第12話 騒々しい昼


 無事に遅刻せず登校できた佑真たち。各々の教室に入り、ホームルームが始まるまで待つのみなのだが、佑真は席に着くと早々に居眠りをかましたのだった。

 妹に起こされたのが、就寝して二時間という短さが災いし、席に着いた瞬間に睡魔が襲い、ほぼすべての授業を睡眠に費やす結果となってしまった。

 さいわい、睡眠学習には自信のある佑真は起こされれば質問には答えられる程度には問題ないのだが、江崎先生には容赦なく頭を手刀された。

 あとは問題なく午前中の授業を乗り越え、放課後に突入するのだが、佑真はいまだ机に突っ伏したまま睡眠欲求を満たしていた。


「いつまで寝てんだよ、佑真。もう昼だぞ」


 佑真に声をかけるのはクラスメイトの藤間大知ふじまだいちだった。


「……なんだよ。ちったあ寝かせてくれよ」

「十分寝て過ごしたじゃねぇか。まだ足りないのかよ」

「冗談だっての。退屈な授業が終わるまでの休息だよ。丁度良い、腹減った」

「省エネにも程があるだろ。真面目に取り組まないと留年するぞ」


 太知に説教される佑真だが、本人はそれほど授業の内申点など気にしていない。傍から見れば不真面目に捉えられるだろう。しかし、佑真は熟睡していなければ学習できる。黒板を消す瞬間に起きれば、内容を暗記してさっさとノートに書き込んでまた寝るを繰り返す。なので、太知のテストが三〇点なら、佑真はその三倍である。


 だから太知に心配される義理はない。むしろ太知のほうが心配だ。


「まあい。それより昼飯食いにいかねぇか? もう腹減ってしょうがねぇ」

「なら飯食いにいけばいいだろ」

「誰を待ってたと思ってんだ。一緒に学食いこうぜ」


 親指で後ろを差す太知だったが、突っ伏す佑真はぐでーんと寝返りを打ち、


「すまんな。今日は弁当なんだ。ほかをあたってくれ」


 カバンの弁当を見せてそう言った。


「弁当? 珍しいな。佑真が用意するなんてな。もしかして彼女か?」

「いや、愛美が用意してくれた」

「カーッ! 妹かぁ。羨ましいねぇ、うちの妹もそんな気概があってくれたらいいんだがな。『はい、お兄ちゃんお弁当』って」

「望んで得るんもんじゃねぇよ。それは」

「んなこと知ってる。だが、羨ましいのは本当だ。普通、妹がお弁当してくれるほど仲が良いなんて滅多にないぜ? おまえんちにわざわざ出向いてまで朝食作ってそれで弁当まで用意くれるんだろ? 普通そこまでしねぇよ」

