第10話 夕暮れ時の告白は

 放課後の屋上。あと半時もすれば部活終了を迎える時刻。

 少し強い春風が吹きつけ、屋上にいる二人の肌を撫でる。

 汗を滲ませた佑真には心地いい風だ。目の前にいる少女への警戒心を解いていれば心置きなく余韻に浸れる。けど、佑真は少女の目的がわからない以上は気を許せなかった。

 彼女は今も、微笑みを絶やさずに佇んでいる。

 細身で華奢な身体つきで、出るところは目でわかるくらいはっきりと出ており、女性としては立派に成長し、健康的で普通に良い体形をしている。

 リボンの色からして佑真と同級生。身長は佑真より一〇センチ低いぐらい。腰まで届く褐色の黒髪。淀みのない茶色の瞳は佑真を真っ直ぐ見つめている。卵型の小顔に添えられた小さな桜色の唇は、きめ細やかな白い肌でより彼女の魅力を引き立てていた。

 容姿だけでも美少女と呼べるくらいなのに、これでもかとばかりに大人びた雰囲気を漂わせていた。佑真も見たことのない不思議な魅力があり、男なら誰でも見惚れるほどだ。

 生徒の顔を少しばかり把握している佑真でも少女の顔は知らなかった。道行く人を振り向かせるほどの魅了を持っているのだ。街で見かけるくらいしていてもおかしくない。けど、思い当たるような人は記憶になく、非常に困った状態だった。


「やっと来てくれて嬉しいです。佑真君」


 少女は微笑みながらそう言う。

 そんな微笑みを見ても佑真は物凄く機嫌が悪いのは変わりなかった。強制的に屋上に足を運ばざる負えない手紙を送ってきた張本人に夥(おびただ)しい殺気を抱いている。心を強く揺さぶられ、あまつさえ昔のことまで蘇る始末。見知らぬ人にされるからなお不機嫌。


「そうか。ここ一週間ほど手紙を送り続けたストーカーはテメェだったのか」


 佑真はキレ気味に言う。


「えっ!? 出会っていきなりストーカー扱いって酷いじゃありませんか!」

「普通こんなに手紙送ってくる奴いねぇだろ。最終的に死ぬとか書くやつ病みに病んだ頭のやべぇストーカーの手紙じゃねぇか。まっ、髪の毛入れなかっただけ褒めてやる」


 呆れた表情を浮かべた佑真は吐き捨てる。


「そこまで言わなくてもいいじゃないですか!? 佑真君が来ないから頑張って書きましたのに……。気持ちを伝えるだけなのに、髪の毛なんて入れてません!」

「………………。まさかこの手紙。腐らせて真っ黒くなった血で書いてるとか」

「してません! ちゃんとペンで書きました! 酷いです……」


 肩を落とし、残念そうな表情を見せる少女。落ち込まれても困るのは佑真のほうなのだが、なぜだか不機嫌な自分が馬鹿らしく思えてきて肩の力を抜いた。


「ったく、なんか拍子抜けだな。ここまでしつこいからどんな命知らずかと思ったら、なんか天然混じってそうなバカだったとわな。まったくなんの冗談だよ」


 呆れた表情を浮かべて佑真は言う。


「ちょっ、久しぶりに会うのにその言いかたはないと思いますよ。バカは酷すぎますっ!」

「まあ、この際どうでもいい。そろそろ名前くらい訊かせてくれないか? 一方的に名前を呼ばれるのはなんか癪だ。まずは自己紹介。それから話を進めようか」

「あ、ごめ、ん……なさい。早めに名乗らないとダメ……でしたよね」

「……。まず、その喋りづらそうな口調どうにかしてくれ。気になって仕方がない。普段どおりでいいから普通に喋ってくれないか? そのほうがこちらとしては楽なんだが」


 少女の口調に少し違和感を感じていた佑真。あまり使い慣れていない付け焼刃の敬語に普段の言葉遣いが出てしまっていた。


「ごめん。気を使わせちゃったね」


 本当にな、と佑真は思った。自分を無理に隠そうとする奴は苦手だ。礼儀は大切だが、同級生、それも同じ学園に在籍しているのだ。親しき中にも礼儀あり、ともいうが、それを踏まえたうえでも自然体で接してほしい。佑真は大抵のことは気にしないが、下手に礼儀正しく近づかれると下心のようなものを感じて関わり合いたくなくなる。


