12
その男があまりにも疑いのない足取りで歩いていくので、私はそこにとどまることがどうしてもできなかった。私の家にたどり着くまで振り向きさえせず、存在しない私に話しかけ続ける男の姿が目に見えるようで。
「茜、最近見ないけど元気?」
死んだんです。それと、茜は私の兄ではありません。
その台詞が言えなかった。だから私は、嘘をついた。
「はい。」
そっかー、と、茜に似た男は太平楽の顔で笑った。よく晴れた日の午後に一緒に散歩などしているとき、茜はいつもこんな顔で笑っていた。
「あの、兄のお友達ですか。」
ぎこちなく問うと、男は一瞬の間の後、そうだよ、と答えた。随分嘘が下手な人だと思った。
「バイト先か、なにかの?」
「うん。」
今度の答えは嘘ではない。つまりこの男と茜は、友人というべき関係性ではなく、同じ生業に従事していた間柄なのだろう。
もしかしたらあの公園でこの男は、客を待っていたのかもしれない。茜の生業を薄々察していた私は、そっと背後の児童公園を振り向いてみる。人気のない雨の児童公園は、そのての待ち合わせにうってつけの場所に思えた。
茜もあんな寒々しい児童公園なんかで、客を待ったりしたのだろうか。
茜の姿を思い浮かべる。背中の刺青が想像もできないくらい薄い身体と白い肌。色も艶も抜けきった金髪と、色の薄い飴玉みたいな瞳。
記憶の中の茜には、児童公園での客待ちはやけに似合った。悲しくなるくらい、違和感がなかった。
「家出、してきたんです。」
言葉は半ば無意識に出た。茜に似たこの男と、もう少し一緒にいたかった。奥谷がいる家に帰りたくない気持ちももちろんあったが、この男と過ごしたい気持ちの方がはるかに大きかった。
男は肩越しに私を見やり、首をひねる。街燈と家の灯で随分と明るい通りで顔かたちを確認してみても、男はやはり茜に似ていた。
「意外。そういう子じゃないと思ってたけど。」
「え?」
「茜に話聞いてたんだよね。結構。写真も見してもらってたし。だからさっきも茜のいもーとだーって分かったんだけど。」
「茜が、私の?」
「そそ。あんたはまともな子だって言ってたよ、茜は。」
じゃあ、茜はまともじゃなかったのだろうか。刺青だらけで、おそらくはもと万引き犯でやくざの愛人で現男娼だったのであろう茜は。いきなりうちに転がり込んできて、またいきなり出て行ってしまって、これまたいきなりやくざに撃たれて死んだ茜は。
そんなふうに考えてみても、やっぱり茜は私よりはるかにまともだったと思う。私や奥谷より、ずっとまともだったと思う。
「私、まともじゃないよ。」
喉がかすかすになって、まともな声が出なかった。それでも茜に似た男は私の言葉をちゃんと聞きとって、そーなの?、とけらけら笑ってくれた。
このひとに、茜はどんなふうに私の話をしたのだろうか。写真を見せたと言っていたが、私にも奥谷にも写真をとる習慣がないから、家に私の写真は一枚もない。茜が私の写真を撮っていた覚えもない。多分、気が付かれないようにこっそり、茜は私をスマホのカメラで写していたのだろう。
見たい、と思った。茜の目に私がどう映っていたか、その写真を見たら少しは分かる気がして。
絶対帰りたくない、と私が心に決めたのを察したのだろう、茜に似た男は困ったように眉を寄せ、ほんの少しだけ微笑んだ。
「帰りたくないなら、茜に電話したら俺んとこ来てもいいよ。」
公園にいるより安全っしょ、と、言い訳みたいに男が呟く。
茜に電話。
私は暗記している茜の電話番号ではなく、スマホに登録してある奥谷の番号に電話を掛けた。
「今日、帰らないから。」
横から男が小さな声で、小林、と言ってきたので、小林さんのところに泊まります、と付け加えて急いで電話を切った。電話の向こうの奥谷は、黙ったまま一言も口を利かなかった。その沈黙は私の耳にねばりつくようで心底不快だった。
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