第13話 不吉な香り



 桜葉学園の部活棟。ほかの学園内施設とは違い、文化棟と運動棟で別れている。

 両方の棟で四階と屋上で構成される文化部も運動部も平等の面先を持つ建物が建設されていることで無駄に広く、両方の棟には空き部屋が多く存在している。

 定番な部活から一風変わった部活までより取り見取りの学園だが、空き部屋は在庫切れを起こすことはない。おかげで活動を認められている部活には物置き用として空き部屋が貸し出しされ、申請すれば増やすこともできる。


 情報部は文化部のニ階に位置し、右端から二番目の部屋が活動拠点である。一番右端は情報部の物置き用として利用している。部活動連中は倉庫室と呼んでいる。

 部活動にとって大変ありがたい話だ。情報部の部室が紙やファイルが山積みにならずに済んでいるのは倉庫室があるおかげである。

 倉庫室には情報部設立以降の依頼料や自力で集めた情報、他人の個人情報が詰まったファイル、動画と写真といったデータや実物写真が保管されている。

 そんな普通とは違う悪い人たちが攻め込んできそうなほど危険な部活。そこに佑真と椿姫が教室から一〇分ほどかけて情報部部室に到着した。

 佑真が扉を開き、見慣れた部室内の景色が出迎える。ついでに、窓際には一人、夕刻の空を仰ぐ透の姿もあった。そして、佑真は扉を開き切ると同時に、左手に持っていた丸い物体を頭上へと移動させる。


「やあ、また随分と遅かったじゃな――」


 扉を開く音に気づいた透は、かっこよくポーズでも決めて挨拶をしようかと振り返った瞬間を狙われた。野球選手の投手顔負けの綺麗なフォームで構える佑真が、最大出力の剛速球を透の顔面に向けて投球したのだ。


「へぇっ!?」


 突如として訪れた危機に透は言葉にならない声を上げ、反射的にボールの着弾点から身体を逸らし、それと同時に手早く窓を開け、硬球であろうボールを無事にグラウンドへ帰らせた。わずか数秒の出来事だった。


「し、死ぬかと思った……」


 透は荒い息を整えながら危機を去ったことに安堵し、身体中を力が一気に抜けた。


「なにするんだよ佑真! 危うく顔面に青馴染みができるところだったじゃんか!」

「なに言ってんだ。できるように投げてやったんだよ」


 激怒する透に淡々を答える佑真。あの硬球は野球部が練習中に拾い忘れたボールだ。野球部に届けるつもりはなかったが、見ているうちに椿姫との件といい、妹に余計な情報を吹き込んだ件といい、なんとなく腹が立ってきた佑真はわざわざ拾って犯行に及んだ。