「クセか?」

「え? ああ、うん。敬語に普段は普通に話すんだけど、今日は変に緊張しちゃって、うまく話せなくて。君がいいならいつもどおりに話すから」


 ほんのりと顔を赤らめながら、少女は微笑する。


「そうしてくれ。俺は気兼ねなく話すのが好きなんでな。変に気ぃ遣われるよりは」

「わかった。普通に話すね」


 屈託のない笑顔を浮かべ、口調を自然体に戻した少女。こうやって見ず知らずの、しかも出会って数分の関係で気兼ねなく話せていることに佑真は少し困惑する。簡単に距離感を感じさせない会話ができているのは彼女なりの会話術なのだろうか。

 いつも、目をつけられたら人生を崩壊されると定評のある佑真の目の前で本気で笑う人を、久々に見たから思うことだ。表情を見ればすぐにわかる。彼女は無理に笑顔を作っているようには見えない。無理に作ろうとすれば必ずボロが出る。それはもう簡単に。でも彼女にはそんな素振りがない。あくまで自然体だ。


「あ、話し長引かせちゃ悪いよね。わたしは椿姫。榛名椿姫はるなつばきっていうの。金剛型戦艦の三番艦の榛名に、花の椿に姫って書いて、榛名椿姫」

「マニアックな例えだな」

「好きでしょ? こういうの。佑真君なら喜ぶかなって」

「……、そうか。榛名椿姫というのか。俺は……って、言うまでもないか」


 そんな名前の奴この学園にいたか? と佑真が記憶している生徒の名前に当てはまる生徒がいなかった。といっても、制服は学園の物だ。他校の生徒でもない。

 情報が少なすぎて、とりあえず佑真は探ることから始めることにした。


「珍しい苗字だな。榛名……俺の知っているかぎり、三桁に届かないほどごく少数の苗字だったよな。この辺では見かけないってことは、この都市に引っ越してきたのか?」

「佑真君は物知りだね。正解、わたしが物心つく前の話だけど、両親の仕事の関係上でこの七葉市に引っ越してきたの」

「そうか。まあ、数十年前に七葉市は超大手企業によって新たな都市開発が計画されたからな。数多の企業が事業を展開したことで新たな会社の建設もあったし、各地から転勤なり転職なりあっただろうから、それに乗っかってきたって感じか」

「うん、正解」


 少ない情報を手にしても、やはり身元がわからない。特徴的な外見をしているのにも関わらず、佑真が頭を悩ませても当てはまる人物に辿り着けないでいた。


「でも凄いね。物知りだし、この七葉市の事情にも詳しいし、なによりちょっとの情報でわたしの家庭事情を暴いちゃった。やっぱり佑真君なんだね」

 俺を試した? と佑真の警戒心が高まる。少なくとも椿姫が発した言葉が何気ない言葉だとしても佑真には絶大な説得力があった。椿姫は、と。

 だから一度、心を落ち着かせ、普通に会話を続ける。


「そんなことはない。こんなのただ情報を当てはめたに過ぎないさ。誰だってできることだし、答えを導くことなんて造作もない」

「そんな、むしろ誇っていいレベルだよ。わたしじゃとてもできないよ」


 苦笑しながらも褒めてくる椿姫に、佑真の調子が狂う。


「ま、感想は素直に受け取っておくとしてだ。――そろそろ本題に入らないか? なんだか世間話に発展し過ぎているような気がするんだが?」

「あ、ごめんね。佑真君と話してると楽しくて、ついね。……でも、その前に言っておきたいことがあるんだけど、もし佑真君が良いなら、いいかな?」

「ああ、そのかわり早めに済ませてくれ」


 少女は、佑真の了承を得ると深々と頭を下げた。


「佑真君、ありがとう。何度も助けてくれて。おかげでわたしは今ここにいられる。忘れているかもしれないけど、本当に、助けてくれてありがとう」


 佑真には予想外の言葉だった。脅されて、面倒くさい気持ちと必死な気持ちが入り混じった複雑な気持ちで屋上に来たというのに、最初が拍子抜けなものだったから余計に衝撃を受けるものがあった。正直、戸惑ってしまう。

