第14話 鬼は温厚なほど怖い


 昼飯の一件から午後の授業を得て放課後に突入。

 佑真がとりあえずゴミ箱に突っ込んだ太知がギャアギャアと煩かったのでホームルームが終わったと同時に教室から逃走した。


 後ろから、背中に気をつけろよ! と警告が飛んでくるが佑真はなんのその。普段では見せないような脚力で選手顔負けのフォームのまま振り返ることなくその場を去った。

 そして現在、無事に部室へと辿り着いた佑真は、今にでも死にそうな息遣いをしながら机に突っ伏していた。


「佑真ぁ、太知ぐらい相手にしてあげたら? 話せば理解してくれるって」

「ゼェ……ゼェ…………ゼェ、ゼ――ゲホッ! ゲホッ! ゲホッ!」

「それに佑真がプレミかましたんだから仕方がないじゃん」

「ゲホッホ……ゲホッ、ゲホッ………………ハッ……」

「面倒くさいじゃないよぅ。あとで僕から言っておくからさ。ちゃんと話しな、ね?」

「ゼェ……ゼェ……ゲホッゲホッ!」


 透の説得に佑真は素直に聞き入れる。


「……。会話、成立してたんだね」


 遠巻きでお茶を淹れている椿姫が指摘する。


「ああ……もう一生走らねぇ……キチィ……」


 荒い息が落ち着いてきた佑真はやっと言葉を発した。身体能力は高いほうではあるが、なにせ普段が動かないせいですぐに息切れを起こす。今回は息切れしても全力疾走で部室にやってきたので限界を通り越して死にかけてしまった。


「もう、無理はしないんだよ? はい、お茶」

「ああ、助かる」


 椿姫から淹れたてのお茶を貰い、一気に飲み干した。熱いお茶が喉を潤し、胃を通じて冷え始めた身体を一気に温めた。まだ春先とはいえ、夕方にかけて肌寒い。軽く汗をかいただけでも身体は冬のように冷えてしまう。まだまだ冷たい物とは縁のない季節である。


「お茶のおかわり、いる?」

「頼む」


 そう答えて佑真は椿姫に、カラになった湯呑を渡した。

 新しく淹れてもらったお茶を受け取り、美味しい緑茶を啜る。

 ほっとする美味しさ。


「これもどうぞ」 


 椿姫はそう言って、クッキーを盛りつけた皿をテーブルに置いた。


「おっ、これはもしや」

「佑真君の予想どおりの物だよ」


 それは昼食の頃に椿姫が見せたあのクッキーだ。

 佑真の向かい側に座っていた透もそれに気づき、携帯からテーブルに目を向ける。


「おお! これが椿姫ちゃんの手作りクッキーかぁ。女の子の手作りクッキー……ああ~良い響きぃ! 最っ高!」

「一人で感動してろ」


 透が限界化している間に佑真はクッキーを手に取り、


「いただきます」


 食事の挨拶をして食べる。


「僕も頂きー」


 透も椿姫のクッキーを手に取って食べる。


「うまっ」

「うんめぇ~」


 椿姫の手作りクッキーは絶品だった。これは嘘偽りのない感想だ。


「お口に会ってなにより」


 聞けば椿姫は趣味でよく料理をするらしく、お菓子作りもその一つらしい。レパートリーは和洋中わようちゅうに広がり、複雑すぎる料理でなければ普通に作れるようで美味しさの秘訣は、愛情と言う椿姫に、『そうだろうね』と透だけは謎に納得する。

