第15話 夕暮れに迫り来る者
一度部室に戻った透を待ち、後に合流した佑真たちは渡り廊下を歩いていた。
今日は珍しいことに下校のメンツに椿姫が混ざっている。
部活の掛け持ちをしている椿姫は、活動時間の後半に差し掛かると情報部での活動を切り上げて別の部活に向かうのだが、今日から椿姫の意向で情報部の活動に専念するらしく、当分の間は元々入っていた部活には顔を出さないらしい。
当面の間は椿姫と一緒の佑真。これからの部活動を考えると佑真は気の抜けない活動になってしまうことに肩を落として溜息を吐く。
「……そういえば、透。おまえなにしに部室に戻ったんだ?」
「えっ? 用事があったから一度戻ったんだけど? どうしたの?」
「いや、さっきから聞こえてくるんだよ。後ろから」
「後ろ?」
なにかあるのかな、と軽い気持ちで透が後ろを向くと、
「モウ容赦ハシナイゾ、鷹山ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
鬼の形相の江崎が透の名を呼びながら猛進してきた。
「ギャアアァァァァァァァァァァァァデジァヴが走ってきた!?」
すべてを察した透は佑真に
「佑真っ!」
「断る」
大体透がなにを言うかわかるので佑真は即答する。
「なんで!? お願いだよ! 佑真の秘密道具を貸して!」
「つっても、透。前にやったヤツの代金貰ってないんだが?」
「そんなのあとからでもいいじゃんか! 死んだら払えるもんも払えないじゃんか!」
「と言われてもな。今は生憎道具の手持ちが少ねぇんだ。それに代金を出せない奴に二度も渡すのもねぇ?」
「じゃ一万で!」
渋る佑真に透は命欲しさに自分の手持ちから一万円札を出した。
「ほらよ」
佑真はお札を受け取ると同時に秘密道具の入った袋を透に投げ渡す。
「いっぱい持ってるじゃんか! ホントに現金なヤツだねぇ!」
「そんなことより早く逃げなくていいのか?」
「ヒッ! そうだった! それじゃもういくね。椿姫ちゃんもバイバーイ!」
透はそう言うと前のように窓から木へ飛び移って逃げてゆく。
「待テエエェェェェッ! 鷹山ァァァァァァァァァァッ!」
江崎も窓から飛び出し、スタントマンの如く地面に着地すると透を追いかけていった。
窓から飛んだ二人の姿を見て、今日も透は痛い目を見るな、と佑真は確信して懐が暖かくなったことに表には出さないが内心では気分上々になる。
あっという間の出来事に椿姫は呆然と立っていたが、佑真は気に留めることなく昇降口に向けて足を進め、椿姫も歩き始めたのを見て追うようにして横に並んだ。
「ねぇ、佑真君。もしかして江崎先生と桐沢先生ってつき合ってる?」
「……。さぁ? どうだろうな。よく一緒にいるけど知らん」
椿姫の問いに佑真は白を切る。話題が欲しかったとはいえ、あまり公言したくないような内容だった。正式な部員とはいえ、入って間もない椿姫に江崎たちの関係をおいそれと話せるわけがなく、興味なさそうに知らないふりをするしかなかった。
「つき合ってるんだね」
しかし、無表情のはずの佑真の反応を見て椿姫は笑顔でそう言った。
「……、よく気がついたな」
下手な嘘をついたても無駄だな、と思った佑真は諦めた。
「見てればわかるよ。あんなにくっついてればね」
周囲からは先輩と後輩の関係だと大体の人がそう言うのだが、椿姫はどうも違ったらしい。本当ならあの二人の教師が仲良しの時点でつき合っているカレカノ関係だと思うのだが、桐沢のアイドル時代の名残のせいか、誰もつき合っていると思わない。まあ、厳密にいうと誰もそう結びつけたくない、という現実逃避が加わっていることもあるのだが。椿姫はそうは思わなかったらしい。さすがは恋する乙女といったところだろうか。