「失礼します、ってもう言わなくていいんだった」


 透が処刑されているとはつい知らず、椿姫も部室に入ってくる。

 その前に知らなかったことだが、今の椿姫の反応で自分がいない間に依頼人として頻繁に出入りしていたことが発覚する。まあ、佑真にはもう過ぎた話だ。


「もう情報部の一員なわけだしな。これからは普通に入ってきても大丈夫だ。まあ、たとえ友人だとしても他人を気安く入室させられても困るけどな」

「そこは大丈夫だと思うよ。誰だって猛獣のネグラになんて入っていかないでしょ」

「おい、それ喧嘩売ってるようにしか聞こえん」


 無自覚なのか椿姫は首を傾げるだけ。おそらく、周りから見た率直な感想なのだろう。椿姫が思っているのか、他人なのかは知らないが、悲しいがそれが周囲の評価だ。


「ちょっ! 僕を無視して話を進めないでよ!」

「ん? ああ、そうだったな。透を撲殺する計画が終わっていなかったな」

「そんな計画が進行していたの!? 嫌だ! 最終回にされる!」


 変なことを叫ぶ透。撲殺というと誤解されるが、実際は少しの間だけ眠ってもらうだけだ。透の身体は丈夫なので多少の衝撃を与える程度なら身体への悪影響はないだろう。


「ぼ、僕をブっても虫もお金も出てこないよ!」

「おまえのちんけな持ち物になんて興味ねぇよ」

「なっ、ちんけってなにさ! 僕のオタカラを侮辱するのは許さないぞ!」

「どうでもいいっての。それより、よくも愛美にいらぬ情報を渡してくれたな? 丁度良いからここで始末してやる。椿姫の件だって許してねぇんだぞ」

「椿姫ちゃんの件は謝るけど、愛美ちゃんの件は結果オーライじゃん!」

「んなわけあるか。愛美に余計な負担かけさせやがって。てめぇなに考えてやがる?」


 殺気に満ちた佑真の言葉に透は額に汗を滲ませる。


「いや……ね? 愛美ちゃんが、お兄ちゃんは高校ではなに食べてるの? って聞いてくるからさ。こう……ちょろっ、となにも考えずに話しました……」

「……、本音は?」

「言ったら面白いことになると思って♪」

「殺す」


 佑真は腰の抜けた透の胸倉を掴み、固く握った拳を透に向けて構える。


「イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」


 面白半分で話していたのでは透を半殺しにするしかなかった。透の悪行を大体把握している。これは溜まりに溜まった鬱憤を晴らすついでに鉄拳制裁するという大事な工程だ。これで少しでも火に油を注ぎ放火する透を大人しくなることを願いたい。


「ゆ、佑真君、その辺にしよう?」

「止めるな、椿姫。俺はこいつを消さなきゃいけない」


 椿姫は宥めようとするが、止まることはなかった。


「本当にゴメンって。許してハミバミ……」

「………………」


 ごもっともな意見が出た。佑真は考えたのち、少し透に対して過剰になっていたかもしれない、と自分の行動を考え直して拳を下げる。

 理由はどうであれお昼が食べれないのは死活問題だ。それに……。


「……。それもそうだな。この辺にしとくわ」


 そう言って佑真は胸倉を放し、透を解放する。


「うぅ……ありがとう椿姫ちゃんっ!」


 透は半泣きで椿姫に感謝を述べる。まるで女神を崇めているかのような姿だ。まあ、崇めていたとして神も悪も平気で騙すような人間には変わりないが。

 それよりも先に、取り急ぎ引き剥がしたいものがあった。


「椿姫、できれば離れてくれないか?」

「え? あ、ごめんね!」


 指摘すると椿姫はすぐに佑真の身体から離れる。


「いや、大丈夫だ。それより飯を食おう」


 ふぅ、と息を吐く佑真はそう言ってパイプ椅子に座る。それから透たちも座り、各々が持参した弁当を広げ、椿姫が気を利かせて淹れてくれるお茶を待つ。

 そんな中で椿姫が定位置に決めた席にカバンがあった。まだ授業が残っているというのにも関わらず、教科書やその他もろもろが詰まったカバンが目の前にある。あの佑真でさえ弁当以外、持って来ていないというのに。

 気になって仕方がなかった。


「椿姫、なんでカバン持って来てんだ?」


 佑真は率直に聞いた。なにか深く詮索するつもりはなかったのだが、にこにこと笑みを浮かべていた椿姫は苦笑する。


「中学の頃に色々あってね」

「ああ察し。聞いてすまなかった」

「気にしてないよ。もう済んだ話だし。それに、誰かさんのおかげで今じゃちょっとした思い出だったりするんだよ?」

「へぇ、その誰かさんに助けてもらったんだな」

「佑真君なら知ってると思うけど?」


 そう言われ、佑真は少しだけ考えた。


「……、透か?」

「なんで僕なんよ」

「そりゃそうだろ。恋愛相談に乗って、アドバイスして、今でも性懲りもなく手を貸してる。個人依頼にしては、ちと献身的になり過ぎな気がしてな。透は基本協力的だがあくまで貸す程度だ。過去になんかねぇと失敗に終わっても手を貸したりしない」