 だけど、その台詞には引っかかるものがあった。


「悪いがその言葉を受けることはできない」

「えっ、なんでかな?」


 椿姫は不安そうな表情を浮かべる。


「お礼を言う相手を間違ってんじゃねぇのか? まったくもって身に覚えがないんだ。本当に俺が助けたのか? 誰かと間違えてんじゃないのか?」


 佑真が、今まで見返りなしで人を助けたことなんて微々たるものだ。しかし、そんな些細な出来事の片隅でさえ、椿姫という人物とは出会ったことがないのだ。


「そっか。そう、だよね……」


 残念そうに俯く椿姫はそう呟いた。


「すまんな」

「べつにいいよ、覚えていないんじゃしょうがない。でも、これはわたしなりのケジメだったから、お礼だけは絶対に言いたくて」

「そうか。まあ、いつの話か知らないが、とりあえずお礼は受け取っとく」

「ありがとう」


 椿姫は微笑する。けど、彼女はどこか寂しげだった。


「……本当にあの時のことを忘れちゃってるんだね。ちょっと残念、かな」


 佑真と椿姫の間で一体なにがあったのか、どんな関係だったかは知らない。親密な間柄でもなく、会ったこともない。正直に言って面倒くさい。それが佑真の気持ちだった。


「俺に変な期待すんなよ。まあいいさ、それで? 本題のほうはなんなんだ? そろそろ下校時間なるわけだし、できるだけ手短に頼む」

「あ、そうだったね」


 椿姫は思い出すようにそう言うと、一呼吸して佑真に向き直す。

 場の空気が変わったのがわかった。真剣な面持ちになった椿姫はなにか口にしようとしてためらい、沈黙が長引くうちに頬を赤く染めて、目が合うたびに気まずそうに目を泳がせ、ついには笑って誤魔化した。


「改めて言おうとすると、なんだか気恥ずかしい」

「俺からすれば早くしてほしいんだがな」

「もぅ、そんなこと言わないでよ。これでも勇気がいるんだから」


 照れくさそうに笑う椿姫。佑真はただ言葉を待った。

 意を決した椿姫は、佑真に近づき、モジモジと頬を赤らめながらも潤んだ瞳を真っ直ぐ向ける。そして、艶のある小さな桜色の唇がそっと動く。


「あなたのことが、ずっと好きでした! わたしと付き合って下さい!」


 勇気を出した椿姫の真剣な告白。心の奥に蓄積していた想いを一気に開放した彼女は強く目を瞑ったまま、顔を真っ赤にして固まっている。

 対して、佑真は平然とした表情を浮かべて椿姫を見ていた。


「そうか」

「~~~ッ! な、なんか、恥ずかしいっ!」


 椿姫にはそうなのだろうが、佑真にとっては慣れ過ぎてもはや神聖なる儀式でもない。何度も佑真に近づいてきた女は同じ言葉を発した。そして蘇る裏切られる連鎖の記憶。容姿だけで一目惚れされ、中身を知った途端逃げていく。玉の輿に乗ろうと近づいてくる者や弱みを握ろうと近づいてくる者。そして、なにもかも破滅させようと近づいてくる者。女性に対して抱いていた佑真の憎悪。告白されるたびにウンザリする。


「うぅ……、物凄く照れくさい……」


 椿姫も呑気なものだった。

 純粋な気持ちの表れ、それを無下にすることは万死に値するだろう。けど、佑真は万死に値するとしても気持ちを曲げる気になれず、わかりやすい嘆息をした。


「なんだかな……」


 佑真は、無言のまま夕暮れの空を仰いだ。


「佑真、君?」


 佑真を呼ぶ声のほうに視線を向けると、答え待ちの椿姫が不安そうに見ていた。

 まあ、答えは決まっているから焦る必要もない。


「ああ……、答えだよな。答え、答えっと」


 呑気にそう言いながら懐から椿姫から靴箱に入れられたラブレターを取り出す。

 そして、


「これが答えだ」


 そう言った瞬間、椿姫のラブレターを破り捨てる。

 びりびりと細かく破り、クシャクシャに丸め、足元に捨てて踏みつけた。


「これで終いだ。告白お疲れさん」


 呆気にとられる椿姫を見て、鼻で笑った。


「正直、俺はテメェのために口から答える気はない。それに信用もしてねぇんだわ、告白すら嘘臭く感じる。さっきから、憶えていないんだね、とか本当に実話なのか?」

「え、えっと……それは本当、だよ?」


 戸惑う椿姫を無視して続ける。


「テメェは一体なにが目的なんだ? 散々恋文を破り捨ててきたのによ。最終的には脅しで屋上まで引っ張ってくるという見上げた根性。マジで恐れ入ったよ。けど、呼んだからにはそれ相応の覚悟もできてる、つうことだよな?」

