起きないといいが。俺は、一抹の不安を覚えた。寝不足の医者に銃弾を摘出してもらう兵士のことも少しは考えて、シフトを組んで欲しい。


 まあ、負傷兵の後方輸送が始まっているのだから、最前線の衛生兵も、少しは楽になるだろう。


 俺は開け放たれた後部ハッチから輸送ヘリの内装を確認した。ありがたいことに、ヘリには、座席が付けられていた。


 流石さすがに、治療も終わっていない怪我人が、何時間も立ちっぱなしというのは、流石に酷すぎると、軍が判断したんだろうな。


 どうやら軍本部には、まだ雀の涙ほどの常識と人情が、残っているらしい。長い戦争で、とっくにうしなったかと思っていた。


 ヘリに乗るときになって、ようやく、だいぶ数を減らした、第七連隊狙撃部隊第一小隊の戦友たちと、再会できた。


 良かった、お前は生きていたのか。と喜ぶ前に、あいつは、もう帰ってこないのか。という悲しみの方が強く出てきて、皆、一言たりとも話さなかった。


 俺らは、死のような静寂を保ったまま、輸送ヘリに乗り込む。国の要人が座るような、立派な椅子が並んでいるのに驚いた。


 流石に革製ではなかったが、両脇に、前方を向いた座席が、二つずつ取り付けられている。いわゆるクロスシートの座席。


 そこに藍色の、柔らかそうな布が張られている。まるで電車の中みたいな、見慣れない風景の中で、塗装されていない、くすんだ色の壁や床だけが、ただ一つ、いつも通りだった。


 こんな椅子をつける金と余裕があるなら、あんな無茶苦茶な作戦立てずに、もっと兵士を大事にする作戦を立ててほしい。


 そう思ったが、そんなことを言っても、どうにもならないのは、今までの経験で良く分かっている。


 どうやらこのヘリは、国の要人を乗せるために、作られたらしい。それを俺らのために動かすという部分で、末端の兵士にも、敬意を見せるつもりなんだろうか?


 だが、渦巻く沼のような、その思いを口に出す兵士は、否、口に出せる勇敢な兵士は、この場にいなかった。


 俺らは、座り心地の良い座席に座った。俺が、全員乗り込んだ旨を機長に伝える前に、運転手が、慣れた手つきで搭乗口を閉めて、輸送ヘリを離陸させた。動きが、機械のように無機質だ。いつもの運転手さんらしくない。


 そうだ。俺は、無意味に再認識した。いつもの運転手さんじゃない。ヘリの乗員は全員、死んだんだ。俺が敵をヘリの上から狙撃したのが原因だ。


 だが、どれだけ後悔しても戦死した兵士たちは、絶対に返ってこない。


 顔見知りで、時に命を預けることもあった、ヘリの乗員達を殺した。その行動が、正しかったか、間違っていたか。


 どれだけ考えたって、分からない。分かるはずもない。


 後から後悔したって、仕方がないのだ。そして、反省と後悔の基準は、曖昧あいまいだ。


 それに、どれだけ今、悔やんでも、もし、あの場へと時間が戻ったら、俺は、何度でも同じ選択をする。


 あの五人の、俺にとって、眩しいほどに尊い命より、顔も知らない兵士たちの、俺が見れば輝かなくても、別の誰かにとっては、眩しすぎるほどに尊い命を、選ぶ。


 人は「反省しても後悔するな」という。そんなことができるのは、神だけだ。そして、神なんていない。なら俺は、反省も後悔もしない。


 多くの命を地獄へと輸送してきた、そして、敵に落とされる日まで、多くの命を地獄へと輸送し続けるであろう輸送ヘリは、死の静寂を抱いて天翔ける。


 いつもは気にならないプロペラの駆動音が、静寂を切り裂くように響いた。


 窓から、ミサイルによって荒廃した都市が見える。兵士たちが、余りにも広すぎる戦場跡の中で、豆粒のような装甲車両などを走らせ、必死に片付けをしている。


 それが、人に荒らされた蟻の巣のように塹壕が張り巡らされた地形に変わり、いつの間にか、ただの荒野に変わっていた。


 戦後処理に向かう頑丈なトラックの列が、交通道路法のない荒野を、自由に駆け回り、土をかき混ぜていた。


 小さな村の村人が俺らを見上げたり、鬱蒼と茂る森が眼下いっぱいに広がったりして、窓に、俺たちの基地が映ったころには、早朝に野戦病院を出発したというのに、すでに、お昼頃だった。


 業務の隙間時間を見つけて、顔を出しに来た兵士達が、笑顔で手を振っている。


 だが、ヘリが着陸し、搭乗口が地獄の門のように、重たげに開き、生存者が全員降りたところで、大半の人は、自分が大切な人を失ったことを、知った。


 涙をこらえきれずに、泣いている兵士、否。人もいる。地面に涙が、まるで雨のように、ぽつぽつとこぼれる。俺は、搭乗口の前で、呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。


 氷室が、立ちつくしている俺の肩を、ポンと優しく叩いた。俺が振り返ると、氷室が、穏やかなで優しい顔で、俺を見ている。


 肩に、氷室の体温ぬくもりを感じる。


 俺は前を向いた。氷室は、肩から手を離した。どれだけ後悔しても、時間は戻らない。なら、時間という冷酷で残酷な存在に負けないよう、進もう。


 俺は、前へと歩き出した。




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