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私は深草茜についてなにも知らない。知っているのは名前と好きな食べ物、嫌いな食べものくらいだ。だからいくつかの拾い聞きした奥谷と茜との会話で茜のプロフィールを推測するしかなかった。

 例えば私が夏休みの宿題に追われていた8月末の事。

 私はもう学校を辞めたいと茜に愚痴を言った。

 日本史の資料集を開き、年表の穴埋めを手伝ってくれていた茜は、いいんじゃね、と笑った。

 「義務教育の六年は終わってんだろ。へーきへーき。」

 そーね、と私はいったんはその発言を流した。しかし一拍置いて、義務教育は9年だろ、と我に返った。

 リビングテーブルの向こう側でおやつのフルーツヨーグルトを皿に盛っていた奥谷が、余計なことを言うな、と短く茜を叱った。

 茜はいたずらっぽくちらりと視線を上げ、ごめん、と謝った。その表情で私は、茜が義務教育の9年間すら学校に通っていないことを察した。

 「6年の後はなにやってたの?」

 奥谷が台所に麦茶を取りに行った隙に小声で訊いてみたのだが、奥谷さんに怒られるから、と言って茜は答えてくれなかった。

 その夜のことだ。日付が変わる頃に辛うじて宿題を終わらせた私は、歯を磨いてとっとと寝ようと自室から台所へ降りて行った。

 階段を下り、電気の消えたリビングを抜け、台所のドアに手をかけると、奥谷と茜がなにやら話している声が聞こえる。

 普段なら構わず中へ入っていくところなのだが、今日はなんだか様子が違う。途切れ途切れに聞こえる茜の声は、本当にあのいい加減でへらへらした男のそれかと疑うほどに感情的で、半ば怒声のようだった。

 対する奥谷の口調は常より静かなほどで、茜をなだめようとしてか低いトーンを保っていた。

 私は好奇心に駆られて台所のドアを細く開け、耳を澄ませた。

 「もう、俺のこと犬にもしてくれないくせに!」

 「待て、あの頃とは状況が違うだろう。」

 「俺は変わってないよ。」

 「俺も、組も、なにもかも変わったんだ。」

 「そんなの知るかよ。あんなふうに散々俺を使っといて、そんなのってありかよ!」

 「それについては、本当にすまないと思っている。」

 「じゃあ、また俺のこと使ってよ。犬でいいから。」

 茜の声は怒声から一転して嗚咽を含む。

 私は物音をたてないように慎重に室内を覗き込んだ。

 台所の中央、奥谷が調理台に使っている二人掛けの折り畳みテーブルには茜が座っていて、奥谷はシンクに腰をひっかけるようにその斜め後ろに立っている。

 茜は身体を大きくひねって奥谷の方を向いているので、こちらからその表情はうかがえなかった。奥谷は茜の方を見ず、じっとフローリングの床を睨みつけている。

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