だが佑真にはどうでもいいこと。知ってしまったからには椿姫が入部する前から依頼を受けている身としては口留めをしないといけない。
「誰にも言うなよ」
「言わないよ。部室に来るくらいだから先生たちって結構特殊な関係なんでしょ? 透君も当然知ってるだろうから、わたしも部員としてお口チャックしないとね」
「……、はっ、いっちょ前に言いやがって。だが、そうしてくれるとありがたい。江崎たちがいいと言う日まで他言無用だ」
「わかった」
真偽はどうであれ、椿姫は口約束してくれたことで佑真の肩は少し軽くなった。
二人は昇降口に着くと自分の靴に履き替えて学園を後にする。椿姫は佑真と帰り道が同じ方角らしく、その場の流れで一緒に帰ることになった。
自動車の走行音を聴きながら夕暮れに染まる街を歩き、ラノベ談義に花を咲かす。
学園から程なくして、二人は近くのコンビニに寄った。
交差点によく生息しているだろう大手のコンビニ。自動車も出入りしているので轢かれないように気をつけないといけない。中には歩行者だから轢かれないだろうと車を警戒しない輩もいるから非常に危ない。
現状、佑真の目の前で赤信号なのに渡る馬鹿がいるくらいだ。
「んじゃ、ちょっくら晩飯買ってくるわ」
「わかった。わたしはここで待ってるから」
椿姫はとくにこれといってほしい物がなかったので外で待つことにした。佑真は、椿姫の返事を気にすることなく夕食を買いにコンビニに入店した。
――――
「………………、」
佑真がコンビニに入店してから十分ほどが経過した。コンビニの駐車場は太陽で赤く塗られるように照らされ、日入りということもあって少し眩しい。
また数分が経過した頃。今日は自動車の出入りが少ないため、人気もなくなり、自動車やバイクの騒音を除外すると心細いほどに静かになってしまった。
「……。様子、見にいこうかな」
少し佑真の様子が気になってきた椿姫はコンビニに入店しようとしたときだった。
「あれぇ? 誰かと思えば椿姫ではないか。こんなみすぼらしいところで奇遇だなぁ」
聞き覚えのある男の声が聞こえた瞬間、椿姫の全身は凍りついた。
「え、えと……」
「そんなに怯えることはないではないだろう。貴様とボクの仲ではないか。もっと身体から力を抜いてもいいんだぞ」
その男を視界に入れると身体中から冷や汗が滲み始める。すぐさま目を逸らし、べつのものを視界入れて気持ちを誤魔化そうとする。
……恐怖。
それが椿姫を支配しようとしてくる。今すぐにでもここから逃げ出したかった。
椿姫の目の前にいる人物は手塚壮一だ。
「あの、わたしコンビニに用事があるので」
椿姫は慌ててコンビニに入ろうとするが、壮一に手を掴まれてしまう。悪寒のようなものが身体中を巡り、尋常じゃない汗が滲み出てくる。自分の中で抑え込んでいた身震いが止まらなくなり、足がすくんだ。
「そんなに急がなくてもいいだろう。どうせ今日も仕事で待ち合わせをしているのだろ? 少しだけでいいのだ。ちょっとボクに付き合ってはもらえないだろうか?」
「すみません……。わたしはもう、そういうのは……」
「ボクに口答えするな! これは命令だぞ!」
椿姫の言葉を遮るように怒号を上げる壮一。だが、椿姫も負けじと抵抗する。
「わたしはもう、今後一切そちらには関わりたくありません! なにを言われても意思を曲げることはもうないですから諦めてください!」
だが、そんな椿姫の想いを無視し、男の本気の力で頬を叩かれる。乾いた音とともに激痛に襲われ、椿姫はなにが起こったのか把握できず、頭が真っ白になる。
頬を抑えて痛みに苦しむ椿姫を壮一はまるでゴミを見るかのような視線を送って、
「は? なにいっちゃってんの? このゴミ同然の人形が」