「俺からすれば、なんで兄妹同士でそんな犬猿の仲なるのかわかんねぇよ」


 佑真からしてみれば、普通に接していて仲悪くなるのが変に感じてしまう。素直な気持ちで接すればいいだけなのに、変に張り合って罵り合っている奴らが馬鹿らしく見える。


「そりゃそうだろ、だって佑真と妹ちゃんは――」

「あっ! 佑真君、やっと見つけた。探したんだからねぇ!」


 瞬間、教室の入り口から椿姫の声が聞こえてきた。教室の喧騒が消えて、静かになった教室に軽い足取りで佑真の机の近くまで向かってくる足音が耳に入る。


「あれっ……榛名さんじゃん!」

「えっ、うん……えっと、君は?」

「俺は藤間大知。このクラスの生徒であります!」


 声をかけられて戸惑う椿姫の問いに、太知は元気よく答える。


「太知君、ね。わたしは椿姫。よろしく」

「よろしく!」


 椿姫と軽い自己紹介を済ませた太知は、


「ところで、遠路遥々うちのクラスになにかご用かな? 誰かを探してるならある程度のクラスメイトなら知ってるから、言ってくれれば呼ぶぜ」

「それなら大丈夫だよ。用があるのは佑真君だから」

「ゆ、佑真ぁ?」


 驚きのあまり上擦った声を上げる太知を尻目に、椿姫は机に突っ伏す佑真の頭と同じくらいの高さまで腰を低くして近づく。


「佑真君。一緒にお昼ご飯食べない?」


 瞬間、教室にいる生徒たちがどよめいた。


「あれ? 佑真くーん。起きてる?」


 反応しない佑真に、首を傾げる椿姫は耳元で囁く。


「……聞いてる。だから寝起きの耳元近くで囁くな」


 寝起きの耳は敏感な佑真。表情には出さないが、耳元から背筋に向かって心地よさに近い、こそばゆく甘美な刺激がつたわる。言葉を発するたびにそれが続くと物凄く辛い。


「あ、起きてたんだ。囁いてごめんね」

「いや、気にすんな。それより、昼飯の誘いとはどういう風の吹き回しだ?」

「わたしが佑真君と一緒に食べたいから、かな?」


 やや照れくさそうに微笑する椿姫を見て佑真は溜息を吐く。彼女は気づかないのだろうか、教室内の異変に。先程までの喧騒が嘘だと言いたいかのように一帯が静寂に包まれたのだ。佑真ですら状況を理解しているわけではない。わかっていることだとすれば、椿姫のお誘いの言葉からこの異様な空気ができたということだけだ。