「確かに僕のスタイルはそうだけど、過去に椿姫ちゃんと会ったことないんだけど?」

「記憶喪失か? ボケんのにはまだ早い気がするけどな」

「記憶喪失はそっちや」


 記憶喪失ちゃうわ、とツッコミを入れたかった佑真だが、今朝の愛美の発言を思い出すとなにも言い返せなかった。


「佑真君って、たまにバカだよね」

「椿姫ちゃんもそう思う? ホントおつむは良いのに時折バカになるんだよねぇ」


 透はともかく、椿姫までに馬鹿にされた。


「おう、喧嘩なら言い値で買うぞ?」

「喧嘩はダメ。はい、お茶」

「ありがとう」


 椿姫に宥められながらお茶を受け取ってお茶を啜る。そして一息ついて、


「なんで透にいかなかったんだろうなぁ。普通、親身になって恋愛相談に乗ってくれる男に靡くってもんじゃねぇの」


 そう呟く。


「確かに透君ってとても優しいけど、良い人止まりだよ」

「あれぇ? 急にヘイトが僕に向いたんだけど?」


 透がなにか言っているが、椿姫は言葉を続ける。


「もしも低確率で透君に靡いても、透君はダメ」

「生理的に?」

「そうじゃないよ。でもこれ以上は内緒」

「……、そうか」


 ひとしきり話しが終わったところで、各々は弁当に手をつけ始める。


「うーん♪ やっぱ母さんの手料理は最高だな」


 幸せそうに頬張る透はそんなことを言う。


「前みてぇに透だけ冷凍食品詰め込み弁当にはならなくなったんだな」

「僕だけじゃないけどねぇ~。最近、仕事場に嫌気が差して、辞職して家事に専念するようになったからお弁当が凝ってんのよ」

「ふーん。……透の親が勤務してた職場はどこだ?」

「やめてくれ。佑真がそれ聞くってことはマジで洒落になんないんだけど」

「一様、役目みたいなもんだしな」

「いいっていいって。どうせそのうち消えるって」

「そうか」


 軽くそう言うと佑真は愛美の作ってくれた弁当を食べて舌鼓を打つ。久々に食べる手作り弁当は美味しく、珍しく新鮮味を感じさせていた。

 すると透の隣に座る椿姫に微笑みながら、


「美味しそうに食べるよね、佑真君って」


 急にそんなことを言ってきた。


「顔に出てるか?」

「そんなに。でも、口に運ぶたびにほころんでる。可愛い」


 なにを微笑ましい光景のように捉えているのかわからない。


「やめろ、男に可愛いとか言うな」

「男の可愛いも需要あると思うけど」


 すると透が話に割り込んだ。


「そっちはいい、透。余計ややこしくなる」


 透の言いたいことは佑真でもわかる。わかるからこそ巻き込まないでほしい話題だ。

 だが、人が困っている隣で悶々とした表情の透がいた。

 無言が数秒ほど続き、呻き声を漏らす透が口を開き、


「おかしくない?」

「なにが?」

「なにってそりゃさ、なんで椿姫ちゃんが佑真の隣じゃなくて僕の隣なのさ」

「いいじゃないか。女っ気のない透がニヤニヤできる場面じゃないか」

「僕は佑真と椿姫ちゃんのおハッピせに《ー》セットでニヤニヤしたかったよ!」


 悔しそうに嘆く透を尻目にまた弁当のおかずを口に放り込む佑真。透の思惑なんてなんのその、今は愛美の作ってくれた弁当にしか興味がない。

 舌鼓を打っていると、椿姫がすっと隣に座ってきた。

 何事かと呑気に様子を窺っていると、自分の弁当からおかずを箸で掴み、満面の笑みを浮かべながら佑真の口元まで持ってくる。


「はい、あーん」

「………………」

「食べて?」

「……、」

「わたしの初めてを、食べて?」

「ちょと待て、色々とおかしい」


 ただ見つめるだけで諦めてくれると思ったら佑真の予想もしない爆弾発言が飛んできた。なにか大切な主語が抜け落ちたその言葉は佑真の背筋をヒヤッとさせる。


