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リビングテーブルに着いた牧美さんは、私と奥谷を見比べながらまた少し泣いた。大人がこんなに泣くことがあるなんて、私はこれまで考えたこともなかった。

 茜はこの人のこういうところが好きだったのだろうか。感情の泉が常に満タンに充たされていて、光の加減でいくらでも色を変えるような。

 もう一人、茜が好きだった奥谷も、表にその色が出ないだけで感情の泉自体は常に満たされている。奥谷の動作や呼気で感情の色を読み取れるようになって、私はそのことに気が付いた。

 たとえば茜が死んだと知った日、奥谷は青白い息を吐いた。アニメに出てくる人魂みたいな、青く燃える息を吐いた。私は、奥谷は私を置いて誰かを殺しに行くのではないかと怯えた。

 牧美さんは、熟れた果物の色をしたネイルで飾った指で、静かに頬の涙を拭った。それでもあとからあとから透明な雫は頬を伝った。伝ってはきれいな球体になって顎から転がり落ち、牧美さんのドレスの膝に吸い込まれていった。薄いすみれ色のドレスは、牧美さんの身体を滑らかなドレープで包んで、完成したての彫刻作品のように見せていた。

 「茜、ここにいたの?」

 「いた。三年弱かな。」

 「珍しいのね。一か所に一月以上いられないたちなのに。」

 「ふらふらは、していたよ。」

 「帰る場所があるふらふらと、ないふらふらじゃあ、全然意味が違うじゃない。」

 「帰る場所? 茜に、ここが?」

 奥谷は解けない算数の問題を見る小学生みたいに素直に首を傾げた。それを見て牧美さんは、その子供の母親か面倒見のいい先生みたいに目を眇めた。

 「あの子にとっての三年って、私達には三千年よ。」

 その言葉を聞きながら、私は茜の透き通るように白い横顔を思い出していた。

 一階の和室で寝起きしていた茜は、雨の日は大抵窓際に布団を敷いて、障子を開けて窓ガラス越しに外を眺めていた。

 白い布団の上で膝を抱える茜は、昔話に出てくる高い塔に幽閉されたお姫様みたいに見えた。自由に動けないことに倦んだ眼差し。

 健康でうつくしい身体一つで金を稼げる茜なら、すぐさま窓を開けて雨の中をどこまででも歩いて行けたはずなのに、それでも彼は三年ここにいた。

 茜、と声をかけると必ず振り向いてくれて、茜が好きなテレビやってるよ、と言えばリビングで一緒にテレビを見てくれたし、おやつにしない、と言えば奥谷が買い置いたお菓子を食べながらいくらでも私のつまらない話を聞いてくれた。

 つまり茜は、芯から奥谷が好きだったのだろう。

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