3

 「服、ほしい。」

 エビフライを食べ終わった私が言うと、奥谷は食器を重ねて抱えながら頷いた。

 慎重な動作だった。大きく動いたら私が怯えて逃げ出すとでも思っているみたいに。

 「車を出しますから、もも乃さんは支度をしておいてください。」

 「前の車は。」

 「売ってしまいました。」

 「手と首のは。」

 「これは売るわけにもいかないですからね……。手袋かなにかで隠します。」

 「うん。」

 一度だけ、母親と奥谷が一緒にいるところを見たことがある。本当に偶然、母親の店があった界隈を父方の祖父母に手を引かれて歩いていたのだ。祖父母も私も、そこに母の店があることを知りさえしなかった。

 まだ昼間だったのに、母はいかにも水商売ふうな鮮やかなナイトブルーのロングドレスを身に付け、奥谷が運転する車に乗り込んでいくところだった。奥谷はありふれた型のダークスーツを着ていたが、首と手に入った刺青はくっきりと目立っていた。

 「女に飼われたアピールかよ。」

 「もとはやくざだろ。」

 「今でも有名だぞ。かなりやばかったって。」

 そんな会話が背後から聞こえた。慌てた祖父母は私を抱え上げるようにして、丁度止まったタクシーに乗り込んだ。あの日から私に母はいなくなったのだ。

 そんな経緯を知らない奥谷は、少し待ってくださいね、などと言いながら抱えた食器をかちゃかちゃいわせつつ階段を下りて行く。

二人で暮らすには広すぎる一戸建て。言われなくても、母が私をいつか引き取る気で建てた家だと分かる。

 勝手すぎる。あんなふうにやくざ者の男を引き連れた夜の女が、どうやって子供を育てる気でいたのか。

 一週間でぼさぼさになった髪を手櫛で梳く。絡まった細い髪はぷつぷつといくらでも千切れた。幾筋もの髪が絡みついた指を目の前にかかげてみる。赤いマニキュアは、いつのまにか半分以上剥げていた。

 「もも乃さん、行きましょう。」

 黒い手袋とマフラーで刺青を隠した奥谷が、廊下の奥からこちらへ呼びかける。

 「シャワー浴びたい。」

 一週間体を洗っていない身としては、当たり前の要求だった。しかし、奥谷は一瞬ではあったが明らかに怯んだ。

 「奥谷は外に出ています。シャワーを浴び終わったらもも乃さんも出てきてください。」

 「なぜ?」

 お風呂場にはもちろんドアがあるし、鍵だってちゃんとかかる。

 「雪乃さんに申し訳が立たないからです。」

 「なぜ?」

 奥谷はそれには答えず、すみません、と頭を下げた後、本当に家を出て行った。

 静かな静かな家で、私は一人でシャワーを浴びた。

 痩せてあばらの浮いた、子どもの身体。

 怯んだ奥谷が汚らわしく感じられた。



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