「透め、変な入れ知恵しやがって」

「ほら、佑真君。食べて?」


 透を呪っている間にも椿姫はぐいっとおかずを差し出してくる。積極的に身体を前に倒してまで佑真との距離を縮めようとしてくる。


「いらん。自分のだろ」

「今日は佑真君がお弁当持ってくる、って透君から聞いてたから、胃のことを考えてわたしのを少し別けてあげる最小限のアプローチをしてるんだよ? さあ、食べて?」

「いらねぇって。クソッ透の奴……」


 呪い殺してやろうかと心底思う佑真の前で呑気にバナナをモグモグと食べている透。ニヤニヤしながら佑真たちをオカズに食事している姿は非常にムカつく光景だった。


「どうしても食べてくれないの?」

「自分のだろ。意地でも食べねぇぞ」


 椿姫がどんなにせがんでも佑真は乗る気にはなれなかった。

 数秒間の見つめ合いのすえ、椿姫は箸を引っ込めて自分の弁当に置いた。ようやく、諦めたと思い佑真は安堵の息を漏らすが、また椿姫は身を乗り出して距離を詰めてきた。

 不意を突かれた佑真はぎょっと身を引いてしまい、椿姫はさらに距離を詰める結果になってしまった。そして、顔をほんのりと赤らめた椿姫が、


「じゃ、じゃぁ……わたしを、食べてみる?」


 制服のリボンを緩めながら衝撃的な台詞を口にする。


「………………」


 佑真は反応に困った。

 ちらっと透のほうを見ると満面の笑みを浮かべていた。思わずぶん殴りたくなるような笑顔から察するに椿姫の積極的な行為は透の入れ知恵があって成り立っているようだ。どこまで透に従順なのか知らないが、椿姫は素直に受け入れ過ぎてはないかと佑真は少しだけ心配になった。

 溜息交じりに背もたれから身体を起こして椿姫の両肩を掴んだ。


「えっ、本当に食べるの?」


 するとさらに頬を紅潮させる椿姫だが、それを無視して引き剥がす。


「やめろ、鬱陶しい」


 佑真は睨みを効かし、低く威圧的な声で突き放した。それはまるでブチギレる寸前の最後の理性を振り絞ったかのような佑真なりの警告である。


「あ、ご、ゴメン……」


 やってしまった、とそんな言葉が浮かび上がるようなほどに怯えた顔をして椿姫はすぐに佑真のそばから離れる。


「佑真ぁ、そんな邪険にしなくていいじゃんか。椿姫ちゃん頑張ってアプローチしてんだよ? 少しぐらい付き合ってあげなよ」

「テメェ……本気で言ってんのか?」

「えっ? なんで怒ってんの?」


 なにを期待したのかは佑真にはわからないが、それほどまでに予想外だったのか透は間抜けな声を出す。佑真が怒りを表に出すほどだったとは思わなかったらしい。


「うっ」


 佑真は口を押え、パイプ椅子から立ち上がって透たちに背を向ける。


「待って佑真君! そんなに嫌だったなんて思わなくて。待って――わっ!」


 驚くような声に反応して振り向いた佑真の目に、バナナの皮を踏み抜き滑る椿姫の姿があった。はて、どこかで見たことのあるようなバナナの皮。先程、透が食べていたバナナの残骸ではなかろうか。そう思ったのも束の間、足を滑らせて体勢を崩した椿姫がを力を押し殺せないまま前のめりになって佑真を押し倒した。


「いててて……あ、ごめん、佑真君」

「ああ……俺は大丈夫だ」


 巻き込み事故を喰らって床に身体を打ちつけた衝撃で呻く佑真は大きく息を吸う。


「うぷっ」


 突然の吐き気を催した佑真は口を押えた。忍耐力と根気で吐き気を抑え込もうと必死に抵抗するが、身体が小刻みに震え出してしまう。


「ゆ、佑真君?」


 異変に気づいた椿姫は即座に離れようとするより先に、わずかな隙間を身体を捻らせて脱出した佑真は立たずにのたうち回ったりして気を紛らわし、時には硬直して湧き上がる吐き気を収まるのを待った。

