もう、仕方ないから死ぬまで二人よ。」

 絞り出した声は、案じていたような震えを含んではいなかった。いつもと変わらない私の声。そのことに心底安堵した私は、男の刺青の首に手を伸ばした。

 母が巻き付けたまま死んだ黒い鎖。両手で奥谷の首を掴み、軽く力を込める。

 私の犬。

 母親が置いて行ったそれを投げ出さず飼育する義務が、娘の私にはあるはずだ。

 「茜に似てる人にも、母親に似てる人にも手を出しちゃだめよ。私とあんたの二人っきりで生きてくのよ。」

 男は私の掌に喉を緩く絞めつけられながら、うっとりと瞼を閉じて静かに頷いた。

 お前の覚悟は本物か、と、あまりにあっさりしすぎた肯定に私はいっそ苛立つ。

 「なにも代用にできないのよ。二人で生きて死ぬだけよ。」

 明らかに苛立ち、なかば金切声のようになった私の問いに、男はやはり淡々と頷いた。

 「奥谷は、ずっとあなたにこうしてもらいたかった。」

 嘘だ、と呻こうとした唇からは何の音も出てこなかった。それが嘘ではないと私は知っていた。肌からしみ込むように知っていた。

 奥谷はずっといると、幼い私に誓った男。

 あの約束が、どしようもなく歪な形でここまで生き延びてきてしまっている。

 愛しています。

 奥谷は私の手に呼吸を預けたまま、いつくしむようにそう囁いた。

 私はその台詞には何も答えないまま、奥谷の首から手を放す。

 「奥谷はずっといるって言ったわね。」

 遠すぎる約束に、しかし奥谷はわずかばかりの躊躇も見せずに頷いた。

 「二人で生きて、駄目になったら二人で死ぬのよ。」

 なぜだか私の声は幼かった。奥谷に引き取られたばかりの頃みたいに、声音も口調も頼りなげにふわふわと響く。

 「はい。」

 幼い私の声に、奥谷は深々と頭を下げて頷いた。

 足下に半ばひれ伏す奥谷の恵まれた体躯を見下ろしながら私が感じていたのは、明らかに性的な快感だった。この男は女を抱けない。女に惚れるくせに男の身体しか抱けない。この男と二人で生きて行く限り、私は生涯男に抱かれて快感を得ることはない。

 それでもかまわない、と心底思えるほどに、足元に奥谷を這いつくばらせる快感は深く身に沁み込んだ。

 私を棄てて出て行ったっきり、一本の電話さえ寄越さなかった母が私に残したのは、奥谷の首と手首に巻きつけた鎖。逞しく力強い男を支配する快感であり、私から死んでも離れない忠犬が一匹だ。

 私は奥谷を見下ろしたまま、母が死んで以来初めて彼女のために涙を流した。


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犬どもの生活 美里 @minori070830

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