6
牧美さんはなにかを諦めたみたいに複雑に眉を寄せ、長く白い両腕で私を抱き寄せた。
広くて平らな胸だった。多分この世で私だけが、牧美さんの胸を借りて泣いた女だろう。
いや、泣いた女というのは正確ではない。牧美さんの堅い胸に抱かれながら、私は渇いた目をじっと見開いて、異様に早くなる鼓動とぐんぐん冷えていく手足に耐えていた。
生きていると悲しいことがたくさんある。
私はそれが正だと知っているけれど。認めてしまったらここからどう生きて行けばいいのだ。別にどうしても生きていきたいわけでもないこの先の数十年を。
牧美さんの大きな手が私の髪を撫でた。頭のてっぺんから肩先まで、静かに丁寧に何度も。私はその優しいリズムにうっかり酔ってしまいそうになる。
「私と来る?」
囁いた声は男のそれだった。牧美さんは本気で私を連れて行こうとしていた。自分の性に背いてまで、私を連れて行こうとしていた。
今でも思い出すと怖くなる。牧美さんを動かしていたのは明らかに、私への好意ではなく奥谷への嫉妬と恨みだった。
牧美さんの肌の甘い甘い香りを肺いっぱいに吸い込みながら、私は首を振った。横に、大きく。
行かない。私はどこにも行かない。この家は私のものだし、奥谷も私のものだ。茜と奥谷と牧美さんとの関係に私のつけ入る隙など1ミリもないにしても、奥谷は私の所有物だ。
「かわいくない子。」
牧美さんは変わらないペースで私の髪をなでながら、女の声でそうささやいた。
「知ってる。」
そう返した私は、牧美さんの手を失いたくなくてじっと彼女に身を寄せていた。彼女の体温は、母親を知らない私が味わう、一番想像の中の母に近い温度だったのだ。
「かわいくなくていいのよ。全然かわいくなくていいの。」
かわいくなろうとすると、女は大抵不幸になるの。
それっきり口をつぐんだ牧美さんは、私の髪を撫で続けていてくれた。ずっと一定のリズムで、私が眠るまで。
翌朝自室の布団の中で目を覚ました私は、パジャマから着替えることもしないまま階段を駆け下り、台所で大根をおろしていた奥谷に詰め寄った。どうして牧美さんが帰る前に起こしてくれなかったのかと。
「牧美が気に入りましたか?」
私を振り向きもせずおろし金に大根を擦りつけ続ける奥谷の背中は、見るからに強張っていた。堅く張った首筋にぐるりと巻き付いた鎖が、朝の光の中にじんわりと沈んでいる。
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