 意地でも吐きたくなかった。今日は愛美が頑張って作った料理を詰め込んだ弁当を吐瀉物に変えて廃棄などしたくないのだ。


「うっ!」


 しかし、佑真の願いは叶わず、胃の中で祭りの如く御神輿ワッショイを繰り返し、夏コミのように密集する来場者の乱雑行進が喉を駆ける。

 咄嗟に部室の端にあったバケツを手に取り、


「オロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ……………………オェ……」


 胃の中の内容物をすべて吐き出した。数秒間吐いたのち、気持ち悪さから解放されてスッキリとした気分になり、同時に喪失感を覚えた。佑真はそんな気持ちになりながらバケツの中身、喪失感の正体を見つめて項垂れる。


「佑真君、大丈夫!?」


 椿姫はバケツに呆然と俯く佑真に駆け寄って背中を優しく摩る。


「あちゃ~、やっぱりそうだったか~」


 思い出したかのように透は額に手を当てた。

 その透の言葉に、椿姫は反応する。


「やっぱりって、どういうこと?」

「佑真って鼻が敏感でね。匂いの強い物とか苦手なんだよ。とくにラベンダーの香りが嫌いなんだよね。微かに香るだけでも気持ち悪くなっちゃうみたいんだ」


 申し訳なさそうに透が言うと椿姫は察した。


「もしかして、わたしから逃げたのって……ラベンダーの香りがしたから?」

「だろうねぇ。半ギレだったのもそれが理由だろうし。ときに椿姫ちゃんってラベンダーの香りって好きだったりするの?」

「好きだけど、愛用するほどじゃないかな」

「だったら大丈夫かな。佑真ってシトラスの香りが好きだから今度使ってみるといいかもね。あばよくば顔をうずめてくれるかもよ?」

「顔を、うずめる――、~~ッ!」


 なにを妄想したのか椿姫は顔を真っ赤にして顔を反らした。


「……おい、透。なんで俺の好きな香り知ってんだ」

「佑真の部屋にある芳香剤とアロマキャンドル全部シトラスの香りじゃん」


 満面の笑みを浮かべる透はサムズアップする。

 そういえば侵入しては物色してたな、と佑真は透が遊びに来た日を思い出す。エロ本を探していたわけではなく、個人情報を仕入れていた事実に呆れて溜息を吐いた。


「まあいい。知られて困るわけじゃないしな」


 べつに透の暴露に対してとやかく言及するつもりは佑真にはなかった。椿姫は高い代金を支払っている。その分の見返りだと思えば大したことはない。

 しかし、しかしだ。一つだけ文句があった。

 椿姫が気を使い持って来てくれたお茶の入った湯呑を貰い、胃酸で酸っぱい口内にお茶を流し込み、そのまま喉を潤して透を見やる。


「だが、透。テメェわざとバナナの皮を床に置いたな?」

「あれ、バレちゃった?」

「バレるもなにもバナナ食ってたのテメェだけだろ」


「フフフ……バレちゃあしょうがない。そう、なにを隠そう僕の背後霊、キューピッド・ラヴの能力さ! 恋愛を成就させるキッカケを操る程度の能力。両想い、または片想いしてる者にしか能力は適用されない。なにをどうすれば、どう話しかければいいのか、キッカケを見つける、または作り出すことが可能! そして佑真たちにはバナナの皮を使えばいいということがわかり、手に持っていたバナナをキッカケ作りに使用したまでさ!」