「覚悟はできてるつもりだけど……」

「覚悟できてるだぁ? 嘘くさ。初日で答えが出ていたのわかってたはずじゃねぇのか? どんだけ諦めが悪いんだよ。呼び出したところで結果は同じだってことに気づけっての。……もう一度訊くけどさぁ。本来の目的はなんだ? 俺に近づく奴なんて、たかが知れてる。罰ゲームか? 度胸試しか? それとも弱みでも握りたいか?」


 佑真には、しおらしく見せている椿姫が恐ろしく、悪魔にしか見えなかった。

 心を通わせようとする彼女の言葉を聞くたびに、身体が拒否反応を起こす。だから、どんな手を使ってでも間合いに入れさせたくなかった。


「そんな、ただわたしは佑真君が好きで」

「好きだってかぁ? それは俺を陥れる奴のお約束の言葉だ。なにが面白くてあなたのことが好きです、付き合ってくださいだぁ? よくもまあいけしゃあしゃあと言えんな? テメェの正気を疑うぜ。まあ? 好きじゃなくても自慢話にはなるからな」

「本当に君のことが好きなんだもん。他はなにもないよ?」

「うぜぇな。その顔も演技なのかぁ? 好きなだけ、他にない? 上辺だけの言葉なんてどうにでもなる。それでもまだ言い続けるのか? 好きです、って。聞いてるこっちの身になれっての。それでも演技を続ける気か?」


 口にすればするほど、過去が脳裏にチラつく。

 過去がまだ苦しめる。いくら振り払おうとも、振り切っても、傷が痛みを蘇らせる。だからこそ嘲笑いが止まらない。隠すため、自分が無意識に必死になる。


「………………」


 椿姫からの返答はなかった。優しい笑みは消え、悲しそうな顔をしていた。

 本来、告白されている側の佑真は真剣に答えないといけない。なのに、佑真の冷酷な発言は失礼極まりないだろう。佑真のやっていることは非常識にもはなはだしい。

 だけど、それほどまでに佑真は……いや、佑真は不敵に笑い、言葉を続ける。


「テメェの容姿なら誰でも落とせるだろうな。上手い演技が加わればさらに拍車はくしゃがかかるだろう。自身の源はそこからか? 確か、この俺も見惚れちまうくらいの魅力はあるさ。可愛いさ! その辺の奴より可愛いよ。芸能界で一番可愛いって言われてる奴より可愛いさ。だけどその程度で俺を落とせると思わ――」

「えぇっ!? わ、わたしって、佑真君が可愛いって言うくらい魅力があるの?」

「……、ん?」


 意外な反応に佑真は思わず思考が停止しそうになる。椿姫は可愛いと褒められたことで臆面なく詰め寄ってくる椿姫に思わず身を引いてしまった。


「わたしには佑真君が見入るほどの魅力がある、ってことでいいのかな?」

「えっ? あ、ああ、久々に魅力を感じるほどに」

「そっか、佑真君の可愛いにわたしは入ってるんだね。よかった」


 喜んでいる椿姫の前で佑真は完全に調子が狂ってしまった。あれだけ罵倒されておきながら椿姫は褒められた事実だけに目を向け喜んでいた。

 だからこそ、気に食わない。


「あれだけ言ったのに、なんでそんなに平然としてられる?」

「え? ああ、佑真君って常日頃からそうなんでしょ? 聞いたよ、佑真君は女性に対して当たりが強いってこと。だから、私の本気を見せてあげる」


 椿姫がそう言うとポケットから紙の束を取り出して、ばっと佑真に突きつける。


「これが私の本気。ぜんぶ手書きで書いたの。内容も全部違うよ」


 手の中で広げ、数十枚に渡る色とりどりのラブレターが姿を見せる。呆気に取られる佑真は、真剣な表情をする椿姫と数十枚の手紙を交互に見て諦めたような溜息を吐く。自分がなにを恐れていたのかが馬鹿らしくなり、ついには白旗を上げた。


