犬どもの生活

美里

もも乃10歳の冬

母親が死んだと同時に、私は天涯孤独になった。10歳。寂しさに、まだ慣れきってはいなかった。

 その私を迎えに来たのが、母の部下である奥谷だった。部下、という言い方は正確ではないかもしれない。奥谷は母が経営していたクラブの黒服だった。

 私は奥谷の存在を知ってはいた。毎年、母からの誕生日プレゼントを渡しに来るのが奥谷だったからだ。

 父と母が離婚してはじめての誕生日には、大きなクマのぬいぐるみ。私は7歳だった。      8歳になる年は水色のワンピースで、9歳はきらきらのミュール。10歳の誕生日はマニュキュアのセット。

 そのどれも母が選んだものではないと、私ははじめから知っていた。

 母は、子供にぬいぐるみを持たせたがらないひとだった。大人びた格好もさせたがらない人だった。

 「お母さまが、亡くなられました。」

 奥谷が私の前に膝をついてそう言ったとき、私は爪を奥谷に贈られたマニキュアで赤く染めていた。

 子供にはまだ似合わない、濃く華やかな赤だった。

 母が送ってくる金と引き換えに私の面倒を見ていた叔母は、母の死を知った瞬間に私を恐ろしく冷たい目で見下ろした。

 慣れた眼差しではあったが、条件反射で身は固くなる。寒くて雪晴れた真冬の午後だった。

 「奥谷さん、」

 叔母が色あせた唇から吐き出したその先を、奥谷は言わせなかった。

 「私がもも乃さんのお世話をするように、雪乃さんは言い残されております。」

 「それがいいわね。」

 ひとかけらの躊躇いも見せないまま、叔母は私の背中を奥谷に向けて強く押した。黒いスーツでも隠しきれない刺青を手首と首筋に覗かせた奥谷は、どこからどう見ても堅気の人間ではなかったのに。

 痩せた叔母の尖った手のひらに押され、よろけた私は二歩ほど奥谷に近寄る。頑なに玄関から先には上がらなかった奥谷が、狭い靴脱ぎに膝をついたまま私を支えようと片手を伸ばす。私はそれを無視した。

 行かない、と、その選択肢がないことくらい分かっていた。

 私が体勢を立て直したことを横目で確認した奥谷は、ゆっくりと立ち上がって叔母と視線を合わせた。

 「籍は、入っています。」

 「雪乃と?」

 「はい。」

 「いつ?」

 「昨日です。」

 「じゃあ、この子はあなたの子ね。」

 「はい。」

 「早く、連れてってよ。」

 「はい。」

 頭の上で交わされる会話の意味が分からないまま、私は手ぶらどころか上着の一つも着ずに奥谷に引き取られることになった。うさぎの絵が付いたトレーナーにジーンズ。どちらも叔母がどこからかもらってきたもので、襟はよれていたしサイズは合っていなかったし色あせていかにも惨めだった。

 「服を、買いに行きましょうか。」

 私のために車の助手席のドアを開けながら、奥谷が言った。ファミリータイプの白い車。私はこの男が以前は、黒くていかにもその道の人間、と言ったふうな車に乗っていたことを知っていた。

 私は黙ったまま首を横に振り、自分でドアを開けて車の後部座席に乗り込んだ。

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