「妄言も程々にしとけよ。今日は良いが次はねぇぞ」

「へい」


 透の長文に呆れた佑真はバケツを持って椅子に座り直す。


「ごめんね、佑真君。嫌いな香りだなんて知らなくて、べたべた近づいちゃって」

「べつにいいさ。まさか洗剤の香りでやられるとは俺も思ってなかったしな」

「次からはシトラスの香りにするから!」

「いや、い……、そこは椿姫の度量に任せる」


 甘い言葉に佑真の心が揺らいだ。


「まあ、それはそれとして。透よ、スプーン持ってないか?」

「コンビニでとりあえず貰ったヤツ持ってるけど、どうするの?」


 透がコンビニのプラスチックスプーンをカバンから取り出しながら訊いてきた。


「いや、弁当の半分を戻してしまったからな。また戻すんだ」


 それを聞いた透は差し出す手が止まる。


「おっ、サンキュ」


 だがすでに遅し。佑真は差し出されたスプーンを受け取ってしまう。


「ちょ、それ食べんの!?」


 透は人生最大の驚愕を受ける。


「食べるとはなんだ。戻すんだよ」

「いや、食うのとなんら変わんないからね!?」

「違う違う。食べた物は戻したが、元は胃にあったなら戻すと言っても変わんねぇ」

「いやいやいやいやいや!」

「なら太いチューブくれ」

「ボートが流れるじゃんか! ダァメだって! そのバケツ洗ってないんだぜ? ばっちぃって、腹壊しちゃう、って」


 素面の佑真を必死に説得しようと奮闘する透だが、本人はわかっていても納得のいかないような顔を浮かべている。


「だがな。せっかく作ってもらった弁当なんだ。それに半分食べて半分戻してしまった。これでは昼持つかどうか……」

「アンタ寝てるでしょうが!」


 いつもは佑真が口論で押されることはない。だが、今回は狂言と言っていいほどに気持ち悪い。しかし、健気な愛美が作ってくれた弁当を半分ほど無駄にしてしまった佑真にとって胃に戻す以外の責任の取りかたしか見つからない。

 だが、よく考えてみればこのバケツは汚かった。それを考慮すると胃に戻す覚悟もどこかへ消え去ってしまう。

 葛藤する佑真は、最終的には諦めてバケツを床に置いた。


「はぁ……、まだ購買売れ残ってるかな……」


 そう言う佑真は後頭部を掻きながら席を立ち上がろうとする。


「佑真君」

「ん? ――むぐっ!?」


 椿姫の呼び声に振り向くと口になにか突っ込まれる。

 その正体は椿姫の弁当のおかずだった。

 モグモグ……と口に入った食べ物を無意識に咀嚼する佑真。


「どう? おいし?」

「……。うん、うまい」

「よかった。じゃ、もう一口」


 嬉しそうに満面の笑みを浮かべる椿姫はまた弁当のおかずを差し出す。


「はい、あーん」

「待っ、――あグっ」


 佑真の制止を待たずに口に突っ込まれた。口にした弁当のおかずはどれも驚くほどに美味しく、次第に抵抗する気さえなくなっていく。

 佑真はあまり他人の手料理を褒めることはない。愛美、愛美とシスコンの如く妹である愛美の手料理を過大評価している。だが、椿姫の手料理はその偏った過大評価を押し返すほどに美味しく、先程まで吐瀉物を食べようとしていた佑真は自分を疑った。


「はい、あーん」

「ぅ、あ、ーん」


 次に差し出されたおかずは素直に受け取った。

 ああ美味い、と佑真はそう思った。


「胃袋引っ掴まれてやーんの」


 透から茶々が飛んでくるが、反論できる気がしなかった。佑真はたった三口で椿姫の料理の虜になってしまったのだから。


「これぐらい食べたらお昼は持つかな?」

「ああ、ありがとう。ご馳走様」

「お粗末様です」


 満足そうに微笑む椿姫は足元にあったカバンの持ち、中身を見せて、


「あと、お菓子も焼いてきたから部活の時間に食べよ?」

「ん、ああ……楽しみにしとくよ」


 透明な袋に包まれたクッキーが佑真の視界にちらっと入って自然と心が躍る。まさかわずか数分の間で胃を掴まれて、後悔するより楽しみが増えてしまった。

 胃袋掴まれると弱いのかな、と佑真は思いながら自分の箸を再び手に取る。


「良かったね、佑真!」

「………………」


 わざとらしく声をかける透を無視して、佑真は残り半分の弁当を食べる。


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