「やめだやめ、参った。マジでおまえには敵わなさそうだ。おまえの本気は伝わった」

「よかった。伝わって」


 満足そうに笑って、束のラブレターを佑真の前に差し出される。また破って踏みつければいいのかと野蛮な考えが佑真の脳裏によぎるが、一瞬浮かんだ考えを振り払う。


「なんの真似だ? また破り捨てればいいのか?」


 完全には頭から振り払えなかった。


「やめてよね。一生懸命書いたんだから」

「だったら俺に渡すな」

「それでも。よかったら読んで。時間があったらでいいから」


 そう言って椿姫から無理やり束のラブレターを渡される。なにが悲しくて事の終わった後に紙屑同様のラブレターを受け取らなければいけないのかと嫌々と受け取り、佑真はさっさとカバンの中に突っ込んでしまう。

 不機嫌な佑真の隣で、椿姫は嬉しそうに笑っている。


けなしたのに、なんでヘラヘラしてられんのか、わからねぇな」


 甘酸っぱい告白に泥を浴びせられて平気なわけがない。椿姫が天然だとしても、振り絞った勇気を台無しにされるのは傷つくだろう。気持ちを汲めなんて良い人ぶりたい阿呆の虚言だ。だからはこれは感覚が麻痺した佑真の疑問だ。

 そんな純粋な疑問に椿姫はそっと口を開く。


「……平気、じゃないよ。頑張った告白を上辺だけ、演技だ、嘘だ、って言われてちょっぴり傷ついてる。でも、本当は佑真君だって傷ついてるよね?」

「………………なにを根拠に言ってんだか。俺がそんな風に見えるか?」

「なんとなく、かな?」


 椿姫は微笑みながらそう言うと背を向け、佑真から三、四歩ほどゆっくり歩いた。

 背を向けている今の椿姫がどんな顔をしているのかわからない。落ち込んでいるのか、笑顔なのか判断できない。


「なんとなく、ね。俺をわかろうとしたつもりか? そんなんでおまえには靡かねぇぞ」


 佑真は不敵に笑って言う。

 椿姫は少し空を仰いだ後、佑真に照れくさそうな笑みを浮かべて踵を返し、


「大丈夫。それも知ってるから」

「さっきも言ってたな。まったく、誰が入れ知恵したん、だ――」


 そこまで言って佑真は言葉を止めた。

 ごくわずかな判断材料だった。椿姫が知っている、それだけで佑真が抱いていた疑問を確信に変える。教えられるとしたらただ一人。個人依頼が佑真に関係あるものとわざと口を滑らした張本人が身近にいた。


「……透か」


 佑真は溜息を吐きながらに言う。


「そうだよ。透君から、佑真君の秘密を教えてもらったの」


 微笑んだ椿姫はそう答えた。


「わからねぇな。あいつが簡単に教えるわけねぇ。仮に俺の秘密を手に入れたとしてだ。それと同価値の秘密を対価にしなきゃいけないし、とても他人、いや親友にも言えないような秘密じゃないと……」


 そこまで言って佑真の言葉は止まった。


「もちろん、それは知ってるよ。だから、あなたの秘密に同価値の秘密……、わたしが歩んできた人生の情報を、すべて対価にした……」

「………………」


 それは、たった一人の男のために悪魔に魂ごと身を捧げたようなものだった。それも、自分の人生というのなら、なにもかもをすべて渡したことになる。

 それが事実なのかは、椿姫を見れば一目瞭然だった。

 椿姫は肩を震わせ、首に巻く赤いマフラーを握っていた。俯いて隠しているようだが、微かに息が震えているようにも見える。もうすでに振り向く先すべてが崖っぷちにいる椿姫は、佑真からしたら見るに堪えなかった。


