もも乃18歳の冬
透さんは私をこの世で一番やさしく牽制した後も、それまでと変わらず兄の役をこなしてくれた。授業参観や文化祭には必ず来てくれたし、私が帰省すれば焼きそばを作ってトップスのケーキを切ってくれた。
これは誰に対しての好意なのだろうか、と、女子生徒にキャーキャー騒がれて困り顔をしている透さんを見ながら、私はいつも考えた。
私? 茜? 奥谷?
その答えが明らかになったのは、私が高校三年の冬だった。
学校が冬休みに入る一日前、インフルエンザが流行って学級閉鎖になってしまったため、私は外出届を明日提出してくれるように隣室の寮生に預け、こっそり尞を抜け出した。
電車で一時間半、最寄の駅から徒歩10分。よく晴れた冬の空を見上げながらだらだらと踵を引きずりながら歩いた。この時間なら透さんは部屋にいるはずだ。一日早い帰省を、彼はあの微笑で喜んで迎えてくれるだろう。
そんなふうに呑気な私は透さんの部屋の鍵を開けた。この部屋に暮らしだして一週間がたったころにもらった合鍵には、2人で遊びに行った伊豆の海で買った、限定のキティちゃんストラップがぶら下がっている。
鼻歌交じりに、透さんが17の誕生日にくれた白いスニーカーで玄関に上がりこんだ私は、目の前で繰り広げられている光景を脳内で処理しきれずに硬直した。
目の前にいるのは、透さん。見慣れた水色のシャツからも、色の抜けきった金髪からも、金髪の隙間から除く白い顔からも、それは明らかな事実として認識できる。
そして透さんをフローリングの床に全身で抑え込んでいる男は、どこからどう見ても奥谷だった。こちらには背中を向けてこそいるが、裸の上半身はびっちりと刺青で埋め尽くされていたし、その長く太い首には見慣れた黒い鎖がきっちりと絡みついていた。
透さんと奥谷を視認して数秒後、私はなぜか茜の名を呼んだ。呼んだというより、叫んだ。喉の奥にまとわりつく膜を破るように絶叫した。茜、茜、と。
今目の前で奥谷に犯されているのは透さんだ。それを私の脳みそは理解していたけれど、私のどこか根深い部分が理解できずに、茜の名を吐き出していた。
「もも乃ちゃん。」
シャツ一枚引っかけただけの姿のまま、透さんは奥谷を突き飛ばすようにして私の傍らに駆け寄ってきた。奥谷と透さんでは明らかに体格が違いすぎるのに、彼は私のために火事場の馬鹿力を発揮してくれたらしい。透さんに逃げられた奥谷はこちらに背を向けたままだったが、阿修羅のはりついた背中全体で私たちの様子を窺っていることは、その筋肉と肌の張りつめ方から見て取れた。
「ごめん。」
なにに対する謝罪なのかさっぱり分からないその言葉を、透さんは震える声で辛うじて紡いだ。
私はその懺悔に応えることもできないまま、茜の名を金切り声で繰り返し続けていた。
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