 その向けられた愛情のおかげか、その向けられた愛情のおかげか、胃袋を掴まれてしまった佑真は顔を綻ばせながらクッキーを食べてお茶を啜っている。


「佑真って食い物になると、とことんチョロいねぇ。美味しい料理食わせれば誰でも落とせる気がしてくるよ」

「腕次第だがな。マジで椿姫の料理が美味いんだ。もうこの味のファンと言っていい」

「あまり人を褒めたがらない佑真が珍しいこと」

「そうか? 批評したことないが?」

「バレンタインデーで貰ったチョコをゴミ箱に捨てたのにぃ?」

「そりゃ食いたかったさ。けど、毛のような物が見えたら捨てたくもなるだろ」

「なにそれ、コワ」


 佑真だけしか知らない体験談に透は顔を蒼くさせる。

 会話を聞く椿姫ですら苦笑するほどだった。

 だが、佑真は二人を気にせずお菓子を堪能し、


「まあなんだ。毎日食べたくなるような美味さだってことさ」


 そう言ってお茶を啜った。


「褒めてくれてありがとう。佑真君」

「べつに大したこと言ってないだろうに」

「明日もまた作ってくるからね!」

「……。楽しみにしてる」


 椿姫の言葉に素直に甘える佑真。あまりの美味しさに明日が少し楽しみだった。

 それからは何度か話題を変えながら会話を重ねた。程よくティータイムが進んだところで佑真は今日の本題を思い出し、二人のほうに視線を向ける。


「さて、部活動の話になるが、椿姫が入部してもう一週間ほど経つ。どうも椿姫は物覚えが良いみたいだし、本格的に部活動ができると思うんだが、透はどう思う」

「いいんじゃないかな? 僕は賛成だよ」


 透は即答する。


「そんなあっさり決めちゃっていいの?」

「当然の結果だと僕は思うけど? 物覚えはいいし、資料作成も文句なしだし、それに佑真から信頼を得ているのことがなによりの証拠だよ」

「そうでもないよ。透君が情報部について良く教えてくれたからだよ」


 嬉しそうに言う椿姫。それに対して透は、


「そうかな? 椿姫ちゃんが努力した結果だよぅ」

「……。ん?」


 今、佑真は思わず聞き逃すところだったが、透が椿姫に情報部のことを良く話していたということが露呈した。つまりだ。最初から透は椿姫を情報部に引き入れるつもりでいたことになる。椿姫の件は、今までが織り込み積みということ。

 透を見ると額を汗で濡らして顔ごと逸らしたのが良い証拠だ。すべて透の思うとおりにことが進んだわけだ。魂胆がすべてわかってしまった佑真は溜息を吐くしかなかった。


「まあ、透から事前に聞いていたなら本格的に部活動を始めてもよさそうだな」


 そう言うと佑真は立ち上がり、少し年季の入った木造の棚に手をかけ、


「んじゃ、手始めに……この棚を見てくれ。こいつをどう思う?」

「……すごく、立派な棚だと思う。これがどうかしたの?」


 佑真は椿姫の質問に答えるように一番下の棚を開ける。すると、開けた棚の中から水の入った一・五リットルのペットボトルが数本ほど出てきた。


「これは?」


 椿姫は佑真に問いかけに、


「ドライアイス爆弾」


 佑真は平然と答える。


「えっ、ドライアイス爆弾、って……。もしかして、あのドライアイス爆弾?」


 聞き返す椿姫に佑真は無言のサムズアップ。手際よくドライアイス爆弾らしきペットボトルを回収し、棚の中の仕掛けを解体した。


「うわぁ……出ましたよ。佑真特製のドライアイス爆弾」


 置かれたドライアイス爆弾を見て透は引き攣った表情で言う。佑真特製と聞いただけでも、その危険性は計り知れない。それは透の反応も相まって、言わずとも椿姫に伝わり、緊張からか無意識に生唾を飲み込んだ。


「なんだか、危なそうだね……」

「危ないってレベルじゃないよ~。真面に喰らったら病院で大人しくおねんねよ。それなのに佑真ったら普通に棚を開けるもんだから思わず逃げ出すところだったよ」


 透はどこか遠くを見て弱々しく言った。いつも佑真の隣にいた透は、それはもう想像を絶する物を見てきた。興味のないものは最低限の知識しか身に着けないのに、一度でも興味を持つと手が付けられない。ドライアイス爆弾もその一つだ。


「自分の仕掛けた罠にわざわざかかるわけないだろ。椿姫にいろいろと教えるためにわざわざ取り外しといたんだ。確かめてみればわかる」

「あ、本当だ。ファイル以外はなにもない」


 椿姫が全開にして確認すると佑真の言うとおり仕掛けという物はなにもなかった。あるのはタイトルが空白のファイルだけが乱雑に置かれているだけだった。


「この棚は侵入者が情報を盗もうとしたとき用のダミーファイルとトラップが仕掛けてあるんだ。棚の底は二重底になっていて、そこに機密情報が入ったファイルがある。まあ、下手に引き出しを開けた途端ドカン、だけどな」