壮一は、静かに冷酷な言葉を椿姫にかける。
頭の中が混乱している椿姫の髪を掴み、顔まで近づける壮一。椿姫が悲痛の声を上げても気にすることなく、壮一は暴論を浴びせ始める。
「なにを抜かしたところで所詮は低俗。心を入れ替えただけですべて終わると思ってるのか? なわけなかろうこのクズ。貴様はすでに日の当たる場所には戻れないんだよ。なにをしたとろこで無意味。やり直しなんてできっこない。だから貴様はボクの些細な命令でも従っているだけでいいのだ。わかったか? わかりました、と言え!」
佑真に助けを求めようにも恐怖で声が出ない椿姫。ここでなにもできない自分がとても悔しく、髪を引っ張られる痛みに耐えるしかなった。
「ふむ。これでもダメなら、これしか手はあるまい」
壮一は椿姫の耳元であることを囁く。誰がいようと近づかないと聞こえない声量で淡々と厭らしい笑みを浮かべて。
「……ッ!」
それを聞いた椿姫は目を見開き、一瞬にして呼吸が乱れる。
「では、いこうか。貴様にとっては良いクスリだろう」
椿姫の髪を離し、再び手を掴んでどこかへ連れていこうとする。だけど、椿姫は壮一に引っ張られようが一歩も動こうとはしなかった。
「……わたしは、いかない! なにがあってもお断りします!」
椿姫は勇気を振り絞り、決心の表れともいえる叫びを壮一にぶつけた。結果が変わらなくても意思だけは曲げたくなかった椿姫の小さな反撃だ。
しかし、壮一という男にはそんな言葉は通じない。壮一にとって椿姫という認識はとても便利な玩具。玩具がなにを喋ってもただのうるさいだけの玩具なのだから叩けば黙る。都合のいい遊び道具としか認知されていないのだから。
「愚かな女だ。これは、とても厳しいおしおきが必要だ、な!」
そう言って壮一は、次は本気で殴ろうと椿姫に手を振り上げた。
「言ってやれよ、椿姫。お仕置きが必要な愚か者はテメェだ、ってことをよ」
「あ?」
聞き覚えのある声が聞こえた瞬間、壮一の強烈な回し蹴りが横っ面に炸裂する。吹っ飛んだ壮一は地面に身体を打ちつけ、なにが起こったのかわからず、先程までの威勢が嘘のように消え、男として情けなく、痛い痛い、と喚き散らす。
――――
「やれやれ。外がうるさいと思ったらこれか。はあ、今日はマジでついていないな」
コンビニ袋をぶら下げた佑真は、壮一の無様な姿を見ながら面倒くさそうに呟いた。
「佑真君……」
「おう、なんか知らないけど面倒事に巻き込またようだな」
佑真は不敵な笑みを椿姫に見せると視線を地面に転がるアホに送る。
「で? 二度と顔を見せるな、と言ったはずだ。どうしてテメェがここにいるんだ? 俺と遭遇したら蹴りが飛んでくるのはわかってたはずだろ」
佑真は二度も顔を拝みたくなかった壮一に訊ねる。
「誤解するではない! た、たまたまなんだ。貴様がここにいるとは思わなかったんだ! それに、ボクはその女に用があるのだ。邪魔しないでもらいたい」
前の一件で懲りたと思っていたが、どうやら懲りていたいようだ。その証拠にゴミを見るかのような眼差しで佑真を睨みつける壮一は、また椿姫の手を掴もうと迫ってくる。そうはさせまいと、佑真は椿姫の腕を掴まれないように自ら壁となり、
「そうもいかん。つーか言ったよな? 俺の目の前に現れたら次は容赦しねぇ、って。お情けで見逃してやったのに大人しく反省しないで日中に女狩り。あげく俺たちの部活仲間に手をだした。どこまでやれば気が済むんだか。反省の色なし、ってことは、これからテメェが辿る道くらいわかってんだろうな?」
佑真は殺気を飛ばしながらに言う。新入部員が入ったことを知らなくても忠告を破ったことには変わりはない。それにトモダチが暴力を振るわれていたら助けるのは必然。