「おまえ、ただのバカじゃねえか。そこまでしてなにが目的なんだよ。やっぱり正気の沙汰じゃねぇ。下手したら骨折り損にしかならねぇ、ってのに」

「わたし、言ったよね? 佑真君が大好き、って。本気で好きだから、それを証明したかったから。……だから、佑真君を知るためにすべてを捧げたの」

「余計に意味がわからねぇ……」


 佑真には椿姫の気持ちが理解できなかった。自分をすべて対価にしてまで他人を知ろうとすることが理解できなかった。本来なら保身に走る。自分を隠し、他人が喜ぶ道化を演じる。そして飽きるまで養分を吸い取っていく。所詮、学生自体の恋なんてごっこ遊び、と考える者は少なくはない。レッテル欲しさに付き合っている奴がいるくらいだ。交際相手なんて高価な飾り程度に思い、自分が損をするようなことは絶対にしない。これがこの世の在りかただ。佑真の周りがそうだったように、椿姫もそうに違いない……違いないのに、この女はすべてを捨ててまで近づいてきた。


「………………」


 切り捨てるはずだった言葉をすべて飲み込んだ佑真。突き放すことなんてできない。一度でも拒絶してしまえば、後のない椿姫が向かう先は……。


「やってくれたな、透……」


 佑真はその先の結末を知っている。脳裏に過去の悲惨な出来事が、また目の前の少女に降りかかるとしたら見放すことなんてできない。思わず頭を抱えてしまう。


「だけどね。それだけじゃダメだと思って気づかれないように遠くから見てたの。佑真君が不快にならない程度に。よくラノベ? を読んでたから同じ本を買って読んでみたりもしたの。恋桜の花吹雪、とても面白かったよ。らぶこめもの、だっけ? 両思いだった二人の恋愛を描くハチャメチャな物語なんだけど、わたし感動しちゃった。佑真君ってあんなに面白い小説読んでるんだね。わたしの楽しみが増えちゃった」

「マジか。あの作品の良さがわかるとはな」


 ほほう、と不敵に笑う。思わず作者でもないのに嬉しくなってしまう佑真だった。


「………………。いや違う。今はそういう話じゃない」


 読者に出会えたことに感銘を受けて話が脱線しかけだが雑念を振り払い話を戻す。


「おまえの本気は伝わった。本気の気持ちをありがと。なんだかおまえを見てみると、今までのアマたちがどれだけ低レベルだったのか、その差が見てわかるなぁ……」

「アマ?」


 椿姫は小首を傾げて言う。

 何気ない椿姫の一言だったが、佑真には聞き逃せない言葉だった。


「いや、なんでもない。つーか、透から訊いてないのか? 俺の情報、全部」

「うん。佑真君の対策とかアドバイスは教えてもらったけど、あとは佑真君の口から訊いたほうがいい、って言ってたかな」


 椿姫は全部訊いたのかと思っていた。だが、透らしいやりかただ、と佑真は苦笑した。

 そんな佑真をおいて、椿姫は言葉を続ける。


「わたしもそのほうがいいかな、って透君に賛成したんだ。ちゃんと本人から訊いたほうがしっかり距離を縮められるかな、と思って」


 ようするに透の良いように言いくるめられたらしい。椿姫はそのことに気づいていないようだが、対価に見合った重要な情報を貰っていない。普通なら支払うべきなのだが、透の個人依頼が良いことに自分なりに進めていることが明るみに出た。まあ、情報部の掟なんて口約束のようなものだから簡単に捻じ曲げられてしまう。


「今んとこ損しかしてねぇじゃん」

「ん?」


 長い告白が続いたが、時間というのはすぐに過ぎるものだ。いつもの予鈴が鳴り、いつもの放送が入り、スピーカーから聞き慣れた少女の声が学園中に響く。


『下校時刻となりました。校内に残っている生徒は速やかに下校してください。また、学園に残る生徒は、担当の教師に許可を頂いてください。それではまた、薄暗くなると危ないですから、寄り道しないで下校してくださいね。さようなら♪』


 いつ聞いても美しい声が校内に響き渡る。


「あ、放送入っちゃったね」


 少女は残念そうに呟く、寂しげな目で佑真を見る。


「……、もうちょっと話そう」

「いいの?」

「ああ、まだ俺は返事してないからな」


 佑真は淡々と言う。


「返事は後でもいいかな、って思ってたんだけど、すぐに貰えるなら嬉しい」

「たとえそれが、求めている答えと違っていてもか?」

「うん。でも、振られたからって諦めたりしないからね?」

「それだけでも大したもんだよ」


 少女の鉄板の心には勝てないかもしれない。どれだけ事実無根の罵倒を受けても椿姫は離れず、変わらない気持ちをぶつけてきた。

 だから少しは心を許してもいいのかな、と思えた。


「まず、返事なんだが」

「はい」


 先程より緊張している椿姫が見て取れる。期待と不安が椿姫の心の中で渦巻いていることだろう。本来なら心を折り、玩具のように楽しんだあとは、立ち去るのが佑真の鉄板だった。だが今日はいつもと違う。本当にいいのか、と佑真は葛藤が生まれる。これから一番傷つくのは椿姫のほうなのに。