「あ、危なくない? もし怪我でもしたら……」

「あ? 手順をふんで収集した情報だってあるんだ。それを土足で踏み込んでまでかっさらおうとする輩に慈悲なんていらねぇだろ」


 情報部で集めた情報は無断で部室から持ち出すことや他言することは禁じられている。部員であってもそれは許されない行為だ。持ち出すことのできる人物は限られており、扱っていいのは佑真と透だけである。そのほかは許可が必要になる。


「椿姫ちゃん。こいつになにを言っても自分の主張だけは絶対に崩さないから諦めるしかないよ。変わるとしたらその場のノリとかだけど。言ってしまえば僕も佑真サイドだから爆弾の餌食になった人たちには優しくする必要なんてどこにもないと思うんだよね」


 能天気に笑って言う透。言葉とは裏腹に表情だけは邪気を感じさせないのが不気味だった。この中で一番怖いのは透なのでは、と一瞬でも椿姫は独りでに思ってしまった。


「……。わたし的には少しでもいいから慈悲をあげてもいいと思うんだよね」


 佑真や透の主張に、ぎこちなさそうに椿姫は意見を言う。


「ほう? 椿姫は俺たちのやり方に文句があると?」

「そういうわけじゃなくて……あの、その。……ごめん。やっぱり、なんでもない」


 佑真の無表情からなんとなく伝わってくる威圧感。それに気圧されてしまった椿姫は用意していた意見を言葉にすることができなかった。


「あはは……どんまい、椿姫ちゃん」

「そんじゃ、部活説明の続き始めるぞ」


 面倒くさそうに呟いた佑真は説明を続けた。一週間ほど経った今では教えることはほとんどないが、それでも情報部部員になった同時に伴う危険性は繰り返し教え込む。その間ずっと椿姫は黙々と聞いていた。


「んじゃ早速、この資料を渡すから手に入れた三学年の男、しかも彼女がいるというリア充の情報をまとめて書いてくれ」

「わかった。この白紙のファイルで大丈夫かな?」

「ああ、白紙のファイルならなんでもいいぞ」


 椿姫は、佑真の教えてもらった通り空白の紙に書いていく。箇条書きで、しかも細かい情報を丁寧に繋ぎ合わせて質の良い情報へと生まれ変わる。


「そう言えば佑真ぁ。この先輩ってなにやらかしたの?」

「浮気」

「浮気ぃ? このガタイ良くて誠実そうで顔がイケメンというねたましい男なのに?」


 透はそう言いながら集めた情報の中から一枚の写真を手に取っていた。見ているのは椿姫がまとめて書いている男の顔写真だ。


「そうだ。その妬ましい男はな。彼女がいるくせにほかの女に手を出して、あまつさえ彼女に隠して廃墟で合体しているという始末。知った時は腹抱えて笑ったわ」

「佑真が腹抱えて笑うとか想像がつかないんだけど……っていうか、この廃墟、僕たち二人でカルト教団を壊滅させた場所じゃん。いつのまにそんな性地になってたの?」

「カルト教団が潰れてから一週間も経ってないんじゃないか? その間は無人も同然の廃墟だったんだが、いつのまにかホテル代をケチるための発展場になったそうな」


 佑真たちの話しているのは、数週間前に解決したカルト教団の案件の後日談。依頼を遂行したあの日以来、一時的に人は寄り付かなった廃墟が今では金があまりないカップルたちの穴場へと変わってしまったという話だ。


