第4話 必要ない恋の垣根
一週間ほど経ったある日の放課後。
下校する者もいれば部活動に励む者もいるそんな時刻。
いつものように授業を寝て過ごした佑真は屋上にいた。
「あなたのことが好きです。わ、わたしと付き合ってください!」
静寂仕切った屋上で、突然そんな言葉が女の子の口から発せられる。
女性の名を、
そんな彼女を、佑真と透は屋上にある建物の上から見守っていた。心臓を波打つ鼓動が強くなるのを感じながら告白の結果を待つ。透は背中から変な汗で濡れていた。
そう、佑真たちは告白の真っ只中に立ち会っていた。
「わたし、これでも頑張ったんですよ。べつのことを考えたり、時を経つのを待ったりとかして紛らそうとしたんです。……でも、そんなの無駄でした……。なにをしても無駄、ならいっそのこと開き直って素直な気持ちを伝えよう、って。――だから、何度でも言います。あなたのことが大好きです。わたしと、付き合ってください」
江珠は頬を赤らめて、今にでも泣きそうな気持ちを押さえつけて笑顔でいう。
「……俺は、君の気持ちには答えられない」
江珠が告白している人物。それは二年A組の担任をする教師だ。担当科目は日本史。温和な性格で優しく、困っている生徒には根気強く接してくれる。お人よしとも言えるが、話しやすく、大多数の生徒から慕われている教師だ。そんな先生に、江珠は恋をした。
結果からするに、きっかけが多すぎたのだ。恋路に発展するような大きな展開が。それらが二人の淡い気持ちから恋へと発展させた。
「……理由を、訊かせてもらってもいいですか?」
江珠が曇った口調で彼に質問するが、答えは返ってこなかった。だが、彼がなにかを押し殺そうと必死になっているのは江珠にはすぐにわかった。
その姿を見ただけで、彼の気持ちを理解してしまった。確信に変わってしまった。覚悟はしていた。わかってしまうと、よりいっそう悔しくて胸が苦しくなった。
「……ズルいですよ。わかってるくせに、知らないフリするなんて……」
教師は視線を彼女から逸らして、なにもかも諦めたような顔をして口を開く。
「……立場が違い過ぎるんだ。もし仮に付き合えたとしても、君を不幸にするだけだ。だから、俺なんかは諦めて、もっとべつの、同世代くらいの男性を探すといいよ……」
正直な教師だった。好きか嫌いかで答えればよかったのに、その後ろ向きな返答はある意味、江珠のことを好きと言っているようなものだった。だから彼は逃げているのだ。
そんな彼を見ていた江珠の中でなにかが切れた。
「それでもッ! 先生のことが好きなんです!」
「――ッ!」
江珠の声に驚き、教師は目を見開く。貫くような鋭い眼差しに思わず身を引きそうになる教師を無視し、江珠は距離を縮める。
「わたしは本気で先生のことが好きなんですっ! 先生と生徒の関係で恋とか……ダメなのはわかっていますっ! だけど、それでも好きなんですっ! 本当に、先生のことが……っ! 大好きなんです……」
そこまで言って江珠の言葉が霞む。
「……っ」
江珠の瞳から涙が流れ始めていた。
彼女は泣いている。そして、彼女を泣かせたのは先生である彼自身だ。本人も答えをはっきりとさせない自分自身が今の状況を作り出していることに悔やみ、表情を歪める。
教師がうじうじしている間にも、江珠は言葉を続ける。
「周りからどう思われようと、先生のそばに居られるならわたしは不幸でもいいです。だけど、先生が不幸になるなら、このまま振ってくれても構いません。でも、先生の本心を教えてください。もし同じ気持ちなら、その温かい手で、体温で、不幸にしてください。……本当の気持ちを教えてほしいんです……だから……お願いします」
涙を堪える江珠から出た最後の告白。これを最後に終わらせる覚悟で出した気持ち。
「………………」
泣いている江珠。それは教師が一番見たくなかったはずの光景だった。その罪悪感と後悔するような顔をする。それもそうだ。教師も江珠ことが好きなのだから。お互いを不幸にすることを恐れ。真正面からぶつけてきた彼女を蔑ろにしようとしたのだ。
「……ごめん。俺が間違ってた。そうだよな、自分の気持ちに嘘をついちゃいけないな」
吹っ切れたような優しい笑顔を江珠に返す。暗い表情は消え、明るい表情を浮かべた。そして、泣いている彼女を優しく抱き寄せる。
その状況に慌てふためく江珠の反応に教師は笑った。
「ちょっ、なんで笑うんですか⁉」
「ごめん。やっぱり江珠は可愛いなって思ってな」
「~~~っ! 突然なにを言うんですか!? こっちは本気で――」
その言葉に江珠の顔がさらに赤くなった。怒る江珠を愛おしそうに見つめる。
「本気で俺のことが、好きなんだね?」
「えっ? あ、はい……」
優しい口調で江珠の言葉に割り込むとすぐに大人しくなった。そして江珠は上目遣いで先生を見ている。返事を待っているのだろう。情けなくて臆病な教師の返事を。