「その女があの底辺部活動に入ったというのか!?」
「そうだ。先週くらいにな」
「う、ウソだろ? そんな虚言は信じないぞ!?」
「虚言かどうかは調べればわかることだ。まあなんだ、浅はかだったな。テメェは俺たちの忠告を無視し、暴行まで加えた。本来ならテメェんちに爆弾投下するところだが今日は気分的にめんどくせぇ。俺の気が変わらないうちにここから立ち去れ」
佑真はポケットから携帯を取り出し、画面が壮一に見えるように頭上へと掲げる。
壮一には見えたのだろう。選択されたファイル名がどこ宛のものなのか。添えられた親指が送信ボタンを押さんとばかりに待機している景色に、壮一の顔が徐々に完熟していない青リンゴのように青ざめていく。
「どうしたんだ、真っ青な顔をしてよ。それより逃げる準備はできてるのか?」
「待て、やめるんだ、考え直せ。話せばわかる。入部したとはいえ、たかが一週間程度の関係だ。女に対して当たりが強い貴様に助けるメリットはないはずだ。貴様も不利益だけにはなりたくないだろ? お互いのために、今回は水に流そうではないか。この件に関してはボクとそこの女だけの問題だ。部外者はもう帰ったらどうだ?」
懲りない男だ、と佑真は溜息混じりに口を開けて、
「誰がその提案に乗るかよ。――三度目はないと思え。これ以上、情報部部員に近づくな。さっさと立ち去れ。いーち、にーい、さーん」
壮一に猶予を渡すまいとカウントダウンを開始。いままで無表情だった佑真の顔は悪魔の笑みへと変貌させ、さらに携帯を頭上へ高く上げ、送信ボタンを押しても可笑しくない距離の親指を小躍りさせながら煽る。
「……ッ! くっ、クソがッ! 憶えてやがれ底辺民族がッ!」
なんとも負け犬の遠吠えに
「ったく、人騒がせな次男坊だな……あ、やべっ、送信ボタン押しちまったわ」
佑真が携帯の画面を見た頃にはすでに送信完了となっていた。おそらく身体が身の程知らずの壮一にストレスを感じて勝手に終止符を打ってしまった。
まあいいか、と諦めて椿姫のほうに視線を向ける。
「大丈夫……ではないか。ほっぺが腫れてるな」
椿姫の頬は赤く腫れていた。壮一はかなり強い平手打ちをしたようだ。
「……、痛いか? 椿姫」
「大丈夫。わたしは平気だから気にしないで。それより、ありがとう。助けてくれて」
「トモダチなんだから当然だろ? それより手当てするのが先だ」
「いいって。ホントに大丈――イタっ!」
佑真が頬を軽く指で突くと、平然を装うとする椿姫は痛みで思わず抑える。
「大丈夫じゃないだろ。口の端から血が出てる。早急に手当てが必要だ。どうすっかな。生憎、手持ちには手当てできるもんがないしな。透は……ああ、あいついねぇんだった。透なら持ってんだけどな。もっと野郎を〆とけばよかったな」
「ホントに気にしなくていいよ? 自分でなんとかするから」
自分は大丈夫だと、椿姫は言う。しかし、佑真は痛がる様子を見てしまっている。大丈夫だからといって放っておくのは目覚めが悪い。
――――
「……、まあ、仕方がないか。いくぞ、椿姫」
「えっ? いくってどこへ?」
「病院に決まってんだろ。知り合いがいるんだ。そこなら早く見てもらえるはずだ」
佑真はそう言って椿姫の手を引き、病院のある方向へ歩き出す。
初めてとはいえ、異性に、ましてや好きな人に手を繋がれてしまっては拒否することもできず、椿姫は佑真の逞しい手の温もりを感じつつ、引かれるがままについていく。
心臓の鼓動が次第に強くなり、気温の低さも相まって叩かれた頬がじんわりと痛む。だけどその痛みも含めて、椿姫は人知れず手の温もりに酔うのだった。
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