「へぇー、あの廃墟がカップルたちの……。確かにあそこにはベッドとかの生活用品とかは一通り揃っていたし、カセットコンロもあったから一夜明かすことも可能だもんね」


 歩く一八禁と不名誉な称号を手に入れた日付だから、鳥頭の透は施設のことを覚えているようだった。まあ、名付け親は佑真だが、今は関係のない話だ。


「それにしてもよく覚えていたね。佑真は解決したらすぐに忘れちゃうからちょっとだけ驚いたよ。そんな興味を引くものあったっけ?」

「いや、昨日あの廃墟の顛末を聞いたんだ。言われるまで俺は完全に忘れていた」


 佑真の言うとおり彼は完全に忘れていた。邪教の組織自体を潰したという、かなり印象の強い出来事を興味がないという理由で忘れていたのだ。


「佑真君らしいね。すぐに忘れちゃうだなんて」


 佑真たちが前の依頼の話で盛り上がっていると、仕事を終えた椿姫が会話に入ってきた。


「それは心外だな。俺はこれでも物覚えは良いほうだぞ」

「なら、わたしのことを覚えていてもいいと思うんだけど? もしかして、興味すら湧かないほどにわたしには魅力がなかったかな? 気を引けないのは女としてちょっと残念」


 佑真が忘れたくて忘れているわけではない。本当に椿姫との面識がないのだ。そのせいでいまだに椿姫のことを警戒している節がある。信頼もなければ、親しみすら感じないほどに。確かに椿姫は可愛い部類だと理解はしている。それは学園中の生徒が自他ともに認めてていることだから否定はしない。美味しい料理を作れる奴に悪はいないことも知っている。だけど佑真の中では、なぜだか榛名椿姫という存在を許せていなかった。


「努力はするさ。会ったことがあるんなら、そのうち思い出すだろ」


 適当に相槌をする佑真。悩みの種があるとはいえ、たださえ睡眠不足の身体だ。脳をフル稼働するほどの気力を今は持ち合わせていない……いや、それを言ってしまうといつも持ち合わせていない。まあ、思い出す努力は佑真なりに一様している。