「……思ってもみなかったな。大切な教え子のはずが、まさか愛おしい存在になってしまうなんてな。――本当に情けない男だけど、こんな俺でも君のことが好きだ。大好きだ。もうどうしようもないくらいに、教師の立場を忘れてしまいそうになる。君と離れたくない。立場とか教師とか関係なしで、君と付き合いたい」
「優、先生……」
気づけば二人は微笑み合っていた。
「……俺を、不幸にしてください、江珠さん」
「はい……! 優先生も、わたしを不幸にしてください」
もう言葉は要らなかった。互いの熱を感じるぐらいに抱きしめ合う。鼓動の波打つ力はもう最高潮だ。はれて恋人同士なったんだ、という現実を実感し合っていた。
その光景を見守っていた佑真と透は、安堵の息を漏らした。
「ったく。冷や冷やさせやがって、あのチキン教師が。寿命が一分縮んだわ」
「一分だけかい。べつにいいじゃんよ、そこは。依頼は達成できたんだからさ」
文句を零す佑真を透は宥めて苦笑した。
録画用カメラを片手に佑真の隣で、透は望遠鏡で告白現場を覗いている。
その告白現場が教師と生徒しかいないのは、佑真と透が設けた場所だからだ。江珠の希望で人を寄り付かせないために依頼を受けた次の日から準備を始めた。何分、佑真と透のコンビは悪評が多く、特定の場所に二人が連日いるだけで生徒は寄り付かなくなる。今回もその現象を使って手を打ったのだ。
「……にしても、教師と生徒の禁断の恋かぁ」
「嫌いか? そういうの」
「いや、そういうわけじゃなくて。僕が言いたいのは世間からは酷く叩かれるような関係が今ここでできちゃったんだなぁ、って」
「だから梶本は俺たちを頼ってきたんだろ」
「でもさ、あの二人はこれからどうやって過ごしていくつもりなんだろ。この学園で教師と生徒が付き合ってるって噂が広まったらヤバいんじゃない?」
「さあな。俺たち情報部が詮索する部分でもないだろ。頼まれたことをやったまで。ただそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。もし問題があったら、また俺たちを頼ってくるさ。その日まで気長に待てばいい」
「ずっと思ってたけど、佑真ってかなりドライだよね……」
「そうか? 平常運転のつもりなんだけどな」
皮肉は佑真に通じないと悟った透は苦笑しながらカップルに視線を移す。今もなお、幸せを噛み締めるかのように身を寄せていた。本当に幸せそうに。
「本当に幸せそうだ。だけどやっぱ心配だ。結局はあの二人の幸せを、教師と生徒の恋を世間一般では悪と捉えられて終わるんだろうなぁ」
能天気な表情を浮かべてたはずの透は、どこか不安そうな顔をしている。
あの二人が心配なのは理解している。あの恋には障害があり過ぎる。普通の壁とは似て非なる鋼鉄の壁。いや、それ以上のモノもあるだろう。
江珠には将来がある。夢がある。関係者でもないかぎり他人から見た教師は、夢を、将来をすべて奪った元凶ともなる。もしバレたら教師として居られなくなるだろう。
江珠にも悪い噂が立ち、玩具のように扱われ、明るい将来は消える。今後、二人の仲を許さなれないと思う馬鹿げた正義を掲げる輩が現れるかもしれない。そして、必ず二人の仲を裂こうとしてくるだろう。人は話題に飢えている。何気ない日常に花を咲かせるためなら人の幸せすら不幸に突き落とす。あの二人なら特に。
透が危惧する気持ちもわからなくない。だが、佑真は呆れたように溜息を吐いて、
「人間誰しも恋をする。確かに教師と生徒じゃ責任とかもろもろの問題で許されない。だが、覚悟までしてる者まで咎められるのは気に食わねぇよ」
幸せな二人を見ながらそう言った。
だが、隣で同じように二人を見る透の顔は晴れなかった。
「それでも淘汰されることに変わりないじゃないか。不利益だよ」
「そうだな。だから俺たちがいる。そうじゃねぇのか?」
佑真が素っ気なく放った言葉。べつに大した言葉ではない。だが、今まで佑真とともに歩んできた透なら理解できる言葉の重み。どれだけお誂え向きな言葉よりもしっくりくる言葉だ。これが佑真の答えだ。複雑よりも単純に。透は難しく考え過ぎた。
透は、クスリと笑うと、
「そうだったね。僕たちがいるもんね」
「ああ。とりあえず問題が山積みな二人を部室に呼ぶぞ。このイベントが終わったら」
「はーい」
いつもどおりに戻った透は能天気に返事をする。
「……、透。おまえ最初から心配なんてしてなかっただろ」
「えへぇ、そうかなぁ? そんなふうに見えちゃったならゴメンね」
ヘラヘラしながら答える透。そんな透の心境に気づかない佑真は溜息を吐いた。
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