5

家に帰る車の中で、奥谷は遠慮がちになにくれとなく私に話しかけた。

 「あの赤い屋根は本屋です。本はお好きですか?」

 「……ふつう。」

 「そうですか。……あの白い建物はケーキ屋です。甘いものはお好きですか? よろしければ寄って行きましょうか?」

 「いらない。」

 「甘いものは苦手ですか?」

 「クリームが。」

 「和菓子屋もありますよ。反対方向になってしまいますが、」

 「いい。お腹、すいてない。」

 奥谷が家の駐車場に車を停めたとき、私は謎の解放感を味わっていた。

 これは、あんまり仲の良くない親戚の叔父さんとか、他クラスの担任の先生とかと話しているときの感じに近いと思う。胃の底が落ち着かない。

 私が自分の部屋から出たら、毎日こんな感じの会話をしなくてはいけないのだろうか、と、急に憂鬱になってくる。

 荷物を抱えてとっとと車を降り、自室に向かう。しばらくはまだ部屋にこもっていよう。学校だってまだ冬休みだ。

 「お荷物お持ちします。」

 「やめてよ。」

 追いついて来た奥谷の手を払いのける。

 奥谷は何も言わずにまた私の半歩後ろについた。

 「お部屋に、戻りますか?」

 玄関を入り、私が自室につながる階段を上ろうとすると、奥谷が歯切れ悪く声をかけて来た。

 「うん。」

 「あの、お食事は、お持ちすれば?」

 「……。」

 「すみません。お持ちしますね。」

 「いいよ。」

 「召し上がられない……?」

 「下で食べる。」

 「あ、」

 そこで奥谷は笑った。心の底から嬉しそうな、いっそ子供みたいに単純な笑顔だった。

私はその顔を見ると、また泣きたくなった。 

 怖かったのだ。なにかを所有することが。それが他人からの好意という、どこまでも曖昧で輪郭すらないものであったとしても。私の周りからすべてのものは、流れるように次々と失われていくから。

 はじめに母が家を出た。次に祖母が亡くなって、祖父が亡くなって、父親も亡くなった。そして今度は母親だ。

 「奥谷。」

 「はい。」

 「奥谷はずっといるのね?」

 「はい。奥谷はずっといます。」

 怪訝そうな顔すらせず、問いの真意を気にもかけず、奥谷はごく当たり前のことを訊かれたみたいにさらりと頷いた。

 本当、と問いを重ねたかったが出来なかった。本当なのだろうと思ったから。私の母親に死の瞬間までつき従い、入籍までした男。

 本当なのだろう。ただ、私はどんなに強く思ったところでそれがかなわない場合もあることを知っている。例えば私の祖父母が、父が、私を残して死んだみたいに。

 信じない。傷つきたくないから信じない。

 私は奥谷に背を向けて、階段を駆け上がった。

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