「佑真が興味のないものを思い出せるのぉ? ホントにぃ?」


 少しだけ前向きに考えているところで透が煽ってきた。本当に良い性格をしていると思う。だから佑真は最低限、爽やかな、と言っても自然体とは程遠い笑みを浮かべて、


「そんなこと言うなよ透。おまえのすべてを叩きにしてつみれ汁にするぞ」


 狂気じみた言葉を放った。


「パス発言やめい! 佑真がそう言うと洒落にならないからホントにやめてほしい。僕が悪かったから考え直して」

「んなことするかよ。おまえを調理したところで微生物も避けるぐらいマズいだろう」

「なにそれ!? それじゃ例え死んでも誰も分解してくれないじゃん!」

「ったく、本気にするなっての。面倒くさい奴だな」


 涙目になった透をなだめ、佑真は面倒くさそうに溜息を吐く。もう気絶するまで殴ってやろうかと考えていると、部室の扉が開き、誰かが入ってきた。


「おい、おまえら、声が廊下まで響いてきたぞ。ちったぁ静かにできねぇのか?」

「………………。なんだ、江崎先生ですか」

「なんだ、とはなんだ。せっかくおまえらが部活に勤しんでる時間帯を狙ってやってきたのによ。ちったぁ俺を敬え」


 部室に入ってきたのは江崎先生だった。


「失礼しまーす」

「あっ、桐沢センセーもいる!」


 そして、江崎が部室にくる理由である桐沢もいた。桐沢を視認した透は二人がセットだということに気づき、まるで子供が玩具を見つけたかのように目を輝かせた。


 意外な来客に少々驚く情報部の面々だったが、もてなす準備はいつでもできていたので二人を席に着かせ、お茶を淹れて椿姫特製のクッキーとフライドポテトを用意した。


「……。なんでお茶請けにジャンクフードが混じってんだよ……」


 江崎はクッキーとフライドポテトを交互に見て言う。


「フライドポテトを用意したのは透ですよ。文句言うなら透にいってください」


 佑真が言うとなりで透は悪びれることなくVサインをしている。


「でも、フライドポテトも美味しそうですよ?」


 健気な桐沢だけはクッキーとフライドポテトを前にしても笑顔だった。

 彼女の笑顔の前では文句も言えず、江崎は自ら折れる形になり、溜息を吐いてクッキーに手をつける。桐沢も一緒になってクッキーを手に取って食べる。


「ん? 美味いな、このクッキー」

「本当ですね。どこのお店のかしら」


 あまりにも美味しいクッキーに二人の教師は驚く。


「それ、椿姫が作ったクッキーなんですよ」

「これを榛名が?」


 佑真の言葉に自然と椿姫のほうに視線がいく。


「はい。わたしが作りました。お口に合ってたら良いんですけど」


 一気に視線が来たことで驚く椿姫だが、いつもどおりの笑顔で返答する。


「榛名さんが……。とても料理がお上手なんですね」

「良い腕を持ってる。将来有望な生徒がいて先生は嬉しいぞ」


 二人が絶賛する中、椿姫は少し照れくさそうに笑う。そんな椿姫を見て、江崎はどこか安心した表情を浮かべながら、


「榛名がうまくやっているようでよかった。すぐに顔を出せなくて悪かったな。いろいろと不安だったが、杞憂で本当に良かった」


 そう言ってお茶を啜る。


「そんな、佑真君たちが面倒を見てくれるおかげです」

「天瀬たちが? おまえら、そんな面倒見よかったか?」


 話を聞いた江崎は首を傾げながら佑真たちを見る。


「俺たちそんな信用ないですかね?」

「当たり前だろ。天瀬がどれだけ女生徒に容赦ないのか知ってるんだぞ。とくに女生徒で新入部員となったらなにが起こるか。その点はどうなんだ、榛名」


 面倒くさそうに言う江崎。


「確かに、初めて会った時は、あはは……」


 苦笑しながら言う椿姫。途中から言葉が途切れたことで、大体の察しがついた江崎は予想通りの結果に重い溜息をつく。


「江崎には関係ない話ですよ」

「先生もつけろっての。ったく、なんでこーも礼儀がなってねぇのかねぇ」

「知らないっスよ。んじゃ、俺もう帰るんで」


 佑真はそう言って早々に帰り支度をする。


「えっ? 佑真もう帰っちゃうの? なら僕も帰るよ」

「なら、わたしも」


 佑真に続き、透と椿姫も追うように帰り支度を始める。


「お、おいおい。急にどうしたんだよ。もう帰っちまうのか? 俺たちが急に来たのは悪かったが、なにも帰らなくてもいいだろう」


 部員たちが一斉に帰ろうとする光景に、江崎は呼び止めようとする。

 確かに急に来た。しかし、佑真が帰宅するのはべつに江崎が来たからではない。


「元々今日は早めに帰るつもりだったんで大丈夫ですよ。んじゃ、そゆことで」


 佑真はそう言って部室を出る。


「あれ? 皆さんもう帰るんですか?」


 余ったフライトポテトを悠長に食べていた桐沢が訪ねる。


「ゴメンね、桐沢センセー。あとはごゆっくり」


 透もそう言って部室を出る。椿姫も同様に挨拶して部室を出た。

 江崎の制止も虚しく、部員は帰ってしまい、部室には教師だけが残ってしまった。部室は静寂に包まれ、江崎は呆気にとられる中、桐沢は呑気にお茶を啜っていた。

 すると、帰ったはずの透が部室に顔を出し、


「棚の下にあるダンボールにスルメが入ってるので好きに食べてくださいね」


 そう言って満面の笑みで帰っていった。



――――



「……………。まったく、なんだかなぁ」


 なんだかんだで気を使われているな、と江崎は思いながら深々と溜息を吐き、好きな乾物類でも食べて気を紛らわせようと透の言っていたダンボールに手をかける。

 なにはともあれ、江崎は透には感謝していた。

 透に問題はある。しかし頼んでもない物を用意して、裏から配慮している。桐沢で遊ぶのも桐沢を思っての行動だということも江崎は知っていた。一教師として少々悪目立ちしてしまっているところは悩みの種ではあったが、尊重していきたいと江崎は思っていた。

 そう思っていたのも束の間。中身を見た瞬間、江崎は考えを改めた。 

 ダンボールに入っていた物は江崎の求めていた乾物類のスルメではなかった。

 そこにあったのは、避妊具一式とブルーシート……それと手紙が一枚。

 差出人は透だった。


 がんばって♡  とぉるより♡


 そう書かれていた。

 透への感謝は怒りへと変わった。


「……そういえば、あいつはこういうやつだったな」


 静かにそう呟いた江崎は、桐沢に見られないようにダンボールを閉めて立ち上がる。


「どうしました? 正道さん。透君の言ってたスルメなかったんですか?」

「ああ、いや、ちょっと急用を思い出してな。すぐに戻る」

「お仕事が残ってたのなら、わたし手伝いますよ?」

「いや、大丈夫だ。ちょっと生徒指導にいってくるだけだ。ちょっとした指導をな」


 江崎はそう言って扉を開ける。


「ん? いってらっしゃい」


 少し江崎に違和感を感じた桐沢だったが、笑顔で送り出した。

 なにも知らない桐沢が笑顔で小さく手を振る姿に江崎はほくそ笑み、締め切ると同時に鬼の形相を浮かべ、周りに殺気を振り撒きながら透を追いかけた。


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