 まあ、気にする必要はないだろう。

 佑真には周囲の異変など些細なことだ。


「一緒に、ねぇ。どうせ透の差し金だろ? 連れてこい、って」

「あたり」

「だろうと思った……わかった。んじゃ、いるであろう部室にいこうかねぇ」

「すごい、そこまでわかるんだね」

「どうせ肌寒いからだろ」


 佑真は適当にそう言いながら寝起きで怠い身体を起こして部室へ向かおうとする。


「……おいおいおい、ちょっと待て。 おまえらって、知り合いなのか?」


 するといつからか完全に空気になっていた太知が驚いた表情で聞いてくる。


「そうだが。それがなんだっていうんだ?」

「う、嘘だ!?」

「どうした大知。いかにもって感じで動揺して、おまえらしくもない」

「そりゃ動揺するだろ!?  だってあの榛名椿姫さんだぞ!?」

「そうだな。確かにもろ春って感じの名前だよな」

「そこじゃない!」


 ツッコミの忙しい太知だな、と佑真は呑気に思った。


「佑真君、あんまり友達を困らせちゃダメだよ」

「べつに困らせたわけじゃないんだけどな。なんか知んねぇけど太知が困ってるだけだ」


 確かに佑真は友人をよく困らせる。だが、寝起きでやる気のない状態で他人を困らせるほど自分に利点がない。やるなら万全の状態で決行するのが佑真のスタイルだ。


「ねえ、佑真君。わたしの名前ってもろ春って感じだけ?」

「率直な感想だったんだがな。気を悪くさせたならすまん」

「いいの。佑真君はそんな人じゃないって知ってるし」

「知り合ってから一週間でえらい信頼されてんな」


 佑真の言葉に、照れくさそうにする椿姫。本当に幸せな奴だ。


「だからなんでそんなに親しいんだ!?」


 椿姫がきてから太知が一段と騒がしい。大知にとって椿姫がどんな存在なのか知らないが、取り敢えず只者ではないことは反応から見るに明白だった。


「どうした。大知らしくない。いつものようにオチャラーしろよ」

「オチャラーってなんだよ! お茶漬けかなんかか!? って違う! そうじゃなくて。なんで佑真は榛名さんと親しげなんだ、って話だよ!」

「見たまんまだと思うんだが?」

「わかんねぇよ! 経緯だ経緯。突然、親しくなったって言われても納得できねぇよ!」

「なんだそんなことか。ざっくり言うとだな……ひょんなことから椿姫に告白されて、話し合った結果、トモダチという形に収まって今に至る。親しいのはそれが理由だ」


 簡単に説明した瞬間、


「「「「ええぇぇぇぇッ!?」」」」


 阿鼻叫喚の声が教室内に湧き上がる。


「……は? あの佑真に榛名さんが告白? ……は、ははは……な、なに言ってんだよ佑真、嘘だろ? ……す、すみません榛名さん。うちの友達は冗談好きでして……」

「……、〜〜〜〜っっ! 恥ずかしいから言わないでよ、佑真君っ!」

「………………」


 椿姫の羞恥に満ちた表情を見て、太知はすべてを察した。


「う、嘘だあああァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」


 太知が絶叫した。そして、周囲にいた男子生徒も絶叫した。


「久々に見たな。大知が壊れるところ」

「いまだ平常心じゃボケェ!」


 激情に駆られている太知が平常心なあるわけがない。佑真はそんなことを思いながら、血涙する大知に興味なさげな眼差しを向ける。


「嘘だろ……学園のミスコン二学年の部で第一位の榛名椿姫さんが……! 佑真に惚れて告白……ッ! だと……ッ!?」

「……ミスコン? なんだそれ」

「おまっ、知らねぇのか!? 去年の文化祭のミスコンでも一位の座に輝き! 秘密裏に行われた非公式ミスコンでも一位の座に輝いた有名人だぞ!?」

「ああ、そういえば野郎どもがこぞってやってたな。あれのことか」


 透も参加していたと聞いたことがある。佑真は微塵も興味がなかったこともあり、詳しい事情は知らないが、かなりの盛り上がりだったそうな。

 だが、秘密裏に行われたミス・コンテストなら、無許可で評価した女性の前で堂々と話すのは失礼な気がする。外見がものを言う界隈だ。外見だけが評価される場において、されたくない人からすれば失礼極まりない行為だ。ましてや、在学する男の理想像でしか評価されていないのだから。


「そんなことしてたの?」


 まあ、当然の結果だ。男の理想像で不本意にも一位にされた椿姫が黙っているはずがない。他の女子生徒からも非難されるだろう。


「へひぇ……!?  ……いや、その、ちがっ、あががががががっ……!」


 大知は額から汗を滲ませ、明らかに動揺していた。

 自業自得なのだが、このあと太知が椿姫に始末されようと佑真にはどうでもいい。


「太知よ。理想で女を格付けするのはどうかと思うぜ。ミスコンするのは構わないが、ちゃんと了承を得たからすることだな。夜道には気をつけろよ」


 佑真はそう言うと、足早に教室を出ようとする。

 その背中を椿姫は追おうとして、


「えーと、太知君。あんまりそんなことしてると女の子に嫌われちゃうよ?」

「えっ? あ、はい……今後気をつけます……」


 去り際に注意だけした。


「あと、みんなが思うほど、わたしは一位って存在じゃないと思うの」

「えっ、でも確かに榛名さんは一位だったぜ? 可愛いし」

「褒めてくれてありがと。でも、できれば今後は担ぎ上げるのはやめてくれると嬉しいかな。褒めてくれるのは嬉しいけどやめてほしい。何々が一位だとか、そういうの。ミスコンは友達が勝手にエントリーしちゃっただけで自分の意思で出てないから」


 椿姫は苦笑する。


「それは、勝手にやってたことなんで要望どおり応えますけど、べつに胸張って誇っていいと思いますけどねぇ? そんなに一番になるの嫌なんですか?」


 こうもスポットライトを浴びたくない椿姫の理由とはなんなのか、と疑いたくなるだろう。しかし太知の予想するものとは一線を画すような回答が返ってくる。


「嫌というか、わたしは佑真君だけの一番になりたいの」

「………………………――――――、」


 恥ずかしそうに微笑む乙女に太知は思考が停止しまった。


「ゆ、佑真ああああァァァァッ!」


 瞬間、血涙する太知が雄叫びを上げながら、教室の外で待機中の佑真に猛進する。


「なんだ」

「なんだじゃねぇテメェここでぶっ殺してやるぅッ!」

「一体なんなんだ? おい、胸倉を掴むな」


 いたって冷静な佑真は宥めようとするも、なんでキレてるかわからない奴のために労力を割かねばならんのかという心境で引き剥がそうとする。だがなぜか始まる太知の説教が佑真の耳を通過していく。なんで榛名さんがァ! とか、友人として応援はするけど……とか、おまえの転換期だと思って色々と直せ、とか、敵が多いんだから、とか、絶対に幸せにしろよ、とか、傷つけたら殺す、とか、鼻水垂らしながら涙を流すみっともない太知に言いたい放題言われる佑真は溜息を吐く。


 適当に相槌を打って太知の胸倉を掴む。


「なんだこのうd――」


 少し黙ってもらった。


「あれ、太知君はどこかいっちゃったの? 急に声が聞こえなくなったけど」

「さあな。あいつのことだからその辺のゴミ箱に顔突っ込んでじゃねぇの?」 

「なにそれ。佑真君ったらおかしいの」


 椿姫に笑われる佑真は溜息を吐いて、そそくさと部室に向かおうとする。

 さっさと教室から離れたかった。

 先程から延々と聞かされる陰口に鬱陶しく感じてきたからだ。

 なんであんな奴が……きっと脅されてるに違いない……可愛いそうに……先生に言ったほうがいいんじゃ……そんなのが聞こえてくるのだ。

 憶測で物事を判断する浅はかな阿呆が本当に多い。ここで手を引こうとしない時点でどれだけ滑稽な醜態を晒しているのかを知らずにコソコソ話をしている。

 佑真はまた、溜息を吐く。


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