 迷ったすえに答えを決める。


「正直なところ、見ず知らずの女に今すぐに答えを出せる気がしない。……まあ、なんだ。おまえみたいなのは初めてな気がする。だから、友達から始めるのはどうだろうか?」

「友達?」

「ああ、互いを知ってからでも良いと思うんだ。おまえを知るきっかけにもなるし、俺の本性を目の当たりにできるきっかけにもなる。そこでお互いに好きになれるか、お互い理解し合えるか、とか時間をかけて考えられる。どうだろうか?」


 友達になろう。佑真がそんな言葉を発したのは一年ぶりだった。


「わかった。それでいいよ。でも、無理はしなくていいからね? 答えなら卒業までに聞ければいいから待つよ」


 案外、あっさりと提案を飲んでくれた。


「悠長だな」

「焦らせても意味ないじゃん」

「もしも俺が、べつの女を好きになってたらどうすんだよ」

「そのときはいさぎよく身を引く。でも、佑真くんのことだから大丈夫かな」


 それを笑顔で言われると佑真はなにも言い返せなかった。


「決定だな。今日から友達だ。んじゃ、改めて自己紹介をしよう。俺は天瀬佑真。気軽に佑真と呼んでくれると助かる。よろしくな。椿姫」

「うん。わたしは榛名椿姫。できればおまえ、じゃなくて椿姫って呼んでくれると嬉しい。改めてよろしくお願いします。佑真君!」

「善処する」


 告白を受け入れたわけでもないが、友達になるという形で丸く収まった。これで両者ともに長い関係になるだろう。だが、これで諦める佑真でもない。また違う手を使い、椿姫には諦めさせる魂胆こんたんが心の片隅にある。たとえ酷いことをしてでも。


「まあ、友達になったわけだが、早速、椿姫に提案があるんだ」



 ――――



 佑真が、椿姫から告白があった後日。


「と、まあ、んなことがあったんだ」

「んながあったんだ♪ じゃないよッッ! なに回想っぽく閉めようとしてんの!? っていうか、マジで友達になるだけで終わったの!?」


 晴れて友達となった佑真と椿姫は下校したわけだが、佑真の提案で告白の結果は透になにも報告していなかった。


「んで、今日から椿姫が情報部部員として入ることになった」

「今日からよろしくね。透君」

「あ、こちらこそよろしく――って! それも初耳なんですけど!? え? 椿姫ちゃんマジで入部することになったの?」

「うん。さっき入部届を出してきたからはれて情報部の一員だよ」


 微笑んで答える椿姫。話が進み過ぎて理解できてない透の顔は凄いことになっていた。


「べつにいいだろ、透。椿姫は透に秘密を握られてる。しかもここに保管している秘密をバラせば自分の首を刎ねることになるんだし、入部させても大丈夫だろ。しかも俺が信頼できると思ったトモダチとしてだ」


 得意げに言う佑真だったが、透は告白の結果、部活入部、の事実に頭を抱えていた。


「あー、彼氏彼女関係じゃなくて友達……。僕が全力で手を貸したのになんでだよ……。椿姫ちゃんなら佑真も堕ちるかと思ったのにッ!」

「えへへ……、なんだかごめんね」

「べつに椿姫が謝ることじゃないだろ。透が私情で色々と勝手やって落ち込んでるんだからザマぁないぜ。だから気にするな。こいつは自分の策に溺れたんだ」


 指差しで容赦なく透を非難する。


「ちょっ! 佑真ー、そんなこと言わんといてよ!」

「京弁になってんぞ」


 新刊のライトノベルを開いた佑真は適当にあしらった。


「だってさ! 学年一位の美女を断るとは思わなかったよ!」

「学年一位ねぇ、どうでもいい。まあなんだ? これがオチ、つうわけで」

「それで終わる思ったら大間違いだよ……、え? マジで終わり?」


 策士策に溺れた、透の敗北で告白の件は幕を閉じた。


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